「天上より見たる世界戦争」

2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』169ページから193ページに掲載されている、「天上より見たる世界戦争」(1942-11執筆)を文字に起こしました。

本文

第1段落

天上より今日の世界戦争を見渡して居ると色々の感想が起る。

第2段落

第一は支那事変である。 事変と称してなぜに戦争と言わないか。 それが分らない。 あれだけの大戦争をやりながら之を明かに戦争と名を打つことが出来ずして事変などと唱えて居るのはどう云う訳か。 若し戦争と称すれば国際法上の中立国とか戦時禁制品とか其の他色々な問題が起って面倒臭いからそれを避けんが為であるかは知れないが、それにしても戦争をするなら大胆率直に戦争をすると言って出るが宜い。 戦争をしながら戦争と称することが出来ずして事変などと胡魔化すのは甚だ臆病千万なことである。 併し左様なことは先ず棚に上げて別に問題ともせないが、抑々事の起りは何であるかと言えば、昭和十二年七月七日北支の一角盧溝橋に於て支那の軍隊が我が日本の軍 隊に向って発砲したから、我が方も之に応砲したと云うのである。 前年の満洲事件も柳条溝に於て支那軍隊が鉄道を爆破したから起ったと言われて居るが、此の辺のことは何が何だか事実の真相はさっぱり分らない。 何づれ裏面に隠されたる何にものかあるであろう。 若し支那側から事を始めたとすれば支那の軍隊も余程馬鹿である。 何れにするも事の起りは些々たることであるから斯くの如き小事件が将来の大戦争となるとは夢にも想像した者はなかろう。 当時の近衛内閣は現地解決、事件不拡大を唱えて、斯くの如き事件は其の場限りで解決する。 事件は決して拡大せしめないとの方針を立てたのは尤も千万なことである。 併し此の方針は出先軍隊との間に十分なる諒解があったかなかったかそれは分らない。 若し諒解あってのことであるならば此の方針が行われない訳はないのであるが、是が行われない所に現われざる何ものかが潜んで居たのではないかと思われる。 兎に角折角政府が決めたる方針は何ものかに蹂躙せられて事件は日に月に拡大して停止する所なく、瞬く間に北支を乗越えて中支に飛火が移った。 而して上海攻撃などは全く朝飯前の仕事であると思って居た所が、始めて見ればどうしてどうして、それこそ朝飯前どころではなくて後から後から軍隊を繰出して漸く三箇月目に之を陥落したと云う始末である。 聞く所に依れば蒋介石は余程以前からドイツやフランスの軍事顧問を傭聘(注1)して軍隊を訓練し、新式の陣地、要塞を築造して今度こそは日本軍に負けないと確信して居たそうであるが、果して然りとするならば彼は甚だしき認識不足である。 併し認識不足は独り蒋介石のみではなく、我が日本も亦大なる認識不足があった。 双方の認識不足、それがかち合つて戦争を始めたのである。 戦争は認識不足の結果である。 此のことは余が好んで悪口を叩くのではない。 已に陸軍の報道部長が世間に公表して居るから間違いはない。 即ち昭和十四年十二月十三日発行の週報には支那派遣軍総司令部報道部長馬淵道雄の名を以て「支那事変を解決するもの」と題する論文が掲載せられてあるが、其の一節に次の文句がある。

第3段落

抑々此の戦争は支那人殊に蒋介石の日本に対する認識不足と日本の実力誤算から出発し、又日本の支那に対する研究不足と認識不足とに依って始められ、又深められて来た。 極端に申せば日本人の多くは支那を日清戦争時代の支那と見縊り、近代支那の実体を把握して居なかった。 支那人と言えば、利己的で臆病者であると考え、支那の社 会は二、三の野心家や軍閥、権力家から動かされて居るように早飲込みをして居た。 日本の武力を以てすれば鎧袖一触、忽ちに支那を屈服せしめ得ると思って居た。 其の意気は洵に壮で、外国と戦い未だ曾て一度も引けを取ったことのない日本としては一応尤もなことではあるが「敵を知り己れを知れば百戦殆うからず」と言って、相手の実体を把握しないと云うことは危険である。 日本は事変の初めから事変を舐めて掛っては居なかったか。 作戦の規模と言い出征兵力と言い尊き犠牲と言い、日本としては有史以来の戦争で、日本が過去に於て経験した最大の戦争日露戦争と雖も比較にはならぬ。 恐らく世界の如何なる国と雖も、一国が是だけ大規模に作戦をすると云うことはなかろう。 之に加うるに世界の情勢は日本に取って必ずしも有利ならず、国家の安危存亡は懸って国民の双肩にある。 我が国民が此の重大なる戦争を呑んで掛ると云うことは洵に偉大なる国家であり国民であるとも言い得るが、事実此の戦争は斯かく単純ではない。

