『時事新報』社説の起草者推定-明治18年4月から明治24年9月まで-

last updated: 2018-10-16

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国際関係比較文化研究第13巻第2号 後1-18頁(2015年3月)に掲載された「『時事新報』社説の起草者推定-明治18年4月から明治24年9月まで-」です。

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『時事新報』社説の起草者推定―明治一八年四月から明治二四年九月まで―

平山 洋(静岡県立大学)

一 本研究の目的と方法について

本報告は「福沢健全期『時事新報』社説起草者判定」(以下本研究)の一部である。本研究の目的は、明治一五年(一八八二)三月の『時事新報』の創刊以降明治三一年(一八九八)九月の脳卒中の発作発症までの福沢健全期の全社説の起草者を判定して、現行版『福沢全集』の「時事新報論集」に適切な加除を施すことである。その方法は、無署名である社説を福沢の署名著作と使用語彙や文体の観点から比較する井田メソッド(注1)によるものとする。なお、『全集』非収録社説はテキスト化してネット上のサイト「平山洋氏の仕事」(注2)で公開中である。

福沢健全期のうち、後年主筆となる石河幹明が入社する前の明治一八年(一八八五)三月までについての判定結果は近日発表予定である(注3)。それに引き続いて本報告が扱うのは、社説記者菊池武徳が一時退社した明治二四年(一八九一)九月三〇日までの二二一七号分である(注4)

当該期間の社説のうち、明治版『福沢全集』に署名著作として収録されているのは、『日本婦人論』(連載1885060418850612(注5))、『日本婦人論後編』(1885070718850717)、『士人処世論』(1885092818851029)、『品行論』(1885112018851201)、『男女交際論』(1886052618860603)、『日本男子論』(1888011318880124)、『尊王論』(1888092618881006)、『國会の前途』(1890121018901223)の合計七八日分、それに加えて大正版『福沢全集』「時事論集」に収録済みとなっているのは全二二四編中九九編(一〇七日分)、さらに加えて昭和版『続福沢全集』「時事論集」に収録済みとなっているのは全一二四六編中二七三編(三一〇日分)である。明治版『全集』から昭和版『続全集』までに収録されている社説は合計四九五日分となる。

社説は掲載されていない号や、一号に二編掲載される場合があるので正確な数字ではないものの、当該期間二二一七号分から明治・大正・昭和版正続全集に収録済みの合計四九五日分を差し引いた残余、おおよそ一七二二日分が、今回起草者推定をしなければならない社説ということになる。

もっとも、昭和版までの全集に未収録となっている一七二二日分すべてについて判定が必要なわけではない。というのは、『続全集』の刊行から今日に至るまでの八○年間に、石河が『全集』に収録していないにもかかわらず後になって福沢の自筆草稿が発見された社説が二三日分あり、さらに、社説欄に掲載された論説には、福沢以外の署名入りの投稿や外国紙記事の翻訳と断り書きがあるものも含まれているからである。今回対象としたのはそれらを除いた一〇八六日分である。

報告者は『全集』未収録で無署名の全社説(連載の場合は原則初日のみ)を画像化して、「平山洋氏の仕事」にアップロードした。さらにネット上で情報処理の専門職を募集できる「日本校正者クラブ」に登録することで人員を確保し、順次それらをテキストファイル化している。このテキスト化作業の目的はコンピューターの検索機能を利用するためで、この処理によって、より効率的に福沢執筆社説を抽出できるはずである。

また、慶応義塾のホームページ中のエントリ「デジタルで読む福沢諭吉」(注6)では、福沢の署名著作のほぼすべてがテキスト化されていて、語彙検索も可能となっている。この企画により署名著作での語彙や言い回しを即座に調べられるようになった。井田メソッドを用いての無署名社説起草者推定作業を円滑に進めるための条件はそろったということができる。

二 井田メソッドの有効性と当該期間の起草者について

起草者推定にあたって問題となるのは井田メソッドの有効性についてであろう。その疑義についてはすでに安川寿之輔(注7)・都倉武之(注8)・杉田聡(注9)・山田博雄(注10)らによって表明されている。報告者もまたその限界を承知していて、「語彙と文体による井田の方法で高い確度をもつのは、カテゴリーⅠとカテゴリーⅣの区別だけである」 (注11)というのが、『福沢諭吉の真実』(注12)の原型執筆以来の一貫した立場である。福沢が書いたかどうかまでは分かる、というのが報告者の見立ててである。

草稿が残存していない、したがって筆跡判定が不可能な無署名社説の起草者推定の有効性を測るのは難しいが、井田メソッドに否定的な立場をとっている杉田が、井田メソッドによって福沢が書いたものではないと判定した三編の文章(「修業立志編緒言」「忠孝論」「福沢全集緒言」)が、実際に福沢直筆ではなかったと証明されたことは、逆に井田メソッドの信憑性を高めることにはなったとは思う(注13)

