「支那事変を大観す」

2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』73ページから82ページに掲載されている、「支那事変を大観す」(1941-04執筆)を文字に起こしました。

本文

第1段落

支那事変はどうなるか。 今日苟も国家を念とする国民であるならば、之を考えない者はないが、同時に之に付て確かなる考えを有する者は一人もない。 政府及び軍部と雖も大体の方針は立てて居るに相違ないが、此の方針が果して方針通りに実現し得べきものであるか否かに付ては確言が出来ないようである。

第2段落

事変以来既に四箇年を過ぎた。 当初何人と雖も事変が斯くまで長く続くものとは思って居なかったに相違ない。 今から顧みれば、現地解決とか、事件不拡大とか云うことは全く一場の夢であって、其の後事変は躍進に躍進を重ねて、今日に於ては我が軍の占領地域は我が国土の二倍半に上り、最早やどうすることも出来ない。 固より現状より一歩たりとも退くことは出来ないが、さりとて是より更に進むことが出来るかと見れば、是れ亦なかなか困難なる模様であって、事変は大体に於て膠着状態に立至って居る。 而して此の膠着状態を打破して、最後の解決を見るのは何時の秋であるか。 是が国民の知らんと欲する最も重大なる問題である。

第3段落

事変解決の最も根本的なるものは蒋政権の撃滅であると唱えられている。 近衛声明にも蒋政権を徹底的に膺懲して、是が潰滅を見るまでは断じて鉾を収めずと言明し、過去久しきに亘る我が軍隊の奮闘も全く是が為であって、我が軍隊の向う所敵を敗らざるなく、文字通りに連戦連勝の実を挙げて居るにも拘らず、蒋政権はなかなか没落せない。 其の初め上海を陥落すれば蒋介石は屈服するに相違ないと思うて居た。 所が上海が陥落(注1)すれば、彼は南京に退却する。 南京征伐は彼の死命を制するものと思うて居た所が、南京陥落すれは彼は武漢三鎮に退却する。武漢三鎮こそ愈々最後の戦闘と思うて居れば、彼は遠く重慶に退却する。 武漢三鎮の陥落は十三年十月であるから、其の後今日に至るまで二箇年と数箇月になるが、此の間に於て我が軍は引続き猛烈なる空襲を以て重慶を爆破したるが為に、一時遷都の噂も立てられたが、何故か其の実現を見ずして彼は依然同地に踏み止まり、飽くまで長期抗戦を 豪語して居るのである。

第4段落

蒋介石が今日に至るまで抗戦を継続して居るのは、種々の原因もあろうが、其の中最も大なるものは第三国、即 ち米英ソ聯の援蒋政策の結果であることは言を保たない所である。 故に我が国は是等諸国の援蒋政策を阻止する為めに外交上及び軍事上に於てどれまで苦心努力して来たか知れない。 而して其の中に付て、軍事上の努力は多大の功績を挙げて居ることは争われない。 即ち事変以来海に於ては沿岸一帯を封鎖し、陸に於ては援蒋ルートを遮断し、以て能ふ限り重慶政府に対する物資の輸入を阻止したること、地上部隊の活動と相俟ちて敵の戦闘力を減殺し、之を窮地に陥れたることは明かなる事実である。 之に反して外交上の努力に至りては、今日に至るまで殆ど見るべき功績は現われて居らない。 それは寧ろ当然のことである。 何故なれば、凡そ国際間に於て関係列国の執るべき態度 は徹頭徹尾自国の利害を標準として割り出さるることは言を俟たぬのであるから、第三国が援蒋政策を執るのは我が国の蒋介石討伐が第三国の利害と相一致しないからである。 即ち米英の立場より見れば、我が国の対支政策は、米英のそれとは根本的に相容れない。 我が国が支那大陸に向って前進すれは英米は嫌でも何んでも後退せねばならぬ。 利害の一致する訳がないのである。 又之をソ聯の立場より見れは、蒋介石を援助して一日たりとも長く我が国と抗戦せしむることが、それだけ両国の国力を消耗せしめ、反面に於ては自国の国力を強化し、以て或る種の目的を達することが出来る所以であると思うて居るに相違ない。 斯くの如く我が国と第三国との対支政策は全然両立せない。 それ故に我が国より見れば第三国の援蒋政策は実に不都合千万なる振舞いであるに相違ないが、第三国の立場より見れば各々其の言うべき理屈を有して居るから仕方ない。 此の間に乗じて外交上の口舌や技巧が何の役に立つか。 例えば我が国より第三国に対し、彼等の援蒋政策は日支交戦を長期化せしめ、東亜の平和を妨ぐるものであるから、速かに其の政策を放棄せよと迫れば、彼等は日本の蒋介石討伐こそ日支交戦を長期化せしめ、東亜の平和を妨ぐるものであるから、速かに之を放棄せよと逆襲するかも知れない。 斯くの如き外交上の論争は、事の実際に臨みては何の役にも立つものでないのである。 況んや在外使臣の更迭其の他外交上の技巧を弄して、援蒋政策の緩和を図らんとするが如き浅墓なる考えが、片端から裏切られるのは当然である。 茲に於て第三国の援蒋政策を放棄せしむるの途は我が国の対支政策を根本より立直すより外に途はないのであるが、併し実際に於て斯くの如きことは夢想だも及ばざることであるから、帰する所此の方面に於ける外交上の効果は絶対に望まれない。 と同時に、援蒋政策の遮断は徹頭徹尾武力を持つの外途なきこととなった。