第4段落

以上は論文中の唯の一節に過ぎないのであって、其の他のことは週報に付て見れば明かであるが、要するに日支事変は双方の認識不足から起ったのであると云うのである。 所が蒋介石の認識不足は別として日本の認識不足と云うことであるが、単に日本の認識不足と言うてもそれだけでは分らない。 一体日本の何ものが認識不足をして居たと云うのであるか。 それを聴きたいものである。 日本国民全体が認識の不足であったとも言えまい。 政治上に国民 を代表する議員であるとも言えない。 政府であると言うても是も漠然として捕捉し難い。 結局は直接に国家を背負うて戦争の衝に当る軍部の認識不足と云うことに帰着するのではなかろうか。 是が国民の常識として最も確かなる見方である。 さすれば日支事変は我が国の軍部の支那に対する認識不足から起ったものであると云う結論に達するのであるが、此の結論に間違いがあるであろうか。 併し仮令認識不足であったとは言え事変が起ったことが悪いと言うのではない。 認識不足であってもなくても早く事変が起ったのは確かに日本の仕合せである。 若し是が二、三年遅れて起ったならば戦争はどんな結果になったか分ったものではない。

第5段落

何れにするも戦争は始まった。 蒋介石は予想外に頑張る。 上海が陥落すれは頭を下げるであろうと思うて居たが、 中々彼は左様なことは夢にも思うて居ない。 そこで南京攻撃が始まった。 十二月十二日には南京が陥落した、それでも屈服しない。 武漢に退却した。 武漢攻撃が始まった。 約一箇年の難戦苦闘が続けられて、漸く翌年十月二十七日武漢三鎮が完全に攻略せられたがそれでも屈服する(注2)どころではなく、重慶に退陣して相変らず抗戦を続けて居る。 斯くの如くにして支那事変が始まって以来今日に至るまで五年有余になる。 此の間日本の新聞などは、蒋介石は愈愈弱り果てた。 重慶政権は近く崩壊すると百度千度書き立てて、国民も今か今かと首を長くして待ち設けて居たが一向事実として現われない。 新聞も亦認識不足、全く虚偽の報道をなして国民を迷わしたに過ぎない。 一方に日本軍が悪戦苦闘を継続し、言うべからざる犠牲を払って占領した所は北支より中支、南支に亙りて、日本全国の約二倍半に当ると云うことであるが、是れ以上に戦線は進展せず、全く膠着状態となって居る。 而して蒋介石を攻撃するまでは断じて戈を収めない。 是が支那事変に対する帝国不動の方針となって居るから、支那事変の前途はどうしてどうして文字通り頗る遼遠である。

第6段落

戦争のことは是れ以上述べないが、述べて見たいのは支那事変の目的である。 一体支那事変の目的は何であるか。 何の目的あって事変を起したのであるか。 曰く日本の大陸発展-是が真の目的であり、目的の全部であり、是れ以外に目的のあるべき訳はない。 而して此の目的を達するに必要なるものは日本の国力であって、国力以外に恃むべき何ものもなく、此の国力を揮って支那を侵略し日本の勢力を植え付けて以て日本の発展を図る。 是が真の目的であって、是れ以外に唱えられて居るものは悉く虚偽仮装の口実に過ぎない。 其の虚偽仮装の口実を真らしく世上に吹聴して世間を欺き国民を欺かんとするのであるが、欺かれて覚らざる者あれは欺かれずして嗤うて居る者もある。 之を高き天上から眺めて見るのである。

