「地方廳の經費を増す可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「地方廳の經費を増す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

地方廳の經費を増す可し

地方廳の經費不足の爲め事務の澁滯を免れずとは年年府縣知事の愁訴する所にして中央政府も其事情を察せざるには非ざれども財政困難なりとて容易に聞入れず漸く三十一年度の豫算に於て九十八萬圓を増したれども不幸にして議會解散の爲め其目的を達する能はず依て目下上京中の地方官は是非とも今度の議會に要求せられたしと當局者に迫り居れりと云ふ我輩は地方官の要求通り三百萬圓を増して至當なるか將た前内閣の豫算の如く百萬圓にて足る可きか細目に至ては今姑く論ぜざれども兎も角も經費増加の急要を認むるものなり近來各府縣の事務次第に繁多なるは爭ふ可らざる事實にして例へば戰役の爲めに賞勳年金恩給扶助料に關する事務を増し軍備擴張の爲めに徴兵事務を増し普通教育及び實業教育の普及發達を計るが爲めに教育事務を増し鐵道敷設の盛なるが爲めに土地水面の處分に關する事務を増し商業會議所、取引所に關する事務を増し衛生事務を増し統計報告事務を増す等一として増さざるものなし今數字を以て之を示さんに或る縣の如きは明治二十一年度の取扱件數十一萬なりしに三十年度に於ては二十八萬件に達したりと云ふ亦以て事務繁多の情を察するに足る可し而して其經費は如何と云ふに只■(にすい+「咸」)少の一方のみにして明治二十一年度には三百四十九萬餘圓なりしものが當年度には三百十八萬餘圓と爲り其間に三十一萬圓を■(にすい+「咸」)したり隨て當時二十五圓の平均なりし判任官俸給も今は十八圓五十錢と爲り日當にすれば僅に六十錢餘に過ぎず爾來物價は次第に騰貴して錢の價は殆んど半■(にすい+「咸」)じたる其上に給料額は却て■(にすい+「咸」)じたりと云ふ困難の情想ふ可し大工左官屋根屋石工の如きは日に七八十錢より一圓内外の賃錢を取り車夫馬丁の輩にても五六十錢を得べし官吏とて別に貴き者には非ざれどもマサカに半天腿引にては出勤するを得ず兎も角も羽織を着し袴を穿ちて公共の事務を取扱ふ其人の報酬が車夫馬丁と同樣にして大工左官に若かずとは明治年代の奇觀と云ふ可し奇も可なり官吏銘銘の難儀も亦忍ぶ可しとするも事務の澁滯は忍ぶ可らず給料少なければ人材を得ること能はざるは勿論なり有用の人物は次第に逃げ出すと共に新に適任者を雇ふこと難くして殘るは唯糟粕凡庸たる可きのみ假令ひ凡庸にても其數多ければ尚ほ可なりと雖も其れさへ不足を免れず現に府廳の定員は七千人なれども其定員を充す能はずして現在の人員は六千四百二十人に過ぎず且つ近來工業の發達に連れ之を監督する爲め各府縣廳に於ても技師技手を置かざるを得ざれども何分にも其俸給なきが故に他の官吏の俸給を融通して僅に一時の窮を凌ぐと云ふ始末にして固より十分の人を雇ふこと能はざれば爲めに種種の不都合を免れざる其次第は例へば人民が工塲を起して蒸汽機關など据付ければ之を檢査せざるを得ざれども或は吏員足らず或は適任者なくして思ふに任せず左ればとて何日までも開業を妨ぐ可きにも非ざれば碌碌檢査もせずして假に認許することもなきに非ずと云ふ斯の如くにして官吏の數は増すこと能はず〓〓〓〓次第に下落すると共に事務は只〓〓の一方あるのみ澁滯なからんと欲するも得べからざるなり單に俸給のみならず廳費の如きも亦不足を免れず事務増加すれば筆紙墨の消費を始め郵便電信等も隨て増加す可きは自然の數にして例へば郵便電信は近年報告事務の増加したる爲め凡そ四割を増したれども全體の廳費は寧ろ■(にすい+「咸」)却せられたるを以て非常の窮乏を感じ或る縣の如きは極寒の外、火を燒かず又或る縣に於ては寒中二人に付炭團一箇と制限したりと云ふ亦以て其内情を察するに足る可し其他旅費の如きも甚だ乏しくして思ふ樣に巡廻も出來ず偶偶巡廻するも車に乘るの餘裕なければ腰辨當草鞋掛けにて歩行する爲め三日にて濟む可き用事に一週間を費すが如きことあり左なきだに人手足らずして澁滯する事務はいよいよ澁滯する其澁滯は即ち人民の不便、國の損毛なれば我輩は速に相當の錢を與へて事の敏活を計らんことを希望するものなり