入社前の石河は明治一八年三月までの社説が誰によって書かれていたかを知りうる立場になかった。そのため石河は前石河社説群の選別に際して井田メソッドに類似した方法をとっていたと考えられる。それに対して入社した明治一八年四月以降については、石河が記憶に基づいて福沢起筆とそれ以外の社説を判別した可能性もある。しかし、その信憑性が低いことは、報告者は既に別の場所で指摘している(注14)。結論だけを言ってしまえば、現在草稿が発見されている福沢直筆の社説の大正版・昭和版「時事論集」への採録率は約五〇パーセントである。ここから類推して、福沢直筆でありながら全集に収められていない社説が採録済みと同数程度あるとまでは即断できないにせよ、まだ多数の直筆社説が残存しているとまでは言えるであろう。

そこで当該期間の起草者については、中上川彦次郎が明治二〇年四月まで、高橋義雄が明治二〇年七月まで、渡辺治が明治二二年一月まで、石河幹明が明治二〇年七月以降、菊池武徳が明治二一年二月から明治二四年九月まで、さらに期間を限定できないものの三宅(桑田)豹三や宮本芳之助が下書きを担当したこともあったようである。彼らの語彙と文体の特徴についての考察は既に別の場所でしている(注15)

三 当該期間の社説の起草者推定

語彙と文体による推定とはいえ、語彙についてはコンピュータの検索機能によって調べることができるものの、文体的特徴をデータ化して解析するのは難しい。図書館情報学の研究者である上田修一と安形輝が文体の特徴を数値化する方法を模索中(注16)であるが、実用化にはいたっていないとのことである。文体の特徴をも加味した推定は後の課題とすることにして、今は主に使用語彙を検討することで起草者を探りたい。

起草者推定作業は、(一)起草者語彙の選定、(二)語彙使用社説の抽出、(三)推定起草者の判定の順に進行する。

まず(一)起草者語彙の選定については、井田の研究を参考にしつつ報告者が特徴的と見なした語彙を随時増補する。新たに特異な語彙が見つかればそれを検索することで、別の語彙との使用状況を確認できる。その語彙を起草者語彙と見なしてよいかどうかのあたりがつくわけである。

ついで(二)語彙使用社説の抽出として、例えば「冀望」「然りと雖ども」「視做す」等の福沢語彙(注17)が使われる社説を、当該期間のテキスト化済み一〇八六日分を収めたフォルダ内検索によって選び出す。すると「冀望」は六三日分、「然りと雖ども」は一〇四日分、「視做す」は一四日分(以上重複込み)で使用されていると分かる。とはいえ、これらの福沢語彙を含む社説全体を福沢が書いたと即断することはできない。というのも福沢語彙が使用されている部分だけを書き加えた可能性があるからで、こうした福沢が手を入れているが下書きは弟子が担当した社説を福沢直筆社説(カテゴリーⅠ)と区別するために、中上川語彙(注18)・渡辺語彙(注19)・石河語彙(注20)・菊池語彙(注21)でも同様の抽出作業をして、福沢語彙との重複使用が認められる社説を合作(カテゴリーⅡまたはⅢ)と見なすことにする(注22)

例えば福沢の署名著作では使用例のない「韓廷」を中上川語彙とし、福沢語彙である「朝鮮政府」との重複使用を検索すると、一日分の社説(注23)が抽出できる。これは合作の可能性が高いわけである。同様に「清廷」(中上川語彙)と「支那政府」(福沢語彙)について調べると、「清廷」(三日分)・「支那政府」(三四日分)という結果である。ちなみに「清廷」は「支那政府」と重複使用されているので、この混用三日分(注24)についても中上川と福沢の合作と推定できる。

最後に(三)推定起草者の判定であるが、(一)(二)が機械的に進めることができるのに対して、どうしても人間的要素が絡んでしまう。というのは、直感にもとづく一種の絞込みの作業が必要になってくるからである。

当該期間テキスト化済み一〇八六日分のうち七二八日分に福沢語彙が検出された。これらを福沢が一人で書いたとするのはいかにも多すぎる。こうなってしまったのは、中上川・高橋・菊池など平易な語彙を使う起草者との合作社説が福沢語彙のみが検出できる社説群に混入しているためと推測できる。福沢直筆を抽出するにはもう一工夫が必要なわけである。

これら福沢語彙が検出できる七二八日分の社説一編に含まれる福沢語彙は、一語から七語まであった。そのうち五五四日分については一語ないし二語を含むのみで、そこに福沢直筆がないとは断言できないものの、別人の下書きへの加筆に福沢語彙が含まれていた可能性が高いであろう。逆に三語以上含まれている社説が一七四日分あった。その内訳は、七語を含むものが一日分、六語が四日分、五語が二〇日分、四語が四〇日分(注25)、三語が一〇九日分である。中上川語彙を含む一日分を除いた一七三日分を暫定的に福沢起草の社説と見なすことにするが、もとよりその事実を客観的に根拠づけることはできない。また、福沢語彙が二語以下しか含まれていない直筆社説も当然あると考えられる。この線引きを行うことが井田メソッド使用にあたって必然的に伴う直感にもとづく絞込みなのである。

