「日本は何うなるか」

2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』139ページから146ページに掲載されている、「日本は何うなるか」(1941-10執筆)を文字に起こしました。

本文

第1段落

世界はとうとう戦乱の巷と化した。 ヨーロッパの天地には人間の殺戮競争が猛烈に演ぜられて居る。 一回の戦闘に幾万、幾十万の人間、而も血気旺んなる青壮年が鉄火の的となって戦場に白骨を曝す。 最も多数の人間を殺戮したるものが最も偉大なる英雄豪傑として後世の歴史を輝かすに相違ないが、茲に至って世界は全く弱肉強食の修羅道である。 戦争を以て弱肉強食と言えば、世の偽善家等は同意せないかも知れないが、彼等が同意すると否とに拘らず、弱肉強食の現実が眼前に曝け出されて居るから何人と雖も此の事実の前には頭を下げねばならぬ。 正義とか道義とか新秩序の建設とか、世界の平和とか、心にもない寝言を繰返して愚図付て居る偽善家等を後に残して戦争の悪魔はぐんぐんと前進する。 世界はどうなるものであるか。 ヨーロッパ戦争は如何に結末が付くものであるか。 ドイツが勝つか英吉利が勝つか。 ドイツ贔屓の連中はドイツが勝つことは百パーセント疑いなしと断言する。 是までの戦跡より見れば此の断言は間違いないように思われるが、イギリス贔屓の連中に言わせると必ずしもそうではない。 是れまではドイツが連戦連勝して居るが、戦争の最後はイギリスが勝つと断言する。 過去現在の情勢より見れば此の予言が当るものとも思えないが、将来のことは何んとも分らない。 又何れが勝つて何れが負けるとも、一体戦後のヨーロッパはどうなるものであろうか。 是れまでヨーロッパには大小共に数うれば三十ばかりの独立国がある筈であるが、是等の国々が如何なる運命に遭遇するものであるか。 凡ゆる弱小国は二、三強大国の前に併呑せられて世界の地図から抹殺せらるるものであるか。 或は偽装独立国として強国に隷属するものであるか。 或は又他に新しき何ものかの形体が現わはるるものであるか。 是等のことは一切我々には分らない。 分るように言う者もあるが、何れも想像に過ぎないから此の想像が当るか当らないかそれも分ったものではない。 併し実を言えばヨーロッパの将来は我々に取りてはそれ程重大なる関心事ではない。 否関心を要せないでもないが、之を我が日本の将来と比較するならば迚も同日に語れるものではない。 今日我々が真剣に考えねばならぬ重大問題はヨーロッパの将来ではなくして我が日本の将来である。 日本はどうなるものであるか。 今日我々が瞬時も忘るることの出来ない問題は即ち是である。

第2段落

言うまでもなく今日我が日本は建国以来空前の困難に直面して居る。 困難に直面すると同時に此の困難を突破し、更に一層雄大なる国家を建設せんが為に躍進を続けて居るのであって、其の理想とする所は頗る高邁である。 曰く大東亜の新秩序を建設する。 曰く大東亜永遠の平和を確立して日本が其の指導者となる。 曰く軍国の精神を発揚して八紘一宇の大理想を実現せんとする。 曰く皇道を世界に普及して世界を挙げて日本化せしめんとする。 凡そ是等の言辞は近頃我が国の上層部より絶えず国民に向って放送せらるるものであるが、何れを聴いても快哉を叫ばざるものなく、全然我が意を得たるものであって、日本国民として是等の理想に向って異議を差挟む者は一人もあるべき筈はない。 異議を差挟む者はないが、是と同時に斯くの如き大理想は果して達せらるべきものであるかないか。 又達せらるるとするも之に達するには如何なる過程を踏まねばならぬものであるか。 今日の我が国及び国民は此の過程を踏みて此の大理想に達するに足るべき実力を具備して居るものであるか。 実力を伴わざる理想は真の理想ではなくして一種の空想であるが、空想に陥るような憂いはないか。 凡そ国家のことに付ては何事に限らず相手がある。 彼我の勢力を忘れては何事も達することは出来ないのは無論であるが、今日の我が国の現実は此の理想を達成するに足るべき凡ゆる条件を具備して居るかどうか。 己れの実力を計らず、唯一途に突進することを以て日本精神であり、忠君愛国であると妄信する一部の人々の言動は強いて問わず、苟くも国家を背負うて立つ所の政治家は、深く思いを茲に及ぼして国策の方針に万違算なきを期せねばならぬ。 政治家が国策を誤ったならば国家は危くなるのである。

