「名分を競えば殺戮となる」

2013-10-28

このページについて

平山氏から2013 年 10 月 4日から6 日まで愛媛大学(城北キャンパス・愛媛県 松山市)で開催された 日本倫理学会第64回大会での共通課題「倫理学は生き方の指針を与えることがで きるのか」(10 月 6 日(日) 13:00 ~ 17:00) での発表原稿とプレゼンテーション資料が届きましたので、公開します。 なお、この共通課題は高橋文博(元岡山大学)、蔵田伸雄(北海道大学)両司会 の進行により、 奥田 太郎(南山大学)、平山洋(静岡県立大学)、寺田俊郎(上智大学)の3名 の課題発表をめぐって 議論がたたかわされた、とのことです。

資料

配布ファイル

プレゼンテーション資料
131006日本倫理学会プレゼン名分を競えば殺戮となる.ppt

テキスト版プレゼンテーション資料

名分を競えば殺戮となる

1-1 倫理学は生き方の指針を与えることができるのか

(1) 本大会の共通課題は、「倫理学は生き方の指針を与えることができるのか」というものです。この課題は、実践哲学としての倫理学が、もし実践的であるとすれば、それはどのような意味においてであるか。また逆に、もし実践的でないとするならば、倫理学を名乗ることにどんな意味があるのか、そうしたことを問おうとしているように思われます。
 この問いに対する私の答えは、大会報告集の予稿の「はじめに」にある通りです。すなわち、倫理学とは善と悪という二つの概念を用いて人間の行動規範を探究する学問です。だから倫理学者は、善悪の区別を求めるべく、常に何らかの活動をし続けなければならない。知ろうとする活動そのものを生と呼ぶならば、倫理学は人の生き方に指針を与えるといってよい。つまり提題者に与えられた第一問「倫理学は生き方の指針を与えることができるのか」に対する答えはイエスです。
(2) こう答えたところで、その内容に入る前に、予稿では触れていない、「エシックス」と「倫理学」に関する言葉の問題について指摘しておきます。
 私は大学の学部ではカントを初めとする西洋倫理学を、大学院では日本思想史を学んだせいなのか、西洋語での「エシックス」と、漢語として表現される「倫理学」との間に、ある種のニュアンスの差があることに前から気づいていました。
 それがどのようなニュアンスの差かといえば、西洋的な「エシックス」も漢字による「倫理学」も、ともに実践哲学であるという点では同じですが、「エシックス」には、日々日常における行為の選択に善悪のけじめをつける、という意味がより強く含まれているのに対して、漢字による「倫理学」では、行為の選択というよりも、正しい政治的立場の選択、が含意されているように思われるのです。
 どちらの立場に近いところに立脚しているかは、人によりけりですが、配布された大会報告集の共通課題に関する四つの文章を読み比べるなら、おのおのの専門分野によって、そのニュアンスの差は見て取れるように思われます。すなわち実行委員長の高橋会員と私が日本思想を主たる研究対象とし、奥田・寺田両会員が西洋思想を研究対象としているのですが、同じお題へのリアクションの差、という点から検討すると、高橋会員による、<倫理学における「生き方の指針」に関する問い>という言明に対して、奥田会員は、<社会における個人の「生き方」>の追究を想起し、私は<幕末水戸藩の天狗党の乱>を想起し、寺田会員は<哲学的対話を通じた共同の探求>を想起しています。なぜこんなにも違うのか、とりわけ私のリアクションについては、と多くの人は思うことでしょう。
(3) 私の思うところそれは、日本を専門とする者が、漢字の「倫理」が意味するところからこの問いに答えようとすると、無意識のうちに儒学における「倫理」を基準にしてしまうから、なのだと思います。すなわち、儒学では、まず前提として「五倫五常」が説かれています。そのうち五倫とは、「父子の親」(父と子の間は親愛の情で結ばれなくてはならない)、「君臣の義」(君主と臣下は互いに慈しみの心で結ばれなくてはならない)、「夫婦の別」(夫には夫の役割、妻には妻の役割があり、それぞれ異なる)、「長幼の序」(年少者は年長者を敬い、したがわなければならない)、「朋友の信」(友はたがいに信頼の情で結ばれなくてはならない)の五つです。ちなみに五常とは、五倫を実現するための五つの徳性のことで、仁、義、礼、智、信、がそれらです。つまり、漢語で「倫理」というと、そこには必然的に「君臣の義」が含まれてしまうのであり、その出発点は、社会における個人のありかた、などというニュートラルなところにはないのです。