当該期間に発表された社説二二一七日分のうち、すでに全集等に収録されているのは五一八日分で、それにこの一七三日分を加えると六九一日分となる。この合計で全体の約三割となるので、日々の社説を記者二名とともに執筆していた旨の書簡(注26)の記述とも整合するように思われる。

四 当該期間の推定福沢直筆社説

福沢の執筆が推測できる社説一七三日分の題名と掲載日、そして含まれる福沢語彙を以下に示す。

明治一八年

001「拂清の媾和は以て仏蘭西を軽重するに足らず」(18850421)支那政府、榮辱、鄙見、穎敏、竊に 002「支那貿易に關係する日本の商民と商船」(18850615)知る可らず、輻輳、懶惰 003「或人の直話」(18850720)氣の毒、榮辱、竊に 004「利の付く金は遊ばせ置くべからず」(18850807) 直段、損毛、扨 005「金融逼迫」(18850814) 成跡、輻輳、扨 006「新聞廣告の利用」(18850915)冀望、繫多、穎敏、竊に 007「井上角五郎氏再び朝鮮に赴かんとす」(18851001)朝鮮政府、支那政府、竊に 008「不景氣退散の望あり」(18851010) 損毛、鼓腹、扨 009「開國雑居一日も遅疑すべからず」(18851022) 恣にする、然りと雖ども、扨 010「優勝劣敗恐るゝに足らず」(18851104)冀望、捷徑、鄙見、竊に、王政維新 011「人力車夫の取締如何」(18851116)繁多、恣にする、妄慢 012「日本商人は金銀貨の價を知る事肝要なり」(18851202)頴敏、ならんなれども、竊に

明治一九年

013「朝鮮國小なるも日本との関係は小ならず」(18860106)支那政府、繁多、情誼、鼓腹 014「衣食住の改良」(18860215)三五、成跡、坐作 015「逓信事務の改良」(18860216)直段、損毛、眞成 016「條約改正の必要は獨り日本人の爲めのみに非ず」(18860219)知る可らず、繁多、屋漏に愧ぢず、扨 017「朝鮮事情」(18860306)朝鮮政府、氣の毒、無妄 018「外國に行く者は其往くに任す可し」(18860309)成跡、繁多、榮辱 019「人往かざれば船も亦往く可らず」(18860310) 駁撃、繁多、扨 020「米國と支那との紛議」(18860311)支那政府、氣の毒、穎敏 021「日本條約改正の影響」(18860619)榮辱、頴敏、囂々、成跡 022「商売社會の勝敗は正に今日に在り」(18860630)決して然らず、成跡、氣の毒、繁多、竊に、扨 023「海軍公債募集の好結果は商况の不景氣を卜するに足る可し」(18860715)冀望、慥に、竊に 024「政府は相塲所に課税干渉す可らす」(18860722)冀望、頴敏、直段、知る可らず、竊に 025「秘密は何人にも秘密たるべし」(18860723)然りと雖ども、知る可らず、氣の毒、損毛 026「演劇改良論續」(18860814)際限ある可らず、鄙見、眞成、竊に、扨 027「演劇改良論續(昨日の續)」(18860817)繁多、彷彿、王政維新 028「支那人の活溌なるは文明の利器に由るものなり」(18860901)三五、朝鮮政府、知る可らず、繁多、鄙見、慥に、竊に 029「今後支那帝國の文明は如何なる可きや」(18860902)冀望、然りと雖ども、惑溺、繁多 030「朝鮮の内憂は日清兩國の福に非ず」(18860910) 支那政府、氣の毒、扨 031「官費を歎願するよりも外資を利用す可し」(18860916)冀望、成跡、ならんなれども 032「外國の商賣は不景氣を知らず」(18860925) 氣の毒、竊に、扨 033「支那の貿易」(18861013)支那政府、直段、ならんなれども 034「支那の交際亦難い哉」(18861019)成跡、繁多、ならんなれども 035「整理公債の募集に逢いて金穴の去就如何」(18861022)然りと雖ども、氣の毒、損毛 036「共同相塲會所設立の噂あり」(18861023)冀望、然りと雖ども、知る可らず、ならんなれども 037「相塲の陋風は一掃す可し商賣社會の安寧は重んぜざる可らず」(18861103)冀望、頴敏、成跡、鄙見、竊に 038「内外商人の交際」(18861108)知る可らず、繁多、竊に、囂々 039「今の新聞紙條例」(18861111)之を譬へば、氣の毒、繁多、頴敏 040「ノルマントンの事變をして日英の交際を妨げしむる勿れ」(18861116)成跡、繁多、ならんなれども、扨 041「官廳公務の取扱を商賣風にする事」(18861211) 知る可らず、扨、竊に 042「米國の鉄道建築師を雇ふ可し」(18861224) 知る可らず、繁多、扨 043「居家の治に乱を忘るゝ勿れ」(18861229) 成跡、喙を容る、扨