第5段落

一方我が国の言論機関は、蒋介石が重慶退却以来、絶えず蒋政権内部の報道を怠らないが、それ等の報道は常に蒋政権の崩壊を物語らざるものなく、即ち軍事上及び財政経済上に於ける重慶政府の疲弊困憊を指摘し、或は国共の軋轢分裂を予断し、蒋政権の没落は正に眼前に迫れりと報じ、我々国民をして愈よ事変の終結近付けりと思わしめたること幾度なるか知れない。 固より重慶政府の疲弊困憊は事実であるに相違ない。 国共の軋轢も亦争うべからざることには相違ないが、是が為に蒋政権の没落が目捷に迫れりと報道するに至りては、責任ある言論機関として所謂認識不足の嫌いはないか。

第6段落

次に近衛内閣の声明には

「重慶政府と雖も従来の指導精神を一擲し、其の人的構成を改善して更生の実を挙げ、新秩序の建設に来り参するに於ては敢て之を拒否するものにあらず」

とあつて、今日に於ても重慶政府が此の趣旨に従って汪政権と合流するならば、我が国は之を拒まざるのみならず、寧ろ此の方途に依りて事変の解決を図らんことを期し、従来此の目的に向って暗々裡に種々の策動と努力が払われて来たようである。 併しながら一体今回の事変に当りて仮にも斯かる事実の現わるることを想像することすら、既に没常識の至りではないか。 若し今日何れの方面に於ても斯かる考えを抱き、斯かる事実の現わるることを期待する者があるならば、余は実に其の迂闊を嗤わざるを得ない。

