「獨逸の膠州灣占領」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「獨逸の膠州灣占領」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

獨逸の膠州灣占領

獨逸軍艦が膠州灣を占領し六百の水兵を上陸せしめて支那の守備兵を驅逐し國旗を灣頭に飜したりとの電報は甚だ突然にして其理由を知るに苦しみたりしが昨日本社に達したる特電に據れば山東省にて宣教師の殺害されたる爲めに獨逸の軍艦膠州灣に集まり總理衙門大騷動となり始めて事の次第を明にしたるが如し然らば膠州灣の占領は全く殺害事件談判の手段として行ひたるものなるやと云ふに我輩の推測を以てすれば獨逸の擧動は單に一時の爲めに非ずして自から目的の存するものあるに似たり先頃來獨逸が厦門附近の金門港もしくは三〓司の地を得んとして支那政府に對して頻りに談判を試みつつあるよしは上海特派員の通信にも屡ば見えたる所にして南方福建省の海岸に於て海軍の根據地を卜せんとするの志あるは明白の事實なり左れば今回の擧動は厦門附近借地の談判とかく捗捗しからざるより宣教師殺害の出來事を機會に取り敢へず膠州灣を占領して支那政府に迫り以て兼ての目的を達せんとするには非ざるかロイテル電報に據れば獨逸の新聞紙は海軍根據地として膠州灣の永久占領を勸告し居れりとあれども膠州灣は既に露國の借受けたる所にして實際同國の海軍根據地として經營しつつありと云へば獨逸が今更ら永久占領とは疑なきを得ざるのみか同國の目的南方に在るは先頃來の運動に徴するも甚だ明白にして遽に其方針を變ず可きにも非ざれば今回の占領は殺害事件に乘じて目的を成すの機會を攫取したるものにして目的は自から他に存するものと推測せざるを得ざれども其推測の當否は自から他日を待て知るの外なしとして兎に角に此一事に徴するも歐洲列國の支那に對する擧動は近來遽に趣を改めて日に切迫の形勢を卜知するに足る可し抑も日清戰爭の結局に當り彼の三國同盟の力を以て遼東半島を支那に還附せしめたるは東洋平和の維持云云の理由に外ならざれども其事實は明に支那に利益を與へたるものなれば其報酬として何か求むる所のものなきを得ず當時より豫想したる所なりしに果して然り露國は其後間もなく膠州灣を借受けて海軍碇泊の地と爲したるのみならず遼東半島の如き實際には恰も其手中に歸したるの姿を成したる其一方に佛國は安南地方の境界を擴張して頻りに立脚の地を進めつつありと云ふ英國は固より同〓の列に在らずと雖も支那に對しては年來の關係甚だ深く南〓貿易の利害は他國との比に非ざれば斯る塲合に决して默視するものに非ず從來の條約施行を主張して緬甸の方面より内地に進み又廣東近傍の西江を開かしめたるが如き何れも戦争後の出來事にして列國おのおの支那に對して得る所ある此塲合に當時三國同盟の盟主たりし獨逸のみ獨り默して止むの理由はある可らず即ち先頃來厦門附近の地を得んとして大に運動しつつある所以ならん斯る次第にして目下支那〓陸四邊の要所には既に〓〓〓の根據地を造りたるの姿なきに非ず其根據地はおのおの自國の利益を保護するの目的に外なら〓〓〓〓〓〓の内政を見れば甚だ不始末にして無智〓〓〓〓〓〓〓の〓〓を取締るの威力なく恰も彼等の放恣に一任して外國人に對し亂暴を働くなど毎度の事なれば宣教師殺害の如き事件の屡ば發生するも敢て怪しむに足らず今日までは四邊の情態自から穩なしりが故に斯る事件も大事に至らずして止みたれども今後は决して然らず外交の關係甚だ複雜して直に列國の利害に影響す可きが故に一發の事件忽ち導火線と爲りて内外の大混亂を引起すに至るの掛念なきに非ず其塲合には支那の四邊に根據地を有する諸強國は自國の利益を保護するが爲めに自から運動を逞うすることならん自から他國の事に似たれども我國の支那に於ける利害の關係甚だ密にして其治亂の變は决して對岸の事として視る可きに非ず我國人たるものは今後の成行に就て如何なる覺悟を爲す可きや豫め注意して大に考ふ可き所のものなり