明治二〇年

044「私立學校及び寺院の家屋税」(18870105) 憂患、計較、扨 045「民業次第に衰るを如何せん」(18870207)然りと雖ども、缺乏、竊に 046「言ふ可くして行はる可らざる乎」(18870208)然りと雖ども、成跡、鄙見、缺乏、竊に 047「新桑田の租税を免すべし」(18870215)身躬から、三五、繁多 048「諸外國人に日本來遊を勸むるの廣告」(18870319) 知る可らず、損毛、扨 049「ブールスの騒ぎ・所得税法」(18870324)冀望、成跡、竊に、扨 050「獻金の本意・海防費に付て一言」(18870412)然りと雖ども、際限ある可らず、竊に、扨 051「小學の教育を僧侶に任する事」(18870509)然りと雖ども、知る可らず、國事多端 052「商家の覺悟」(18870511) 然りと雖ども、直段、扨 053「私設鐵道條例」(18870520) 冀望、鄙見、扨 054「九州鐵道會社に質す」(18870521) ならんなれども、偏頗、扨 055「閔泳翊氏復た朝鮮に歸り來らんとす」(18870525)朝鮮政府、支那政府、成跡 056「舊藩主華族の舊封土に歸るは正に今日にあり」(18870607) 繁多、ならんなれども、扨 057「國に新舊の差別あり」(18870711) 缺乏、竊に、扨 058「洋行學者の注意」(18870803)三五、成跡、實學 059「版權の保護」(18870812)氣の毒、憂患、竊に 060「支那朝鮮の外國交際」(18870924)然りと雖ども、朝鮮政府、支那政府 061「總理大臣の訓示を讀む」(18871007) 冀望、三五、成跡、鞏固 062「横濱メール新聞紙を讀む」(18871010) 冀望、ならんなれども、扨 063「共進會品評會の目的手段」(18871015)三五、直段、鄙見 064「外國士人の直言を望む」(18871021)冀望、三五、竊に 065「異地變形の説」(18871026) 鄙見、王政維新、扨 066「生絲製法の改良を望む」(18871102)然りと雖ども、鄙見、ならんなれども 067「朝令暮改咎む可らず」(18871105)知る可らず、鄙見、入組 068「人心数奇を悦ぶ」(18871118)冀望、三五、竊に 069「僧侶は蠶業の奬勵者たるべし」(18871214)捷徑、然りと雖ども、竊に 070「登記法」(18871221) 冀望、損毛、扨

明治二一年

071「政府の人材を如何せん」(18881230) 知る可らず、竊に、扨 072「時事新報に謝す」(18880111)(注27)在昔、繁多、竊に 073「米價論」(18880127)成跡、鄙見、ならんなれども、缺乏 074「地方官諮問會」(18880216) 知る可らず、竊に、扨 075「繁文を省くの説」(18880227) 冀望、繁多、扨 076「米國の鐵道家に望む」(18880308)冀望、實學、芽出度 077「兵役税の實行を望む」(18880330) 繁多、竊に、扨 078「眞成の政治思想を養成すべし」(18880403)眞成、宿昔青雲の志、鞏固、扨 079「女子教育の氣風」(18880430) 竊に、鄙見、扨 080「何を以て獨逸を學ぶや」(18880509)鄙見、ならんなれども、竊に 081「教科書の檢定」(18880516)冀望、際限ある可らず、鄙見、扨 082「獨立の精神」(18880611)(注28)三五、鄙見、ならんなれども、竊に、扨 083「人生の快樂何れの邊に在りや」(18880614)(注29)榮辱、ならんなれども、然りと雖ども、宿昔青雲の志、扨 084「德育の説」(18880711)冀望、成跡、鄙見、情誼、然りと雖ども、扨 085「政費の增加」(18880712) 成跡、維新革命、扨 086「上海事變」(18880725)入組、然りと雖ども、偏頗 087「官報第千五百三十四號を讀む」(18880811) 冀望、憂患、扨 088「製造權の疑問」(18880912)支那政府、ならんなれども、然りと雖ども 089「外國人民は日本人民の親友なり」(18880925) 成跡、然りと雖ども、扨 090「文學の隆盛は經世の爲に祝すべきや否や」(18881019)在昔、知る可らず、憂患、扨 091「國會は討論會に非ず」(18881020)冀望、彷彿、竊に、計較、扨 092「新法令は必ずしも新利を興さず」(18881103) 然りと雖ども、計較、扨 093「ハリソン氏の政策」(18881109)入組、愈愈、須臾 094「在外公館の數」(18881123)ならんなれども、穎敏、竊に、扨 095「商賣の廣告法」(18881213)氣の毒、繁多、竊に、損毛 096「公立中學校の廢止」(18881222)身躬から、頴敏、竊に 097「日本銀行の株券騰貴」(18881224)冀望、氣の毒な、ならんなれども 098「民間政黨の覺悟」(18881225)知る可らず、ならんなれども、扨 099「眼中兵なし」(18881227) 冀望、愈愈、扨