(4) その点の齟齬については、私の予稿の9頁上段第2段落にも記した通りです。「水戸学など倫理学ではない!」という立場も当然あり得るでしょう。しかし、水戸学者たちは、当事者の意識としては、漢字による「倫理」を極めようとしたのであり、西洋倫理学を基準とする見方からはたとえばかげていようとも、本人たちは大まじめだった、ということは、忘れてはならないことです。
 予備的説明はここまでにして、私がイエスと答えた「倫理学は生き方の指針を与えることができるのか」の内容を、予稿に即して説明します。それは主として予稿の一「水戸学の伝統と天狗党の乱」および二「郷校出身者と藩校出身者の反目」が扱っています。
 そこでまず水戸学というのは、一の第2段落にあるように、水戸藩の二代目藩主光圀が始めた『大日本史』編纂事業と、それに付随して展開された歴史学・倫理学・政治学の研究のことをいいます。光圀が生きていた時代から18世紀末までのおよそ100年間を、歴史学を中心とする前期水戸学の時代と呼びます。
 テレビドラマの『水戸黄門』で、光圀は何のために漫遊しているのかよく分かりませんが、実際は『大日本史』のための史料を収集しているものと思われます。ただし光圀自身が現地に赴いたという記録はなく、家臣である佐々助三郎と安積格之進を派遣していたのでした。この二人の歴史学者が助さん格さんのモデルです。
(5) 現実の水戸藩は、ドラマに描かれているような牧歌的な場所ではありませんでした。その理由は、藩士・有志領民間に歴史解釈上の対立が生まれてしまったからでした。というのは、史書編纂の方法として「名分論」の立場をとっていたために、過去の歴史的事実のすべてについて、倫理的な意味での「正しさ」と「間違い」の判定をしなければならず、その判定の結果が、将来の行動を縛ることになったからです。その具体例は9ページ上段の第3段落にあるようなことで、過去の評価がいちいち現在の解釈者相互の対立を生み、その対立が藩内派閥を作ってしまったのでした。
 藩内派閥のもっとも大きな枠組みが、以下に述べる郷校出身者を中心とする後の天狗党と藩校弘道館出身者を中心とする後の書生党でした。それは二「郷校出身者と藩校出身者の反目」にあるとおりです。19世紀に入って外国船が近海に出没するようになり、また、会沢正志斎や藤田東湖といった希代のアジテーターが出現して、水戸学の中心が歴史解釈から政治的行動論へと変質します。このあり方を後期水戸学と呼びます。
 1829年に藩主に就任した九代藩主斉昭(1800~1860)は農村重視と積極的な人材登用の政策をとることで領民と下級藩士の意欲を引きだそうと試みます。そうした政策の一つが、藩内各地域に郷校(寺子屋の上に位置する中等教育機関)を設置することでした。郷校で目覚ましい成績を収めれば郷士から藩士への取り立てもあるという方針で、その経路で昇進した者は熱烈な斉昭崇拝者となりました。郷校の教育方針は知行合一、すなわち正しいと信じていることは行動に移さねばならない、というものでした。その出身者が躊躇なく大老暗殺というテロリズムを実行したのは、彼らが受けていた教育の成果だったのです。
 さらに斉昭は別に高等教育機関も作っています。それが1841年設置の藩校弘道館です。水戸城内に建設され、医学所も付属していた弘道館は、漢学・和学・洋学・医学・武道を学べる総合大学だったといえます。そこで学んでいたのは主には藩の実権を握っていた上士階層の子弟でした。弘道館の教育方針は恭幕攘夷・知先行後で、先ずは水戸家出身の慶喜を将軍にして、その指導の下尊王も攘夷も実施すればよい、とおっとり構えていたのでした。
 ここまでが、第一問の前半「倫理学は生き方の指針を与えることができるのか」に対するイエスという答えの中身です。近世の末期にあって、郷校においてにせよ、藩校弘道館においてにせよ、水戸学はそれぞれの学校で学んだ人たちに生き方の指針を与えています。その結果どのような事態が招来したか、それが第一問の後半「指針が与えられるとして、そうすべきか」の答えとなります。