第3段落

先ず第一に我々は支那事変の前途を懸念する。 支那事変が始まってから既に五箇年の歳月を経過し、此の間に於て我が軍は文字通りに連戦連勝を続け来って、支那の要地は殆ど我が軍の占領下に属して居るが、事変の前途に付ては今以て確かなる見透しは立たない。 我々は日々の新聞紙を通じて事変遂行の大要を掴むより途はないのである が、新聞紙の報道は千遍一律、何れを見ても我々に取っては絶対有利であり、蒋介石軍隊の撃滅は言うに及ばず、蒋政権は愈々窮地に逐い詰められて、明日にも崩壊するが如き記事の現われるのは最近に始まったことにはあらずして随分久しき以前、少くとも両三年前より此の種の報道が続けられて居るが、我々は是等の報道が単なる報道に止まって、未だ最後の決定的事実として現わるるに至らざることを甚だ遺憾に思うて居る。 一般国民も亦日々是等の記事を見て、蒋政権の没落は愈々眼前に迫れりと中心之を期待して居るに相違ないが、此の期待が幾度となく外るるが如きことがあるならば事変に対する国民の関心は殆ど慢性的となって、漸次に減退することはないであろうが、近頃民衆の中には支那事変の報道よりも却ってヨーロッパ戦争の報道に耳を傾むくる者もあるが、斯くの如きは銃後の国民として出征軍人に対しても洵に申訳ない次第であるのみならず、国家の為に実に憂うべき現象と言わねばならぬ。 元来支那事変の発生以来、政府は国民に向って事変の目的と時局の認識を強調して来たのであるが、其の言う所は甚だ漠然たるものであつて、国民の肚の底には何となく結んで解けざる疑惑が残って居るのではないかと思われる。 東亜の新秩序建設とか八紘一宇と云うが如きことではどうも縁遠く思われる。 それよりも支那事変と日本帝国の存立及国民の実生活とを直接に結び付けるに足るべき徹底した理由を国民の前に明かにする必要があるのではないか。 明治二十七年の日清戦争及び三十七、八年の日露戦争に当りては政府が国民に向って時局の認識を強調するまでもなく、国民は此の両大戦争が我が帝国の存亡に直接関係ある、已むに已まれぬ戦争であることを自覚して居たから、政府が命令し強調するまでもなく国民は心から緊張したのであるが、今回の事変は是まで政府の声明に依れば前両大戦とは全く其の性質と目的が異って居るようである。 即ち今回の事変は今日ヨーロッパに於て進行しつつある所の侵略主義の戦争ではなくして、全く自国の利害を超越したる道義戦であると言われて居る。 それであるから如何に幾百万、二百万の将兵が遙か海を越えて彼の地に転戦し、凡ゆる艱苦を凌ぎて空前の戦果を得た所で、結局は一寸の領土も一銭の償金も取らない。 望む所は領土や償金や資源等にはあらずして東亜の新秩序である。 而して其の新秩序の内容は何んであるかと思えば共同防共と善隣友好と経済提携と此の三原則の外には出でないと云うのである。

