「第七十五議会に於ける斎藤問題の真相」

2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』01ページから18ページに掲載されている、「第七十五議会に於ける斎藤問題の真相」(1940-04執筆)を文字に起こしました。

本文

一、序言

昭和十五年春、第七十五議会に於て政府に対し、支那事変処理に関する余の質問演説が因となりて、院の内外に一大風波を巻き起し、政治上の大問題となりたることは世間周知のことであるが、此の事は決して余一人の身上に関する問題にあらずして、実に帝国憲法に依りて保障せられたる議会の権能に関する大問題であるから、後世我が国の議会史に筆を執る者は、必ずや此の問題に論及せざるものなかるべく、而も事実を事実として真の事実の上に議論を構成することは筆者の自由であるが、若し万が一にも事実の真相を誤り、誤りたる事実の上に正邪曲直の論断を下す如きことがあるならは、議会政治の為め遺憾此の上ないことであるから、余は余自ら接触したる事実及び感想を有りの儘に述べて、後世史家の資料に供して置くことは、余が生存中に為さねばならぬ責任であると思う。 是と同時に若し余の述ぶる事実と感想に対して苟且にも誤りがあるならば、世間何人と雖も其の誤りたる事実を指摘して、之を訂正せらるることを望むのである。

二、質問演説を為すに至りたる事情

質問演説は主として支那事変処理に関することである。 支那事変の起因とそれまでの経過に付ては茲に述ぶるの必要はないが、何れにするも此の事件は、我が国に取りては建国以来の大事件であって、此の事変が如何に処理せられ解決せらるるかは、実に帝国興廃の岐るる所である。 従って今日、我が国の内外政治の悉くが此の事変を中心として動いている。 而して事変以来二年有半を経過し、此の間に於て国家としても亦国民としても、是が為に払いたる生命、自由、財産其の他一切の犠牲は実に名状すべからざるものがあるが、一体此の事変は今後何時まで続くものであるか。 又如何に処理せらるるものであるか。 政府や軍部には見透しが着いて居るかも知れぬが、我々国民には全く判らない。 我々に判らないぐらいであるから一般の国民に分る訳はなく、全国民は実に不安の念に打たれて居る。 それ故に議会が開けたならば、此の大問題に付て政府と議員との間に徹底的に質問応答が重ねられ、議会を通して政府の所信を国民の前に明らかにせねばならぬ。 此のことは国民を代表して議会に立つ我々の重大責任であるのみならず、全国民は熱心に之を希望して、議会の開くのを待ち設けて居るように見える。 現に余の手許にも全国各地の見ず知らずの人々から特に書面を寄せて、質問演説を懇請して来て居る者も少くはないと云う有様である。 然るに議会の情勢を見渡すと、実に情けないことには何れの議員も政府殊に軍部方面の圧力に辟易し、進んで此の重大問題に触れんとする者なく、却て之に迎合媚態を呈して、何か自ら為にせんとする者も相当多数に見受けられるのであって、憲法上の独立機関として国民を代表し政府を監督し鞭撻する議会の機能を行使する上に於て、実に遺憾に堪えないものがある。 と同時に余の如きも自ら顧みて其の責任の重大なることを痛感せずには居られなかった。 茲に於て余は及ばずながら自ら起って、此の問題に付いて質問すべく決心し、議会召集後此の旨を所属民政党の院内主任総務に通告した。 然る所は町田総裁は元来斯かる質問や議論を好まない。(注1) 彼は、事変以来、政府から内閣参議と称する地位を与えられて居る関係もあらうが、常に国論の一致を図るとか、政府の国策に協力するとか種々の口実を設けて党員が時局問題に付て議論することを痛く嫌って居る。 従って余の質問に付ても所詮同意せざるのみならず、何んとかして之れを阻止せんが為に院内総務等に其の意を通じたれども、遂に党内の大勢を動かすことが出来ず、余も亦之に頓着する所なく、敢然として質問演説をなすべく決意したのである。

斯くの如くにして余が質問演説をなすことが決まると、政府側に於ても相当気に懸けたものと見えて、両三日前に陸軍政務次官が余を訪問し、質問の趣旨を聞かせて呉れと懇請したから、喜んで之に対応して、大要次の如き意味を述べて置いた。

