2010年02月12日「脱亜論」の位置づけについて(返信)

2013-10-28

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次に掲げるのは、I氏からの「脱亜論」をいかに位置づけるかに関する問い合わせへの 平山氏の返信です。

2010年02月12日「脱亜論」の位置づけについて

I  様

メールありがとうございました。韓国旅行は1984年の夏のことでしたから、もう26年も前の ことになりますね。あの時旅行のアドバイザーをしてくださった金文京先生は、その後京 都大学に移られて、昨年まで人文科学研究所の所長を務められていました。金先生に は日吉の中国語クラスでお世話になったことでもあり、3年前に三田演説館 - Wikipediaで開催され た講演会でお目にかかった際に、改めてお礼を申し上げておきました。

拙著『福沢諭吉の真実』をお読みいただいたとのこと、ありがとうございました。私も神山四郎先生の講義で、福沢先生の前半生と後半生の論調のギャップに違和感を感じた ものでしたが、同時期の小泉仰 - Wikipedia先生の講義と演習で福沢先生の無署名社説が取り扱 われたときに、実際には福沢先生執筆ではない社説が含まれていることを知って、その 違和感の真相を垣間見た気がしました。

さて、安川先生との論争ですが、拙著への反論として、『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』 (高文研)が刊行されています。その著作への私の応答としては、サイト「平山洋氏の仕 事」中に、「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註」があります。安川先生の本 が刊行されて3年半になりますが、私の「註」への再反論はとくにないようです。

「脱亜論」については、遠山茂樹 - Wikipedia服部之総 - Wikipedia安川寿之輔 - Wikipediaらの諸先生による、アジアへの 侵略宣言として捉える見方と、坂野潤治 - Wikipedia坂本多加雄 - Wikipedia井田進也 - Wikipediaらの諸先生による、朝 鮮の近代化が挫折したことに失望して書いた敗北宣言として捉える見方があります。

私はもとより後者に与する者ですが、前者の立場をとられる方は、「脱亜論」最後の1行を 侵略主義と見なされて、決して意見を変えようとはしません。最近でも、漫画家の雁屋哲 - Wikipedia 氏が、ブログの中で同じ主張を繰り返しています(2009年12月20日付「共和国の友人たち4 | 雁屋哲の美味しんぼ日記」)。この問題は政治的立場と密接に関係し ていて、科学者の論争のようなすっきりした決着はつかないようです。

さて、ご質問の「脱亜論」の位置づけについてですが、できましたら私の論文「福澤諭吉の西洋理解と「脱亜論」」をお読みください。 それ以上は、「平山洋氏の仕事」を「脱亜論」でサイト内検索すれば、私のこの問題に関す る見解を全て探し出せると思います。さらに、「脱亜論」を侵略宣言と見なす人たちの本で これだけは読んでおいたほうがよい著作として、CiNii Search -  韓桂玉著『「征韓論」の系譜―日本と朝鮮半島の100年』(三一書房) をお勧めします。

大学を卒業してからずいぶん長い時間が経過しました。間もなく卒後25年のホームカミン グの催しが開催されます。その折にでもお目にかかることができれば幸いです。

お元気で。

平山  洋