誰が『尊王論』を書いたのか? その7

2013-01-23

おわりに

福沢の思想としてとらえる場合、『尊王論』(1888年10月)はほんとうに取るに足らない著作である。内容的に『帝室論』(1882年05月)と矛盾するわけではないので、いわゆる転向などとは無縁ではあるものの、内容が平凡すぎて、要するにつまらない。最初に読んだときには、福沢も衰えたものだ、という印象をもったものである。

ところが、不思議なことに『尊王論』より後に書かれた著作ではまた面白くなるのである。4年ほど後の『国会の前途・国会難局の由来・治安小言・地租論』(1892年06月)や『実業論』(1893年05月)の出来映えもなかなかなものだ。それどころか、還暦を過ぎてからの『福翁百話』(1897年07月)や『福翁自伝』(1899年06月)にいたって、その面白さにさらに磨きがかかるほどなのである。つまり、福沢の署名著作を概観してみて、『尊王論』の出来が際だって悪い、というのは、あながち的はずれな見解ではないように思う。

そこで、明治中期という時代にあって、皇室について論ずることに注意を要しなければならなくなったからではないか、とも考えたが、<天皇やくざの大親分説>が当局の忌諱に触れていないところを見れば、その点についてもそれほど気にする必要はなかったらしい。つまらない、と感じられた要因は、まさにその中身にあったのである。

拙著『福沢諭吉の真実』を書くにあたって調べてみて、この著作の下書きを石河が担当したことに確信をもった。本稿の前半部では、新書では割愛せざるをえなかったその考証を、より詳しく述べることができた。つまらないのは石河の文章がそうだからだ、ということになるが、もとよりそれだけでは不十分である。なぜそれを福沢は自分の名前で出版したのか、という問題が依然として残るからである。

社説欄に掲載された後に福沢名義で出版された著作のうち、下書きが福沢以外の人物の手になるものは、『尊王論』だけのようである。社説記者が書いた長編論説はほかにもあるが、それらは刊行されていない。なぜ、『尊王論』だけが出版されたのか、という当然の疑問に答えようとしたのが本稿の後半部である。あくまで推測に留まるが、時事新報社の内部事情により、石河の望みを福沢としても受け入れざるをえなかったから、というのがその結論である。

石河自身は、『尊王論』の下書きを自分が担当したということを、決して明かそうとはしなかった。はっきりしているのは、彼が、1888年10月の刊行から現代に至るまで、『尊王論』を積極的に評価したほとんど唯一の人物である、ということだけなのである。

文献目録

石河幹明『福沢諭吉伝』全4巻、岩波書店刊、1932年7月完結。
慶応義塾(編)『福沢先生哀悼録』慶応義塾刊、1901年5月。みすず書房復刻、1987年3月。
時事新報社『時事新報』、株式会社ニチマイ制作マイクロフィルム。
平山洋『時局的思想家福沢諭吉の誕生-伝記作家石河幹明の策略』未刊行、2003年4月。
website「平山洋氏の仕事」 http://blechmusik.xrea.jp/labs/hirayama/
平山洋『福沢諭吉の真実』文藝春秋社刊、2004年8月。
福沢諭吉『帝室論』時事新報社刊、1882年5月。『福沢諭吉全集』第5巻所収。
福沢諭吉『尊王論』集成社刊、1888年10月。『福沢諭吉全集』第6巻所収。
福沢諭吉『福翁百余話』時事新報社刊、1901年4月。『福沢諭吉全集』第6巻所収。
福沢諭吉『帝室論尊王論』時事新報社刊、1911年2月。
福沢諭吉『続福沢全集』全7巻、岩波書店刊、1934年7月完結。
福沢諭吉『福沢諭吉全集』全21巻、岩波書店刊、1964年2月完結。
福沢諭吉『福沢諭吉書簡集』全9巻、岩波書店刊、2003年1月完結。
丸山信(編)『福沢諭吉研究資料集成同時代編』全4巻、大空社刊、1998年10月。
安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識-日本近代史像をとらえ返す』高文研刊、2000年12月。
安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇制論-新たな福沢美化論を批判する』高文研刊、2006年7月。