1-2 指針が与えられるとして、そうすべきか

(6) この点についての私の答えは、ノーです。その理由は、予稿の「三、桜田門外の変・天狗党の乱・弘道館戦争」にあります。
 弘道館出身者と郷校出身者は、朝幕関係に矛盾が生じるまでは、ある種の緊張をはらみながらもともに藩務に従事していました。ところが1858年6月に井伊大老が日米修好通商条約を勅許の得られないまま締結したことで、書生党(弘道館出身者)と天狗党(郷校出身者)に分裂してしまいます。すなわち条約締結の後、朝廷は水戸藩に「戊午の密勅」なるものを出して井伊大老の行動を批判したため、その勅に忠実であろうとした天狗党は、あくまで幕府に恭順していた書生党指導の藩庁へ公然と反抗し始めたのでした。
 1860年3月に井伊大老が暗殺されて後は、水戸藩書生党政権は幕府の犯人追及に協力し、自藩の人々を処刑場に送ります。こうして一度は書生党に押さえ込まれた格好となった天狗党ではありますが、1864年に転機が訪れます。3月、藤田東湖の息子小四郎は、幕府に即時鎖港を要求するため筑波山に結集、将軍家茂と禁裏守衛総督慶喜が滞在していた京都へ進軍する動きを見せます。ただし、水戸領内での戦闘で足止めされた天狗党員約1000名が京都に向かったのは7月の禁門の変後の11月で、藩内に留まった一部は天狗党政権を樹立するため書生党藩軍に攻撃を仕掛けたのでした。
(7) 戦闘は幕府軍に加勢された書生党の勝利に終わり、戦死を免れた天狗党員は脱走潜伏した少数を除いて家族もろとも死刑となります。その中には野口郷校館守(校長)の田中源蔵とその弟子たちも含まれています。
 この田中源蔵はなかなか興味深い人物で、郷校で抜群の成績を挙げたため、とくに弘道館に進むことを許され、さらには幕府の昌平校で学んでいます。大変なエリートだったわけですが、望んでいた弘道館の教授ポストに就くことはできず、郷校の校長になって後進の育成にあたっていたのでした。相対的に恵まれない環境にいた人々が、周辺部の学校に学んで、まじめに何をなすべきかを考える、すると導かれる結論は、直接行動主義で、テロリズムによって自らに不利な形勢を一挙に逆転させる、そうした方法しかなくなってしまいます。こうした発想は150年前の水戸藩内だけで起こったことではなく、つい先年のアフガニスタンでタリバンが勢力を拡大する過程でも生じたことのようです。
 田中源蔵は明治維新後名誉回復され、靖国神社に合祀もされましたし、また、80年ほど前には映画にもなっています。維新後名誉回復されたからいいのか、ということはもちろんありますが、浮かばれないのは書生党のほうです。
(8) 慶喜の大政奉還後、1867年12月9日の王政復古クーデターにより尊王攘夷派の名誉が回復されたため、今度は書生党が追討を受ける身となったのでした。1868年10月の弘道館戦争では、書生党はそこに立てこもって抗戦するも敗退し、残党の多くは刑死したのでした。
 これら一連の内紛の犠牲者は、靖国神社に合祀されたことで人数が判明している天狗党員が1785名(内死刑が約500名)、最終的に朝敵となった書生党員の死者は確定できないものの、ほぼ同数と思われます。合計すると藩の全人口の約1パーセント、武士階層に限れば10パーセントが戦死ないし処刑されたことになります。こうして明治維新を迎えた水戸藩には、もう見るべき人材はいなくなってしまったのでした。
 注意しなければいけないのは、この大殺戮が、突き詰めて言えば、「正しく生きること」というすぐれて倫理的な問題を巡って行われたということです。そのそもそもの原因は、元はといえば郷校・藩校の教師たちが、それぞれに自らが正しいと考える主義を声高に主張し、教え子たちを直接行動に駆り立てたためでした。内輪同士の抗争で、これほど大量の犠牲者を出した藩はほかにはありません。
 今となって考え直すならば、弘道館であれ郷校であれ、教師たちは自らが「正しい」と信じることを、あくまで個人の見解として表明するに留めておけばよかったのです。その場合天狗党は組織化されることはなく、葛藤は他藩と同様小規模な衝突で済んだことでしょう。
(8) 以上が、「倫理学が生き方の指針を与えることができるとして、それをどこまでも突き詰めるべきか」の答え、すなわちノー、の説明です。倫理学は生き方の指針を「自らに」与えることはできる、しかし「他者に」それを与えるべきではない、というのが後期水戸学の悲劇とでもいう事態から得られた教訓なのです。