第7段落

大体以上述べたる通りであって、支那事変は其の勃発以来約四箇年を経過し、其の間に於て我が軍の軍事行動は徹底的に其の威力を発揮して居るに拘らず、蒋政権は一向に没落しない。 又第三国の援蒋政策も止まない。 重慶政権が蒋政権に合流するが如きは夢にも想像せられない。 斯くの如くにして事変は文字通り長期戦に入って、前途の見込が立たないと云うのが偽りない今日の状態である。 支那事変はどうなるか。 言うまでもなく事変は継続するに相違ない。 いつまで継続するかは分らないが、事変の解決を見るまでは嫌でも何んでも継続するより外に途はない。 三年か五年か十年か二十年か、それも分ったものではないが、さりとて今更之を中止することが出来るものでもない。 其の故に問題は事変を継続するかしないかの問題ではなくして、之を継続するに当りて将来国家、国民としてどれだけの犠牲を払わねばならぬかと云うことである。 是れまで約四箇年の間に於て事変の為に日本国民が払いたる生命、自由、財産其の他の犠牲でさえも迚も紙上に尽すことは出来ないが、其の中最も大きなる二、三を挙げて見ても、犠牲の最も大なるものは言うまでもなく軍隊である、百万、二百万の軍隊が海を越えて遠く支那大陸に遠征し、風土、気候と戦い、頑強なる敵と戦い、其の他戦争を遂行するに当りて直接体験する所の困苦、艱難は内地に住する我々の想像し得べきものではない。 其の中少くも十数万の将兵は既に戦場の露と消え、之に数倍する将兵は痛ましき戦傷に苦しみ、是等の遺族や家族がどんな憂目を見て居るかは考えるまでもないことである。 戦費はいか程であるかと見れば、昭和十六年までの事件費は二百二十三億数万円に上って居るが、年々六、七十億の戦費を要するから、是が三百億や五百億に上ることは決して遠き将来のことではない。 国民は苛酷な増税を課せられ、経済上の自由を拘束せられ、職を失い、物資は欠乏し、食糧は不足を告げ、是まで我々の祖先が曾て経験せざる苦痛を嘗めさせられて居るが、将来事変が長く継続することになると、此の状態は今日よりも一層深刻となるとも、決して緩和するものではない。 固より国民は如何なる苦痛が押し寄せて来るとも、之に耐ゆるの覚悟は決めて居るに相違ないが、併し退いて静かに事変の前途を考うる時は、唯うかうかと空元気を出して居る訳には行かない。 何人と雖も国家の将来を思うならば、事変の処理に付て最も真剣に考えねばならぬ。

第8段落

支那事変は如何に処理せらるべきものであるか。 今後事変が如何に長く継続しようが、又国民的犠牲が如何に拡大せられようが、事変処理の根本方針は既に定められてある。 即ちそれは近衛声明であつて、左の五つの事項から成立つて居る。 即ち第一は支那の独立主権を尊重することであり、第二は領土及び償金を要求せないことであり、第三は支那に於て日本は経済上の独占をなさないことであり、第四は支那に於ける第三国の権益を制限せないことであり、第五は内蒙古附近を除く其の他の地域より日本軍を撤退することであって、是が事変処理の動かすべからざる方針として、内外に宣明せられてあるが、之に依って見れば今回の事変に当りて一体我が国は何を獲得せんとするのであるか。 それが薩張り分らないことになる。 我が国は曾て四十余年前に支那と戦い、三十余年前にはロシアと戦った。是等の戦いは何れも国運を賭して戦ったには相違ないが、それを今回の戦いと比較したならば、其の規模に於て、又其の犠牲に於て迚も日を同じうして語るべきものではない。それにも拘らず、前の場合に於ては下関条約に於て遼東半島、台湾、膨湖島を割譲せしめ、二億両(約三億円)の償金を支払わしめ、朝鮮の独立を確認せしめる等の戦果を収めた。 又後の場合に於てはポーツマス条約に依りて、南樺太、沿海州の漁業権、関東州の租借権、其の他鉄道、鉱山採掘権を譲渡せしめ、韓国に於る我が国の優越権を認めしめる等の戦果を収めた。 然るに今何の戦争に当りては何ものが得られるであらうか。 得らるべき何ものも見出すことは出来ない。 茲に於て政府は明言して居る。 即ち今回の戦争に当りては我が国が求めんと欲するものは、領土や償金や、其の他目前の利益ではない。 此の度の戦争に当りては政府は飽くまでも蒋政権を徹底的に膺懲するとともに、何事も道義的基礎の上に立ち、国際正義を楯となし、挙国の理想と八紘一宇の精神を以て東洋永遠の平和より世界永遠の平和を確立する為に 戦って居るのであると言うて居る。 其の言や頗る高遠であるには相違ないが、併し此の中の正義とか道義とか、或は東洋平和とか世界の平和とか云うが如きことは、国際間には絶えず繰返される言葉であって、決して日本独特のものではない。 世界何れの国と雖も之を唱えざるものなく、恐らくは蒋介石と雖も之を唱えて居るに相違ない。 又肇国の理想とか八紘一宇とか云う如き神秘的のことは、古典にでも精通せない者には容易に理解し兼ねることである。 茲に於て別に東亜の新秩序建設と云うことが唱えられて居る。 即ち事変の目的とする所は東亜の新秩序を建設するにありと言われて居るのであるが、其の新秩序建設の何ものたるかは分らない。 試みに近衛声明に現われたる新株序建設の内容を検討して見るに、

