「償金現送に關する注意」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「償金現送に關する注意」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

償金現送に關する注意

日本銀行は昨年七月以來制限外兌換券を發行して今日に至るも尚ほ其回収を見ざるのみな

らず一旦二千萬圓以内に収縮せんとしたる發行高は昨今再び增進の傾あれば今後資金の需

要にして增加せんには三千萬圓臺に達するも决して遠きに非ざる可し元來制限外發行は中

央銀行が經濟社會に處する最後の利器にして其作用を云へば兌換券發行の實力既に盡きて

資金融通の道を得ず一切その融通を拒絶せんには金融市塲一般の逼迫を招きて恐慌の襲來

を促すの恐れある塲合に際して始めて制限外の便法を利用し將さに逼迫せんとする金融に

多少の緩和を與ふると同時に市塲に警戒を加へて前途の安穩を期するに在り即ち其本質は

非常準備にして决して妄に之に依賴す可きに非ず然るに日本銀行の制限外發行に對する處

置は全く此常則に反きたるものにして銀行が永く斯る手段に依賴して兌換券の增發を維持

するに於ては何時金利を引上げて其回収を見るやも計り難しとして金融市塲は常に不安の

念に堪へざれば借金の一時皆済と共に財政上に多少の餘裕を生じたるを幸ひ、其一部を内

地へ現送して日本銀行の正貨準備に加へ今の制限外發行を制限内に収む可しとの説あり當

局者の間にも有力なる賛成ありて既に實行に着手したりとも云ふ先頃倫敦の金塊相塲は非

常に騰貴して一オンス、七十八志内外に上り英蘭銀行が年來の買入價格(七十七志九片)

を維持するに於ては濠洲亞非利加其他の産地より倫敦へ輸入する金塊は銀行の正貨準備に

加はらずして大陸諸國へ流出し去るを以て英蘭銀行は右の買入價格を改めて金塊の吸収を

謀る可しとの説ありしかども其後市中の相塲は次第に下落して銀行の買入價格に接近し目

下は造幣局の價格と比較すれば一片半内外の相違ありと云ふ近年稀れなる相塲にして斯る

塲合に金塊を内地に現送するは甚だ好都合なるが如し當局者が現送を思ひ立ちたるも此邊

の事情に出づるものなる可しと雖も既に爲換作用に依て償金を回収するが爲めに正貨の流

出を妨げて兌換制度に自然の作用を欠きたる塲合に更らに斯る方針に出づるときは經濟社

會は如何なる影響を被むる可きや昨今の如く金融市塲に非常の逼迫を呈したる際に日本銀

行が正貨準備を增加するを得んには其增加と同額の兌換券を發行し制限外發行を繼續し資

金の需要に應ずるは必然の數にして或は之が爲めに一時金融の緩和を見ることもあらんか

なれども結局通貨を膨脹して物價を騰貴せしめ輸入超過の爲めに一旦輸入したる正貨を盡

く海外へ流出せしむるに至る可し從來償金現送の實際に徴して明白の成行なるのみか若し

も政府が財政上の必要に迫られて國庫金を取付けんには更らに金融市塲の逼迫を促すこと

ならん日本銀行が永く制限外發行に依賴して其回収を謀らざるは全く發行税の低歩なるが

爲めに外ならず今日の如く發行税が市塲の金利に比して低歩にして日本銀行が七分の税を

納めて發行したる兌換券を九分以上に運轉するを得る以上は永く制限外發行を維持して利

益を占めんとするは怪しむに足らず發行税を改めて凡そ市塲の金利と同樣に增加すれば兎

も角も今日の如き税率にては假令ひ幾千萬圓の償金を現送して正貨準備に加ふるも容易に

制限外の回収を見る能はざるは明白の次第なれば政府にして眞實兌換制度の基礎を鞏固に

せんとならば償金現送の前に先づ發行税の率を改め銀行をして自から回収の道を謀らしむ

るこそ適當の策と云ふ可し此の一點を改めずして妄に償金を現送せんには其結果は保證準

備の擴張と異ならざる可きのみ我輩の賛成する能はざる所以なり