(一)聖戦と称している

第7段落

先ず第一に今回の戦争は侵略戦ではなくして聖戦であると唱えて居るが、一体聖戦とは如何なる戦争を意味するのであるか。 それが分らない。 聖と言う以上は少くとも自己を犠牲として他人を救済することを意味するのであるが、凡そ昔から左様な戦争のあるべき訳はない。 如何なる場合に於ても戦争は他国を侵略するか其の侵略を防御するか。 是が戦争の本質であって、是れ以外に戦争の本質は絶対にあるべき訳はない。 支那四億の人民が蒋介石の虐政に苦しめられて居るから之を救済する。 是が聖戦であると云う者があるが、是れ程馬鹿気たことはない。 支郡人民が蒋介石の虐政に苦しめられて居るか或は又彼の善政に救われて居るか、それは如何様にも見られるであろうが、仮令虐政に苦しめられて居るにしてもそれは支那と称する他国の内輪のことであって、我が日本の容喙すべきことではない。 日本の軍隊は他国よりの侵略に対して日本を防御し、尚お進んで他国を侵略して日本の膨脹発展を図るが為に設けられたる道具である。 此の軍隊を他国の人民を救済する道具に使用するが如きは軍隊を設置する目的に 反すると共に軍隊を濫用し軍隊を汚辱して所謂武を汚すものである。 況んや支那人民は日本に向って救済などを求めて居ないのみならず、日本の進撃に対して極力抵抗を続けて居る。 此の事実を目前に見ながら聖戦などと云うことが口にせらるる義理ではない。 或は今回の事変は利益を目的として始められたるものではない。 近衛声明にも唱えられて居る如く如何に戦勝を重ぬるとも領土も償金も一切取らないのが何よりの証拠であって、是が聖戦であると言う者もあるが、併し何故に領土も償金も取らないのであるか。 取った所で之を統治するに困るから取らないのである。 又償金を取らんとするも支那には迚も支払能力がないから取らないのである。 領土、償金を取らない代りに利権の取れる所は利権を獲得する。 現に占領地に於ても能う限り獲得して之を開発しつつあるではないか。 殊に海南島の如きは既に永久占領の素地を作りつつある。 所謂名を取らずして実を取るのが目的である。 又此の目的なくして何で戦争を始めるか―、それにしても既に今回の事変に支払い又今後支払はねばならぬ人命、財産等の莫大(注3)なる犠牲は迚も既に獲得し又将来に獲得せんとする利権などと比較出来るものではない。 想えば実に国家、人民に大損害を与うる戦争であるが、是も時の勢いであるならば仕方ないとするも、唯之を聖戦などと唱えて胡魔化すのが間違って居る。

第8段落

次は第七十五議会に於て問題を惹き起せる支那事変処理に対する余の質問演説に対し、時の畑陸軍大臣が翌日議場に於て次の如き声明をなした。

第9段落

今次事変の目的は容共抗日政権を撲滅して東洋平和を回復し、日満支三国が善隣友好、共同防共、経済提携を具現し以て東洋の新秩序を確立して肇国以来の国是たる八紘一宇の大理想を顕現するにあります。 是れ蓋し聖戦と称する所以でありまして、弱肉強食を本旨とする所謂侵略戦争と根本的に其の類を異にするものであるのであります。

第10段落

右は支那事変の目的を諸般の角度から研究して世上の非難を受けざるように構造したるものに相違ないが、余の見る所に依れば此の文句を其の儘丸飲みにした所で之を以て聖戦などと唱うべきものではなく、弱肉強食の侵略戦争ではないと言いながら其の実は疑いもなく弱肉強食の侵略戦争であることを自ら裏書きしたるものである。 即ち先ず第一に容共抗日政権を撲滅すると言うが、容共とは蒋介石が支那内地に共産党を許容することを指すのであろうが、蒋介石が容共政策を取って居るか否かは知らないが、仮令取って居るとしても彼は好んで之を迎えて居るの ではなく、事情已むを得ずして之を看過(注4)して居るに相違ない。 而して仮に彼が之を許容して居るとするも、是は支那国内の政治問題であるから他国の容喙すべき性質のものではない。 片苦しい国際法などを引用するまでもなく、凡そ一国に於て如何なる政策を取ろおうがそれは其の国の自由勝手であって、他国は之に干渉する権利はない。 之に干渉することは即ち国家の自主権を侵害することになるから国際公法は之を許さない位のことは公法の一頁でも読んだ者は知って居る筈である。 然るに何故に支那の内政に容喙するか。 容喙する理由が立たないではないか。 或は支那に共産主義が侵入すれば我が国が其の影響を受けて困ると言うかも知れないが、それは我が国の力を以て防御すべきであって、支那に対して抗議する理由にはならない。 若し支那の内政が我が国に影響を及ばすから抗議する。 殊に戦争の理由にまですると言うならば、今日の支那は数千年に亙る君主政体を破壊して民主政体を建設して居るのであるが、是が我が国体に影響を及ぼすと言うて抗議し又戦争の理由に供せらるべき道理であるが、之をどう思うかか左様なることが許されるものであるかないかは考えるまでもないことである。 殊に共産主義はロシアが水源であって、支那に多少是が侵入したりとするもそれは末流に過ぎない。 故に共産主義を排斥せんとするならば其の本源たるロシアを叩くのが本筋ではないか。 然るに其の本源には少しも手を着けることが出来ずして末流の支那 に対して彼此れと苦情を持出すに至りては、全く強者を避けて弱者に喰い掛る臆病者の所業であって、日本として是れ程の恥辱はない。