明治二二年

100「輸出品の免税」(18890109)氣の毒、喙を容る、ならんなれども 101「雇佛人歸國の風説」(18890112)落路、ならんなれども、竊に、扨 102「宗教家の運動」(18890121)在昔、氣の毒、輻輳 103「徴兵令」(18890123)冀望、鄙見、然りと雖ども、竊に 104「立君政統論」(18890205) 竊に、須臾、扨 105「官吏政談の始末如何」(18890207)頴敏、竊に、王政維新、扨 106「繁文省略」(18890210)知る可らず、ならんなれども、竊に 107「憲法の發布」(18890211) 竊に、芽出度、扨 108「警察の本色」(18890305)竊に、須臾、偏頗 109「官吏登庸規則」(18890321)然りと雖ども、竊に、敗衂 110「狂言筋書」(18890325)三五、ならんなれども、眞成、扨 111「實業社會」(18890328)氣の毒、竊に、計較 112「議員の候補者」(18890411) 知る可らず、ならんなれども、扨 113「政治壇上には利を説く可らず・讀メール新聞」(18890417)知る可らず、囂々、ならんなれども、偏頗 114「外國政府は思ふて他日の計に至らざるか」(18890420)頴敏、氣の毒、鄙見、然りと雖ども、竊に 115「大學の獨立」(18890508) 喙を容る、竊に、扨 116「政治上に徳義の聲を高からしむ可し」(18890516) ならんなれども、竊に、扨 117「日米の新條約將に成らんとす」(18890518)知る可らず、氣の毒、王政維新 118「官設鐵道賣拂の風説」(18890528)冀望、繁多、ならんなれども、竊に 119「公園地・芝居の時間」(18890529)直段、知る可らず、喙を容る、竊に 120「日本の萬國博覽會」(18890601)三五、直段、輻輳 121「僧醫の説」(18890627)冀望、之を譬へば、成跡、損毛、缺乏 122「大資本家の要用」(18890720)在昔、直段、知る可らず、ならんなれども、然りと雖ども、竊に 123「今の世論の喧しきを察して将來に注意す可し」(18890813) 在昔、氣の毒、扨 124「北海道開拓」(18890902) 然りと雖ども、三五、扨 125「工業社會の名譽」(18890919)氣の毒、實學、榮辱、然りと雖ども、扨 126「内閣の方向」(18891017)知る可らず、ならんなれども、愈愈、竊に、扨 127「内閣員の辭表に就き」(18891026)ならんなれども、竊に、恐惶 128「舊内閣の辭職新内閣の組織」(18891028)盲目千人、然りと雖ども、愈愈、鞏固、扨 129「社會の風景を殺了する勿れ」(18891031) 冀望、惑溺、然りと雖ども 130「橫濱の運命」(18891130)冀望、頴敏、眞成 131「將來の新華族」(18891223) 冀望、竊に、扨 132「内閣の變動」(18891226)知る可らず、氣の毒、竊に 133「警察法」(18891230)冀望、繁多、竊に、扨

明治二三年

134「商機眼前に在り」(18900217) 輻輳、穎敏、扨 135「米價をして自然の平準に在らしむ可し」(18900306)成跡、損毛、竊に 136「明治二十三年度の歳計豫算」(18900307)知る可らず、喙を容る、鄙見 137「東京市區改正」(18900308)直段、氣の毒、鄙見、扨 138「農商務省」(18900319)冀望、知る可らず、ならんなれども、竊に、扨 139「外資輸入」(18900326) 冀望、知る可らず、扨 140「博覽會に商賣氣なし」(18900426) 視做す、直段、扨 141「政黨以外の政黨」(18900505) 冀望、然りと雖ども、扨 142「備荒儲蓄金運用の方法」(18900508)成跡、穎敏、愈愈、扨 143「商業上の國是、英吉利の事例」(18900513) 輻輳、愈愈、扨 144「撰擧騷ぎ」(18900521) 喙を容る、愈愈、扨 145「國會開設後の内閣」(18900528)三五、知る可らず、愈愈、鞏固、扨 146「法律の始末」(18900609)冀望、ならんなれども、竊に 147「法律の始末よりブールスに論及す」(18900610)知る可らず、竊に、恊議 148「蓋ぞ之を内に求めざる」(18900614)知る可らず、眞成、竊に 149「論爭の順序」(18900618)際限ある可らず、駁撃、然りと雖ども 150「日秘鑛業會社の失敗」(18900620)然りと雖ども、知る可らず、氣の毒、損毛 151「須らく無學なる可し」(18900711)惑溺、知る可らず、繁多、扨 152「二重の撰擧權・輿論は如何」(18900731)繁多、然りと雖ども、偏頗、扨 153「衆議院の議事」(18900802)知る可らず、眞成、宿昔青雲の志、扨 154「重ねて大坂米商會所」(18900825)成跡、知る可らず、恣にする、鄙見、ならんなれども、扨 155「凝る勿れ」(18900910)氣の毒、扨、竊に 156「壯士を如何せん」(18900920)(注30)憂患、彷彿、然りと雖ども、竊に、王政維新 157「土耳其に使節を遣て條約を訂結す可し」(18900930)頴敏、氣の毒、然りと雖ども、扨 158「國情發表の手段を講ず可し」(18901004)繁多、愈愈、偏頗 159「勤儉政略」(18901027)際限ある可らず、鄙見、竊に、看做す 160「生絲賣るべし」(18901112) 損毛、竊に、扨

