誰が『尊王論』を書いたのか? その2

2013-01-23

2『尊王論』の内容の紹介

福沢諭吉の著作に『尊王論』があることは知っていても、読んだという人はまれであろう。それは、「脱亜論」のタイトルは有名であっても、中身は知らない、というのと同じである。というのも、福沢を批判する勢力は、それらがタイトルによって想起されるほど尊王でも脱亜でもない、ということをよく認識していて、一般の人々に対してその題名をすり込むことだけに躍起になってきたからである。

そこでこの『尊王論』は、普通の読者が想像するような、国民は尊王心をもつべきだ、という内容をもつものでは全然ない。そうではなくて、国民が尊王心をもつとすればそれは何のためなのか、というのがそのテーマなのである。

自筆原稿は残存していない。福沢の書簡にも言及はまったくなく、わずかに、演説筆記「華族の教育」(1889年05月19日掲載)に、

「左の一編は頃日福沢先生が府下上野の華族会館に於て、華族同方会の為めにしたる演説の筆記なり。(改行)老生が立案にて去年九月の頃時事新報に掲げたる尊王論中に」 (現行版『全集』第12巻139頁)

とあるのが唯一の例である。すなわち、福沢自身は、『尊王論』について、生涯たった一度しか触れていないのである。

このような次第で、『尊王論』が福沢真筆なのか、それとも別人の下書きに福沢が手を加えたものなのかは、文体と語彙によって判断するしかない。

先にも述べたように、『尊王論』は09月26日から10月06日まで9日間連載された。全部で17段落に分けられている。以下、掲載日と段落番号を付しつつ、要約を試みたい。

(『尊王論』要約開始)

第1日(09月26日)全41行(現行版『全集』第6巻5頁1行目から7頁13行目まで)

第1段落(9行)帝室の尊厳神聖をテーマとする本論説の全体の見通し

日本の帝室は尊厳神聖である。尊王心をもつのは日本人固有の性に基づくようだが、それだけでは開国以来の議論の場としての現代では通用しない。現実世界での効用という観点からの考察をするべきである。その立論としては、(1)現実世界で尊王はなぜ必要とされるのか、(2)帝室が尊厳神聖であるのはなぜか、(3)帝室の尊厳神聖はどのようにすれば維持できるか、の3点に絞られよう。

第2段落(10行)(1)について・導入部

庶民に向かってなぜ帝室は尊いのか、と尋ねても、同語反復の答えが返ってくるだけである。日常生活においてそれで不都合というわけではないのだが、現実的効用とでもいうべきものを明らかにすれば、尊王心もより深まろうというものである。その場合、人情と道理の両方からの接近が可能である。

第3段落(22行)(1)について・人情に基づく尊王の効用1

人間世界に紛争はつきものである。とくに日本では政治に熱中する者が混乱を引き起こしがちなので、その混乱を収めるための仕組みが作られている。それが帝室の尊厳神聖である。

第2日(09月27日)全44行(7頁14行目から10頁6行目まで)

第4段落(28行)(1)について・人情に基づく尊王の効用2

人間の基本的欲求として、名誉と利益の獲得というのがあるが、どちらがより重要かといえば、名誉のほうである。名誉のための紛争は調停が難しいので、その最後の緩和剤として帝室が必要とされるのである。その存在をたとえるなら、やくざ者同志の抗争の調停に乗り出して丸く収める大親分のようなものである。

第5段落(16行)(1)について・人情に基づく尊王の効用3

やくざの抗争は下層社会の話だが、政治家の権力抗争は国家を危険にさらす場合がある。国家の安泰を最終的に保障するのが帝室の尊厳神聖である。帝室は政治の熱界から離れることによって、その緩解調和力を維持するのである。

第3日(09月28日)全54行(10頁7行目から13頁9行目まで)

第6段落(27行)(1)について・道理に基づく尊王の効用1

西洋諸国は政治的決定について多数決(多数主義)を採用し、日本は有力者個人の決断に帰するしかた(大人主義)をとってきた。開国以後は日本でも多数主義を徐々に導入しつつあるが、長年大人主義に従ってきた日本人が多数決に素直に従うかどうかについてはやや不安の残るところである。

第7段落(27行)(1)について・道理に基づく尊王の効用2

そこで、多数主義の導入によって生じる衝撃を和らげるものとして、帝室の尊厳神聖が有効に機能するのである。実質的には多数主義による政治決定であるとしても、帝室がその決定を最終的に有効とするのであるから、大人主義の形式を残すことができる。そのため少数者は少数なるがゆえに敗れたのではなく、身を殺して帝室の尊厳神聖に従ったのだ、ということになるため、自らの名誉を守ることができるのである。帝室の社会的有用性はこの調和力にある。

第4日(09月29日)全35行(13頁10行目から15頁10行目まで)

第8段落(23行)(2)について・人情に基づく事物の価値

事物の価値は、それが作られるにあたっての労働量によって決まる場合と、尊いという感情によって決まる場合の2つがある。非常に希少な事物は、人間生活を営むにあたっては無用であっても価値を有するとされるが、それは後者に基づいている。