第11段落

次に蒋介石の政権を抗日政権と称して彼の抗日政策を非難し、之を戦争の理由として居るが、日本より見れば彼の抗日政策は実に怪しからぬと思われるか知れないが、蒋介石及び支那側から見れば抗日政策は当然のことである。 なぜなれば支那は過去数十年の間に於て日本から侵略に侵略を重ねられて領土を取られ償金を取られたことは枚挙すべからざるものがある。 即ち日清戦争に於ては台湾、澎湖島に合せて多額の償金を取られ、日露戦争に於ては満洲鉄道から旅順、大連等関東洲一帯を取られ、其の他にも屡次各所に数多の利権を毟ぎ取られ、満洲も独立の美名の下に事実は日本に取られたと同様である。 斯くの如くに是れまで支那が日本から領土や償金や利権を取られたのは支那の無力なるに依るものには相違ないが、支那側から見れば日本の侵略行為から来たものであるから、数千年の古き歴史と日本の数十倍の領土と四億の民衆を擁し、日本を遙かに後輩と思うて居る支那に取りては是れ程残念なことはないから、彼等が日本に対して復讐心を抱くのは無理からぬことであると共に蒋介石が日本に対する敵愾心を醸成するが為に抗日政策を執って児童の教育に抗日思想を打込まんとするのは国を率いる為政家として当然中の当然であって、是れ位のことの出来ない者は、支那に限らず何れの国に於ても国民の頭となる資格はない。 仮に立場を代えて若し日本が支那と同様の憂目に立つとしたならばどうであるか。 日本が支那との戦いに負けて領土や償金や利権を毟ぎ取られ、此の上なき国辱を受けたる場合に当って、我々日本人は安閑として寝て居ることが出来るか。 それこそ寝ても覚ても復讐心を忘れることは出来ないと共に石に噛り付ても之を決行せねば已まぬであろう。 現に日清戦争後の三国干渉にすら憤慨して十年間の臥薪嘗胆、以て復讐戦を決行したではないか。 此の意気と勇気があってこそ初めて国家の独立と威信を保つことが出来るのである。 之を思わずして独り蒋介石の抗日政策を否認するのは我が儘勝手の見方であって、世間には通用せない議論である。

第12段落

支那事変直後に開かれたる第七十二議会に於て、近衛首相の施政方針の演説中に左の一節がある。

第13段落

抑々一国が特定の他の一国を排斥侮辱することを以て国策となし、国民教育の方針として斯かる思想を幼小なる児童の頭脳にまで注入するが如きことは、古今東西の歴史に於て未だ曾て類例を見ざる所である云々。

第14段落

他国を排斥することを国是として之を児童の教育に注入するが如きことは、古今東西の歴史に類例を見ないと言うが、是は近衛公が能く歴史を知らないからである。 斯かる特例は其の程度の差こそあれ敗戦国には有り勝ちなことである。 例えばフランスは一八七〇年の普仏戦争に敗れてプロシヤからアルサス、ローレンの地域と多額の償金を取られたが、是に於てフランス国民は復讐心に燃え盛り、政府も亦多年ドイツに対する敵愾心を児童教育に注入したることは隠れなき事実であるのみならず、巴里のコンコード公園には喪服の女神が立って、遙かにアルサス、ローレンの方向を指して居るが、是は何を意味するかは問わずして明かである。 斯くの如くにしてフランスは四十四年後の第一次ヨーロッパ戦争に当りドイツに勝ちてアルサス、ローレンを奪回したのである。 国家競争は正しく斯くの如きものであるから、蒋介石が支那国民に向って排日抗日の精神を打込むのは当然のことであって、之を非難するのが間違って居る。 併し余は是が為に、蒋介石の抗日教育を叩き破るが為に戦争を始めたことを悪いと言うのではない。 之を放任することは将来日本の為に有害であるから、国家自衛権の発動として戦争を始むることは日本として是れ亦当然のことであるが、唯此の戦争を目して聖戦などと称して世上を欺き、何か日本が自国の利益を犠牲に供して仁義の戦争でも始めて居るが如く吹聴する其の偽善が気に喰わないのである。