明治二四年

161「明治二十四年一月一日」(18910101) 竊に、恐惶、扨 162「擧動を謹む可し」(18910113)知る可らず、ならんなれども、男子の事にあらず、王政維新、扨 163「議會の責任」(18910117)冀望、知る可らず、竊に、扨 164「政府の覺悟如何す可きや」(18910216)知る可らず、愈愈、竊に、扨 165「商安を如何せん(昨日の續)」(18910223)知る可らず、ならんなれども、扨 166「六百萬圓の剰餘金」(18910326)ならんなれども、恊議、恐惶、扨 167「機を見て先づ自から節減す」(18910407)氣の毒、ならんなれども、竊に 168「尚商時代」(18910411)冀望、在昔、鄙見 169「牧羊業」(18910422)成跡、損毛、然りと雖ども 170「伊藤内閣も亦見る可きものあり」(18910423) 知る可らず、眞成、扨 171「ビスマルク侯議員に撰ばる」(18910424)知る可らず、竊に、恊議 172「政黨内閣の準備」(18910426) 知る可らず、眞成、扨 173「松方内閣と條約改正」(18910523)成跡、ならんなれども、竊に、扨

先にも書いたように、直筆らしき社説はこれ以外にもある。「衛生の進歩」(18891120)はそうしたものの一つである。『修業立志編』に収められながら初出不詳だった本作は、今回の作業でその出典は明らかとなったものの、編中の福沢語彙は冀望一語だったため上記リストからは洩れている。ともあれ、起草者語彙の選定がより洗練され、さらに文体による判別方法が確立されれば、今後その精度を高めることが可能となろう。

付記

本報告は日本学術振興会平成二五年度科学研究費補助金(研究種目:挑戦的萌芽研究、課題番号:25580020)、課題名「福沢健全期『時事新報』社説起草者判定」の一部である。

脚注

(1)

『時事新報』論説のじっさいの起筆者を推定する試みを提唱した井田進也の方法である。井田は中江兆民の無署名論説の判定での方法を福沢のものにも応用し、井田メソッドとでも言うべきものを確立した。関係論文は『歴史とテクスト―西鶴から諭吉まで』(平成一三年一二月・光芒社刊)で読むことができる。

そこで井田メソッドとはおおよそ以下のような方法である。まず(1)『時事新報』に無署名論説を書いた可能性のある社説記者の署名入りの文章を集め、その人ならではの語彙や表現、さらに文体の特徴をよりだす。ついで(2)無署名の社説と特徴を比較することでもともとの起筆者を推定する。さらに(3)福沢の書きぐせと一致する部分を探して福沢の添削の程度をみる。最後に(4)福沢の関与の度合いに応じてAからEまでの五段階評価をおこなう、というものである。