第4段落

是に於て国民の頭に浮び出づる最初の疑は、それならば何も戦争をやらなくとも戦争以外の方法に依りて彼我共に此の目的を達する手段があるではないか。 是が大なる疑問であって、今日に於ても尚お此の疑問は解けないように思われる。 現に汪兆銘は是が日本の望む総てであると信じて、別に支那に取りては不利益なることではないから戦争を止めて日本と手を握るのが賢明であると思って彼の態度に出たのであるが、蒋介石は何故に之を理解ることが出来ないのであるか。 之を理解することが出来ずして飽くまでも日本と抗戦する。 日本と抗戦する間に於て是れまで既に幾百万の壮丁は殺され、戦場至る所の家屋も財産も打壊され焼き払われて、民衆は飢餓の巷に彷徨して居るのであるが、今後此の戦争が続く限り生命、財産の損害は止む時はない。 想えば実に馬鹿の骨頂ではないか。 是と同じく我が国も唯是だけの目的を抱いて居るならば戦争の手段に愬えずして外交其の他の方法に依りて之を切り開く方法は見出せないであろうか。 之を切り開くことが出来ずして遂に戦争となる。 而かも其の初めは彼の一地方に於ける出先軍隊の行き違ひが因となって、何人も予想せざる大事件を惹き起して、今日殆ど収拾することの出来ぬ状態まで押し進んで来た。 而も此の事変の為に是れまで我が国民が払いたる生命、自由、財産其の他一切の犠牲は之を筆にすべく余りにも莫大であるが、今後此の事変の続く限り是等の犠牲も亦止むことなく、而も事変は何時終了するのであるか。 前途全く不明であると云うに至りては、国家の為に是れ程深憂に堪えないことはない。

第5段落

尚お又第三国の蒋介石援助に付ても甚だ不可解に堪えないものがある、我が国は支那に於ける第三国の権益は決して侵略せざるのみならず、飽くまで之を尊重すると声明して居る。 所謂支那事変は日本と支那との間に起れる紛争であって、第三国の利害には何等の影響はない筈である。 然るに英米等の第三国は何故に彼の(注1)如く蒋介石を援助して日本と抗戦せしむるのであるか。 是が問題である。 是まで政府としては宣言したことはないが、或る一派の論客は、今回の事変を機会として支那に於ける欧米の勢力を根底より駆逐して、支那をば支那人の手に還元するのであると公言して得意がって居るが、今日の場合何の必要あって斯くの如きことを公言するのであるか。 支那に於ける第三国の勢力、殊に経済上の勢力は武力なぞに依りて急速に駆逐することが出来るものでないことは分って居なけれはならぬ筈である。 支那に於ける第三国の勢力の消長は支那に於ける日本の勢力の消長と反比例するものであって、日本の勢力が発展すれば発展する程第三国の勢力は減退するに相違ないが、是は所謂生存顔争の法則に依りて自然的に定まるものであって、今俄かに武力に依って解決すべき性質のものではなく又実際是が出来るものでもない。 事変以来我が国に於て盛んに横行する斯かる言論が第三国をして蒋介石援助を理由付けしむるに与って力あることは言を俟たぬ次第であって、国家の為に害はあっても益はない。 それにも拘らず言論取締に熱心なる政府は何故に斯かる言論を放任するのであるか。 是が分らない。 尚お又我が国民の中には頻りに英米依存を非難する者があるが、若し英米依存なるものが一寸一分たりとも我が国の権威を損じ、体面を傷付けて、英米に屈従することを意味するならば、それは絶対に排斥せねばならぬと同時に、此の意味に於ける依存であるならば啻に英米のみならず、独伊を始め其の他世界何れの国にも我が国は絶対に依存してはならぬ。 併し依存と云うことが両国同等の立場に於て国際関係を維持し、殊に経済関係に於ては能う限り有無相通ずることを意味するならば英米依存が何故に悪いか。 況んや従来対外貿易の大部分は英米依存であって、此の依存に依りて彼我共に国益を増進し来ったことは隠れもない事実であるにも拘らず、何故に今俄かに之を放棄せんとするのであるか。 之を放棄して何の益があるか。 益なきのみならず非常なる害であることは近頃我々の眼前に横たわれる事実が最も雄弁に物語って居るではないか。 即ち我が国は英米の経済封鎖に依りて今日少なからざる窮境に陥り、之を軍略的見地よりするも此の優に放任することは出来ない状態に立至って居ることは政府自ら之を認めて居るではないか。 是に於て東亜共栄圏の確立と云うことが起って来て居るが、東亜共栄圏の確立とは何を意味するのであるかと言えば、主として共栄圏内に於て経済上の自給自足を図らんとするのであるから、我が国の将来を考慮する根本国策としては極めて必要なることに相違ないが、此の重大なる国策が一年や二年の短期間に於て完成するものとは思われないのみならず、此の国策を遂行するに当りては実に容易ならざる障碍が横たわって居ることは世間周知の事実である。 斯くの如くにして一面に於ては東亜共栄圏は未だ確立せず、自給自足の未だ完成せざるに先立ち、他面に於ては既に英米の経済封鎖に逢うて今日の窮境に陥る。 抑々誰の責任であるか。 今日我が国民の中には英米両国の処置に憤慨し、正義人道論を振翳して頻りに攻撃の矢を放つ者もあるが、此の矢が彼等の額面を貫くものとは思われず、外交上の折衝等に依りて此の難境を打開せんとするも却って我の弱点を曝露し、彼等をして益々対日政策を強行せしむるの外恐らく何ものも得る所はないであろう。 是に於て最後の方法として残る所のものは所謂対日包囲陣の突破であって、既に軍部当局の中には之を国民の前に公言する者もあるが、此事極めて重大である。 固より武力の行使は軍の機密に属し、我等の窺い知ることではないが、今日之を四囲の形勢に付きて考うれば、武力行使に先立ち尚考慮さるべき幾多の方法が残されて居るのであって、国を率いる責任政治家は茲に目を付けねばならぬ。 逡巡躊躇は国事を断ずる所以ではないが軽挙暴進は国を滅すものである。