第15段落

次に支那事変の目的は東洋の新秩序を確立するにありて、其の新秩序の内容は善隣友好、共同防共、経済提携であると言われて居るが、是れが又訳の分らぬことである。 善隣友好を求むるが為に戦争を始める、戦争に依りて善隣友好の実を挙ぐることが出来るか。 戦争は善隣友好を破るものであって、決して之を促すものではない。 鉄拳を揮って人の頭を撲りながら友好を求めんとするが如きは全く出来ない相談である。 共同防共と言うが、既に前述せる如く共産主義を許容するかしないかは全く支那の自由であって、日本の容喙すべきものではない。 之に容喙するのは出過ぎた話である。 況んや日本は支那と共同せずんば共産主義を防ぐことが出来ない程、それ程共産主義を恐れて居るのか、決して左様ではあるまい。 現に支那と共同せず、日本独自の力を以て徹底的に共産主義を弾圧して居るではないか。 然るに何を苦しんで斯の如きことを戦争目的に掲ぐるのであるか訳が分らない。 経済提携と言うが、是れ又戦争に依りて得らるべきものではない。 戦争に依りて支那を屈服せしめ以て経済上の利権を獲得することは出来ようが、是は強奪であって真の提携ではない。 真の経済提携は戦争に依りて得らるべきものでなく平和的 手段に依る諒解の結果に待たねばならぬ。 従って戦争に依って経済提携を押売せんとするが如きは見当違いの甚だしきものである。 政府当局の新秩序建設の意義は右の如くであるが、其の他に或る種類の言論記者や政治家等は、支那事変の目的たる新秩序の建設とはアジアより英米の勢力を駆逐し、アジアをしてアジア人のアジアたらしむるにありと吹いて居るが、是こそ底抜けの駄法螺である。 支那側より見れば固より英米の勢力も駆逐したいが、駆逐したいのは英米の勢力ばかりではなく同時に日本の勢力をも駆逐したいに相違ない、のみならず、同じ駆逐するならば英米の勢力よりもより以上に日本の勢力を駆逐したい。 是が支那例の希望であるに相違ない。 なぜなれば成程英米の勢力は深く東部に侵入して一面より見れば支那を搾取して居るとも言えようが、他の一面より見れば此の両国は多年に亙り支那に莫大(注5)なる資本を投じて支那内地の交通、産業、貿易、宗教、教育其の他一般文化の発達を助けて来たことは争うべからざる事実であって、支那の英米に負う所は頗る大なる所がある。 然るに日本は支那に対して従来何の利益を与えたか。 戦争に勝って領土や償金や利権を獲得したことはあっても取別けて指摘すべき利益を与えたことはない。 其の上過去数十年に亙りて何か事あれば之を口実として利権を強奪し来りたることは世間周知の事実である。 それ故に支那側より見れば英米も憎かろうが日本は更に憎い。 従って蒋介石が英米排斥をなさずして日本排斥をなすのは支那を率いる政治家として当然なことである。 然るに此の事実と感情を棚に上げて単に英米駆逐、アジア解放と言うが如き空言を弄して支那の民心を把握することが出来ると思うのは白面書生にも劣る空論家の所業である。 其の他例に依りて同文同種とか唇歯輔車とか、此の種の文句は百度千度繰返した所で支那人に取りては全く馬の耳に念仏である。 独り支那人に限らない、世界何れの国民と雖も利のある所と手を握り利のない所と手を分つ。 此の間に同文同種もなければ唇歯輔車もなく、向う三軒両隣も何もない。 遠い英米と手を握ることが利益ならば手を握る。 近き日本と手を握ることが不利益ならば手を分かつ。 唯それだけのことであって、此の間に表もなければ裏もない。 支那人の詩に次の如きものがある。

  • 世人結交須黄金
  • 黄金不多交不深
  • 仮令然諾暫相許
  • 終是悠々行路人

是は世の軽薄者を嘲った詩であろうが、軽薄であろうがなかろうが、是が人間の通有性であるから仕方がない。 聖人君子の行いは之を一人に求むべく、万人に求むることは出来ない。

第16段落

大要斯くの如き次第であって、事変始まって以来東洋に新秩序を建設すると豪語し、之を繰返し繰返し宣伝して、 何か東洋の天地に日本の力に依って一大革新的黎明を巻き起さんとするが如く吹聴して居るが、其の内容を検討すれば実に問題とすべからざることであって、結局は侵略戦争を仮装せんとする浅薄なる口実に過ぎない。 聖戦などとは以ての外の言草である。

