昭和版『続福沢全集』「緒言」

2010-12-09

このテキストについて

昭和版『続福沢全集』「緒言」を以下に掲載します。 石河による執筆の日付は「昭和七年十月」で、奥付による第1巻の発行の日付は「昭和八年五月二十日」となっています。 「時事論集例言」より前の別ノンブル3、4ページに掲載されています。

昭和版『続福沢全集』「緒言」

明治三十一年の出版に係る「福沢全集」は、福沢先生が著訳に筆を染められし以来四十余年間に亙る先生の著書論説を編纂して五巻となしたものであるが、大正十五年これを再版するとき、既刊の全集に漏れてゐたものと其以後の著作に属するものとを加へ都合十巻として出版した。即ちこれが現在の「福沢全集」である。然るに先生手稿の遺文にして其全集に載ってをらぬものが尚ほ甚だ多いので、今回これ等を編纂して七巻となし、「続福沢全集」と名づけて出版することにした次第である。

此続全集に収録せる先生の遺文は、これを「時事論集」「書翰集」及び「諸文集」の三部類に大別した。

「時事論集」は明治十五年三月「時事新報」の創刊より同三十一年九月先生が大患に罹らるるまで親しく執筆せられ又病後折り折り編者に意を授けて起草せしめられた同三十四年二月逝去に至るまでの「時事新報」の所説を纂輯し、前全集の例に依りこれに「時事論集」の名を下したもので、明治時代に於ける政治上、社会上、其他あらゆる諸問題に対する先生の主張議論は一切包羅してゐる。

「書翰集」は先生の書翰を集録したものである。先生は平素交友知人への文通を怠られなかったばかりでなく、或は一面識もなき人よりの来翰に対しても返書を出され、又日常の些末事、例へば出入の職人に用をいひ付けらるる場合にも手書を以てせられたほどであるから、其一生涯に書かれた手紙の数は何千通あったかわからない。爾来幾多の歳月を経過し殊に大震災の事変もあって喪失散迭したものが多いけれども、尚ほ此集に千百余通を収録するを得たのは、畢竟先生が平素非常に多くの手紙を書かれたためであって、其中には歴史上の参考となるべき重要なる長文のものもあり、又片々たる短文の間にも率直に真情を吐露して面目の躍如たるものもある。要するに本集中収むるところの大小の書翰は、先生の経歴性行を窺ひ知るに最も重要なる資料である。

「諸文集」は先生の各時代に於ける諸種の遺文を集録したもので、欧州紀行の「西航記」を始めとし、先生の生前他人に示されなかった重要なる書類文献より、晩年の戯作なる芝居の筋書等に至るまでも収めてある。其中の論説は多くは明治初年の各雑誌に載せられたもので、「時事新報」発刊以前の執筆に係ってゐる。尚ほ先生の詩百三十余首は巻末に付録してある。

以上は「続福沢全集」編纂の要目にして詳細は更に各部の例言に記してある。大正十五年再版の「福沢全集」に漏れてをる先生の遺文は、此続全集七巻の中に殆ど全く包羅した筈であるが、ただ世上に散在してゐる書翰の中には或は幾分漏れてゐるものがあるかも知れぬことを、念のために記しておく。尚ほ此編纂に就ては富田正文氏が多大の労を致したことを茲に付言する。

昭和七年十月

石河幹明