余が事変処理に付て政府に質問せんとするのは、決して政府を攻撃するとか、又は追及するとか、斯様なる考えは毛頭抱いて居らぬ。 併し考えて見玉え。 今日まで事変は二年有半続いて来たが、今後如何に続くものであるか。 又如何に之を処理せんとするのであるか。 我々にはさっぱり判らない。 我々にすら判らないのであるから一般国民に判る訳はない。 判らないから国民は非常に不安の念に打たれて居る。 是は今後事変を進行するに当りて、決して策を得たるものでなく、政府の為にも取らざる所であるから、政府は議会を通じて国民に理解出来るよう事変処理に関する政府の方針を明かにするが宜い。 尚お此のことは、啻に我が国内や支那に対してのみならず、広く全世界に対して堂々と政府の大方針と大決心を闡明することが必要ではないか。 余は此の機会を政府に与えるが為に極めて好意的に質問するのであるから、政府も其の考へを有して貰いたい。 固より政府としては、軍事、外交其の他の各方面に互り、公開の壇上に於て述ぶることが出来ないこともあるに相違ないから、斯る秘密の事項を述べよと迫るのではない。 述べても差支えないことは此の際大胆卒直に成べく詳細に述べて、議員は言うに及ばず、一般国民の理解を求め、不安を除くことは此の非常時に当りて国民を率いる政府として取らねばならぬ重大なる責務であると思う。 而して余の質問せんとする事項は大要斯く斯くのものであるから、政府は之に対して答弁の用意をして出席せられたい。

政務次官は質問の大要を手記して居られたから、余の考えは必ず政府に通じて居たに相違ない。

序に述べて置くが、昭和十五年一月十四日、議会々期中、突然阿部内閣が辞職して、翌日組閣の大命が米内海軍大将に下り、十六日米内内閣が成立した。 是が為に議会は休会して、二月一日開会することになった。 其の日は議場に於て米内首相、有田外相、桜内蔵相、畑陸相、吉田海相の演説に続いて民政党の小川郷太郎氏が登壇して質問演説をなしたれども、相変らず原稿朗読演説であって気魄に乏しく、論旨も亦傾聴すべき(注2)何ものもなくして、一同を失望せしめた。 超えて翌二日、政友会中島派の東郷実氏が是れ亦原稿に目を離さず、終始政府並に軍部に遠慮勝ちなる質問演説をなして降壇した。次に余は登壇して、支那事変処理を中心として約一時間半の質問演説をなして降壇したが、此の演説が院の内外に一大波紋を巻き起して、彼が如き大騒ぎになろうとは夢にも想像しなかったことである。

三、質問演説の大要

質問演説の内容は全部述ぶることも要しないが、其の骨子は次の如きものである。

第一に、政府が支那事変処理に付ては確固不動の方針があると言明して居るところの其の方針は、所謂近衛声明なるものであるが、其の声明中に含まれて居る事柄の、

  • 第一は支那の独立主権を尊重すること。
  • 第二は領土も償金をも要求せざること。
  • 第三は支那に於ける経済関係は日本が独占せざること。
  • 第四は第三国の権益を制限せざること。
  • 第五は内蒙古附近を除く其の他の地域より日本軍全部を撤兵すること

であって、是が事変処理の全部であるやに見受けらるるのであるが、此の声明は事変処理に付て最善を尽したるものであるかどうか。 振古未曾有の犠牲を払いたる事変を処理するに適当なるものであるかどうか。 東亜に於ける日本帝国の基礎を確立し、日支両国間の禍根を一掃し、以て将来の平和を保障するに付て適当なるものであるかどうか。 是等の点に付き詳細に説明せられたい。

第二は、近頃東亜の新秩序建設と云うことが唱えられて居る。 此の新秩序建設と云うことは、独り我が国に於てのみならず、数年前よりヨーロッパに於ても唱えられて居るのであるが、ヨーロッパの新秩序なるものは、元来持たざる国が持てる国に向って領土の分割を要求する。 即ち一種の国際的共産主義の如きもののように思われたが、其の後の実情を見ると、全然反対であって、随分持てるところの強大国が持たざるところの弱小国を圧迫し、迫害し、併呑する一種の弱肉強食であって、実に乱暴極まるものである。 併しヨーロッパのことは措いて問わず、我が国の唱うる所の新秩序建設の内容は如何なるものであるか。 是も近衛声明と之に呼応せる江兆銘の声明を対照すれば、新秩序建設の内容は善隣友好と協同防共と経済提携の三事項に限られて居るが、是が全部であるかないか。 之に対しても其の内容に亙りて詳細に説明せられたい。