第17段落

次に述べたいことは蒋介石と汪兆銘のことである。 日本は蒋介石を撃滅するまでは断じて戈を収めないと声明して居るが、此の目的は果して達せらるべきものであるかないかさっぱり分らない。 そこで汪兆銘を引出して占領地域に新政府を樹立せしめ、極力之を援助して居るが、此の新政府が将来健全に発達して支那を統一する真の独立政府となるべきものであるか。 是も甚だ危まれるのみならず先ず絶望のように思われる。 元来支那歴朝興亡の跡を見るに旧政権を倒して新政権を樹立するのは何れも武人であって、馬上に天下を取る者に限られて居る。 文人にして天下を取りたる者はないようである。 彼の孫逸仙があれだけの精力を革命事業に傾倒したるに拘らず、其の集成らずして最期を遂げたるは何故であるかと言うに、詰り彼が武人にあらずして、武力を有しなかったからであり、之に反して彼の後輩である蒋介石が一時たりとも支那を統一したるは彼が武人にして武力を有して居たからである。 然るに汪兆銘は武人ではないから彼れ随身の武力を有せざるのみならず、新政府を維持するに足るべき財力をも有せず、唯僅かに日本の援助に依りて政府の体面を保って居るに過ぎない。 それ故に新政府の威力は占領地以外は愚か南京城外にも及ばないと云う有様である。 一体斯様なものを政府として認め得るか否か、苟くも国際公法の一頁でも読んだ者は私かに嗤って居るに相違ない。 独り英米に限らず世界各国は新政府を目して日本の傀儡であると言うて居るそうであるが、全く其の通りであって、日本は又之を傀儡とすることが出来るから援助するのである。 所が此の傀儡は尋常一様の傀儡ではなくして中々油断のならぬ厄介な代物である。 即ち日本は飽くまで新政府を援助せねばならぬ。 今更之を倒すことは絶対に出来るものではない。 日本には此の弱点があり、汪等は此の弱点を掴んで居るから断えず日本に向って難題を持ちかけるが、日本は之を拒絶することもできぬ。 即ち之を財政方面の一事に見るも汪が新政府建設の準備中に於て、日本政府が如何程の援助を与えたるるかは明かでないが、新政府成立後今日に至るまで政府の名を以てか何かは知らないが、兎に角、何かの形式を以て公然新政府に貸付たる金額だけでも既に数億に上って居ることは争われない。 而して此の巨額の貸付金は後来償還せらるべき見込みがあるかと言うに、先ずないと見るのが至当である。 而して汪兆銘は之を以て中心より日本の味方となり、真の傀儡となって日本の為に働いて居るかと言うに決して左様ではあるまい。 彼も支那人であり政治家である以上は、彼の為さんと欲す ることは支那本位であって日本本位ではない。 日本の唱うる日華共存共栄は日本本位であると共に彼が唱うる日華共存共栄は支那本位である。 或る評論家は、蒋介石は抗日を標傍して抗日をなし、汪兆銘は親日を標傍して抗日をやる。 彼は表面には日本と手を握り、裏面には蒋と手を握って居ると言うたが、実に穿った話である。 兎に角厄介なことを始めたものであって、将来日本は支那の為にどれだけ悩まされるか分らない。

第18段落

蒋介石と汪兆銘のことに付ては更に述べて見たいものがある。 蒋は日本の敵にして汪は日本の味方であるから、日本人が極力蒋を攻撃し汪を賞讃するのは無理のないことであるが、併し此のことは是まで日本人が唱えて来た思想上より見て差支えがないものであるか。 是が問題である。 日本人は口を開けば大和魂とか武士道とか、又近頃は日本精神と云うことを高調して居るが、此の思想の上に立ちて蒋と汪とのやり方を見たならば如何なる感じが起るであろうか。 日本人の思想は蒋介石の思想を容れるか汪兆銘の思想を容れるか。 蒋は痩せても枯れても兎に角祖国の為に最後まで戦うだけの決心を固めて居る。 それ故に彼に対する一切の感情を離れて考うれば、彼の思想は確か に日本人の思想と一致して居るものではないか。 大和魂、日本精神は敵に対しては最後まで命を捨てても戦うと云うのであって、忠臣義士と称せられる者は何れも此の精神の権化であり、又軍隊思想も国民思想も固より是であるべき筈である。 然るに汪兆銘のやり方はどうであるか。 支那事変は日本と支那との戦争である。 而して蒋介石は支那の元首として支那軍隊を率いて日本と戦って居る。 其の真最中に於て元首を裏切りて当面の敵である日本と手を握り、日本の援助に依りて別に新政府を作ると云うが如きことは日本人の思想より見て許さるべきであるか。 仮に日本人の中に於て汪と同様の行動を取る者があったとするなればそれこそ逆賊であり売国奴であって、瞬時と雖も国内に足を止めることは出来ない筈である。 而して此の思想は支那人と雖も同様である。 否支那人に限らず苟くも国を建てて其の国の独立と名誉を保持せんとする国民であるならば此の位な思想を持合せない者はない筈である。 聞く所に依れば支那民衆は汪を目して売国奴である。 漢奸であるとして攻撃して居るようであるが、是は当然のことである。 其の汪兆銘に大和魂や武士道の持主である日本人が援助して盛んに彼を賞揚するのであるから思想などと云うものも当てになるものではなく、利害の前には思想問題も煙の如く消え失せるのである。

