「帝国議会の威信」

2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』101ページから107ページに掲載されている、「帝国議会の威信」(1941-04執筆)を文字に起こしました。

本文

第1段落

近年帝国議会の威信が失墜して国民の期待が裏切られ、国民は議会に対し重大なる関心を持たないようになったが、或る方面に於ては寧ろ此の傾向を喜び益々之を助長せしめて、最後には議会をして一種の形骸に化せしめんとするの意図を抱く者もあるやに見受けらるるが、斯くの如きは国家憲政の為に洵に痛嘆すべきことであるから、我我はお互いに深く其の原因を研究して議会の威信を回復するとともに、尚お進んでは一段と之を向上せしむることに努力せねばならぬ。 今更更めて言うまでもなく議会は、天皇の立法権を翼賛する憲法上の機関であるのみならず、併せて政府の行政を監督するの権能をも有するものであって、憲法及び議院法は是が為に議会に向って、第一には国民より請願を受くるの権(注1)、第二は上奏及び建議をなすの権(注2)、第三には政府に質問して説明を求むるの権(注3)、第四には財政を監督するの権(注4)を与えて居る。 それ故に若し議会にして国家の目的に副うて適当に是等の権能を行使するならば議会は名実ともに政治上の中心勢力となって、国政全般に対し其の威力を発揮すべき筈である。 然るに拘らず今日議会の威信失墜が事実となって現わるるに至りたるは何故であるかと言えば、畢竟するに議会を構成する議員自身が能く憲法上及び政治上に於ける議会の地位を理解して、真剣に国政を論議し行政を監督するの熱意と気力に欠くる所があるからである。 或は言うであろう。 今日は所謂非常時である。 前古未曾有の国難を眼前に控えて、之を突破するが為には政府も議員も一心同体となって之に向わねばならぬ。 此の秋に当り議会に於て国政上に賛否の議論を戦わすが如きは却て国策遂行の妨害となるものであるから、戦時中に於ては議会が徹頭徹尾政府を援助し、政府をして自由に手腕を揮わしむるの心掛がなくてはならぬと。 一応其の通りに相違ないが、併し政府を援助すると云うことは万事万端政府の為すことに盲従すると云うことではなかろう。 之を国家の大局より達観し、内政と言わず外交と言わず、政府の為す所に誤があるならば議会の権能を揮って厳に之を糺さねばならぬ。 之を糺し政府をして誤なからしむることこそ真に政府を援助する所以であって、是れ以外に政府を援助する方法はない筈である。 今日の議会人と雖も是れ位の道理は十分に弁えて居るのであるが、何故か議会に立ちて国政を論議するに当りては、一種の恐怖心にでも打たれて居るらしく、堂々として大胆率直に自己の意見を表白するの勇気を欠いて居る。 彼等は何故に恐るるのであるか。 何故に遠慮するのであるか。 憲法は議員に向って、言論の自由を保障して居るではな いか。 即ち憲法第五十二条にほ「両議院ノ議員ハ議院ニ於テ発言シタル意見及ビ表決二付テ院外ニ於テ其ノ責ヲ負 フコトナシ」と規定して、議員の言論と賛否の表決に付ては一切責任の外に置かれてある。 是は何が故であるか。 言うまでもなく議員をして何者の拘束をも受けず、如何なる権勢をも恐るる所なく極めて率直に国政に対する自己の意見を表白せしめ、以て議会の本能を発揮せしめんとする憲法政治の根本精神である。 然るに此の根本精神を忘れて何か魔物にでも掴まれて居るが如く左顧右眄し、戦々兢々として議会に臨むに至りては実に政治に対する議会人の罪悪である。 殊に近年政府は名を時局に藉り、院外に在りては言論の自由を封鎖し、国政に対する一切の批判を弾圧して居るから、天下広しと雖も言論の自由ある所は独り議会のみであるとともに、国民の期待する所も亦議会のみである。 今日国民は内外政治に対して幾多の疑いを抱いて居る。 併し是等の疑は一切言外に現わすことが出来ぬ立場に置かれて居るから、議会が開けたならば我々の選出せる議員は、我々に代りて忌憚なく政府との間に質問応答其の他の方法に依り議会を通じて国民的疑惑を氷解して呉れるであろうと心密かに期待して居るに相違ない。 然るに其の議会が前述の如き有様であっては国民は失望せざるを得ないのであって、議会に対する国民的信頼心が消え失せるのは国民の罪ではなくして、全く議会の罪である。