2 倫理学は、大学教育において、いかなる役割を果たし得るのか

(9) では、1のようなことだとして、倫理学は大学教育において、いかなる役割を果たしえるのか、について考えを進めましょう。この点については、予稿では触れておりませんが、すでにここまで話したことで相当程度示唆はされていると思います。簡単にいえば、妙な義務感をもって自らが学んでいる学問分野、すなわち倫理学の役割について世間様にアピールなんてするもんじゃない、ということです。
 カリキュラム上、哲学または倫理学の必修化は必要と考えますが、それ以上に何かしなければならない、とは思いません。必修化が実現されるだけでも、1991年のカリキュラム自由化以前の状況に戻るわけだから、専任教員のポストの増加に結びつくかどうかは未知数でも、非常勤のコマ数は増大するはずです。大学教育において、倫理学が果たす役割は、その程度であってかまわないと思います。
 もっと大きな役割を果たすべきだ、という考えもありましょう。しかし大学という制度全体から見て、私の見るところ、倫理学の置かれている状況は、大きくもまた小さくもない、ちょうどいい大きさだと考えています。倫理学者は、医師でも、カウンセラーでも、宗教者でもないのですから、それぞれの分野の専門家が担っている役割を奪う必要はないでしょう。
 だいたい、大学生なのですから、すでに対象は18歳以上となります。いまさら正しい道徳意識を身につける、という年齢ではないでしょう。悪党はとっくの昔に悪党になっているはずで、性根を正すことなど、まあ無理なことです。鉄は熱いうちに打て、といいますから。つまり、大学で倫理教育をより充実させたところで、正しい人間を作る、などという実用的見地からの効果など、まったく望めないのです。
 倫理学が実用的見地から効果が見込めないから無意味だ、という批判には次のように答えるのがよいと思います。すなわち、倫理学が学問であるかぎり、それは分析的・批判的なものであって、何か正しい倫理を提示するものではない、その役割は、それぞれの個人が自分の責任で導き出すことでしょう、と。私自身の考えは水戸学者とは違うのです。
 倫理学は役にたたない。まったくその通りだ。しかしそうした学問分野は、他にも数多くあるのです。たとえば、天文学はどうでしょうか。「百万光年の彼方から、『今異星人の攻撃を受けているので助けてほしい』という連絡がはいる。地球上の天文学者は、『分かった、すぐに助けに行く』と返信する。しかし考えてみると、その救難信号が発せられたのは100万年前、そして地球からの応答が届くのは100万年後となります。一回の交信が往復する間もなく、両文明とも滅びているに違いありません。天文学とはそれほどのものなのに、果たして意味はあるのか」、ということも言うことができます。私自身の答えは、もちろん意味はある、なぜならそれは真理を探究する営みだから、です。それに倫理学には天文学の研究ほどにお金は必要ないのです。この点は、天文学に対する倫理学の優位性の一つとなりましょう。
(10) さて、私の発表の前半部は、およそ150年前の水戸藩で繰り広げられた倫理論争とその顛末、つまりは内戦についてでした。
(11)今度は目を転じて、未来の世界について考えたいと思います。倫理なき世界に倫理学はどんな意味を持つのか、ということについてです。そのことについて考えるために扱う素材は、二つの映画です。一つ目は、あまりに有名な映画『ブレードランナー』を素材とします。
 この映画に登場するレプリカントと呼ばれるアンドロイドは、生物学的には人間と区別できず、VKテストという心理判定テストでやっと区別できるという設定です。この高性能アンドロイドネクサス6型は2010年代に製造されたことになっているので、ちょうど今頃どこかで造られていることになります。
(12)ではその映画でのVKテストのシーンをごらんいただきましょう。 
(映画が終わって) わたくしごとになりますが、今を去る31年前の9月、大学一年の夏休みにこの映画を見て、休み明けに、先日亡くなった小松光彦先生の1年生向けのゼミで、「人間とアンドロイドを区別する根拠はどこにあるのか」という問題について話し合った記憶があります。あれから31年が経過したとは、とても信じられないことです。そもそも、人生自体が長い夏休みのようなものなのかもしれません。始まったと思ったら、もう終わろうとしている。そして、その間、いつ勉強したのかまったく思い出せない、という点において。