第三に、今回の支那事変は世界の平和を確立するが為め戦って居るのであるから、眼前の利益などは毫も顧みない。 是が即ち聖戦であると唱えられて居るが、一体世界永遠の平和などが実際に得らるべきものであるかと云うに過去数千年(注3)の歴史は明かに之を否定して居る。 現に世界の一部である此の東亜に於てすら、我が国は曾て支那と戦いロシアと戦い、其の度毎に東亜永遠の平和を目的として起ち上り、戦争には全勝を占め、平和条約も締結せられたのであるが、之に依りて永遠平和の目的が達せられたかと云うに、之を達することが出来ずして今回支那事変が始まったのである。 然る所が、愈々今回の事変を最後として、東亜の平和から世界の平和を確立することが出来ると云う確信があるか。 斯かる確信が由って生ずる根拠は何処にあるか。 之を説明せられたい。

第四は、近く現れんとする江兆銘の新政府に関することであって、詰り新たに政府として起つ以上は、内に向っては国内を統治するの実力を備え、外に向っては国際義務を履行するの能力を有せねばならぬが、新政府は此の内外両方面の条件を兼備して現わるるのであるか。 次に重慶政府と新政府との関係はどうなるか。 前首相及び政府要路者の中には、両政府は結局合流するものなりとの意見を有する者あるが、前者は徹頭徹尾容共抗日を以て指導精神となし、後者は反共親日を以て指導精神となす。 此の氷炭相容れざる両者が如何にして合流することが出来るか。 次に今後我が国は、一面には新政府の育成と、他面には蒋介石討伐と、此の二つの重荷を背負うて進まねばならぬが、是が我が国力と対照して如何なる関係を有するものであるか。 最後に支那全体を対象として考うるに、今後蒋介石を撃滅し得たりと仮定するも、其の後の支那全体を新政府に於て統一する力ありとも思われない。 然らば支那各地に各種の政権が分立して、互いに軋轢抗争を行うが如きことはないか。 若し斯くの如き形勢を見るに至れば新秩序の建設は全く空名に終るではないか。

第五は、事変以来歴代の内閣が立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政に関して何等の経験もなく、而も其の器にあらざる者を集めて弱体内閣を組織し、国民的支持を欠くから、内外国政に至りて自己の所信を断行するの勇気なく、姑息愉安の一日を弥縫するの事実を指摘し、現在及び将来に向って警告を加えたのである。

質問の骨子は大体以上の如きものであって、演説を終って降壇したる時は五時十分前であった。 而して演説の後半に至りて小会派より二、三の弥次が現われたけれども、其の他は極めて静粛にして、時々拍手が起った。 総理大臣が起って次の如き答弁をなした。

支那事変処理に関する帝国の方針は、確乎不動のものであります。 政府は此の方針に向って邁進せんとするものであります。

支那側の新中央政府に関する帝国の態度は如何、斯う云う御質問であります。 汪精衛軍を中心とする新中央政府は東亜新秩序建設に付きましては、帝国政府と既に考えを同じうして居りまするから、帝国と致しましては新政府が真に実力あり、且つ団交調整の能力あるものであると云うことを期待致しまして、其の成立発展を極力援助せんとするものであります。

其の次に新政府樹立後、是と重慶政権との関係如何と云う御質問でありまするが、新政府が出来上りまして差当り重慶政府と対立関係となると云うことは已むを得ないものと考えて居りまするが、重慶政府が翻意解体致しまして、新政府の傘下に入ることを期待するものであります。

次に国内問題でありまするが、政府は東亜新秩序建設の使命を全うせんが為に、鞏固なる決意の下に断乎時局の解決を期して居る次第であります。 此の興亜の大事業を完成致しまする為には労力、物資、資金の各方面に互りまして戦時体制を強化整理致しまして、国家の総力を挙げて本問題処理の為に綜合集中することが肝要でありまして、是が為に真に挙国一致、不抜の信念に基きまする国民の理解と、協力を得ることが必要であると存ずるのであります。

