「立憲政治を汚涜せる候補者推薦制」

last updated: 2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』157ページから169ページに掲載されている、「立憲政治を汚涜せる候補者推薦制」(1942-07執筆)を文字に起こしました。

本文

第1段落

昭和十二年四月三十日行われたる総選挙に依りて当選したる議員は、十六年四月二十九日に至り四箇年の任期満了となるから、同年四月三十日に総選挙が行わるべき筈であったが、近衛内閣が名を時局に藉りて之を延期したるは如何に弁解するも我が国憲法史上に一大汚点を印したる非立憲の甚だしきものである。 次に現われたる東条内閣は更に之を延期するか或は之を断行するか其の態度に判明を欠くものがあったから、昭和十六年十一月下旬、余は東条首相に総選挙断行の意見書を提出し、更に十二月一日次の意見書を約一千枚印刷して貴衆両院議員、政府要路者其の他有力なる言論機関に郵送した。

意見書

総選挙断行すべし

一、
議員の任期は憲法政治の基本要件なり。 欧米諸国は何れも之を憲法其のものの中に明記す。 独り我が国は之を選挙法中に規定すれども、其の実質は憲法的性質を有す。 故を以て従来選挙法は幾度か改正せられたるも、議員の任期に付ては一指を染めたる跡を見ず。 然るに第二次近衛内閣は適当の理由なくして之を延長す。 全く憲法蹂躙の譏を免れず。
二、
之を政治上より見るも、国民は議員の任期四箇年を条件として之を選挙せり。 従って其の期間を過るに於ては国民の選挙意思と議員の資格との間に何等の連絡なし。 如何にして民意代表の実を挙ぐることを得るか。
三、
全国民に対して時局の認識を徹底せしめ、事実の真相を公表するは総選挙より有効なるものなし。 微々たる翼賛運動の如きは言うに足らず。 殊に今日我が国民は言論の抑圧に遭うて中心政治的に欝結し、如何にも耐ゆべからざるものあり。 之を打開して民心を明朗化するにあらざれは真の精神的協力は望むべからず。 然るに近衛内閣此に気付かず、却て総選挙を恐れ名を時局に藉りて妄りに之を延期す。 憲政を歪曲し、政界の情勢を助長し、国民の失望と不満を招き、政治的関心を冷却せしめ、民心に及ばしたる影響決して少からず。 我が憲法史上に拭うべからざる一大汚点を染む。 近衛内閣失政の大なるものなり。
四、
時局の大勢と議会の状態を見れば益々総選挙を断行して人心を一新するの必要を痛感す。 硝煙弾雨の間に於ても総選挙は必ず断行せざるべからず。 天災、不可抗力に依りて投票を行う能わざる場合には選挙法に特別の規定あり(第三十七条)全国に亙りて総選挙を中止するの理由とならず。
五、
勇断果決は内外政策を遂行するの要諦にして、優柔不断、薄志弱行は国難打開の途にあらず、東条内閣は断じて前内閣の轍を踏むべからず。

第2段落

余の意見が政府を動かしたる訳でもあるまいが、越えて四日、政府は愈々総選挙を断行する旨を発表したるは偶々余の意見と一致したるものあって余は快心の至りであった。

第3段落

今回の総選挙は従来前例なき五年目の選挙であり、且又大戦中の選挙であるから、政府は選挙に臨むに当りて必要なる対策を定めねばならぬことになった。 之に付て東条内国は如何なる方針を取りたかと見ると、先づ第一に二月十八日の臨時閣議に於て翼賛選挙貫徹運動基本要綱なるものを決定し、此の機会に議会を革新し、政治力の結束を図る目的を以て一大啓蒙運動を起し、候補者推薦の機運を醸成すると称して同月二十三日首相官邸に阿部信行大将外三十二名の人々を招待して其の趣旨を述べて各委員の協力を要請するに至ったから、是等の諸氏は之に応えて直ちに翼賛政治体制協議会なる候補者推薦母体を結成し、阿部大将を会長となして東京に本部を置き、各道府県に部を設け、全国に亙りて候補者推薦に取掛った。 而して其の結果として推薦せられたる候補者数は四百六十六名、丁度議員定数と同数であって、此の外推薦ならざる候補者即ち自由候補者六百十三名、合せて一千七十九名の候補者が選挙場裡に現われて競争を開始することとなったが、此の選挙は各方面より観察して煩る不法不当のものであって、選挙制度延いて立憲政治を根本より破壊したる許すべからざる罪悪である。