第9段落(12行)(2)について・実用的でない宝ほど尊ばれる

世界中の至宝というものは、実用的ではないばかりか、実用的でなければないほど尊ばれる傾向がある。奇妙なことかもしれないが、それが人情というものなのである。必ずしも道理に基づいてもいない。

第5日(10月01日)全43行(15頁11行目から18頁2行目まで)

第10段落(15行)(2)について・連綿と続く家系はそれ故に尊ばれる

人間は、より希少で古い事物を尊ぶものである。血筋についても同様である。現在においては家系が乱れてしまっているので、おおかたの家柄は無意味となっているが、はっきりした古い家系を尊重するのはごく当然のことである。

第11段落(28行)(2)について・帝室の血筋は古いが故に尊ばれる

我が国の帝室ほど、その由来がはっきりしていて古い家系はない。その古さは日本の歴史と同じくらいである。歴代の天皇に優れた人物も多かったが、現在の帝室は政治とは無関係となっているので、その点は重要ではない。むしろ古いが故に政治社外にあってそれに超越する、と考えるべきである。

第6日(10月02日)全47行(18頁3行目から20頁15行目まで)

第12段落(20行)(3)について・帝室の尊厳神聖を維持する第1の手段1

ではどのようにすれば帝室の尊厳神聖は維持できるのであろうか。その手段には2つが考えられる。その1は、帝室を完璧に政治の埒外におくことである。そうすることで民心は緩和され、その功徳によって文明の進歩も図られるのである。

第13段落(27行)(3)について・帝室の尊厳神聖を維持する第1の手段2

尚古懐旧の人情は帝室を護るのに大切なことであるが、その人情を利用する手段として、一般に尊重されている神社仏閣と比較してもさらに帝室は尊い、というしかたでその尊厳神聖を際だたせることが可能である。尊王心自体は自覚していない民衆も、何かを尊崇はしているであろう。その信仰の対象が帝室の威光の下にあるということを知れば、彼らにも尊王心が芽生えるはずである。

第7日(10月03日)全52行(20頁16行目から23頁16行目まで)

第14段落(52行)(3)について・帝室の尊厳神聖を維持する第1の手段3

現在の華族には、概ね公家華族・大名華族・新華族(維新の元勲)の3通りがあるが、皇后としてふさわしいのは、公家華族と大名華族の名家出身者だけである。わけても藤原氏を最優先にするべきだ。皇后は国母と呼ばれるのであるから、その出自家柄には十分な配慮が必要である。

第8日(10月04日)全43行(23頁17行目から26頁8行目まで)

第15段落(43行)(3)について・帝室の尊厳神聖を維持する第2の手段1

第2の手段として、日本全国を平等に文明化させることを図るにあたって、それが政府によってなされたのではなく、帝室の威光に基づいて行われた、という印象を国民に与えるべきだ。政治抗争の結果として実現された政策であっても、その成果は最終的には帝室の指導による、とすればすべては丸く収まるのである。

第9日(10月06日)全49行(26頁9行目から29頁6行目まで)

第16段落(34行)(3)について・帝室の尊厳神聖を維持する第2の手段2

また、帝室は日本国中の優れた人物を尊重している、という態度をとることによって、自らの尊厳神聖を維持することができる。そうした優れた人々が帝室から認められたという自覚をもつならば、その周辺の人々も同様に有り難いと感じ、また、そのときには恩徳に浴せなかったその他の人々は、次回は自らが認められるように励むからである。

第17段落(15行)我輩の持論はあくまで帝室を政治社外に置くことである

重複を憚らずに述べるならば、我輩の持論はあくまで帝室は政治社外にあるべきだ、ということにある。それでは天子は虚器を擁するだけになる、などと考える人もいるかもしれないが、それは大きな心得違いである。政治権力をもたない、ということは政治などという俗塵にまみれたものより、はるかに高所にある、ということなのである。そのように考えることが真の尊王心なのである。

(要約終わり)

このように要約してはみたものの、内容があまりにもつまらないので辟易した。言っていること自体がそれまでの福沢の見解と矛盾しているわけではないので、『尊王論』執筆をもって福沢転向の証拠とする批判者たちの指摘は的外れである。思うに批判者たちが、福沢が『尊王論』を書いた、という事実を取り上げることはあっても、その内容に触れることがないのは、おそらくその中身があまりに空疎なため、批判のしようもない、ということによるのではなかろうか。

要するに、政治抗争で引き起こされがちな国内の騒擾を未然に防ぐために、政治的に中立な帝室がその調停者としての役割を果たすことが大事である。帝室の権威はその歴史に由来していて、それを否定できる者はいない。円満な解決が図られることによって、帝室の信望はますます高まり、尊王心も深まることだろう、というにつきる。

この程度のことを言うだけのために9日間もの長い連載としなければならなかった理由が分からないし、さらにそれを出版までした、というのも、解せないところである。