是が総理大臣の答弁の全部である。 余は総理大臣をして成べく答弁し易からしめんが為に質問事項の錯雑することを避け、是を分類し秩序を整へ、一時間半に亙りて詳述したのみならず、既に前述せる如く余は此の機会に於て支那事変処理に関する政府の態度を堂々として広く世界に闡明しめんと期待して居たにも拘らず、斯くの如き不完全なる答弁を聴くに至りては、一国の総理大臣とも言わるる我が国の政治家が、如何に議会政治に未熱であるかを痛感せざるを得ない。 若し是が欧米立憲国の議会であったならば、総理大臣は斯かる好機会を捉えて最も勇敢に其の所信を披瀝し、以て世界の輿論を動かしたであろうと思われる。 質問事項の中には陸軍大臣も答弁せねばならぬ事項もあったが、黙して一言も答えない。 大蔵大臣が的外れの答弁をなし、最後に興亜院総裁が立ったが、何を言うたか分らず、嘲笑の裡に葬むられた。 此の間僅かに十数分に過ぎずして議長は散会を宣告した。

四、演説後の情況

散会後余は速記課に赴き速記を調べて見たが、別に間違った所はないから帰宅せんとして居ると、議長室より呼びに来たから行って見ると、其の所には小山議長の外に民政党の小泉、俵、小川等の幹部が集まり、演説の影響に付て何か心配顔をして居るように見える。 時局同志会や社民党側から余の演説は聖戦の目的を冒涜するものであると云う如き声明を発表するようである。 幹部等は速記録を其の儘新聞紙に掲載せられることを惧れ、内務大臣に向って掲載禁止の差止を交渉して居るが、内務省側では速記録に掲載せられるならば、之を新聞に掲載の禁止を命令することは出来ないと言うて居る様子である。 余は、今速記録を調べて見たが別に間違った点はない。 併し君等にして何か差支えがあると思う文句でもあるならば、其の部分のみに限り削除、若くは訂正しても構わない。 此の一言を残して帰宅した。 其の夜深更に至り小泉、俵両氏から電話が掛って、是から直ちに拙宅に来て面会したいとのことであったけれども、余は既に床中にあったから之を断った。 翌日早朝両氏が来宅し、昨夜総裁邸にて最高幹部会を開いて協議を重ねたる末、此際事態を拾収する必要よりして、余に離党を勧告したから、余は余の演説は何れの方面よりも断じて非難攻撃などを受くべき点はない。 併し是が為に党に迷惑を及ばし、党が困ると云うならば、理屈の如何に拘らず離党を辞せずと言うて、直ちに之を承諾した。 依て正午登院の上、幹部会と議員総会に出席し、離党の挨拶をなして別室に引揚げたが、当日の院内は是が為に大騒ぎをなして居る。 政友会の中島派及び時局同志会、社民党は懲罰賛成に結束し、政友会の久原派の多数は反対に傾き、民政党は秘密代議士会を開いて協議して居るが、大多数は懲罰反対を表明し、幹部攻撃に激論沸騰して容易に拾収(注4)されそうに見えない。

是等の事情よりして本会議は定刻に開くことが出来ず、各派交渉会其の他種々複雑なる紆余曲折の後、漸く午後九時頃開会して、議長より余を懲罰に付する旨を宣告した。 仍て愈よ懲罰委員会の裁決を俟つことになったが、事の茲に至る裏面の推進力に至りては今は筆にすることを避けるが、仮令之を筆にせざるも知る者は知って居るに相違ない。 結局は除名まで持って行かるるものと思わるる。

茲に一言して置かねばならぬことは、昨夜余が議長室より退出したる後、如何なる事情が起ったかは知らないが、議長は余の演説の約三分の二以上を速記録より削除した。 実に不都合千万なる処置であって、是が為に国民大衆は演説の内容を知らずして、色々と揣摩臆測、怪訝の念を抱き、之に乗じて有りと有ゆる悪宣伝をなして世間を迷はし、或る方面の歓心を得て以て自ら為にせんとする低劣なる政治家其の他群小記者等の蔟出したることを見て、余は実に彼等の不甲斐なきことを痛嘆せずには居れなかった。

