「脱亜論」

2014-03-02

このテキストについて

1885-03-16に掲載された論説「脱亜論」(注1)を公開しています。

誰が「脱亜論」を書いたのか?

井田進也『歴史とテクスト―西鶴から諭吉まで』(光芒社, 2001年)を参考にして、同書の記述を元に注記を入れてみました。井田氏は石河と福沢両人の文章の特徴を元に「脱亜論」の分析をし、ほぼ福沢起筆の文章と認定しうるとの結論を導いています(104ページ)。 「脱亜論」と「朝鮮滅亡論」を書いたのは誰かも、ご覧下さい。

認定の一基準として注目された語句(と推測されるのもの)には、(*1)のような注記をしました。注記のページ数は、同書初版のものです。

本文

第一段落

世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東にぜんし、到る(*1)処、草も木もこの風になびかざるはなし。 蓋し西洋の人物、古今に大にことなるに非ずと雖ども(*2)その挙動のいにしえに遅鈍にして今に活発なるは、唯交通の利器を利用していきおいに乗ずるが故のみ。 故に方今ほうこん東洋に国するもの(*12)の為に謀るに、この文明東漸の勢に激して之を防ぎおわ(*13)べきの覚悟あればすなわち可なりと雖ども(*2)いやしく世界中の現状を視察して事実に不可なるを知らん者は、世と推し移りて共に(*3)文明の海に浮沈し、共に(*3)文明の波を揚げて(*13)共に(*3)文明の苦楽をとも(*3)するの外あるべからざるなり。

文明はなお(*11)麻疹はしかの流行の如し。 目下もっか東京の麻疹はしかは西国長崎の地方より東漸して、春暖と共に(*3)次第に蔓延する者の如し。 この時に当りこの流行病の害をにくみて之を防がんとするも、果してその手段あるべきや。 我輩断じてその術なきを証す。 有害一偏の流行病にても、なおかつそのいきおいには激すべからず。 いわんや利害あいともなうて常に利益多き文明においてをや。 ただ之を防がざるのみならず、つとめて(*13)その蔓延を助け、国民をして早く(*4)その気風に浴せしむるは智者の事なるべし。

西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開国を発端として、国民ようやその採るべきを知り、漸次に活発の気風を催うしたれども、進歩の道に横わる(*13)に古風老大の政府なるものありて、これを如何ともすべからず。 政府を保存せん歟、文明は決して入るべからず。 如何となれば近時の文明は日本の旧套きゅうとうと両立すべからずして、旧套を脱すれば同時に政府もまた廃滅すべければなり。 しからすなわち文明をふせぎその侵入を止めん歟、日本国は独立すべからず。 如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の独睡を許さざればなり。

ここに於てか我日本の士人は国を重しとし政府を軽しとするの大義に基き、またさいわいに帝室の神聖尊厳に依頼して、断じて旧政府を倒して新政府を立て、国中朝野の別なく一切万事西洋近時の文明を採り、独り日本の旧套を脱したるのみならず、亜細亜全洲の中に在てあらたに一機軸を出し、主義とする所はただ脱亜の二字に在るのみ。

第二段落

我日本の国土は亜細亜の東辺に在りと雖ども(*2)その国民の精神は既に(*5)亜細亜の固陋ころうを脱して西洋の文明に移りたり。 しかるにここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。 この二国の人民も古来、亜細亜流の政教風俗に養わるること、我日本国民に異ならずと雖ども(*2)その人種の由来をことにするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺伝教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三国あいたいし、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、この二国の者共は一身にき又一国に関して改進の道を知らず、交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども、耳目の聞見はもって心を動かすに足らずして、その古風旧慣に恋々れんれんするの情は百千年のいにしえに異ならず、この文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至る(*1)まで外見の虚飾のみを事として、その実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を払うて残刻ざんこく不廉恥ふれんちを極め、なお傲然ごうぜんとして自省の念なき者の如し。

我輩をもっこの二国をれば、今の文明東漸の風潮に際し、とてその独立を維持するの道あるべからず。 幸にしてその国中に志士の出現して、ず国事開進の手始めとして、大にその政府を改革すること我維新の如き大挙を企て、先ず政治を改めて共に(*3)人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、しもしからざるに於ては、今より数年を出でずして亡国と為り、その国土は世界文明諸国の分割に帰すべきこと一点の疑あることなし。 如何となれば麻疹はしかに等しき文明開化の流行にいながら、支韓両国はその伝染の天然に背き、無理にこれを避けんとして一室内に閉居し、空気の流通を絶て窒塞するものなればなり。 輔車ほしゃ唇歯しんしとは隣国あい助くるのたとえ(*6)なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫いちごうの援助と為らざるのみならず、西洋文明人の眼をもってすれば、三国の地利あい接するが為に、時に或はこれを同一視し、支韓を評するの価をもって我日本に命ずるの意味なきに非ず。

例えば支那、朝鮮の政府が古風の専制にして法律のたのむべきものあらざれば、西洋の人は日本もまた無法律の国かと疑い、支那、朝鮮の士人が惑溺わくでき深くして科学の何ものたるを知らざれば、西洋の学者は日本もまた陰陽五行の国かと思い、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がためにおおわれ、朝鮮国に人を刑するの惨酷さんこくなるあれば、日本人も亦共に(*3)無情なるかと推量せらるるが如き、これの事例をかぞうれば枚挙にいとま(*7)あらず。 之をたと(*6)この隣軒を並べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にしてかも(*10)残忍無情なるときは、稀にその町村内の一家人が正当の人事に注意するも、他の醜におお(*8)われて堙没いんぼつするものに異ならず。 その影響の事実に現われて、間接に我外交上の故障を成すことは実に少々ならず、我日本国の一大不幸と云うべし。

れば、今日のはかりごとを為すに、我国は隣国の開明を待て共に(*3)亜細亜をおこすの猶予あるべからず、むしろ、その伍を脱して西洋の文明国と進退を共に(*3)し、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、まさ(*9)西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。 悪友を親しむ者は共に(*3)悪名をまぬかるべからず。 我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。

該当箇所福澤高橋その他注記
注1 73ページ、90ページ注4 「至る」 「到る」
注2 80ページ、92ページ注27 「雖ども」 「いへども」
注3 78ページ、91ページ注20 「共(與)に」 「倶に」
注4 77ページ、91ページ注17 「早く」 「疾く」
注5 74ページ、90ページ注5 「既に」 「已に」
注6 100ページ、107ページ注9 「喩」 渡辺は、「喩」の俗字
注7 74ページ、90ページ注6 「遑」 「遑(暇)」 渡辺は、「遑ま」
注8 76ページ、91ページ注15 「掩(覆)」 「蔽」
注9 73ページ、90ページ注4 「正に」 「正しく」
注10 87ページ、92ページ注42 「然も」 「然かも」
注11 101ページ、107ページ注12 「猶」 「猶ほ」
注12 104ページ 福沢的ではない表現
注13 104ページ ごく稀に使用される表現。「喩の俗字」も含む

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脚注

(1)
『福澤諭吉全集 第10巻』(岩波書店、1960年)pp. 238--240.
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