第9段落

第一は善隣友好と云うことであって、一名日支親善である。 即ち両国の政府及び国民が互いに親善関係を保って 行こうとするのであるが、此のことは今回初めて言い出されたことでほない。 数十年来唱えられて居るがなかなか実現しない。 それが今回の事変に当りて果して実現すべき可能性があるかと言うに、甚だ覚束ないのみならず、却って益々反対の方向に進みつつあるのである。 何となれば、今回両国の間には極めて大規模なる戦争が起って、我は連戦連勝、彼は連戦連敗、是まで我が軍の為に殺傷せられたる敵の将兵は数百万の多きに達して居るのみならず、戦場到る所の跡を見れば土地も家屋も其の他の財産も打ち壊され焼き払われて、敗戦国民の状態はそれこそ非風惨憺目を蔽うばかりの光景を呈して居るに相違ない。 之を体験し、之を目撃したる窮民の感情に於て心から善隣友好なぞが湧き出るであろうか。 又之を望み之を期待するのが人情的であり、常識的であると誰が言い得るか。 それでなくとも今回の事変前から多年に亙り蒋介石は支那国民に向って抗日精神を打込んで居る。 如何なる理由と方法を以て之を打込みたるかは言わないが、事変前既に支那国民の心の底には深刻なる抗日意識が植付けられてある上に更に今何の事変が起ったのである。 若し仮りに彼我立場を代えて見たならば、我々日本国民は支那に対して何で善隣友好などと云うが如き呑気なることを言うて居れるか。 それこそ臥薪嘗胆、寝ても覚めても復讐的敵愾心に燃え 立つに相違なく、此の国民的意識を弁えずして、有り来りの古呆けたる善隣友好などを唱えて見た所で、それこそ一種の口頭禅に終ることは必然である。 今日は蒋政権との間に新たなる基本条約が締結せられて、両者の間に友好関係が成立って居るように見受けられるのは、単に表面だけのことに過ぎず、其の裏面を窺えば決して精神的なる友好意識などは起って居る訳はない。 起って居るが如くに見ゆるのは全く彼が我の武力を恐るるからである。 即ち我が強大なる武力の前に心ならずも友好関係を偽装して居るに過ぎない。 故に若し万が一にも我が武力にして衰えるが如きことがあるならば、彼の本心は直ちに現われて、蒋介石と同じく抗日、侮日に変化することは疑うべき余地はない。 或る支那通は、蒋介石は抗日を標榜して抗日をなし、汪兆銘は親日を標榜して抗日をなすのであって、両者の心理状態は全然共通であると言ったことがあるが、此の言決して当らずとは言えまい。 斯かる次第であるから、今回の事変が如何に解決せらるるとも、之に依りて真の善隣友好などが現われたりなどと見るはそれこそ大なる錯覚である。

第10段落

第二は共同防共であつて、即ち日支両国が共同して共産主義の侵入を防御すると言うのであるが、是が又我々は 分らない。 共産主義の侵入は固より許すべきものではなく、極力之を防御することの必要は言を俟たざる所であるが、さりとて是が為に支那と共同せねばならぬ必要がどこにあるか。 我が国は支那などと共同するまでもなく、独力を以て之を防ぐに於て毫も欠くる所なき筈である。 従って支那と共同するにあらずんば、共産主義を防御することが出来ないと言うが如きは、余りに自らを侮辱するものであって、我が国民として黙視すべからざることである。 若し夫れ蒋介石が仮に支那国内へ共産主義の侵入を容認して居るから、是れを止めようと言うのであらば、それは独り蒋介石のみを責むべきにあらずして、共産主義の本家本元たるソ聯を責むべきが本筋ではないか。 支那の一部に共産主義の侵入がありとするならば、それはソ聯の本流より分派したる一支流に過ぎない。 然るに其の本流には手を着けずして、細々たる一支流に向って言議(注2)を差しはさむが如きは、堂々たる帝国のなす所としては如何にも意気地がないではないか。 曩に日独防共協定なるものを成立したるも、是は名を防共に藉りて、其の実はソ聯に対する政治上の目的が伏せられて居ることに依ってこそ始めて其の意義が理解せられたのである。 従って其の後、独ソ不可侵条約の成立と同時に、防共協定は全く其の精神を喪失して、最早や今日は廃物同様になって居る。 是と同じく今回日ソ間に中立条約が成立したる以上は、支那に対する共同防共なるものも益々其の影が薄くなるに相違ない。

