「政界動搖の由來」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「政界動搖の由來」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政界動搖の由來

今の内閣は昨年の九月に松方大隈を中心として組織されたるものにして爾來僅に一年餘を經過したるのみなるに早くも内輪に紛議を生じて其中心に異變を見るに至りしは遺憾と云ふ可し盖し如何なる人物にても今日朝に立て明日直に功を奏すること能はず少なくとも二三年の歳月を經て始めて其伎倆如何を見る可きものなれば内閣更迭の頻繁なるは本來我輩の喜ぶ所に非ず况んや今の内閣が新人物を登用して官界の面目を一新せんことを企てたるは近頃の事にして任官の命を拜してより暫く一二箇月に過ぎざるもの多きに於てをや此際その方針を變じて新分子を逐ふは恰も煤掃を企てながら半ばにして之を中止すると同樣にして家具散亂、當分は其始末に困却することならん勿論内閣全體は之が爲めに倒るることなく暫くは命脈を保つことならんと雖も烏合の兵を集めて外より援助せしむるも到底永續せざるは前例に徴して明なり抑も今の政治界には二箇の要素あり即ち藩閥と政黨とにして各各大勢力たるに相違なしと雖も又おのおの獨立して志を行ふこと能はず有力なる政府は二者の和合より生るるものなれば其提携は實際の必要なり左ればこそ双方相近づきて事を共にするに至りしことなれども又未だ双方共に其必要を感ずること深からざるものの如し例へば今回の事件に付ても双方共に事を處する甚だ輕卒にして局外者より觀れば遺憾の點少なからず假令ひ進歩黨の要求は公然承諾す可らざるものなるにもせよ當局者に於て眞實調和を欲すれば折合の道もなきに非ず五箇條の要求盡く之を容れずとも豫ての宣言を着着實行したらんには進歩黨も強ひて提携を絶ざることならんに事此に出でずして進歩黨は只要求を提出し政府は其要求を公にしたるが不可なりとて之を拒絶して其まま物分れとは如何にも子供らしき仕打と云はざる可らず特に此事件の始まるや當局者が政府の立脚點に付て他の元老と相談したりと云ふが如き即ち民論以外の勢力に重きを置かんとするの情を見る可し斯の如き有樣にては政界の紛議止む時ある可らず元老も政黨員も互に自家の力量を察して和合の必要を一層深く感ずるか或は政界の元動力一に歸して内閣の進退一に民論の向背に依て决するに至るまでは今後とても屡屡今度の如き時ならぬ變動を見ることならん變遷の時代に免れざる現象なれども其度毎に互に苦苦しき經驗を嘗め次第に本式の境遇に近づくことならん始めは所謂超然主義なりしものも經驗に依て其實際に行ふ可らざるを察し内内味方の政黨を作らんとしたれども政黨は一夜にして作る可らず隨て作れば隨て崩れ到底物の用に立つ可らざるを悟り今度は思ひ切て公然既成の政黨と提携したるに未だ幾くならずして破裂を見るに至りしは遺憾なれども大勢の趣く所如何ともす可らず次第に歩を進めて遂に歸す可き所に歸せんのみ