「局外の老政治家」

2013-08-05

昭和版『続福沢全集』第 5 巻所収の石河幹明執筆社説「局外の老政治家」(755頁)を公開しています。

詳細は、昭和版『続福沢全集』「附記」をご覧下さい。 体裁等については、昭和版『続福沢全集』第 5 巻からの書き起こしについてをご覧下さい。

本文

権勢栄誉を併有するは天下の怨望嫉妬を一身に集むる所以にして政治家の戒しむべき所なり

顕位栄爵の栄誉は既に其身実に賜与せられたるものにして今更ら如何ともすべからずと雖も権勢に至りては然らず

明治政府は閥族官僚の名ありと雖も当局者の銘々に就て見れば去就時あり

進退一ならず一旦職を辞すれば政権(注1)同時に其手を離るるの常にして権勢栄誉を永く併有するの場合は稀れなりと云わんかなれども実際の事実は之に異なるものあり

維新の功臣即ち今日の元老と称する老政治家の如き固より一種特別の地位に在る人々とは申しながら其出所進退の如何に拘らず権勢は常に其身に附帯するが如し

是等の老政治家は年老い気倦みて身は閑散無責任の地に在り

悠々自適政局を度外視するが如くにして実は然らず

苟も政権の得喪に関するの問題に至れば必ず与り聞かざるなく政府部内には其威権自から重きを成すものありと云う

即ち恰も権勢栄誉を永遠に併有するものなる尚お其上にますます世俗の羨望を博するに足るべき事情ありと云うは外ならず

是れは単に元老のみに限らずと雖も従来明治年間に顕栄の地位を成したる政治家輩が多くは宏壮なる邸宅を構え又処々に別荘など有して其生活に御前殿様流の観を呈すること是れなり

或は其顕栄の体面を維持する為めの意味もあらんなれども老西郷の如きは維新第一の功臣を以て裏長屋同様の借家に住い日々腰弁当にて太政官に出勤したりと云う当時の質素簡朴は今日に行わるべからずと雖も彼の大久保内務卿が霞ヶ関に邸宅を新築したるとき鹿児島の壮士輩は其贅沢豪華を伝えて大に憤慨したる如きも亦西南暴発の一動機を為したるものなりと云う

其大久保の邸宅も今日より見れば毫も驚くに足らざるの建築のみか当時に於ても決して贅沢豪華の構造に非ざりしに尚お且つ壮士の憤怒を買うて天下騒乱の一原因を為したるを思えば政治家たるものは其居家処世の平生にも大に心を用うるの必要あるを見るべし

今日の社会は一般に生活の程度も高まりて衣食住共に復た当年の旧を守るべきに非ずと雖も生活の上進と共に又一方には生活の困難を感ずるものを生じて所謂貧富の懸隔を致し社会下層の間には生活難を訴うるの声甚だ低からず

彼の西洋諸国に於ける社会主義者の如きも要するに此社会情態より産み出されたる産物にして其生活難の社会より視るときは権勢栄誉を併有する其上に平素の生活も御前殿様流にして其邸宅の如き昔しの大名、今の富豪にも比すべしと云えばますます羨妬の念を燃さざるを得ず

決して身を処するの計を得たるものに非ざるなり

固より人の内情は外より窺い知るべからず

政治家の生活の如きは殊に然るものにして生前は贅沢豪奢と見えたる其人が死後には一物をも遺さずして却て借金の山を成すを見るが如きは古今その例珍らしからず

其内情如何はいよいよ蓋棺の後に非ざれば知るべからずと雖も兎に角に世俗の視る所に於て権勢栄誉富有の三者を併有するの地位に在るが如き其の一身を羨妬たらしむるに過ぎず常人の為めには不利益にして政治上には何等の効力なきのみか寧ろ其害を見ることあるべし

彼の死せる孔明が活ける仲達を走らせたりと云うが如き武田信玄の死後、容貌の故人に似たるものに信玄生時の衣服を装わしめ暗処に於て他国の使節を延見せしめたりと云うが如きは戦国の場合に主将の空名を利用したる計略として徳川家康公が二代将軍に職を譲り駿河に隠居して大御所と称し国中諸侯の参勤等は総て江戸に赴かしめながら政治万端を内々指図したるが如き将軍の威望を重からしめ徳川政府の基礎を固くせんとの計画に出でたるものなり

其容意頗る深しと雖も今日は戦国にも非ず又政府創業の時代にも非ざれば主将の空名を利用するは勿論、徳川大御所の政略を襲用するの必要もあるべからず

固より元老の人々は一種特別の地位に在るものなれば国家非常の大事に際して直に趨りて御諮問に対し若くは廟議に参するは当然の次第にして国中に敢て異議するものなかるべしと雖も既に隠居の身にてありながら尚お平生の政治問題に関係するが如きは何れの点より見るも得策と云うべからず

社会の人心は旧を厭い新を喜び両三年ごとには一変を見るを通例とする日新の政局に常に局外老政治家の干与するが如き人心を沈滞せしめ進歩を阻碍するの嫌なきを得ず

思うに其人々は既に功成り名遂げたるものにして最早や政治上の野心などあるべからず

其政界の殊を与り聞くが如き誠意誠心国を憂うるが為めに外ならざるは我輩の認むる所、否な自から好んで事を聞くに非ず

他より強いられて余儀なく之に与かるの内情も慥に知諒する所なりと雖も時勢の進歩、思想の変遷は頗る此事相に可ならざるものあるの今日、老政治家たるものが顕栄富翁として政界浮世の縁を絶ち真実風月を友として権勢を一身に併有するの嫌を避くるは亦是れ人心を緩和する所以の一手段なるべし

(明治四十四年二月一日)

脚注

(1)
原文では「政権と」と表記されている。