 話を元に戻して、先ほど倫理なき世界、といいました。この映画の中で、人間とレプリカントを区別するのはVKテストという心理判定テストということになっています。そこでの問いは、対象者の神経を逆なでする内容が含まれているだけで、道徳的な善悪について聞くものは含まれていないのです。また、レプリカントを追い詰める、人間であるはずのブレードランナーは、道徳心に欠けた存在で、女性レプリカントを背後から射殺するのにも躊躇しません。いっぽうレプリカントのほうがより人間的であるように描かれているのが、この映画の見所の一つとなっています。私は人間が心を失い、アンドロイドが心を獲得する、というのが、この映画のテーマであると考えています。
(13) こうした世界において倫理学者の存在価値はどこにあるか。そのことについて私の見解を述べる前に、もう一つの映画を紹介しましょう。
 もう一つの映画は、ぜんぜん知られていない、『アルカディア』という短編映画です。その設定はこうです。物語は近未来の荒廃した街、親子関係さえピリピリしたものになってます。朝、息子を起こしにいくのも母親は完全武装です。ヘタをすれば機嫌を損ねた息子に撃ち殺されてしまうかもわからないからです。ピリピリした、父、母、子、3人の朝食を済ませた息子が向かったのは、荒廃した街にあるゲームセンターです。この息子(ギャビン)が始めたのは「シューティングゲーム」に似た、でも全然逆のゲームでした。それは、いかに引き金を引かずに我慢できるか、というゲームなのです。このゲームをかりに、「ノットシューティングゲーム」と呼ぶことにしましょう。このゲーム機の画面には、挨拶する人、郵便局の受付係、警察官などなど、だんだんレベルが上がっていくにつれ、こちらを苛立たせるようなことを言ってきます。それに対して、なんとか引き金を引かずにギャビンは最高得点をたたき出します。
(14)ではそのシーンをどうぞ。
(映画が終わって)わずか12分の作品で、ついに普通の道徳的対応を身につけた息子のギャビンを母親が迎えに来て、あるオチがあって終わる、という作品ですが、ともかく皮肉たっぷりの映画です。ユーチューブにありますので、ぜひご覧ください。
(15) さて、倫理なき世界にあって、倫理学者は果たしてどんな役割を果たすことができるか。勘の鋭い聴衆の皆さんは、もううすうす気づかれたことでしょう。倫理なき世界になってはじめて、倫理学者はその専門性を発揮できることになるのです。すなわち、『ブレードランナー』では、誰が人間で、誰が非人間であるかを判定するテストの設問者として、『アルカディア』では、ノットシューティングゲームのデザイナーとして、たいへん値打ちのある仕事をする機会が与えられるはずなのです。
(16) ぜんたいに、世間から尊敬されることがまれな大学教員の世界でも、倫理学者はとくに尊敬されることが少ないように感じられます。その理由ははっきりしています。何が善で、何が悪かについて考えている割には、本人が正しい人生を生きているようには見えない、まずはその点にウサンクササがついてまわる、ということです。
 それに、倫理的な課題の解決というのは、精緻な推論とか天才的な発想などから導かれるものではなく、なんとも常識的な、落としどころ、に着地しがちなので、これだけやって、それだけか、という素朴な感想が抱かれがちなのです。法律や医学については専門家が存在するのに、倫理自体の専門家はいない。倫理的課題については、だれもが平等な地点から自分の意見を述べることができる。となれば、専門家としての倫理学者というのは、かなり怪しげな存在で、本当は、倫理学説の専門家なんじゃないの、となります。
(17) しかし倫理なき世界がくれば、そうではなくなるのは明らかでしょう。そのときこそ、倫理学者は、他の誰も知らない倫理という概念自体の専門家となり、VKテストやノットシューティングゲームの製作者として、尊敬を受ける存在となるはずなのです。これぞ家元の特権です。私たちは生まれてくるのが早すぎた、ということなのです。