そのランキングの基準はおおむね以下の通りである。

  • A全面的に福沢の語彙データと一致し、表記および文体の特徴や言い回しに福沢とかけ離れた部分がないもの。福沢自身が起筆しそのまま掲載された文章と考えられる。
  • B全面的に福沢の語彙データと一致するものの、表記および言い回しに福沢とは異なる点が見られるもの。演説筆記は速記者の表記の特徴がでてしまうし、口述筆記で成された論説も同様のことがいえよう。
  • C大部分は福沢と一致するものの一部異なる語彙も用いられ、福沢が使わない表記や言い回しが現れるもの。
  • D一部分は福沢と一致するものの語彙に不自然なところがあり、福沢が用いない表記や言い回しが現れるもの。
  • E福沢の語彙データと全面的に一致せず、表記及び言い回しが不自然なもの。記者の単独起筆で添削も加えられていない文章である。
(2)
URL https://blechmusik.xii.jp/d/hirayama/ なお、本報告作成に際して報告者はテキスト化した社説を同一フォルダに入れて語彙検索を行ったが、本サイトのサイト内検索機能によってもほぼ同じ操作が可能である。
(3)
「石河幹明入社前『時事新報』社説の起草者推定―明治一五年三月から明治一八年三月まで―」静岡県立大学『国際関係・比較文化研究』第一三号第一号(平成二六年九月刊行予定)。
(4)
拙著『アジア独立論者福沢諭吉―脱亜論・朝鮮滅亡論・尊王論をめぐって』(平成二四年七月・ミネルヴァ書房刊)一八八頁。
(5)
掲載日をアラビア数字八桁で示す。同日に二編あるときは、-1、-2を付記して区別する。本報告では社説の題名とそこで使われている語彙のみ旧字体とする。
(6)
URL http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_tbl.php なお本サイトを学術研究に利用することには慎重であるべきとの見解もあり得るが、こと語彙の抽出を目的とする限りは一定の目安にはなるというのが報告者の立場である。
(7)
『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』(平成一八年七月・高文研刊)Ⅰ「平山洋『福沢諭吉の真実』の作為と虚偽」(六八~一一八頁)、Ⅱ「井田進也『歴史とテクスト』の杜撰と欠陥」(一二〇~二〇九頁)、Ⅲ「日清戦争期の福沢諭吉―平山洋による「井田メソッド」の欠陥の拡大再生産」(二一二~三二四頁)。
(8)
「福沢諭吉の朝鮮問題―「文明主義」と「義侠心」をめぐって」、寺崎修編『福沢諭吉の思想と近代化構想』(平成二〇年一月・慶応義塾大学出版会刊)所収(第三章)。
(9)
『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集―「国権拡張」「脱亜」の果て』(平成二二年一〇月・明石書店刊)、解説「福沢諭吉と朝鮮・中国・台湾」(三二四~三八三頁)。
(10)
「研究文献案内―二〇〇七年から二〇〇八年へ―」『福沢諭吉年鑑』三五(平成二〇年一二月・福沢諭吉協会刊)一九七・一九八頁。「研究文献案内―二〇一一年から二〇一二年へ―」『福沢諭吉年鑑』三九(平成二四年一二月)一五五~一五七頁。
(11)

『アジア独立論者福沢諭吉』一二〇頁。

ここで報告者が無署名論説を区分する場合に用いるカテゴリーとは、

  • Ⅰ福沢がすべてを執筆した「福沢真筆」
  • Ⅱ福沢が立案して社説記者が下書きをし、さらに福沢の検閲を経た「福沢立案記者起稿」
  • Ⅲ記者の持ち込み原稿を福沢が添削を施した「記者立案福沢添削」
  • Ⅳ全面的に記者が執筆して福沢はまったく関与していない「記者執筆」

の四つのことである。

なお社説のカテゴリー分類については、竹田行之による以下の先駆的研究がある。「〔解題2〕「時事新報論集」について」『福沢諭吉年鑑』二二(平成七年一二月)二五~二八頁。

(12)
平成一六年八月、文芸春秋社刊。
(13)
『アジア独立論者福沢諭吉』の第一一章「『時事新報』の論調は、対アジア強硬論一辺倒か」の6「杉田聡は井田メソッドの達人である」および7「杉田の石河へ抱く盲目的愛は、安川のそれよりもなお深い」(二七三~二八二頁)を参照のこと。
(14)
「石河幹明が信じられない三つの理由―『福沢諭吉全集』「時事新報」の信憑性について」『アジア独立論者福沢諭吉』第一五章。
(15)
「『時事新報』の「我輩」たち」『アジア独立論者福沢諭吉』第七章・第八章。
(16)
「『時事新報』初期の社説の著者推定」『三田図書館・情報学会研究大会発表論文集二〇〇七年度』五七~六〇頁。また安形輝「圧縮プログラムを応用した著者推定」『Library and Information Science』五四号(平成一七年三月・三田図書館情報学会刊)一~一八頁。
(17)

本報告が福沢語彙として抽出している語彙は以下の通りである(カッコ内は署名著作における出現回数)。

身躬から(41)、視做す(9)、冀望(22)、在昔(64)、一系万世(2)、然りと雖ども(220)、之を譬へば(13)、果たして然らば(27)、三五(10)、落路(4)、際限ある可らず(2)、決して然らず(83)、會釋に及はず(3)、惑溺(31)、朝鮮政府(1)、支那政府(7)、滿清政府(3)、頴敏(9)、直段(27)、成跡(58)、駁撃(3)、知る可らず(10)、捷徑(1)、氣の毒(99)、官民調和(5)、甲鐵(6)、懈怠(1)、憂患(6)、鬱散(4)、繁多(60)、國事多端(7)、談天彫龍(1)、彷彿(14)、實學(19)、盲目千人(4)、目あき千人(1)、囂々(5)、輻輳(6)、恣にする(15)、喙を容る(31)、懶惰(33)、無妄(8)、信向(14)、閑を偸まん(1)、大機關(6)、扨(320)、坐作(5)、莫逆の朋友(6)、折節(23)、鄙見(10)、慥に(40)、羸弱(1)、妄慢(6)、榮辱(31)、情誼(3)、損毛(4)、緩巖(2)、鼓腹(4)、撃攘(2)、放頓(8)、入組(16)、ならんなれども(31)、屋漏(4)、缺乏(8)、三舎を讓る(5)、眞成(13)、男子の事(4)、穎敏(37)、愈愈(1)、竊に(232)、計較(1)、敗衂(6)、須臾(5)、覿面(1)、宿昔青雲の志(9)、看做す(1)、鞏固(1)、芽出度(1)、偏頗(22)、小心翼翼々(8)、果して然らば(9)、王政維新(60)、維新の革命(2)、恊議(3)、恐惶(1)