第4段落

第一に今回の選挙に当り、政府の目的とする所は表面上議会革新、政治力結集に名を藉りて、其の実は議会勢力を削減し、政府の独断専制を行わんとするものであるから、選挙に対する政府の行動は徹頭徹尾矛盾撞着、一として信ずるに足るものはない。 即ち東条首相は阿部大将以下三十二名の人々を官邸に招待して自己の所信を述べたれども、其の後翼賛政治体制協議会の設立及び其の推薦母体が如何なる人を候補者にするかは全然政府の関知する所ではなく、政府は飽くまでも絶対公正なる態度を以て選挙に臨むと言明して居れども、右は全く世間を瞞着して政府の責任を回避せんとする虚偽の言明であって、何人も斯かる言明を信ずる者はないのみならず、其の後に現われたる幾多の事実は其の言明の虚偽なることを証して余りがある。 而して斯かる事情に依りて起りたる推薦母体が到底公平なる見地に立ちて候補者の推薦を行う訳はなく、帰する所は議会に於て正義硬論を唱うる議員を排斥して、政府に絶対盲従を恥ぢざる軟骨議員を選出するにあることは推薦せられたる四百六十八名の顔触れを見れば一目瞭然である。 それであるから推薦母体が候補者を決定すれば他に多くの候補者は現われざるべしとの予想は全く裏切られ、却って後者は前者よりも多数に上り、茲に推薦、非推薦が鎬を削りて選挙競争をなすに至ったのである。

第5段落

第二に推薦制は憲法逢反なりとの意見がある。 即ち憲法第三十五条には「衆議院ハ選挙法ノ定ムル所二依り公選セラレクル議員ヲ以テ組織ス」と規定せられてあるが、推薦制は此の議員公選の趣旨に反すると言うのである。 今回の推薦制は法規上には何等の根拠なく、全く法規を離れたる私的団体が勝手に候補者を推薦し、選挙人も推薦、非推薦を問わず己れの好む候補者に投票する自由を有するから、此の点より見ると決して憲法上の公選規定に違背するものとは思えない。 然れども是は憲法の形式解釈から来る結論であって、之を実質上及び精神上より見れば確かに公選の趣旨に反するものである。 なぜなれば前述せる如く今回の推薦は法規上には何等の関係もなく、且つ選挙人は両者何れにても投票する自由はあれども、是は単に形式上の観察であって、実際上に現われたる事実に徹すれば政府と協議会は一心同体となって候補者を推薦し、其の推薦候補者を当選せしむるが為に有ゆる手段を以て之を援助すると同時に、極力非推薦候補者を弾圧して選挙人の心理状態を推薦候補者に傾けしめ、以て多数の当選者を獲得したることは争ふことの出来ない事実である。 元来公選とは如何なる意味であるかと言うに、単に選挙人が投票場に於て投票すると云う意味ではない。 公選の中には必ず選挙意思の自由が含まれて居る。 選挙意思の自由を欠く所に公選の意義が現わるる訳はない。 一方に於ては推薦、非推薦と候補者の間に色分けをなし、他方に於ては後者は排斥して前者を当選せしむるが為に権力、威力及び金力を濫用して選挙意思の自由を束縛す。 斯かる場合に於て尚公選が行われたりと言うは、全く憲法法規の形式あるを知りて其の精神あるを理解せざる議論であるから、此の点より見るも今回現われたる如き推薦制は今後絶対に排斥せねばならぬ。