尚お又政府は何と考えたか知らぬが、質問演説の翌日の議場に於て総理大臣、陸軍大臣、海軍大臣が更めて戦争の目的を声明した。

総理大臣の声明は、昨日斎藤君の質問に対し政府の所信を明かにしたが、事重大であるから重ねて所信を明確にする。 即ち支那事変処理に関しては、既に決定せられたる確乎不動の方針があるから、此の根本方針に則り強固なる決意を以て時局解決に一路邁進する考である、と云うのであるが、併し是だけのことなら、今日更めて声明するまでもなく、昨日の議場に於て答弁して居るのではないか。 余の問わんとしたる点は、其の言う所の確乎不動の方針の内容が十分に徹底して居らないから、徹底するように説明せよと要求するに拘らず、其の説明をなさずして確乎不動の方針を幾度繰返した所が、それは答弁にも何もなったものではない。 我々は斯かる答弁を以て満足するものでもなく、又世界各国の政治家が之を聞いたならば、恐らくは唖然たるものがあるに相違ない。

陸軍大臣は、今回の戦争の目的は八紘一宇の大理想を顕現するにありて、弱肉強食を目的とする侵略戦争ではないと弁明して居るが、一体誰が今回の戦争を弱肉強食の侵略戦争であると言うたか。 余の演説中には左様なる意味は毛頭含まれて居ない。 尤も演説中弱肉強食なる言葉が二箇所に用いられて居るが、是は決して今回の支那事変を指したものではなく、一は其の当時のヨーロッパ戦争の実情に言及し、独ソ両国が罪なきポーランドを侵略し分割したることを暗示したるものであり、又一は欧米キリスト教国が、国内に於ては常に十字架の前に頭を下げて居るが、一度国家競争に臨むとキリストの信条たる慈善博愛も一切抛げ棄てて、弱肉強食の修羅道に驀進すると論じたのであって、支那事変とは全然関係のないことは速記録が何よりの証拠である。 然るに何の見る所あって斯かる弁明をなすのか分らない。 恐らくは余の演説中に弱肉強食なる言葉が用いられてあるから、是は支那事変を指したるものと即断し、誤解したるより起りたることに相違ない。 それにしても昨日の議場に於ては、余の演説を黙々として静聴し、一言の意見をも述べずして翌日に至り初めて斯くの如き声明をなすのは何の意味であるのか分らない、

海軍大臣は、陸軍大臣と同意見であると述べたに過ぎない。

要するに政府は大分狼狽したように見えるが、余の演説は政府を狼狽させる何物をも含まれて居なかったのである。

五、懲罰委員会の経過及び結果

翌日より懲罰委員会が開かれた。 大変なる騒ぎのようである。 結局除名には決って居るが、其の所まで引付けるが為には、予備工作が必要であるらしい。 最初に議長の出席を求めて、議長が職権を以て懲罰委員会に附する宣告を為したる理由を質したるに対し、議長の答弁は全く茫漠として事実上の根拠を示さず、何のことか一向分らない。 委員長から追及せられて、漸く抹消したる速記録の全部が理由であると答えて居るが、抹消したる速記録には支那事変以外に内政問題に対する質問も大分述べてあるが、是が懲罰事犯の対象となる訳でもなかろう。 更に追及せられると云うと、私の信念の発動であると繰返して居る。 苟くも議長たる者が懲罰事犯を宣告するに当りて、事犯の根拠となるべき事実をも示す能わず、殊に余の言論に懲罰事犯に当るものありと思うならば、何故に注意を加えなかったのであるか。 演説中には一言の注意をも加えず、自ら謹聴して居ながら、後に至って懲罰の宣告をなすと云う如きは全く正気の沙汰とは思えない。 元来此の事件は、初めから懲罰委員会などに附すべき理由のある問題ではない。 それにも拘らず、是が問題となったのは、他に複雑にして且つ隠されたる事実があるのであって、議長は是等の事情に押されて、憲法法律が附与する議長の権能を行使するの勇気がなかったからである。