(二)大東亜戦に突入する

第19段落

支那事変は発展して大東亜戦争となった。 是は当然の成行きである。 日本が蒋介石を征伐して日本の勢力が支那に進入すればする程英米の勢力は駆逐せられる。 故に日本が蒋介石を討つに当って英米が彼を援助し、日本の勢力侵入を防御せんとするのは自国の権益を擁護せんが為に已を得ざる行動である。 それ故に日本より見れば英米の蒋介石援助は怪しからぬ行動であろうが、英米より見れば日本の蒋介石征伐は怪しからぬ行動である。 何れも自国本位から割出す見方であるから仕方がない。 此の間に国際正義とか同義とかの理屈が起こる訳はない。 日本は頻りに英米の蒋介石援助を正義、道義に反する行動として攻撃して居るが、一体其の言う所の正義や道義は何を標準として割出して如何なる意義を有するものであるか説明した者は一人もない。 尤も之れは独り日本に限らず世界何れの国も自由の行動を弁護せんが為に訳も分らずに正義、道義を叫ぶのであるが、元来今日の世の中に於て世界各国に共通する正義や道義があるであろうか。 余は断じてないと思う。 何ぜなれば苟くも吾々が集まって国家を造り国家生活をなして居る以上は国家を離れて生存することは出来ない。 従って国家を保持し発展せしめんとする行動は、其の国に取りては悉く正義であり道義であると同様に、之に反する行動は悉く不正義であり不道徳であって、是より外に標準の立て方はない。 それ故に日本より見れば日本のなすことは悉く正義であり道義であって、蒋介石や英米のなすことは悉く不正義であり不道徳であろうが、彼等から見れば彼等自身のなすことは悉く正義であり道義であって、日本のなすことは悉く不正義であり、不道義であると言うのが尤も確かなる見解である。 然るに此の見易き道理を弁えずして日本だけが世界の正義、道義を独占するように吹聴したからとて、日本国内の分らず屋は自己満足をして居るかは知れないが、世界の識者は嗤って居るに相違ない。 今日の国家競争は斯かる陳腐なる寝言を許さない。 何事も力が解決する。 力より外に問題を解決する何ものもない。 日本人は英米蘭等の諸国が何百年来東洋や南洋に入込んで未開野蛮の民族を征服し、広大なる領土を占領したのは全く斬取強盗の所業であって、許すべからざる罪悪の如くに非難するが、是は非難するのが間違って居る。 世界は強者の舞台である。 優勝劣敗は動かすべからざる天則である。 強者が弱者を征服するのが何で悪いか。 征服する者が悪いのではなくして征服せらるる者が悪いのである。 殊に此の長き間日本は何をなして居たか。 徳川三百年の鎖国政策に閉じ込められて一歩も海外に出ることは出来ず、武陵桃源の夢の中に生存を続けて来た。 世界はどんなものであるか。 日本の近くにどんな事が起っ て居るか全く知らない。 一朝夢醒むれば此の有様である。 そこで開国以来七十余年の間力を養い来りたる其の結果が今回の戦争に現われて、英米等の勢力を駆逐して日本が代って之を占領したに過ぎない。 先方が占領するのは罪悪であるが、当方が占領するのは罪悪でないとは言えまい。 大東亜戦争の目的は東亜に於ける英米の勢力を駆逐して東亜を東亜人の手に帰さんとするにありと言うて居るが、此の東亜人の手と言うことが日本人の手を意味するなれば英米の手と同じである。 米英は西洋であり日本は東洋であるから東洋人が東洋の未開民族を征服するのは構わないが、西洋の英米が東洋の未開民族を征服するのは許せないと言うのは理屈にならない。 此の地球上には東洋もなければ西洋もない。 左様なることは人間が勝手に付けた名称に過ぎない。 人間は地球の何れの所にも行くことが出来る足を与えられて居る。 西洋人が東洋に来ようが東洋人が西洋に行こうがそれは勝手である。 西洋人が東洋に来て東洋の未開民族を征服するならば東洋人も西洋に行つてアフリカ辺りの未開民族を征服すれば宜かったのであるが、それが出来ずして世界中の未開民族は殆ど残らず西洋数箇国の為に征服せられて居る。 畢竟するに東洋人に意気地がないからである。 責むるならば人を責めずして自分を責むる外はない。 或は又東亜を東亜人の手に帰そうとすると云うことは英米の勢力を駆逐して、被征服民族を全く独立自由の地位に還元すると云うことならば左様なる無意義の戦争は為すべきものではない。 戦争は慈善事業ではない。 徹頭徹尾自国の利益を目的として始むべきものである。 自国の利益を犠牲に供して他民族の自由を解放するが為に戦争を始めるなどとは以ての外のことである。 それ故に大東亜戦争に当りて日本が唱導する所謂大東亜共栄圏の確立と云うことも、実は日本を本位とする共栄圏であって、他民族との平等的共栄圏ではない。 言い換れば日本の独栄圏であって共栄圏ではない。 論より証拠、戦勝に依りて英米を駆逐し、日本が占領せし以来、各占領地には軍政を施行し、多数の軍人、文官其の他の要人を続々派遺して政治、経済、文化其の他一切の施設に当らしめて居るが、其の目的とする所は悉く日本の利益を図る施設であって、被征服民族の利益を目的とする施設ではない。 少くとも両者の利益が一致する場合に限られ、日本の利益を犠牲として被征服民族の利益を図るが如き施設の行わるべき訳はない。 加之更に他の点より考へ彼等被征服民族は日本の支配を喜ぶか又英米蘭の支配を喜ぶかと見れば、無論前者より後者を喜ぶに相違ない。 なぜならば従来是等民族の貿易関係を見ても、其の大部分は米英であって日本との関係は僅かに其の一小部分に過ぎない。 然るに日本が英米を駆逐せし以来彼等は貿易関係の大部分を失い、日本に依りて之を補充せらるることは出来ず、彼等が生活上に如何程の打撃を受くるかは実に名状すべからざるものがあるに相違ない。 それにも拘らず日本は旧秩序を破壊して新秩序を建設すると言うて居るが、彼等民族より見れば新秩序は彼等に禍いを齎すものである。 何れにするも日本が英米の勢力を駆逐して被征服民族を解放し、彼等に独立と自由を与えんと言うが如きは全く事実に反する虚偽の宣伝であるから、如何に野蛮未開の人民と雖も此の種の宣伝に迷わされることなく、彼等が若し英米の支配下にあることを好まざれば是より以上に日本の支配下にあることも好まないに相違ない。 然るに英米は彼等を搾取したるも日本は搾取せない。 英米は虐政を施せども日本は善政を施すから彼等は挙って日本に心服して居ると思うのはそれこそ世間を胡魔化す宣伝である。