第6段落

第三に今回の選挙に当り、政府は翼賛議会を作るが為に翼賛選挙を行うのであると盛んに宣伝したが、一体翼賛議会とは如何なる議会を意味するのであるか。 それが分らない。 余の見る所に依れば、翼賛議会なるものは今回の選挙に依りて初めて生れたものではなく、我が国の議会は当初より翼賛議会である。 即ち憲法発布当日の御告文には「典憲ヲ成立シ条章ヲ明示シ内ハ以テ子孫ノ卒由スル所卜為り外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ」 云々の文句が現われて居る。 又憲法前文には「臣民ノ翼賛二依り倶二国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ」云々の文句がある。 翼賛なる語は此の所に由来するものであって、即ち天皇の大政を翼賛するが為に議会が設けられたのであるから、我が国の議会は当初から翼賛議会であって、今回の選挙に依りて初めて翼賛議会が生るるのではない。 然るに今回の選挙に当りて特に翼賛議会の成立を強調するのほ何が故であるか。 是までの議会は翼賛議会ではない。 即ち非翼賛議会であると言うならば其の理由を示さねばならぬ。 言うまでもなく議会の権能は憲法に依りて明かに定められてある。 議会は此の与えられたる権能を行うが為に政府の政策を審議して賛成すべきは賛成し、修正すべきは修正し、反対すべきは反対する。 是が即ち翼賛の本質であって、是れ以外に翼賛の意味はない。 過去の議会は此の権能を行使し来ったのであるが、将来の議会の亦此の途に向って進むべく、此の途を外れる議会こそ非翼賛議会である。 推薦候補を作り官権の擁護に依りて之を当選せしめ、議会に於ては政府に絶対盲従の已むなき境遇に陥らしむ。 此の種の議員を集めて真の翼賛議会が作れるものか、考えるまでもないことである。 政府が翼賛議会などと云うことを宣伝したから是が地方の自治体の選挙にまで影響を及ぼし、自治体の首脳部等が中央議会の選挙に做って推薦候補を作り、訳も分らず翼賛市会とか翼賛選挙を唱うるに至った。 実に嗤うべき限りである。

第7段落

第四に今回の選挙に当り、政府は清新なる強力議会を作るが為に多数の新人を選出せねばならぬと強調したが、議員に新人も旧人もあったものではない。 議員は議員である。 議員として最も適当なる者が最も善良なる議員であるから、新人が良議員であって旧人が不良議員であると云うが如き議論は通用せない。 而も政府が企図せるが如く 多数の新人が選挙せられたかと言うに、全然反対の結果を示して居るのは実に皮肉である。 即ち之を過去の総選挙に徴するに、議員が任期四箇年を無事に終り、通常選挙が行われるは明治時代に三回ありて、大正、昭和を通じては今回が初めてであるが、第七回通常選挙に於ては議員定数三百七十六名の中で新人が二百二十六名当選し、第十回通常選挙に於ては新人が百八十一名当選し、第十一回通常選挙に於ては新人が百七十九名当選して居る。 斯くの如く過去の通常選挙に於ては多きは過半数、少くとも半数に近き新人が当選して居る。 此の比例に依れば、殊に今回は一年選挙を延期せられたる五年目の選挙であるから少くとも過半数の新人が当選すべく、又当選すべき可能性は十分認められたるに拘らず、不自然なる推薦制度を設け、一は前議員を多数推薦して新人の推薦を抑えたると又一には多数の非推薦新人を弾圧したるが為に選挙の結果を見れば推薦候補者中の新人当選者は僅かに百六十九名にして、議員定員四百六十六名の三分の一にも足らない。 非推薦新人当選者の三十名を合しても百九十九名にして、定員の半数に達せず、斯くの如くにして推薦候補を設けて清新議会を作らんとせし政府の意図は全く予想を外れて居る。 次に強力議会とは如何なる議会を意味するのであるか。 政府におもねらず(注1)権勢を恐れず、飽くまでも議会の独立を堅持し、政府を監督し指導し堅持し、以て憲法が与えたる権能を遺憾なく発揮する議会にして初めて強力議会と称することが出来る。 推薦候補として政府庇護の下に当選し、相率いて政府の陣営に吸収せられ、議員の独立を放棄して自ら恥ぢざるが如き議員が集まって強力議会を作るなどとは天下を欺くも甚だしきものである。

