2007 年 02 月 20 日付 安川寿之輔氏への書簡

last updated: 2015-03-12

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2007 年 02 月 19 日到着 安川寿之輔氏からの書簡への返答である平山氏による安川氏への書簡を、平山氏の許可を得ましたので、掲載します。

2007 年 02 月 20 日

安川寿之輔様

拝復

記録的な暖冬だそうで、冬が来ないうちに春がもうすぐそこまでやって来そうな気配です。相変わらずエネルギッシュに活動されているようで、うれしく存じます。お手紙と資料ありがとうございました。

お手紙によれば、昨夏刊行されたご著書『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(高文研)の結論部での、『学問のすすめ』の冒頭の一文は、福沢が『東日流外三郡誌』から盗作した、との主張を撤回なさるよし、賢明な判断であると思います。同書 2 刷の際か、または次著『福沢諭吉の教育論と女性論』での訂正をお待ちしております。

なお、ご存じかどうかは分かりませんが、ネット上のサイト「平山洋氏の仕事」の中に、「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註」というのがあります。拙著『福沢諭吉の真実』に関する、誤解・不適切な引用・歪曲等につき、逐語的に注記しておりますので、2 刷の際にでもご訂正いただければ幸いです。

それから資料として、池田浩士氏のロング書評「福沢諭吉という羅針盤-安川寿之輔の仕事と向きあいながら」(反天皇制運動連絡会編集『季刊運動<経験>』 20 号 2007 年 2 月、発行・軌跡社、発売・社会評論社)をお送りいただき、大変感謝します。

池田氏の書評、すごく面白かったです。ごく一部ですが引用してみます。

三部作のうちでもっとも新しい『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』で安川寿之輔が主たる批判対象としているのは、頭文字で表記すれば S ・ I と Y ・ H(いずれも個人名が前、姓が後)という二人の「研究者」の福沢諭吉についての「研究」である。わたし個人は、原則として、批判にも値しないような軽蔑すべき対象はもっぱら完全に黙殺するのが正しい、という見解をいだいている。五十年後なり三百年後なりに、わたしの書いたものを読んだ後世が、正当にもとうの昔にゴミ焼却場で消えてなくなって名前の痕跡もとどめていない塵芥のような存在の名前がそのわたしの文章に記されているのを見て、いったいこれはどんな物象なのだろうかという疑問にとらわれ、あれこれ古文書を調べて時間と人生を少しでも無駄にするようなことがあってはいけないからである。頭文字はおろか著作・論文の題名さえも書き留めるべきではないのだ。(『季刊運動<経験>』 20 号 111 頁より引用)

この部分を読んだときに、失礼とは思いつつも、文字通りゲラゲラ笑ってしまいました。池田氏にはユーモア作家の才能があります。氏にはさっそくメールを差し上げ、ご自身か社会評論社のホームページにアップしていただくか、それが無理ならば、私のところに添付ファイルでお送りいただいて拙サイトに掲示したいのですが、とお願いしました。

私の主張は、現行版福沢全集 21 巻のうち、福沢名義の著作は 1 巻から 7 巻までで、8 巻から 16 巻までの無署名論説は、石河幹明が時事新報の紙面から選んだ、しかも石河本人がその大部分を自分で書いた、と述べている新聞社説にすぎない、というところにあります。

確実に福沢のものと証明できる著作・論説によれば、福沢は市民的自由主義者と位置づけるのが適当で、現在アジア蔑視の侵略主義者の証拠となっている無署名論説には、福沢関与の証拠はない、と言っているだけです。(なお、私は 1885 年掲載の、「朝鮮独立党の処刑」「脱亜論」「朝鮮人民の為にその国の滅亡を賀す」などを、いずれも福沢真筆と考えております。ただし、アジア蔑視や侵略とは無関係な、誠実な批判の論説として。)

ただそれだけのことなのに、なぜ『福沢諭吉の真実』は究極の福沢美化論で、「批判にも値しないような軽蔑すべき対象」となるのでしょうか。池田氏の書評はあまりに面白いので、このまま埋もれさせてしまうのは本当にもったいない。

近ごろ作家の清水義範氏と交流がありますので、清水氏にぜひお読みになるよう勧めるつもりです。きっと『福沢諭吉は謎だらけ。』(小学館)に引き続く傑作、『福沢諭吉の大陰謀』が書かれることでしょう。もちろん妄想にかられた大学教授が主人公です。

というわけで、最後のほうは揶揄したようなことを書いてしまい、いくらか反省しております。

本当の春ももうすぐそこまで来ております。何卒お体にお気をつけください。

敬具