それから次には、外務省情報部長の出席を求めて、余の演説が外国に及ぼしたる影響を質して見たが、是れ亦取って以て懲罰の資料に供せらるべき何物もない。 一部の人々は、余の演説は軍事・外交に悪影響を与えたなどと吹聴して居たが、何れも自ら為にせんとする悪意の宣伝であるのみならず、却て我が国の軍事外交を侮辱するものである。 余は我が国の軍事・外交が、余の一演説に依って苟且にも支障を来すが如き、左様に薄弱なるものとは思って居ない。 左様に薄弱なる軍事・外交であるならば、余の演説なくとも初めから崩壊するのである。 而して是等懲罰の準備の為に三週間以上の日時を費し、漸く二月二十四日は求められて委員会に出席することになった。 委員会に於ては、最初政友会中島派の一委員より、提出したる七箇条の懲罰理由書なるものを渡されたが、それを見ると驚くべきことには、余の演説とは全然関係のない荒唐無稽、勝手放題の文字が並べてある。 而も此の理由書を提出したる議員は弁護士である。 弁護士であるならば、如何に低級なる頭の持主であるとは云え、裁判の基礎となるべきものは、被告人が犯したる事実である位のことは弁え居るべき筈で、事実を無視して自分勝手に描き出したる妄想などを基として裁判が出来るものではない。 然るに理由書を見ると、余の演説の何処にも現われて居ない空想と妄断が並べてある。 茲に於て余は理由書の全部が余の演説に基礎を置かざる虚妄と誤解であることを指摘して逐一之を粉砕し、更に進んで逆襲的に反問を投付けて提出者の弁明を求めたるも、彼は辟易して一言も之に答うることが出来ない。 答うることが出来ないのは当然である。 元来此の理由書なるものは、提出者自身が書いたものではなく、所謂推進力と称せらるる方面の何者かが認め、闇から現われたる妖怪変化の如きものであるから、白日の下に曝されたならは、消え失せるのは当然である。 殊に怪しむべきことは、元来此の懲罰事件は議長が宣告したるのものであるから、議長が提出する事実理由が委員会に於ける唯一審査の基礎とならねばならぬ。 然るに前述せる如く、議長は懲罰委員に附する宣告をなしながら、其の事実理由を明示せない。 詰り全然基礎事実の欠けて居るものであるから、若し是が普通裁判所であったならば、門前払いとなるべき事件である。 議会に於ける懲罰委員会と普通裁判所とは、審査すべき事項は異なれども、道理に違いはない。 然るに議長は懲罰委員に附するの宣告をなしながら、一定せる事実理由を示さず、委員会は別に自分勝手の理由を構造して懲罰の原因に供せんとする――。 余は之を我が国の議会に現われたる一種の変態現象であると見て居る。 委員会に於ては数名の委員より質問をなしたれども、極めて浅薄なるものであって、手応えのするものは唯の一つもなく、委員室に溢れたる傍聴人の多数は余に加担して時に喧々囂々、殺気立つの光景を演じ、委員会は全く余の勝利に帰して閉会した。 翌日都下の新聞紙は此の状況を次の如く述べた。

委員会の扉の前には黒山の群が、璧越しに伝わる罵声、笑声、拍手に興味を唆らるるかのようだ。 情景は強硬除名論の時局同志会の諸君の口吻を借りても、要するに

「斎藤を訊問する委員の低能なる発言、斎藤君に完全に振廻される醜態。結局除名論委員の御念の入った敗北」

であった。

「裁く者と裁かるる者は地位を顛倒し、斎藤君は凱旋将軍の態度を以て引揚げた。 併しながら之を以て除名論を顛覆し得ると考える者は、政党に対する軍の政府の圧力を感得する限り、恐らくは一人だにも(注5)ある筈はない」……

懲罰事件は議院の内外を通じて重大なる問題となった。 新聞紙は連日に亙り大文字を以て事件の成行きを記載せざるものなく、而も其の筋の命令に依り、大体は余に不利益なる記事に傾いて来た。 余の手許には全国各地より日日数十通、時には百通以上の書面や電報が到達するが、何れを見ても感謝と激励ならざるものはない。 国民が問わんと欲することを問い、聴かんと欲することを答えしむる為に、国民に代って質問して呉れた。 それが懲罰とは一体何のことであるか。四百有余の頭顱は何をして居る。 ○○方面の干渉圧迫が何で恐ろしいか。 議会の独立を擁護するが為に、左様なる悪勢力は一蹴せよ。 全国民は挙って斎藤を後援して居る。 若しも議会が斎藤を除名するならば、国民は議会を除名すると云うが如く、其の他時局に対する感想等に至りては迚も紙上には現わすことが出来ない。 血を吐くような文字であって、要するに之に依りて此の問題に対する国民的傾向は十二分に察知することが出来ると同時に、是等の文書は一種の歴史的資料として、永く後世に保存する必要のあるものと思うて居る。 民政党内には除名反対論が強くして、容易に決定することが出来ず、軍部方面は除名強行に決して居るが、其の結果に付ては、私かに憂慮して居るものの如く。 各方面とも殆ど行詰って、之を打開する方法に苦しんで居る。 茲に於て之を解決するの途は、余をして自発的に議員の職を辞せしめるにあるものと見えて、民政党の連中は言うに及ばず、其の他各方面の人々から種々の口実を設けて頻りに辞職勧告に押寄せて来る。 されども余は自ら顧みて、辞職すべき何等の理由を発見せない。 前述せる如く余の演説は徹頭徹尾時局に対する憂国の至情に出でたるものであって、一言一句たりとも世の非難を受くべきものはない。 之を非難してかれこれと騒ぎ立てる者こそ間違って居る。 故に余は断乎として一切の勧告を拒絶したのは当然である。