第6段落

以上観察し来れば、我が国は支那事変以来一歩一歩と深淵に向って進みつつあるものの如くに見える。 河流に従つて棹させば其の初めは緩慢なるも、淵に近づくに従つて漸次急流となって、遂には人力を以て引返すことは出来ず、見す見す百尺の深淵に身を投ずることがある。 何人が見た所で今日の時局は実に容易ならざるものである。 此の時局に処せんが為に政府は各方面に亙りて国内体制を益々強化して、国民の自由、財産に極度の制限を加え、滅私奉公、一億一心を強調する。 国民には少しも異存はない。 既に出征の将兵は命を捨てて国の為に戦って居るのであるから、銃後の国民が自由や財産を提供するに於て一人の苦情があるべき筈はない。 国民は挙げて政府の言う所、為す所に無条件服従して居るのであるが、是と同時に政府としても大に考えねばならぬことがある。 如何に船の乗組員が一生懸命に働いても船長が舵を誤ったならば船は転覆する。 如何に国民が一生懸命に忠勤を尽しても政府が国策の方針を誤ったならば国は危くなる。 世界何れの国家も国力には限度があって、限度以上のことは出来ない。一億の国民が如何に一致団結して火の玉となった所で此の力にも自ら限度がある。 国民が一致団結すれば天下何事かなす能わざらんと云うが如きは全く無責任な書生論であって、真に此の時局を思う政治家は此の種の書生論に耳を傾けてはならぬ。 誰が何んと言うとも今日の世界は仁義や道義の世界にあらずして徹頭徹尾力の世界である以上は、進んで取るも退いて護るも国力を打算せざる行動が悉く失敗に終るのは必然である。 国力を挙げて進めば必ず取るを得べしとの確信あらば進んで取るべし。 然らざる場合は退いて護るに如かず。 否退いて護ることこそ却って進んで取るより更により以上の結果を齎すこともあり得るのである。 今日に至りては最早言うても及ばぬことであるが、仮に支那事変なくして今回ヨーロッパ戦争が始まったとするならば、我が国は如何なる立場に在るであろうか。 国力を内に貯え、厳然として世界に臨めば英と言わず米と言わずソ聯と言わず其の他世界各国は競って我が国の脚下に膝まづきて我が国の歓心を求むべく、我が国に於ける富の増進は第一次ヨーロッパ戦争に比して十倍に上るは無論のこと、之に依りて国力の強化は言うに及ばず、世界の指導権を獲得して東亜新秩序の建設や共栄圏確立の如きは労せずして手に握ることを得るは鏡に懸けて見るが如きものである。 然るに誤って支那事変を惹起して之に向って国力を傾倒せねばならぬのみならず、事変の前途は暗澹として全く見透しが付かない。 其の上是が原因となりて我が国の周囲に敵性国家が現われ経済封鎖を断行し対日包囲陣を形成してじりじりと我が国を圧迫せんとするのが今日の現状である。

第7段落

日本はどうなるか。 政府や政治家は何と考えて居るか。 是が聴きたいものである。

脚注

(1)
原文では「彼が」と表記されている。