第8段落

第五に東条首相は議会に於ける議員の質問に答えて、翼賛会は政事結社にあらず、公事結社であるから選挙には一切開係せしめない。 又其の一翼たる翼賛壮年団も同様であると再三明答を与えて居るが、是こそ議会を欺く一時の遁辞であって、其の後選挙界に現われたる事実を見れば、翼賛会及び翼賛壮年団が推薦候補を応援するが為に如何に積極的行動を取りたるかは天下大衆之を知らざる者はない。 翼賛会は総理大臣を以て総裁となし、中央に本部を設け各道府県に支部を設け、長官及び知事を以て支部長となし、其の他各市町村に亙りてそれぞれの組織をなして縦横に網を張って居るが、是等の関係者が中央の命令に依って一斉に起って推薦候補を応援したるのみならず、本部より多数の弁士を派遣して推薦候補を応援せしめたる、其の費用は何れの所より支出したるか。 疑いもなく本部より支出したるに相違ない。 而して其の本部の経費は悉く国費の支出に基づくものであるから、彼等は国費を濫用して選挙応援をなしたる事実を蔽うことが出来ない。 翼賛壮年団なるものも同様である。 選挙期日の切迫せる間際に至りて全国各各に壮年団の発会式を挙行し、鳴物入りにて囃し立てたのは全く之を選挙の道具に利用せんが為であったことは疑いなく、地方壮年団長以下団員等も亦其の筋の命令に依りて選挙のことも候補者の良否も訳も分らず、唯推薦候補は政府の指定したるものであるから之を応援せざる者は非国民の如くに心得て、盲目滅法に推薦候補の応援に狂奔するに至ったのである。 斯くの如くにして推薦候補は翼賛会、壮年団は言うに及ばず、在郷軍人会、警防団員の他地方に於ける各種の産業団体に至るまで、殆ど頭を挙げて之を応援すると同時に、候補者自身は官権の擁護を楯に取りて選挙違反を物ともせず、傍若無人の振舞いを以て選挙界を横行するに至ったのであって、是が為に非推薦の受けたる打撃は実に言うに忍びざるものがある。 多数の選挙区に於ては非推薦候補者は選挙事務長、委員、労働者をも使用することが出来ず、全く孤立無援の状態に陥り、加うるに官憲の干渉甚だしく、 所に依りては知事、警察部長以下警察官が表面、裏面、直接、間接に極めて悪辣なる圧迫を加えたる諸般の事実は到底記述すべからざるものがあるが、斯かる不都合千万なる行動を以て選挙界を汚涜しながら、選挙前に当って政府は如何なる声明をなしたか。 曰く「政府は選挙に当りては公正なる態度を堅持し、国民をして自由に公正なる立場に立って投票を行わしむるが為に若干の方法を講じて居る」又選挙後に至りて如何なる声明をなしたか。 曰く「今回は極めて明朗なる選挙を行って、全国民の真摯純正なる政治的意思を表明し、大東亜戦争下に於ける挙国鉄石の決意を中外に顕示したるものである」何たる図々しき虚言であるか。 権力、威力及び金力を濫用して選挙の公正を紊り、選挙の自由を妨害しながら是が公正にして明朗なる選挙であるなどと言うに至りては全く狂気の沙汰であって、我我は実に批評すべき言葉を知らないのである。

