「 民心を激せしむる勿れ 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 民心を激せしむる勿れ 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 民心を激せしむる勿れ 

外交に秘密を要するは云ふまでもなきことにして如何なる民主國にても此一事は當局者の專斷に任ずるの常なり戰を交ふるに當て我は斯く斯くの方略を行ひ何れの方面より牽制して何れの方面に主力を集むる筈なりなど公言せば勝算は到底期す可らず外交上の掛引を發表するが如きは狂愚の沙汰なれども然れども餘り嚴重に門戸を鎖して少しも消息を漏さず國民をして暗中に彷徨せしむるが如きは策の得たるものに非ず凡そ國民として國を憂へざるものなし特に立憲治下の人民は各々自から國事に任ずるの覺悟ある可きが故に一朝大事の起るに際しては其憂も一層深くして發して議論と爲り又運動と爲るは固より其所なり此時に當り人民は全く門外漢にして少しも消息を得ず當局者は西に向て歩みつゝあるか將た東に向はんと欲するか一切分らざるに於ては或は知らず知らず政府の運動を妨げ或は其趣意を誤解して反抗するなど種々の不都合を生ず可し國民の後援ありてさへ尚ほ不如意を免れざるの常なるに况して後より掣肘せらるゝに於ては活潑なる運動は到底望む可らず事に害なき限りは成るべく憂を分けて事を共にするの方針に出づること肝要にして英國政府の如きは或は議員の質問に對し又は公會の演説に於て往々其政策を發表するの例なり例へば本月一日外務次官は議員の質問に答へて露國は旅順も大連も外國貿易の爲めに開放す可しと英國に保證し爾來その保證を取消したることなしと云ひ又同六日に大藏大臣は對清政略を説明して英國は威海衞を得るも商港とするの意に非ず以て如何なる強國にも勃海灣に其權力を恣にせしむることなからしめんが爲めなり露國の旅順占領は北京政府を危うするものなるが故に英政府は其意を飜す可しと抗議したれども聽入れざるを以て餘儀なく威海衞占領の準備に及びたりと明に事の顛末を告げたりと云ふ事情斯の如くなれば英國の人民は外交に付ても全く無關係に非ず政府の意思を合點し問題の成行を承知するが故に誤解を生ずるの毫もなく言論自から當を得て官民共に便利を受くることなり日本は外交界の新參者にして經驗に乏しきことなれば此一事に於ても或は英國の例に傚ふこと能はざるの事情もあらんかなれども人民をして全く門外漢たらしむるの得策に非ざるは明白にして今日に於て特に=るを論ずる其次======の論者あり極東の風雲いよいよ======の騷動一方ならず==も拘はら======悠然として動く可き傍なきを見て堪へ難く思ひしものか漸く超て運動を始め先づ首相を訪ふて其意見を叩きたれども口を結んで一切語らざりしより一層氣燄を高めますます同志の輩を糾合して新聞に演説に力を盡して國論を喚起せんとするものゝ如し目下の所格別の勢力もなき様子なれども彼の明治二十二年の條約改正問題に付てすら非常の爭論を生じたることなれば今回の如き塲合に於ては或は一層喧しき物議を生ずるやも知る可らず物議の喧しきは憂ふるに足らず眞實國家の利害を標準として至當の希望を表明するに於ては其聲は如何に大なるも事に害なきのみならず却て便利なることもある可しと雖も苟も國家問題が政黨問題と爲り外を忘れて内に相爭ふに至れば實に此上もなき不幸と云はざる可らず今日に於ては論者の胸中私心なきは明白なり此國家危急の秋に當り黨派心を挾んで徒に政權の爭奪を事とするが如き日本國中に一人もある可らず我輩の慥に保證する所なれども政府が初めより之を敵視し又輕蔑して彼等何事をか能く爲さん議會に於て手答へある質問をも爲し得ざる可しなど嘲弄するに於ては感情の激する所、對外運動は何日しか變じて對政府運動と爲り政府を倒すを以て單一の目的と爲すと共に壯士輩も其間に出沒して或は苦々しき内輪喧嘩を生ずることなきを期す可らず誠に憂ふ可き次第なれば局に當る者は十分注意して豫防の道を講ぜざる可らず豫防の道は即ち成る可く官民の隔壁を撤して相共に事に當るの精神を示すに在り例へば支那問題に付ても當局者の胸中には必ず成算あることならん其詳細は固より語る可きに非ずとするも日本政府は决して袖手傍觀するものに非ず東洋の均勢を維持するが爲めには何等かの運動を爲す可しと云ふくらゐの事は告げても差支なかる可し或は旅順若しくは威海衛の占領に關して英露兩國より通牒あれば乃ち斯く斯くの通牒に接したりとて之を國民に知らしむるも別に不都合ある可しとも思はれず又或は償金皆濟に付て日本が其公債の一部分を負擔することゝ爲り事いよいよ確定の上は之を發表して差支ある可らず何となれば之を秘するは外國人に知らしめざるが爲めなるに然るに此問題の關係者は即ち英獨の銀行家にして知て差支なき日本人が知らざる前に外國人は既に之を知り居ればなり斯の如くにして成る可く消息を漏すに於ては國民も始めて政府の意向を知り又外交事情の大要を察することを得て見當違ひの議論を論じ若しくは政府を敵視して故らに之を苦しめんとするが如きことなかる可し戰を戰ふは武人の任なれども國民の後援なければ勇進する能はず外交は當局者の專斷に任ずれども官民一致するに非ずんば目的を達すること難し少なくとも邪推誤解を防ぎ民心を緩和して==の要なからしむること肝要なり敢て當局者の注意を促すものなり