第11段落

第三は経済提携と云うことであるが、経済関係に於ては、日支両国の利害が一致する場合には提携が出来るが、一致せない場合には提携は出来ない。 是は当然のことである。 別に取上げて問題とする程のものではない。

第12段落

日支事変の大目的は東亜の新秩序を建設するにありと言われて居るが、其の新秩序なるものの内容を検討すれば以上の如きものである。 而して此の内容を基礎として昨十五年十一月三十日、新政権との間に七箇条に亙る基本条約が締結せられ、之を以て大東亜の新しき歴史的発足であると呼号せられて居るが、夫れすら之を具体化して実行するのは何れの時であるか見当が付かない。 何分にも蒋政権が滅びない限りは、支那全般の和平克服は見られない。 のみならず、仮に蒋政権が滅びたりとするも、之に依りて全般の和平が得られるか。 それも分らない。 更に仮に全般の和平が得られるとするも、蒋政権が支那全般を統治して日支条約を完全に履行する誠意と実力があるか。 是れ亦疑いなきを得ない。

第13段落

然るに、他の一方を見れば、支那事変が原因となりて我が国の対外関係には一大変化が起って居る。 其の中最も甚だしきものは言うまでもなく、英米関係である。 政府は今回の事変に当りて、支那に於ける第三国の権益を専重すと声明して居れども、斯かる声明を其の儘履行することは至難と言うよりも寧ろ不可能である。 それ故に事変遂行の道程に於ては到る所に於て第三国、殊に英米の権益と衝突することは免れない。 夫れのみならず、我国の政治家は今回の事変を好機として、支那に於ける英米の勢力を根抵より蕩掃せねばならぬ。-

第14段落

即ち支那に於ける英米の植民地状態を打破して、支那を解放するのが事変の目的であると主張して居る。 是は我が国の立場より見れば当然の主張であるかも知れないが、英米の立場より見れば斯かる主張に黙従出来る訳はないから、彼等が凡ゆる方法を以て事変遂行を妨碍する行動に出づるのも、是れ又怪しむに足らないことである。是に於て事変以来対英米関係は漸次悪化して、今日は殆ど其の最高潮に達し、如何なる外交的折衝を用うるも、到底之を緩和することは出来ない状態に立至って居る。 其の外部に表われたものの第一は援蒋政策であり、第二は経済圧迫である。 援蒋政策に付ては既に前述せる所であるが、経済圧迫に至りても我が国に取りては実に耐ゆべからざる大事件であつて、近来我が国の南方政策が活気を帯び、大東亜共栄圏の確立の叫ばるるに至りたるは全く是が為である。 然る所は此の所に於ても英米勢力と衝突するのは免れないのであって、今日に於ては既に武力行使までも予 想せられるに至って居るのである。

第15段落

支那事変の全貌は大体斯くの如きものである。 即ち其の初めに立てられたる現地解決及び事変不拡大の方針は立所に裏切られて、戦禍は拡大に拡大を重ねて今日に至り、是が為に払いたる国民的犠牲は停止する所なく、而も事変は何れの時に終結するのであるか、全く見当が付かない。 而も事変を遂行するが為には、内にありては政治、経済其の他百般に跨って所謂戦時体制を強化すると同時に、国民は凡ゆる苦難に耐えねばならぬ。 而して外にありては対英米関係益々悪化して、武力衝突の前夜に彷徨するが如く、実に建国以来の大国難が叫ばるるに至ったのである。 そこで政府と云わず政治家と云わず、国民に向って国難来を叫び、其の覚悟を促すに当りては、先ず以て国難 の真相を明かにして、以て国民の理解を求めるの必要がある。 此の途を取らずして徒らに国難来を絶叫し、国民的 盲従を強いるが如きは決して国民を率いる所以ではない。

脚注

(1)
原文では「没落」と表記されています。
(2)
げんぎ【言議】の意味 国語辞典 - goo辞書