第2段落

又之を政府側より見れば、議会は実際上政府に取りては一種の厄介物である。 若し議会がなかりせば、政府は内外政治を独断専行することが出来るのであるが、議会があるが為に法律案、予算案の如き重大政策に付ては一々議会の協賛を求めねばならぬ。 是が為に議会開会前より開会中に亙りて政府当局の苦心は実に思いやらるるのであるが、併し専制政治ならざる立憲政治の今日に於ては全く政府当然の責務であるから仕方がない。 茲に於て歴代何れの政府たるを問わず、所謂対議会策としては成べく議会に波瀾を起さしめず、政府案に反対せしめずして無事に議会を終了することを目的として進むことは無論である。 而して政党内閣の下に在りて政府党が絶対多数を制する議会に於ては、仮令議会に如何なる波瀾起ろうとも、結局は政府案の通過は疑いなき所であるから政府は中心安堵することが出来るのであるが、之に反して絶対多数の与党を有せざる政府は此点甚だ不安に堪えないものがあるから、表面、裏面に種々の策動を施して議会を圧迫し或は之を去勢せしめ以て其の目的を達せんとするのであるが、時局以来此の傾向が益々増長して来たことは争われない。 例えば第一次近衛内閣の下に於ては相剋摩擦の排除と云うことが盛んに高調せられた。 相剋摩擦の排除は政府と議会との関係のみならず、広く一般国民の間にも共通する言葉であるが、政府の狙い所は専ら前者にあったことは疑いない。 即ち議会が政府の提案其の他の政策に反対でもすれば、議会自ら相剋摩擦を惹き起すものの如くに思わしむる所に政府の深意が伏在すると同時に、世間一部の人々をして斯く宣伝せしめたことは隠れなき事実である。 議会も亦斯かる宣伝に乗ぜられて其の鋒鋩(注5)を挫かれ、益々萎縮するに至ったのである。 併し相剋摩擦の排除と云うことは独り議会のみに要求すべきものではなくして、政府自体にも亦之を要求すべきである。 政府が善良なる政策を立てて来れば議会が之に反対する理由はないが、其の政策に欠陥があれば議会が之に反対するのは当然であって、其の責は政府が負うべきである。 之を思わずして議会が政府に盲従することを以て相剋摩擦の排除と心得る者があるならばそれは飛んでもない誤りである。 又平沼内閣の下に於ては総親和と云うことが唱えられ、林内閣の下に於ては以和為尊と云うことが掲げられた。 何れも議会をして政府に盲従せしめ、議会を骨抜きにせんとする一種の麻酔剤であるが、第二次近衛内閣の翼賛会を組織せらるるに至りて此のことが愈々高潮に達した傾きがある。 それは何であるかと言うに、大政翼賛会には議会局なるものが設けられ、局長、部長以下多数の役員を任命したが、其の議会局は一体何を為すものであるかと見れば、議会との連絡を図り、又議会新体制なるものを確立せんが為に活動するものなりと言われて居るが、実際上には議会外に議会を作りて議会の準備行為を為し、之を以て真の議会を指導せんとする趣旨に出でたるものであることは争われない。 然るに議会の組織を見れば、之を統轄する総裁は総理大臣である。 総理大臣たる行政長官の下に議会局を設け、之をして議会を指導せしめんとするに至りては、全く立法府をして行政府に隷属せしめて議会の独立を破壊するものであって、換言すれば行政府が議会を指導し、政府専制の政治を行わんとするものである。 然るに議会人の多数は之を覚らず、競うて議会局の役員となりて得意がるに至りては其の迂闊なること驚くの外はない。 それであるから次に開かれたる第七十六議会に於ては覿面に其の策動が効を奏して、議会局長等の指導の下に議員倶楽部を組織し、其の世話人等が集まりて議会内の言論を抑制し、政府に絶対盲従の大勢を作り、会期半ばにして議事を終了せしめて議会史上未曾有の悪例を残すに至った。 其の後翼賛会の改組に依りて議会局は廃止せられたれども、近来政府及び議会人等が議会に掌る態度は斯くの如きものであつて、殊に議会人等が自ら求めて議会の言論を抑圧するに至りては全く言語道断の次第、茲に至りては議会の威信も何もあったものではない。

