「勸業債権の募集」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「勸業債権の募集」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

勸業債権の募集

勸業銀行は昨今第四回の債権募集に着手し重役を始め行員を各府縣に派出して廣く應募の

事を世間に勸誘する由なれども果して其目的を達して滿足の結果を収むるを得るや否や從

來都會と他方との金融が互に連絡を通ぜず一方の遊資を移して他の逼迫を緩和するなどの

作用を望む能はざるは明白の事實にして例へば戰爭後米價を始め諸物價が一般に騰貴した

る塲合に事業家の輩は資金を運轉するに當て自から不足を感じて大に需要を增加したる其

反對に各地方は騰貴したる米を賣て資金の供給に餘裕を呈したること少なからずと云ふ勸

銀業行の目的とする所は債権の發行に依て斯る遊資を吸収して一方に資金に窮する工業會

社の類に貸付けて目前の困難を救濟せんと云ふに在りて先頃債権の額面を二十圓に引下げ

たるが如きは全く此邊の主旨に出づるものに外ならず若しも募集の効を奏さんには都鄙の

金融を疏通して經濟上に多少の利益を収むるの望なきに非ざれども一方より考ふるに地方

農民の生計に餘裕ありと云ふが如きは既に兩三年以前の事にして戰爭後遽に增加したる奢

侈品の輸入が昨年來次第に減少の傾あるより云ふも又地方の小輩が衣食に窮して不穩の擧

動あるより云ふも前年の如く豐なる生計を營むものと見る可らず經濟社會の不景氣が既に

一般に波及したる今日勸業銀行が些細の資金を吸収するの効ありと稱して債権を募集する

は時機を失したるものと云ふの外なく又假令ひ幸に募集の効を奏したりとするも勸業銀行

が今日地方の資金を吸収するときは農工銀行が債券を發行するに至て自から應募者を減じ

て勸業銀行に引受けを請求するの必要ある可ければ銀行は再び資金の欠乏を感ずるやも計

り難かる可し銀行の方より見れば今度の債権は啻に額面の低きのみならず前三回の方と比

較するときは割增金の歩合並に抽籤の數を增したるを以て自から資本家の投機心を奬勵す

るの効ありと云はんかなれども銀行に資金を預け入るれば安全に七分以上の利殖を爲すを

得る塲合に僅に十五倍の割增金と二百五十の花籤とに誘はれ五分の低利に甘んじて投資す

る者多かる可しとは實際に信じ難き所なり或は勸業銀行が債権の募集に熱心なるは全く一

方に貸出しの必要切迫せるが爲めにして若しも其募集に困難なりとあらば日本銀行に於て

之を引受けて貸出しの資金を供給するこそ今の經濟社會を救濟するの道なりとの説あり中

央銀行が勸業銀行に資金を供給するの可否は獨逸などに於て屡々實際の問題となるものに

して我國に於て勸業銀行の貸出しに依て救濟の道を得んとする事業家の輩が斯る説を主張

するは當然の事なれども元來政府が勸業銀行を設立したる主旨は商業上の金融機關たる日

本銀行と分離して資金吸収の道を開かしめ不動産を抵當として低利長期の貸出しを營み以

て商業上に要する資本の固定する弊を除かんと云ふに外ならざれば右の如き變則の方法に

依りて資金の供給を求むるは取りも直さず兩銀行の區別を破るものにして其結果は從來の

弊害を再びするに過ぎざるのみ勸業銀行が獨力を以て債券を募集するの責あるは當然の事

にして各地方に出張の重役輩は如何にして當初の目的を達せんとするや銀行の營業上最も

注意を要する所なり