「蒋介石と汪兆銘」

2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』119ページから124ページに掲載されている、「蒋介石と汪兆銘」(1941-07執筆)を文字に起こしました。

本文

第1段落

蒋介石は日本の敵である。 汪兆銘は日本の味方である。 日本として又日本人としては飽くまで蒋介石を追撃して彼が権勢を壊滅せしむるとともに、一方に於ては汪兆銘を援助して、名実共に新政権の基礎を確立し、以て事変の目的を貫徹せんとする既定の方針を遂行すべきは言を俟たざることであるから、茲に此の両人に向って批評を試むるのは此の方針とは何等の関係を有するものではなく、唯暫く第三者の立場に立って両人の行動を見たならば如何なる感じが起るであろうか。 之を考えて見たいのである。

第2段落

蒋介石は抗日を標榜して戦って居る。 抗日は彼が支那を統治する根本精神であって、彼は多年に亙り此の精神を支那民衆に植付け、民衆は肚の底まで抗日に燃えて今日に至って之を抜取り之を打消すことはなかなか容易の業ではないと言われて居る。 今回の事変も其の源に溯れば此の精神から起ったものであることは何人も争はれない事実であって、支那人より見れば已むを得ないことであるに相違ない。 先ず之を歴史上より見るならば、日本は二千六百年の歴史を有するが支那は少くも五千年以上の歴史を有して居る。 領土は日本の十数倍に上り、人口も四倍以上を有して居る。 又日本の文明は明治以来専ら欧米より輸入せられて居るが、それより以前は遠き昔から支那より輸入せられて日本文明の大部分は支那文明の模倣であること是も疑うことの出来ない事実である。 それ故に支那人の眼より見れば日本は支那の後進国であり又弟分である。 所が此の後進国であり弟分である日本が明治以来盛んに西洋文明を取入れて政治、経済其の他凡ゆる方面に亙りて革新に革新を加えたる結果、遙かに支那文明を凌駕し支那の国力を乗越えて、明治二十七年には支那を敗りて台湾、其の他の領土と巨額の償金を支払わしめた。 次に明治三十七、八年の日露戦争にも大勝を博して満洲に於ける露国の権益は一切挙げて日本に無償譲渡せしめ、次には曾て支那が属国取扱いをなして居た所の朝鮮も日本が合併した。 以上の事実だけでも之を支那人の眠から見たならば如何なる感じが起るであろうか。 如何に支邪人が鈍感であっても好い感じが起る訳はない。 支那が弱いからであるとは言うものの、苟くも血が通うて居る人間であるならば実に残念無念、何としても復讐してやりたいとの感じが起きるのは当然のことである。 仮に日本と支那との地位を変えて考えて見たならば如何であろうか。 左様なることは起る訳はないが、仮に日本が支那と戦って敗北し、日本領土の一部である四国、九州を取られ、其の上巨額の償金を払わせられた場合には我々日本人として如何なる感じが起るであろうか。 それこそ臥薪嘗胆などの騒ぎではない。 食わず飲まず、石に噛りついても復讐せずんば已まないに相違ない。 是が愛国心であり日本精神であるが、日本人に愛国心があり支那人には愛国心がないとは言えない。 所が啻にそればかりではなく、日本の勢力は年一年と進んで、遂に満洲も支那から引離して独立させた。 更に進んでは北支から中支南支にも及んで行く―。 之を日本の立場より見れば、日本の発展を図らんが為の道義の戦争で侵略ではないと言うが、一方支那の立場より見れば何と弁解せられた所で其の実は侵略であるに相違ない。 自国の領土や人命を他国に取られながら、それは侵略でないと言うた所で左様なる虚言が国民の間に通用する筈はない。 それ故に苟くも支那を率いる政治家であるならば、此の侵略を排斥するが為に精神的にも物質的にも国を挙げて其の準備に取掛るべきであって、それに気が付かない、(注1) 又出来ないと言うならば、それは政治家として国民を率いる資格はない、少くとも過去十数年に亙りて蒋介石が取り来った政策はそれである。 即ち国民に向って抗日精神を打込みたることは精神的の準備であり、軍備の充実に向って力を注ぎたるは物質的の準備である。 然る所が其の準備が未だ完全に整わざる中に今回の支那事変が勃発したるのである。 尤も蒋介石自身は準備十分なりと考えて居たかも知れないが、若し十分であると考えて居たならばそれは全く見込み違いである。 併し何れにするも既に事変が始まった以上は戦わねばならぬ。 救国の為に最後まで戦う決心をして居るのが今日の蒋介石である。 然る所が汪兆銘はそれとは全く違った考えを抱いて居る。 彼は当初から打算的である。 今回の事変に当りて日本と支那との軍事的勢力を比較すれば、支那は到底日本の敵ではない。 文字通りに日本は連戦連勝、支那は連戦連敗であって、此の情勢は将来に亙りても決して変る見込みはない。 故に戦っても勝てない。 敗れるに決って居るならば戦わないのが賢明である。 絶対に勝てない。 負けるに決って居るに拘らず飽くまで戦いを続けて行けば、其の間に於て数限りなき同胞は殺され傷つく。 街も村も其の他敵軍の通過することがあるならば(注2)戦いの為に必要とあれば凡ゆるものが焼払われ打ち毀されて、国内は眼も当てられぬ惨状を呈する。 斯かる戦争を続けて行くことは実に愚の骨頂であるから速かに日本の前に頭を下げて戦争を止めねばならぬ。殊に日本は今回の戦争に当りて一寸の土地も一銭の償金も求めんとするものではない。 唯支那と親善関係を確立して経済上の提携をなすのが其の目的であると明言して居る以上は、是れ以上支那として戦いを継続する要は全然見出すことが出来ない。 彼は此の考えを抱いて蒋介石の陣営から抜け出し、日本の援助の下に新政権を樹立して居る、是が汪兆銘である。