三月六日に最終の委員会が開かれ、予定の如く除名の決議をなし、翌七日の本会に上程せられたが、総議員の約三分の一以上は欠席し、出席議員三百五名の中、政友会久原派芦田均、名川侃市、牧野良三、宮脇長蔵、民政党の岡崎久治郎、第一議員倶楽部の北浦圭太郎合わせて七名が反対投票をなし、他は全部賛成投票をなして、茲に一箇月有余議会を悩ましたる問題は終りを告げて、余は除名を宣告せられた。 併し除名の理由は何であるかと云うと、恐らく賛成議員にも分るまい。 無論余にも分らない。 国民には尚更分らない。 全く理由の分らない裁判であるが、さりとて今日の国法に於ては之を覆すべき途もない。

六、事件に対する感想

余の質問演説が、何故に斯くの如き大事件となりたるかに付ては、各人其の考えが異なるに相違ないが、余の見る所を直言すれば、凡そ次の如き原因から来て居るものである。

第一は政府の無能である。 前述せる如く余の演説は、全く支那事変処理に関し、議会を通して政府の所信を中外に闡明せんが為であるから、総理大臣が直ちに立って逐一余の質問に答え、且つ質問者たる余の所見と異なるものがあるならば、堂々と之を反駁し、質問者を辟易せしめるまでに議場の空気を圧したならば、問題は起らなかったに相違ない。 然るに総理大臣及び軍部大臣に此の用意と気魄が欠けて居たが為に、質問戦は全く政府の敗北であるから、其の儘に放任すれば政府の面目は丸潰れである。 さりとて時の情勢は政府に傷を負わせて政界に波動を起すことは許されないから、方向を転じて却て質問者に傷を負わて国民の耳目を瞞着せんと企てたる所に其の原因がある。

第二は議長が速記録を抹殺したることである。 此のことは裏面に於て政府側及び民政党幹部等の策動に出でたるものには相違ないが、議長としては独立の見識なき越権不当の処置であることは争われない。 余は余の質問演説全部を公表するとも、軍事・外交其の他凡ゆる方面に何等の支障を来すべきものでないことを確信して居るが、政府側より見れば何か痛い所に触れられたような気持がしたかも知れない。 若し仮に左様な気持がしたとするならば、之を排除する為に敢然として其の点を爆破すれば宜いのであるが、それが出来ずして、公開の議場に現われたる演説の速記録を抹殺して、国民の全く知ることを得ざるものを本として、議員を懲罰すると云う。 凡そ是れ程不合理千万なことはないように思われるが、此の不合理千万なことが通る議会であるから仕方がない。 速記録の全部が公表されたならば、国民は演説の全趣旨を理解して、懲罰などは吹飛ばされたであろうと思われる。

第三は政党の意気地なきことである。 之に付ては此の機会に於て相当に其の所見を述べて置きたい。 近年各政党政派が一種の推進力なるものに圧倒せられて、是と対抗するの気力なく、却て之に迎合し、其の歓心を買って何か自ら為にせんとする醜態は実に見るに忍びないものがある。 固より余は徒らに其の推進力なるものと抗争するが如き愚を演ずる必要はないが、凡そ公人として世に立つ者には各々其の領域があるから、我々は固く其の領域を守りて国民の為に最善を尽すべきのみである。 従って我々が彼を圧倒すべきものでないと同時に、彼も亦我々を圧倒すべきものではない。 互いに其の領域を守りつつ、手を握って国事に力をいたす(注6)。 是が公人として、殊に憲法上独立を保障せらるる議会人としては常に忘れてはならぬ点である。 然るに此処に気付かず、先を争うて権門の前に叩頭し、其の歓心を買うて以て浅ましき自己の栄達を求めんとする。 自ら侮りて人之を侮る-由来政党人が軍部や官僚から軽蔑せらるるに至りたるは全く茲に原因するものであるが、今回の問題も亦政党人の此の心理状態が生み出した一つの現われであることは疑われない。

