自著を語る・『福澤諭吉』(ミネルヴァ書房)について

2010-11-14

『福澤諭吉』「自著を語る」 平山 洋

福澤研究を始めるまで

二〇代の頃は自分が将来福澤諭吉の研究をすることになるとは思ってもいなかった。大学院修了まで福澤に近づかなかったのは、慶應義塾出身ということからくる<照れ>もさることながら、何より当時は信頼していた石河幹明著『福澤諭吉伝』(一九三二年刊)の浩瀚さと、弟子富田正文の『考証福澤諭吉』(一九九二年刊)の精密さを見て、研究上自分に残された場所は少ないと考えたからである。

すでに、「福澤諭吉は<市民的自由主義者>と<侵略的絶対主義者>の二つの要素を併せ持つ思想家である」、という定義は定説とされていた。従来の研究史でも、左は服部之総・遠山茂樹・家永三郎・安川寿之輔から、中道の丸山眞男・飯田鼎・坂野潤治・北岡伸一を経て、右は西部邁・坂本多加雄に至るまで、すべての研究者がこの定義に忠実であったから、私も福澤の位置づけに関する定説は盤石と、何となく考えていたのである。

現行版全集への疑い

一九九〇年代まで、私もまた現行版『福澤諭吉全集』の無誤謬性を信じていたので、「学問のすすめ」初編(一八七二年刊)と、日清戦争後の無署名社説「台湾の騒動」(一八九六年発表)を読んで、その肌合いの違いに奇妙な感じを覚えつつも、後者もまた皆が認めている論説だから、と無理に自分を納得させていたのであった。

九〇年代末、小泉仰と西川俊作の紹介により、井田進也の無署名論説真偽判定に関する研究に触れたことで、自らその判別の方法を探って、ついに全集「時事新報論集」所収の無署名社説の相当数が、福澤とは無関係であるという確信をもつに至った。

その結論までの過程を描いた『福沢諭吉の真実』(二〇〇四年刊)の延長上に、本書『福澤諭吉』はある。現在までのすべての伝記が依拠している石河の『福澤諭吉伝』には頼らないようにしたため、資料の探索に手間取り、調査開始から完成まで三年三カ月を要した。

新たな福澤像

そこで本書の新しさは概ね次の四点である。まず第一に、確実な資料に基づいて、<市民的自由主義者>福澤の姿を示せたことである。彼は徹頭徹尾、「文明政治の六条件」をアジアに広めようとした伝道者であった。<侵略的絶対主義者>の証拠として今日批判されている無署名社説は、存命中には福澤作とは見なされていなかったのである。

また第二として、福澤の思想形成に郷里の儒者野本真城が大きな影響を与えていたということも、今回初めて明らかになった事実である。

さらに第三として、維新後明治一四年政変までの著作は、議院内閣制度を定めた憲法の制定を政府に迫る活動であったことが、証明されたことである。

最後に第四として、巻末掲載の資料により、従来まで過大評価されていた日清戦争以降の言論活動には根拠がないということが、明確化できたことである。

これらの新見地により、福澤諭吉像は大きく変更されることと思う。(文中敬称略)