「現今の金利は自然に非ず」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「現今の金利は自然に非ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

現今の金利は自然に非ず

單に營利の一點より視れば日本銀行現今の利率は尚ほ幾分の引上を要すること曾て同行員が若しも政府の干渉を脱せば同行の利益は今日の比に非ざる可しと明言したるに徴しても知る可し假令ひ前號に假算したる一割内外は今日日本銀行の採擇すべき利率として認むるに適せざるにもせよ兎に角に銀行が制限外兌換券を發行してまでも七分内外の低利を維持するは奇と云はざるを得ず其奇相の由りて起る所以を尋ぬれば日本銀行の獨立未だ完からざるに在り即ち金利昂低の全權尚ほ大藏大臣の掌中に在るを以て總裁は明に金利引上の利益を認めながら進んで之を斷行する能はず株主も亦其事の總裁の權限外なるを以て毫も之を責問せずして却て日本銀行は本と國家機關なれば徒に自行の利益をのみ圖る可きに非ずなど漠然たる説を立てて深く怪まざるのみ若干の資本を投じて一種の商業を營む者が當然占むべき利益を占めずして是れは國家の爲めなりと云ふ笑ふに堪へたる次第ながら果して國家の爲めならば尚ほ可なれども所謂國家の爲めとは全く一片の空想に過ぎずして其實大藏大臣に金利昂低の全權を付與するは知らず識らず威福を商業社會に弄せしむるの媒介と爲り隨て商業の獨立を害するの具とこそなれ眞成に獨立の商人は其私恩に浴することなきを如何せん或は何等の方便を以てしても低利を維持するは國益なりとの議論もあらんかなれども低利維持必ずしも國益には非ず低利には固より事業を盛にするの効能あるべきこと何人も疑はざる所なれど低利なる可き理由ありて低利なるに非ざれば自然の低利とは云ふ可らず唯是れ人工の低利のみ人工は或る程度迄自然に抵抗するを得べし世間普通の金利は二割なるに己れ獨り一分にても又は無利息にても金員を他人に貸すが如き故意の恩惠も人事複雜の中には其例なきに非ざれども然れども斯る恩惠は一般の營利社會に望む可らず况んや資力にも自から限りあり區區限りあるの資力を以て滔滔限りなき營利社會の需要に應ぜんとするも得べけんや日本銀行には紙幣發行國帑專管の特權ありて恩惠の資力宏大なるが故に稍稍營利社會に低利を普及し得るの觀あれども人工は到底自然を破るを得ず銀行が公然低利の看版を■(てへん+「曷」)げながら内實は相當の信用あり抵當ある借人に貸澁るの事實は現に我輩の往往耳にする所にして貸澁るとは取りも直さず資力自から限りあるの意味なる可し即ち日本銀行と雖も世間自然の金利に抵抗しては自から窮せざるを得ざるの證據なり之に反して日本銀行が自然の金利にて貸出すの方針ならんには其確實と認むる所の者に對しては颯颯と貸出して毫も躊躇せず借人ますます多ければますます利息を高して以て之に應ず可し借人の需要無限なれば利息の引上も亦無限にして無限を以て無限に對し綽綽として餘裕ある可し一面に於て借人に信用を置きながら他の一面に於て貸澁るなどの〓態はなき筈なり勿論日本銀行が世間に貸出し得る所の總金額は自然主義にても低利主義にても自から限りありて其間に差異あるに非ざれども低利主義は恩惠特典の意味にして自から大臣總裁以下に昵近なる者に貸出すことと爲り易きに反し自然主義は營利競爭の意味にして利益の最も多き事業に最も多く借出さるるの結果を生ず可きは數の最も觀易き所にして利益の最も多き事業は詰り國家に有益の事業なれば之に投資すると私恩のために低利に貸出すと何れか國益にして何れか國損なるやは今改めて言ふまでもなき事なり固より大臣なり總裁なり其低利恩惠は一點の私心を挾むに非ず國家の爲めに必要と信ずる事業に貸出すの精神なるは我輩が事實として認むる所にして敢て其心術を疑ふ者に非ざれども大臣總裁が國家の爲めと信ずる所の者は果して國家の爲めにして自から信ぜざるものは如何に有利の事業にても一切貸出を拒絶して差支なきやと云はば我輩は明に否と答へざるを得ず社會人心の利益の多き處に集注するは水の低きに就くが如し瀦水の淺深は以て土地の高低を卜す可く人心の向背を見て利益の多少を卜すること難からざるに然るに人心の歸向に頓着せずして是れは國家の爲めなり彼れは國家の爲めにあらずと憶測するは譬へば大工にして水盛りを信用せざるに異ならず政治上には萬事民意を容れて自由寛大を精神とするの今日、獨り商業上にのみ此の如き唯我獨尊の主宰者を要するの導理はある可らず即ち人工低利の主義を捨てて自然金利の方針を取らざる可らざる所以なり更らに一歩を進めて人工の低利は自然の低利を妨碍するものなる其次第を述べんに元來自然の低利は資本増加の結果に外ならず而して資本増加の道二あり貯蓄及び信用是れなり高利の自から世間に行はるる時期は即ち資本を要する最も急なる時期にして其高利は直に貯蓄を奬勵するの結果を見るべし自然の妙用是に至りて眞に妙なるに然るに人工を以て金利を制すれば此妙用は忽ち破れて貯蓄は妨げられ資本は集らず有益の事業をして空く不振に苦ましむ可し今は正に其時期にして一般の銀行は一割内外にも貸附割引しながら其預金の利息を問へば大銀行に於ては大抵六分五厘以下にして更らに其理由を問へば七分以上ならば日本銀行より借出すの簡便なるに如かずと答へ去る他の一方を顧れば一割内外の收益あるべき鐵道の本免状を持て餘まし居る者あり又信用に至りては貯蓄資本の放下せられたる事業の漸く繁昌するに隨て發達するものなれば人工低利のために貯蓄の妨碍さるる時は是れ又充分に發達するを得べからず又外國貿易に於て商品輸出の増加は國民貯蓄の結果にして又外資輸入の増加も國民信用の發達に外ならざれば是れ亦人工低利のために妨碍さるるは當然なり唯國際上には諸般の障壁ありて金利の平凖物價の高低も一樣ならざるにより或る程度までの人工は潜勢力と化して内に隱れ一定の限界に達して始めて其効驗を現はすことあるのみ例へば一割内外の自然の高利に人工を加へて七分内外に抑制するも貿易上相手國の金利は三四分以下にして又物價に於ても勞働者一人の生活費一月平均七圓なるを人工低利の影響として十圓内外に騰貴せしむるも貿易上相手國の勞働者生活費は五十圓なりと云ふ塲合には七分は三四分より尚ほ高く十圓は五十圓より尚ほ廉なるが故に此人工低利の爲め直接に外資の輸入を杜絶することもなく商品の輸出を禁遏することもなかる可しと雖も然れども一層極端の人工低利法を取りて例へば金利を二分とし物價を數倍せしめたらば如何、金銀は流出し輸入は超過して國の衰微を招くの外なきのみ幸に日本銀行の人工低利は斯る極度に至らざるが故に斯る大害毒を流さざれども實際人工の程度に應じて多少の害毒を免かれざるは斷じて疑ふ可からず即ち今日潜勢力として冥冥裡に輸出の増加外資の輸入を妨碍し居る者は取りも直さず日本銀行の人工低利なり若しも然らずと云はば試に金利を引上げて一割に達せしむ可し輸入に對する輸出の割合の増加すると共に外資の輸入盛に行はれんこと我輩の確かに保證する所なり