「官吏任用と諸學校」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「官吏任用と諸學校」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

官吏任用と諸學校

政府が官吏を採用するには概して試驗に依るの制なれども官公立尋常中學校又は文部大臣に於て之と同等以上と認めたる官公立學校の卒業生は無試驗にて判任官と爲るの資格あるものなり學校の卒業證書を信用して試驗の手數を省くは誠に當然のことなれども何故に此特典を私立學校に及ばさゞるやは我輩の兼て疑ふ所なり本來人を採るには試驗に依り又は學校の卒業證書を要するは只無學無識の輩を防ぐの趣意なれば苟も學力さへあれば其れにて可なり其學力は何れの所にて得たるものにても差支えある可らず而して世閒、官公立尋常中學に勝る私立學校少なからずして其内には文部大臣も亦中學以上と認めたるもの多し何故に文官任用に於て是等の學校を排斥するか同じ學問にても私立學校にて修めたるものは用を爲さずとの意か將た又文部大臣の認定は信用するには足らずとの意か如何にも不思議千萬なり特に徴兵令に關しては私立學校も文部大臣より中學以上と認定せられたるものは官公立と同じく特典に與るの例なり同じ政府が同じ私立學校に對して或る場合には官公立と同樣の特典を與へ或る場合には之を拒絶するが如き又同じ文部大臣の認定を取る時は信用し或る時は信用す可らずとするが如き矛盾も亦甚だしと云ふ可し私立學校にて覺えたる「いろは」も官公立學校にて學びたる「いろは」も「いろは」は同じく「いろは」なり其功用に差別ある可らず學問にさへ優劣なければ判任官の任用に於て官公立と私立とを區別するの要なきのみならず一歩を進めて論ずれば奏任官を採るにも高尚なる學校の卒業生には都て無試驗の特典を與ふるこそ至當なれ其次第は前にも云ふ如く人を用ふるに試驗を要するは只無識の輩を淘汰するが爲めに外ならざれば苟も高等の敎育を受けたる保證ある者は其まゝ採用して可なり銀行會社等にて人を採るに當り其人が果して相當の學力を備ふるや否やを判するには學校の卒業證書を標準とするの常なり民閒の事業も官廳の仕事も大切なりと云へば共に大切にして其閒に輕重の差別なしとすれば獨り奏任官を探るに如何なる學校の卒業生にても別に試驗せざる可らずと云ふの理由なし特に帝國大學の如きは政府直轄の學校にして其卒業證書は即ち政府の保證票と云ふも可なり然るに之をも信用せずと云ふは恰も當局者自から疑ふものにして自から疑ふ以上は官吏採用試驗其物をも亦疑はざるを得ず到底際限なき其上に判任官を採る場合には其学識を信じながら奏任官を任ずるは自分の大學をも信ずる能はずとは辻褄の合はぬ如しと云ふ可し或は曾て行ひしが如く今日大學生に無試驗歳用の特典を與ふるに於ては又々世閒に物論を生ず可しと云はんかなれども如何に物論を生ずればとて無益の愚策は行ふに及ばざるのみならず其曾て物論を生じたるは私立學校を繼子視して獨り官立のみを愛護し帝國大學をして恰も唯一の官吏養成所たるが如き姿を呈せしめたるが爲めなれば今若し帝國大學に特典を與ふると共に私立學校にても相應の敎育を施すものには亦同樣の特典を與へて其閒に依怙贔屓の沙汰なきに於ては天下に苦情を唱ふる者はある可らず要するに官吏任用に付ては或は官私に依て學校の待遇を異にし又は前後矛盾するなど不思議あること少なからず速に改正せられんことを望むものなり