第9段落

第六に論ぜねばならぬものは推薦母体たる翼賛政治体制協議会なるものの組織と行動と其の責任である。 協議会は三十三名の人々を以て組織せられて居るが、其の中には軍人あり貴衆両院議員あり実業家あり新聞界の人あり、彼等は之を以て各界の代表者を網羅したる考えであるやは知らないが、斯かる団体が立法議会を組織する議員候補者を選定するに何の権威があるか。 而も此の中衆議院議員を除いては従来選挙に何等の経験なき人々である。 是等の人々が集まりて、仮令地方支部の推薦を基礎とするとは言いながら、到底候補者の適否を判断することは出来るものではない。 而も此の間に情実や利害が纏綿錯綜し、甚だしきに至りては軍需工業の成金等が柄にもなき代議士の地位を望み、推薦候補たらんが為に多額の金銭を撒布したる事実も蔽うべからざるものがある。 殊に前述せる如く協議会の目的とする所は、議会に於て喧々諤々の議論をなす正義硬骨の士を排斥して政府に盲従する軟骨議員を選出せんとするにあるから、斯かる情勢の下に志操健実なる議員候補者が選定せらるる訳はない。 従って推薦せられたる四百六十六名の顔触れを見れば、何人の眼にも極めて不適任と映ずる者も決して少くはない。 其の上多数の推薦候補者に対して多額の運動費を供与し、甚だしきに至りては法定額以上の金員を受けたる者もあって、今回の選挙に当り協議会の支出したる金員は少くとも一千万円に上って居ることは争われないが、其の金員は何れの所より求めたるか。 真の出所を繹ぬれば世間に公表の出来ない不法不正の収入であるに相違ない。 曾て政党の選挙費用の収支を極力攻撃したる連中が一度地位を代ゆれば斯くの如きものである。 而して斯くの如き方法に依る推薦候補でも無理矢理に当選せしめざれば協議会の面目に懸ることであるから、茲に政府権力の濫用が起って来る。 彼等は選挙の結果推薦が八割以上当選したる事実を捉えて、推薦が民意に歓迎せられたるものとして其の成功を誇称すれども、余をして言わしむれば彼等が執りたる手段方法を以て選挙に臨めば八割は愚か四百六十六名の推薦候補を一人も残らず当選すべき筈であるに拘らず、其の中に八十五名の落選者を見るに至りてはよくよく無能の候補者であったに相違なく、是等多数の無能候補者を推薦して選挙界を撹乱し害毒を流したる責任は彼等が負わねばならぬ筈であるが、彼等は之に付て何と考えて居るか。 恐らく何等の責任も感じて居らないに相違ない。

第10段落

第七に選挙終了後東条首相も阿部大将も申合せたる如く異口同音に、総選挙終了したる以上は選挙中の行掛りや感情を一掃し、推薦、非推薦の区別なく、一致して国策に協力して貰いたいとの趣旨を述べて居るが、是は固より当然のことであって、当選議員は言うに及ばず、一千七十余名の候補者中一人として国策に反対する者はない。 然るに是等候補者中に推薦、非推薦の区別を設け、一方を援けて他方を迫害して置きながら、選挙終了すれば一切を水に流して一致協力を求めんとするは随分虫の良い話であるが、併し一致協力に異議はない。 異議はないが然らば何故に推薦候補などを設けて選挙界を騒がしたか。 全く意味がないではないか。 否無意味であるならば害はないが、斯かる余計なる騒ぎをなし、求めて国民の間に相剋摩擦を激成し、感情の疎隔を惹き起し、其の陰影は中々容易に拭い去ることの出来るものではない。 而して最後に推薦、非推薦を糾合して翼賛政治会なる政事結社を組織し、之を以て全国民の政治力を結集し得たりと称するも、是が果して精神的の結合として統一せる活動力と永続性を有す るものであるか。 或は又思想、感情を異にする各種の分子が時局の重圧に余儀なくせられて雑然として、外形上の結合をなす一時的の団体にして、早晩崩壊すべきものであるかは暫く別問題とするも、此の団体が一歩一歩と官僚の陣営に吸収せらるることは争うべからざる事実であって、現に政府直属の委員として百四十余名の議員を送って居るが、是等の議員は政府の政策に協力すべしと称するも、其の実は全く政府の捕虜となりて今後議員としての孤立性を喪失するに至ることは火を睹るよりも明かであり、其の他の議員も大同小異である。 斯くの如くにして立法権の独立は事実上消滅して立憲政治は終焉を告ぐるのである。

