「フヰリッピン嶋の處分」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「フヰリッピン嶋の處分」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

フヰリッピン嶋の處分

米西戰爭の結果としてフヰリッピン嶋の處分に付き我輩の希望は兼て述べたる如く米國を

して之を占領せしむるに在り該嶋の治安の爲めにも亦世界の平和の爲めにも敢て望む所な

れども聞く所に據れば米國政府は占領の意なきものゝの如しと云ふ果して然らば如何す可

きやと云ふに戰爭前の事態に立返りて依然西班牙の主權を認むるは穩當の處置にして何人

も異議なき所ならんなれども左なきだに老朽の腐敗國、戰敗の餘弊を蒙りて本國の維持さ

へも如何ある可きやと氣遣はるゝ彼の政府に果して嶋内の人心を鎭撫して其治安を保つの

力ある可きや否や甚だ覺束なし左ればとて今の叛徒即ちアヒナルドー輩の希望の如く一個

の共和國として獨立を認め之に一任するが如きも實際に甚だ不安心と云はざるを得ず其次

第を如何と云ふに歐洲の強國中には年來同嶋に垂涎し此機會に乘じて野心を逞うせんとす

るものなきに非ず獨逸の如き其擧動の怪しむ可きものあるは申す迄もなく或は米西戰爭の

結末に就ては例の三國同盟即ち露獨佛の力を以て云々す可しなどの説さへもある程にして

若しも米國に於ていよいよ同嶋を占領するの意なく單に嶋中の一小部分を得るのみにして

其他を抛棄することもあらんには如何なる成行を見るに至るやも知る可らず吾々日本人は

固より他國の土地を占領するの野心なきものなれば其成行は孰れにしても差支なきが如く

なれども彼の強國中には專ら軍事上もしくは政治上の目的よりしてフヰリッピンに望を屬

し之を根據地として大に力を伸ばさんとするものなきに非ず若しも是種の野心國をして望

を達せしむるときは是れぞ東洋の平和を破るものにして斷じて許す可らず飽くまでも反對

せざるを得ざる所なれば我輩は此際世界の利害を同うする諸國が互に一致してフヰリッピ

ンの處分に就て運動を共にし他の野心を防ぐの計畫甚だ必要なる可しと認むるものなり抑

も米國は建國當初よりの精神としてワシントン以來歴代の當局者孰れも國内平和の主義を

執り殊にモンロー ドクトリンの發表の如きますます其精神を實にして國外に版圖を拓く

の一事は國禁として戒めたる所なれども抑も其平和主義とは國民の繁昌幸福を謀るの目的

にして從來の國情に於ては最も適當の處置と認めざるを得ず即ち米國今日の進歩は畢竟そ

の主義の賜にして競爭殺伐の世界に於て現世の樂園を見たる所以なり甚だ羨ましき次第な

れども凡そ何事にても自から滿足せざるは人情の常にして例へば金滿家が巨萬の富を重ね

ながらますます身代の增殖を謀り又英雄豪傑が國内を切從へて平天下の目的を達するとき

は海外の征伐を思ひ立つなど多々ますます底止する所を知る可らず今の米國を見れば國内

の繁昌幸福は既に充分にして不平なきが如くなれども更らに眼を轉じて一歩の外を眺むれ

ば世界の人類中には虐政に苦めらるゝものあり貧弱に惱むものあり恰も地獄の有樣を目前

に見るものにして米人の義侠心に於て自から安んずること能はざる所ならん其平素の主義

を擴めて廣く他に及ぼし世界の人類をして平和の恩澤に均霑せしめんとするの一念發起は

即ち自然の一轉機にしてキューバ人民の慘状を見るに堪へずして西班牙に對して戰を開き

又今回布哇の合併を决行したるが如き取りも直さず此精神より出でたるものに外ならずフ

ヰリッピンの始末に就ても占領は事情の許さゞる所なりとするも事の端を開きたるものは

米人にして其責任は自から辭せざることならんなれば其成行が東洋の平和を破るの掛念あ

りとするときは必ず大に力を致して其危險を防ぐの處分に出でざるを得ず我輩が平素の主

義に徴して疑を容れざる所なり又英國の利害を見れば東洋の平和は非常の關係にして之を

破るが如き商賣上に政治上に斷じて許さゞる所なればフヰリッピンを他の強國の占領に歸

せしむるが如き大に反對せざるを得ず事理の最も賭易き所なり而して我國は如何と云ふに

前に述べたる如く自から之を占領するの志なしと雖も他の占領に至りては自國の利害上飽

くまでも反對して之を防がざる可らず即ち日米英の三國は東洋の平和の爲めには意志利害

を同うして他國のフヰリッピン占領には斷じて反對するものなり思ふに此三國の外にも自

から目的を共にするものもあることならん或は米西戰爭の結末に付き歐洲にては列國會議

を開て干渉を試む可しとの説ありと云ふ果して事實なるや否や知る可らずと雖も此三國を

外にしてフヰリッピンの始末に干渉するが如き何としても許す可らず然らば其處分は如何

す可きやと云ふに苟も嶋内の治安を維持し得るの見込あらんには西班牙の主權を認むるも

可なり又その獨立を許すも差支なしとして日米英の三國に於て自から之を取らざると共に

常に視察を嚴にして他國の輩が苟めにも指を染めんとすることあらんには忽ち力を用ひて

之を排斥するに怠らざるの决心肝要なる可し今や戰爭の結局既に近し我輩は日本政府の外

交當局者が此點に就て必ず施す所ある可きを信じて疑はざるものなり