2007年04月23日付 管理人へのEメール「平和思想は世界平和に貢献したか?」

2010-11-14

このテキストについて

管理人へのメールを、平山氏の許可を得て掲載します。

2007年04月23日

いかがお過ごしでしょうか。

来る6月16日の土曜日に、愛知学院大学日進学舎で開催される比較思想学会第34回大会におきまして、シンポジウム「アジアにおける平和の思想」のパネリストの一人として、「平和思想は世界平和に貢献したか?」という提題をすることになりました。

プログラムにつきましては、比較思想学会ホームページ http://www.jacp.org/katudou/34program.html をご覧いただくことにして、その発表要旨を次に掲げます。


平和思想は世界平和に貢献したか?

平和という概念には相当な広がりがあります。そこで、このシンポジウムに相応しいように、平和の概念を分類するなら、おおむね次の2つの使用方法があるように思われます。1つ目は、個人またはその周辺のごく限られた人々の心が平安である、という意味での平和です。プライベートな平和とでも言うべきもので、この用法での平和を平和Aと呼ぶことにします。2つ目は、この平和A概念と、ある人々は連続的に、またある人々は完全に断絶したものとして考えている平和概念、すなわち国際関係上の平和です。これは国家間に紛争がない、通常は国交が正常に維持されている状態を言います。この国際関係上の平和概念を平和Bと名付けることにしたいと思います。

この平和Aと平和Bの関係について、その両者が連続的であると考える人々と、この両者は決定的に断絶していると考える人々がいて、日本においても明治維新直後から、ずっと論争が続いてきました。試みに両者が連続的であると考える人々を理想派、断絶的であると考える人々を現実派と呼ぶことにします。

理想派は次のように考えます。「個人は平和Aを望む。世界は個人の集合体である。故に平和Aを広めれば、必然的に平和Bへと至る」と。いっぽう現実派は次のように考えます。「個人は平和Aとともに利益を望む。世界は利益を望む個人を内に含む国家の集合体である。国家は国民の利益を最大化する行動をとるから、その目的のためには戦争も厭わない。したがって、平和Aは平和Bとは必然的には結びつかない。そのため平和Bの実現には国際関係上の取り決めや、軍事力を背景とする抑止力が必要である」と。論理展開は現実派のほうが複雑になりますが、平和AB両概念ともに目的と考えている点では理想派と同じです。

現在平和の思想と言う場合には、平和Aと平和Bを連続的に考える理想派の思想が主に想起されるようです。理論的には、例えば、「我が国も現行憲法、とりわけその第9条を改正し、軍事力の強化と核武装によって抑止力を高め、もって平和Bを維持するべきだ」という考え方も、立派に平和の思想だと思うのですが、なぜかこうした現実派の思想は平和の思想とは見なされません。

その理由として、第2次世界大戦後の日本において、平和の思想が、必ず政府および米国への反対運動の形をとってきたことが挙げられます。その平和運動も日本国内からの自発的な運動というよりは、コミンフォルムが1950年1月に発表した、『日本の情勢について』という日本共産党批判に示唆されてのことでした。そこには、米国による日本の軍事基地化と永久占領に反対するため、「日本の独立、民主・平和日本の建設、公正な講和条約締結」を目指すべきだ、とありました。反米思想が平和思想と見なされる要件なのですから、事実上現実派の思想は平和思想から排除されることになります。

本発表で、私は、現実派の立場から、従来まで平和の思想と見なされてきた、平和Aの拡大が平和Bへと至る最善の方法である、という考えを批判し、国際関係上の平和B(国家間の政治的平和)は、軍事力による抑止以外にはありえないことを明らかにします。


お暇ならお越しいただければ幸いです。

平山 洋