第11段落

大体以上述べたる如く今回の選挙に当りて行われたる推薦制なるものは、何れの点より見るも全く背理有害なるものであって、政府、官僚其の他が如何に強弁するも国民の前に曝されたる事実を隠蔽することは出来ぬ。 之を立憲政治及び選挙制度の上より見れば実に許すべからざる罪悪であって、我が国に選挙制度行われて以来、選挙毎に幾多の弊害が現われたるも、未だ曾て今回の如く全国に亙りて不法不当乱暴なる選挙の行われたる例はない。 併し一歩退いて考うれば是は、我々真面目に立憲政治を擁護せんとする者の観察であって、初めから立憲政治を破壊せんとする考えを有する者より見れば我が事成れりと手を打って其の成功を祝福して居るに相違ない。 それは如何なることであるかと言うに、近来我が国の或る方面に於ては憲法上保障せられたる立法府の独立を事実上に奪い去って、我が国の議会をドイツのナチス議会化し、以て立憲政治の外形を存して之を事実的に滅亡せしめんとするの意図を包蔵して居る者がある。 今日ドイツの議会は其の形あっても其の実はない。 前年ヒトラー総統が憲法を改正して、政府は議会の承諾を経ずして自由に法律を制定する権能を獲得せし以来、議会は全く精神なき形骸と化し、ヒトラー一人の独裁政治が行われて居る。 然るに我が国に於ては厳然たる憲法が存在するから、是を改正するにあらざれは議会の権能を剥奪することは出来ぬ。 併し仮令憲法上の議会の権能を剥奪することは出来ぬとするも、事実上に於て之を消滅せしめることに付ては其の方法がないではない。 それは何であるかと言えば、議員を軟化し骨抜きにして、政府に絶対盲従せしめることである。 さすれば仮令憲法上の権能は保存するも、事実上には之を消滅せしめて政府は議会を凌駕し、政府の意の儘に国政を左右することが出来る。 是れ即ち昔日の専制政治に還元するものであって、彼徒の目指す所は実に茲にあるのであるが、今回行われたる推薦制は此の目的に達する一種巧妙なる近道である。 即ち推薦候補者として権力、金力の擁護に依りて当選したる議員は、表面上は如何なる口実を設くるも実際上には議員たるの独立を失って政府の捕虜となり、それ以上の活動をなすことは出来るものではない。 従って是等の議員が圧倒的多数を占むる翼賛政治会の執るべき今後の行動も推して知るべく、同時に政府が翼賛議会を強調する底意も亦茲にあるのである。 即ち我々の見解に依れば翼賛議会とは憲法上に於ける議会の権能を尤も勇敢に発揮し、政府を指導監督する議会を意味するのであるが、政府の見解に依れば政府の政策に協力する議会を意味するのである。 而して政府の政策を協力すとは畢竟するに、協力の名に依って其の実は盲従することを意味するのであるから、翼賛議会は結局盲従議会であって、之をカムフラージュする為に翼賛とか協力とか云う文字を用いて議員を麻酔せしめて居るのである。 然るに議員は之に気付かず、立法議員たる自己の立場を忘れて政府、官僚の陣営に吸収せられて得意然として居るのが偽りなき現在の実情である。 斯くの如くにして憲法が保障する立法権の独立は消滅すると同時に立憲政治の基礎は茲に崩壊するのである。 政府や軍部は口を開けば大東亜戦争完遂の為と言うが、戦争の完遂と議員の選挙と何の関係があるか。 