山田博雄氏の「研究文献案内」について
このテキストについて
以下は、2008年12月20日発行、福澤諭吉協会、福澤諭吉年鑑35、197、198ページの山田博雄氏(中央大学法学部兼任講師)による「研究文献案内――二〇〇七年から二〇〇八年へ――」の平山洋『福澤諭吉』に関する部分の全体です。
掲載にあたり、平山氏から、次のような注意が届いています。
読むにあたっては、後半に引用されている都倉武之氏の論文の初出は、拙著の刊行より前の2008年1月であるため、拙著について書かれたものではない、ということに注意してください。
紹介文中の「福訳筆でないと『判定』される社説のいくつかは、実際には『福沢の全文直筆原稿が存在している』。」は、拙著のどこかについて言っているように読めますが、そうではありません。
都倉論文で実際に確認したところ、当てはまる社説は、具体的には、「大いに軍費を醵出せん」(明治27年7月29日)と、「軍資の醵集を祈る」(明治27年8月14日・個人蔵)であると分かりました。その判定をしたのは井田進也氏(『歴史とテクスト』39頁)であって、私(平山洋)ではないのです。
そもそも前著『福沢諭吉の真実』も含め、私への言及が1箇所もない都倉論文を、拙著の紹介の中に引用したことについて、疑問を感じるところです。
該当箇所
平山 洋 福澤諭吉――文明の政治には六つの要訣あり―― ミネルヴァ書房 二〇〇八年五月 四六判四〇一頁(+三〇頁) 三一五〇円 ISBN 978-4623051663
「重要な事柄が省略されていたり、または軽く扱われていたりするため、『福翁自伝』は全体として幕末維新明朗時代劇の様相を呈している。その影響なのか、現在よく読まれている伝記は講談調が多いが、そこで描かれる福澤像は実相からかけ離れたものである。また石河幹明の『福澤諭吉伝』が示し、遠山茂樹の『福沢諭吉』へと引き継がれた〈侵略的絶対主義者福澤〉という像も依然有力とされており、現行版全集の「時書新報論集」を信じる限り、その思想を整合的に理解するのは困難である。/こうした従来の見吉に対し、本書において私が提示した福澤像は、〈文明政治の六条件を日本に広めようとした伝道者〉というものである」(あとがき)。
しかし『時事新報』社説、端的にいえば福沢本人が書いたのか、否かをめぐる近年の論争に対して、その問題設定自体への根本的な批判が提出されている。これを看過することはできまい。すなわち、社説そのものが「福沢の思想と無関係のものである」とは「考えられず」、「福沢が書いたものとそうでないものを選り分けねばならないほど、社説記者の意見が福沢の考えと相反していたとするならば、2千数百通も確認されている福沢の書簡中には晩年になるほどその形跡が見えるはずだが、そのような気配は毛頭見えない」。つまり、『時事新報』社説を書いたのが福沢か、他の記者か、を「選り分ける必要性の論証は成功しているとは言い難い」。
それだけではない。福訳筆でないと「判定」される社説のいくつかは、実際には「福沢の全文直筆原稿が存在している」。したがって、「選り分けの技術論としても」、「成功しているとは言い難い」(以上、都倉武之、前掲、寺崎編『福沢諭吉の思想と近代化構想』所収)。