第3段落

今回の事変に当りて蒋介石と汪兆銘の行く途は斯くの如く分れて居る。 共に支那の政治家でありながら、而も両人共に祖国を背負うて立って居ながら事変処理に対する考えが全然異って、一人は東に行き一人は西に行く。 一人は飽くまで戦うことを以て自国の独立と名誉を維持する途であると信じ、負けても逐われても屈せず撓ゆまず長期 抗戦の実を挙げて居る。 一人は是と全然反対に初めから戦争の前途に見透しを付けて戦いを避け、剰え前者が戦いつつある敵国と通謀して其の援助に依りて別に新政府を樹立して居る。 之を第三者の目から見るとどうであるか。 元来戦いに臨みて味方の態度を決するに当りては到底相容れざる二つの行き方がある。 それは何であるかと言えば、一つは打算的のものであり、一つは精神的のものである。 前者は予め彼我の勢力を打算して勝敗の数を割出す。 而して到底勝算なしと見極めを付けたる時は戦わずして敵に降伏する。 全然算盤主義である。 之に反して後者は全く勝敗を眼中に置かない訳ではないが、戦争なるものは単に勝敗の数ばかりではなく、国家としても亦人間としても時と場合に当りては戦わねばならぬ。 又戦わねばならぬ必要に迫られることがある。 斯かる場合に臨みては勝敗を度外に視て飽くまでも戦うのである。 戦って居る間に於ては、時に彼我の形勢が転倒して勝利に導くことがないとも限らないが、仮令左様なる場面が起らないとも戦うことに依りて国民を団結し、士気を鼓舞し、敗れて一時の損失は受くるも永久に国家の基礎を確立する。 是が即ち立国の根本精神でなければならぬ。 然るに予め勝敗を打算し、戦わずして敵に降伏するが如きことがあるならば、仮令それに依りて一時の損害は免れるも、斯かる国民的精神なき国家が長く其の独立を維持することが出来ないのは古今東西を通じて争うべからざる真理である。 今日支那人の思想が其の何れに傾いて居るかは分らないが、之を支那中世以後の歴史に付て見るも、彼等の間に於ても随分志操堅固に気節凛烈として死すとも敵に屈せざる忠臣烈士が現われて、其の最期を輝かして居る事実を見出すことが出 来る。 而かも是等の事実は何れも支那国内に於ける易姓革命の内乱に当りて起りたるものであって、若し是が自国の運命を決する外国との戦争があったならば如何なるものであろうか。 是は歴史の示さざる所であるから人々の想像に委ねるの外はない。

第4段落

更に之を我々日本人の思想より考えたならばどうであるか。 日本人の思想は蒋介石の思想を容れるか汪兆銘の思想を容れるか。 蒋介石は痩せても枯れても兎に角国の為に戦うだけの決心を有して居る。 彼に対する一切の感情を離れて考えるならば、此の思想だけは確かに日本人(注3)の思想として一致するものではないか。 昔から大和魂と言い武士道と言うものは敵に対しては命を捨てても最後まで戦うと云う思想であって、忠臣義士と称せらるる者は何れも此の思想の権化である。 然るに汪兆銘の取りたる行動は日本人の思想より見て洵に立派なるものとして賞讃すべき値打のあるものであろうか。 考えるまでもないことのように思はれる。 是も想像することは出来ないことであるが、仮に日本が外国と戦端を開いて戦正に酷なる時に当り、日本人の中で殊に有数なる政治家の中に於て戦いの前途と勝敗の数を打算し、戦いを避けて敵国と通謀し、敵国の援助に依りて別に政府を樹立する者が現われたならば日本人は之を許すかどうか。 是こそ真の逆賊であり売国奴であって、是国内には瞬時と雖も足を止めることは出来ない筈である。 而して此の思想は支那人にも共通するものである。 否独り支那人に共通するに限らず、苟くも国を立てて何処までも其の独立と名誉を維持せんと欲する国民であるならば此の位の思想の持合せない者はない。 聞く所に依れば支那民衆は汪兆銘を目して売国奴である。 漢奸であると称して居るようであるが、是は無理もないことである。

第5段落

以上は蒋、汪両人に対する極めて大体の批評であるが、若し夫れ今回の事変に当り、真に支那救国の実を挙げるに両人の中何れが成功するやは今日容易に断定することは出来ない。 長き将来に亙る諸般の事実が此の問題に答えるであろう。

脚注

(1)
原文では「。」と表記されている。
(2)
原文では「通過するは」と表記されている。
(3)
原文では「日本へ」と表記されている。