議員候補者中に戦争反対者があるならば官権を行使して之を駆逐するの必要もあろうが、此の種の候補者は唯の一人もないようである。 然るに其の候補者中に推薦、非推薦を 区別し、而も大声疾呼戦争熱を昂揚して戦争完遂の為に推薦候補を当選させねばならぬと叫ぶ。 是れ全く選挙の為に戦争を利用し戦争を道具に使い、延いて戦争の名を汚すものであるが、彼徒が斯くまでして推薦候補の当選を図らんとする意思は何処にあるか。 要するに議会勢力の撲滅と立憲政治の破壊である。 若し之を疑う者あらば総選挙後に於ける議会の形勢を見よ。 推薦議員は競って政府盲従議員となり、此の種の議員が圧倒的多数を占むる翼賛政治会は、議会中には彼此れと浅薄なる質問や議論がましいことを試むる者もあらんが、結局は政府盲従の態度を取るに至るべきは今日より予言して毫も違算はない。 斯くの如くにして国民の意思は議会に代表せられず、議会の威信と独立は消え失せてナチス議会の実感が其の儘我が国の議会に現わるるは避け難き情勢である。 今や我が国は国運を賭する大戦争の真最中であるが、此の戦争を完遂するに当りて議会勢力を撲滅することが必要であるならば我又何をか言わんやであるが、余は左様には考えないのみならず全く反対の考えを有して居る。 即ち前途遼遠なる大戦争を完遂するに当りて、真に一億一心の実を挙げ相剋摩擦を避けんとするならば、不法不当なる民心の弾圧は固く戒め、成べく国民の自由意思を政治上に発揮せしむべく、是こそ国民を率いて異に精神的に喜び勇んで国家に貢献せしむる所以である。 然るに民意を政治上に発露すべき最良の機会である議員選挙に当りて、民意と何等の交渉なき一部少数の者等が政府と結托して不自然なる推薦候補者を製造し、権力、金力を濫用して無理矢理に之を当選せしむ。 何の必要ありて斯かる馬鹿らしき暴挙をなすのであるか。 推薦候補などを設けず、選挙界は従来の如く自由競争に一任し、候補者の間に何等の差別待遇をなさず、国民の意の儘に選挙を行わしむることとなせば当選者も落選者も何の不満も起さず、選挙後の政界は極めて平穏無事にして、真の挙国体制を以て戦争の完遂と政府援助に同一歩調を取りて快よく進むに相違ない。 然るに無益なる推薦候補を設け、有害なる干渉弾圧を加えて選挙界を攪乱し、民意に副わざる不自然なる結果を招来する。 仮令選挙後に至りて推薦、非推薦の区別を撤廃して之を翼賛政治会の圏内に抱合するも、非推薦当選者中の心中には必ずや平かならざるものあるのみならず、多数落選者の間には永久拭うべからざる怨恨の伏在するものあることを記憶すべく、今日の我が国には此の種の非違を敢行して敢て之を罪悪とも思わず、却って之を誇示して自己の権勢を張らんとする官僚政治家が横行し、而も彼等を叱咤鞭撻すべき在野の政治家等は彼等に迎合し以て浅さはかなる栄達を求めんとする。 滔々たる濁流は到底隻手の支え得べき所ではなく、余が此の一文を草するのも、敢て彼の徒に向って頂門の一箴を加えて其の反省を促さんとする考えでもなく、唯後世歴史家が今日の政治を論ずるに当り何等かの資料に供することを得ば幸いである。

脚注

(1)
原文では「佞らず」と表記されている。