次に院内に於ける小会派の策動である。 院内には政民両党の外に社民党とか、時局同志会とか其の他二、三の小会派があったが、是等の小会派は多年既成政党に圧迫せられて頭が上らない。 夫れ故に凡ゆる機会を捉えて既成政党を攻撃し、あわよくば之を崩壊せしめて自己の窮境を打開せんとすることは、多年に亙り深刻なる彼等の希望であったのであるが、是が偶々余の演説に触れて或る推進力の示唆を受け、此の問題を利用して既成政党破壊に向って驀進して来たのであるが、やって見れば(注7)既成政党は案外に弱体であったことが暴露せられたのである。

最後に此の問題に対して民政党の取りたる態度に付ては大に論じて見たいものあれども、之を論ずることになれば、町田総裁を初めとして幹部の人々に対して甚だ好ましからざる筆を振わねばならぬこととなるから、此の方面の事は一切省略して読者諸君の推測に一任することとなした。

七、事後の国内情勢

政府、軍部の内意を受け、余に対して除名処分を断行したものの、国民的感情は決して是を正当視せざるのみならず、却て軍部及び政党に対して言うに言われぬ極めて深刻なる反感を抱いて来たことは、余の手許に殺到する幾千通の書面に依っても明かに之を推知することが出来る。 政府も之に気付いて来た。 此の儘放任することは出来ない。 茲に於て此の国民的感情の表面に現わるることを弾圧するが為に、凡ゆる全国の言論機関に命令し、此の問題に関する言論を封鎖した。 当時一新聞記者の余に語る所に依れば、政府は言論機関に対して

  • 一、斎藤の演説は国民の問わんと欲する所を問うたのであると云うが如き記事を禁ず。
  • 二、斎藤の演説を賞揚するが如き記事を禁ず。
  • 三、除名処分を批判するが如き記事を禁ず。
  • 四、斎藤を賞揚し、同情を寄するが如き記事を禁ず。

其の他にも数種の事項を命令したと云うことである。 又演説会に於ても如上の事項に触るるものは一切禁止するのみならず、甚だしきに至りては或る代議士が議会報告演説会に於て、斎藤問題と唯一言口を開いたのみで、直ちに解散せられた例もある。 然るに一方を見れば斎藤攻撃の言論は全く自由である。 新米議員や残業記者(注8)が何れの所から費用を貰い受けたか知らぬが、斎藤攻撃を目的とする種々の印刷物を作製し、余の選挙区に向って大量輸送する。 選挙民を迷わし、次の選挙に余を葬らんとする準備であることは疑いない。 何たる卑怯千万なる振舞いであるか。 斯様な連中が代議士であるとか記者であるとか、恥を知らざる者は人間の仲間ではない。 演説会に於ても斎藤攻撃は解放せられて居るから、茲にも政府、軍部に忠義顔をする連中が盛んに活動する。 「斎藤問題演説会」と広告すれば聴衆は超満員である。

四月の初めに選挙区に帰省すると、憲兵や警察官が眼を光らせて居る。 演説会を開けば、遠方の村々から聴衆が弁当持ちで殺到するので、如何なることが起るか分らぬと云うて、大変に心配して居る様子である。 余は別に演説会を開こうとも思わない。 或る町に於て座談会を開いて問題の経過を報告した。 ところが後に至りて警察署長が上官から譴責せられたそうである。 一友人より憲兵が余の動静を聞きに来たと云うから、余の動静なら他人に聴くよりも、余自身に聴くことが最も捷径であるから、連れて来給えと言うたらやって来た。 話してやったら満足して帰った。 選挙区に於ける余の後援者や知人に就いて一々余に関する情報を尋ねて廻る。 実に御苦労千万なことであるが、一面から見れば百鬼夜行の有様、而して是が立憲国、文明国に行わるるのであるから面白いではないか。

脚注

(1)
原文には句点がない。
(2)
原文には「すべて」と表記されている。
(3)
原文では「数十年」と表記されている。
(4)
原文では「収拾」と表記されている。
(5)
原文では「だも」と表記されている。
(6)
原文では「効す」と表記されている。漢字辞典 2451袴→2494向:漢字辞典ネット参照。
(7)
原文では「自れば」と表記されている。
(8)
夜分遅くまで記事を執筆する記者、という意味だろうか。