第3段落

議会勢力が減退し、議会の無能無力を見て取った政府其の他の方面は、尚お進んで議会に対する追撃の手を緩めないが、其の一として現われたものに選挙法の改正がある。 彼等は選挙法の改正を企てるに当りて表面上には種々 の理由を述べて居るが、其の真意は之に依りて議会勢力を益々減殺せんとする魂胆にあることは疑うべき余地はない。 其の証拠となるべき事項は大小共に数多あるが、其の中の二、三を指摘するならば第一は選挙権の縮小である。即ち現行の普通選挙制を根底より覆えして、之を戸主選挙制に改め、之に依りて全国一千四百万人の有権者中より約四百万人の選挙権を剥奪せんとするのである。 而して其の理由とする所を聞けば、普通選挙は自由主義の産物であって我が国情に適せないと云うのであるが、自由主義であるとかないとか言う如き白面書生の観念論は全く聴くべき値打もないが、普通選挙が我が国情に適せないとは何にを根拠として言うのであるか、一方に於て一億一心とか万民翼賛を唱うる政府者流の主張と矛盾撞着することすらも覚らないのは迂闊千万の次第である。 若し夫れ普通選挙は我が国情に適せないと言うならば、それは啻に普通選挙のみならず選挙制度、尚お溯っては議会制度其のものが我が国情に適せないと言うことになり、恐らくは今日一部の人々の肚の底には斯くの如き考えが伏在して居るのであろう。 第二は議員定数の減少であって、即ち現在の定員四百六十六名を減少して、之を三百名程度になさんとするのであるが、是れ亦減少せねばならぬ何等の理由はない。 第三は立候補の制限であって、現行の自由立候補制を改め之に一定の制限を加えんとする。 而かも其の制限に向って官僚的勢力を及ぼさんとするのであるからお話にならない。 要するに斯くの如き選挙法の改正は彼等が何と弁明した所で其の弁明は虚偽仮想のものであって、其の目的は議会勢力の減殺にあることは余りにも明白である。 然るに翼賛会の役員である議会人等は斯くの如き改正案を一蹴するの気力なきのみならず、却て之に賛意を表する程、それ程権勢に阿附する連中であるから官僚輩に軽 蔑せらるるのは当然である。

第4段落

要するに議会の威信失墜は時局の関係もあり、政府の圧力より来るものもあるが、何と言うても其の根本となるものは議会を構成する議員の無気力である。 議員は何故に斯く無気力になったのであるか―。 今日の政治制度の下に於ては何人が政府の局に当るとも議会の協賛を経ずんば一条の法律を作ることも一銭の金を使うことも出来ず、 政府を活殺するの権能は議会に与えられて居る。 議会は此の強大なる権能を握って居ながら之を活用して国家の為に政府を叱咤鞭撻するの意気なく、却て政府に頤使せられて自ら恥ることを知らない。 是が最近に於ける議会の実情であるが、此の実情は今後も長く続くものであるか、或は議会人自ら反省して、議会の威信回復の為に奮起するであろうか。 姑く後日の問題に残して置く。

脚注

(1)
原文では「件」と表記されている。
(2)
原文では「件」と表記されている。
(3)
原文では「件」と表記されている。
(4)
原文では「件」と表記されている。
(5)
ほうぼう【鋒鋩】の意味 国語辞典 - goo辞書参照。原文では「鋒牟」と表記されている。これは、おそらく「鋒鉾」という表記を念頭においたものだろう。新聞が記事の見出しに「鋒鉾」という表記を採用した一例として、つぎのリンク先を参照。神戸大学 電子図書館システム --メタデータ詳細表示--