2008 年 02 月 14 日付 西村稔氏への書簡

last updated: 2015-03-13

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西村稔氏への書簡を、平山氏の許可を得て掲載します。

本文

2008 年 2 月 14 日

西村 稔 様

初めてお便りを差し上げます。静岡県立大学の平山洋です。

ご著書『福澤諭吉―国家理性と文明の道徳』(名古屋大学出版会刊)を拝読して、 拙著『福沢諭吉の真実』(文春新書)の主張への甚だしい曲解に我慢がならず、あえて筆を執ることにしました。

ご著書の拙著への言及は、たった一ヶ所、304 頁の註(4)だけですが、そこで西村先生は、私としては決定的に異なる立場と考える「忠義の意味」(大正版全集所収)と「忠孝論」(『修業立志編』所収・全集非収録)の主張に、大きな立場の差を認めない、ということによって、私の考えを批判しています。

ここで重要なのは、「忠義の意味」は、大正版全集収録にあたって石河幹明筆と明記されている社説であり、もう一つの「忠孝論」は、福沢名で出版されながら石河によって全集非収録とされた『修業立志編』所収の論説である、ということです。

ご著書の註ではその基本的な情報が開示されていないため、まるで私が、自らの都合によって真偽を判定し、福沢をむりやり市民的自由主義者の枠にはめようとしている、かのような印象がもたれる結果となっています。

私が注意を喚起したいのは、「忠孝論」が石河によって全集から排除され、代わって「忠義の意味」が収められている、という事実のほうなのです。両者に本質的な差がないのだとしたら、石河は福沢直筆と分かっている「忠孝論」を、なぜ全集非収録としたのでしょう? 変ではありませんか。

福沢の「忠孝論」と自分の「忠義の意味」との間に、帝室の位置づけに関する立場の大きな差があると理解していたからこそ、石河は「忠孝論」を全集に入れなかった、ということになるのは明らかだと思います。

まだ寒い日が続くことと存じますが、お体にお気をつけください。