これらが福沢語彙であるためには、①署名著作に使用例が存在すること、②福沢を除く起草者が使用していないこと、の二つの条件を満たす必要がある。①については既述のように確認済みであるが、②を確かめるのは容易ではない。というのは、福沢を除く起草者の署名著作(以下非福沢著作)を網羅的に調査するのは不可能であるため、その起草者がその語彙を「使っていなかった」ことは証明できないからである。とはいえ、できるだけのことをするという方針から、非福沢著作として、『中上川彦次郎伝記資料』所収の伝中上川著作、波多野承五郎著『高山彦九郎』(明治二六年)、高橋義雄著『拝金宗』(明治二〇年)、渡辺治著『警世私言』(明治二三年)に上記の語彙が出現するかどうかを調査した。現在のところ報告者が福沢語彙として抽出した用語は発見できていない。

さらに福沢語彙の妥当性を測るため、当該期間の直筆草稿残存社説での福沢語彙の検出状況を以下に示す。

  • 「日本婦人論」(1885060418850612)扨、喙を容る、鄙見、穎敏
  • 「慶應義塾暑中休業に付き演説」(18850731
  • 「教育の方向如何」(18860224)鄙見、眞成
  • 「米麦作を断念す可し(前編)」(18860621)囂々、駁撃
  • 「条約改正会議延長」(18870804)竊
  • 「政略」(18870815)扨、之を譬へば、竊
  • 「読ジャパンメール新聞」(18871127)喙を容る、冀望
  • 「紡績所の絲を如何せん」(18880225)竊
  • 「内閣総理大臣の更迭」(18880501)扨、鄙見、冀望
  • 「富籤法の利用」(18900206)繁多
  • 「救急の一策」(18900323)竊、氣の毒、然りと雖ども、冀望
  • 「世の中を賑やかにする事」(18900324)榮辱
  • 「コレラ防ぎの寄附」(18900811)冀望
  • 「尚商立國論」(18900827)竊、身躬から、扨、眞成、榮辱、成跡、捷徑
  • 「壯士を如何せん」(18900920)憂患、彷彿、然りと雖ども、竊に、王政維新
  • 「諸株式の下落」(18901101)慥に、竊に
  • 「三菱社」(18910923)在昔、扨
  • 「又三菱社」(18910924)之を譬へば、竊に

ここに見られるように、草稿残存の社説に含まれる福沢語彙はおおむね二語程度である。このことは本報告では取り上げなかった福沢語彙一、二語を含む社説中にも直筆のものが含まれていることが示唆されている。

(18)
韓廷・清廷・呑噬・覆車、の四語彙とする。『アジア独立論者福沢諭吉』一四三頁。
(19)
尠らざり・輙く・択ばず・言做す、の四語彙とする。『アジア独立論者福沢諭吉』一七二、一七三頁。
(20)
猖獗・鏖・万世一系・不俱載天、の四語彙とする。『アジア独立論者福沢諭吉』一七九~一八四頁。
(21)
軈て・惧れ、の二語彙とする。『アジア独立論者福沢諭吉』一八九頁。
(22)
当該期間の主たる社説起草者の一人だった高橋義雄については、高橋固有の語彙を抽出することはできなかった。
(23)
「己れを知らざる者は危し」(18850722)。福沢語彙は朝鮮政府の一語彙のみ。
(24)
「佛國内閣の更迭其影響如何」(18850403)、「仏清の和議、支那の幸不幸」(18850415)、「支那の新立銀行は日支の貿易に関係あり」(18870827)〔本社説は中上川寄稿か〕。
(25)
そのうち冀望・支那政府・知る可らず・鄙見、の四福沢語彙が使用されている「佛國内閣の更迭其影響如何」(18850403)には同時に清廷(中上川語彙)が使用されているため中上川起筆福沢添削と判定する。
(26)
明治二二年二月二日付日原昌造宛書簡(全集第一八巻二七七頁)。
(27)
本社説は読者からの投書の形式をとっているが、実際は福沢の作であると推測する。
(28)
本社説は全集未収録の署名著作『修業立志編』(明治三一年四月刊)に収められている。従来初出不明だったが、本研究により明らかとなった。報告者はかつて本社説を北川礼弼の執筆と推測(「なぜ『修業立志編』は『福澤全集』に収録されていないのか?」石毛忠編『伝統と革新―日本思想史の探求』平成一六年ペリカン社刊)したが、この時期は北川入社前であるので、福沢直筆の可能性が高まった。
(29)
本社説も『修業立志編』所収で初出不明だった論説である。
(30)
本社説には直筆草稿が残存している。@17参照。