第20段落

之を要するに大東亜戦争の目的は東亜民族を解放して彼等に独立と自由を与えるにはあらずして、東亜に於ける英米の勢力を駆逐し、之に依りて日本が東亜の覇権を握り、東亜民族を隷属せしめて以て日本の発展を図る。 是が真の目的であって、是れ以外に唱道せらるるものは何れも偽善者の譫に過ぎない。

(三)ヨーロッパ戦の起因

第21段落

今度のヨーロッパ戦争は何故に起ったか。 其の原因や事情に付て各方面の人々が色々と述べて居るが、それ等のことは今更詮議立てするの必要もなく、起ったものは仕方がないとして、各国とも国力を賭して戦って居る。 戦争となれば人間の生命も自由も財産も何もあったものではなく、一切の物を挙げて戦争の道具に使って盛んに殺し合いが始まる。 想えば人間ほど浅ましきものはない。

第22段落

ドイツは第一次ヨーロッパ戦争に負けてヴエルサイユ条約に依りて随分苛酷なる制裁を加えられた。 海外の領土は残らず巻き上げられたのみならず、本国すら分割され軍備は制限され、千三百五十億マークと云う巨額の償金を課せられ、国家も国民も疲弊困憊のどん底に蹴落された。 此の儘に泣寝入つてしまえばドイツは滅亡より外に行き道はなくなる有様である。 併し人間も窮すれは通ずることがある。 国も乱れれば英雄の起ることもある。 何と言ってもヒトラーはドイツの救い主である。 彼が卑賤より身を起して国内政争にあれだけの奮闘を重ねたる末、遂に凡ゆる政敵を圧倒して政権を掌握してから本年は漸く十年目に当るのであるが、其の間に於ける彼の大胆な活動振りは迚も人間業とは思えないばかりである。 尤も彼の活動が首尾よく実を結んで英雄の末路を飾るか或は中途に挫折してナポレオンの轍を踏むかは事将来に関することであるから何んとも予言することは出来ないが、何れにするも彼が古今稀に見る歴史上の英雄たるに変りはない。 之に反してイギリスやフランスは何のざまであるが、折角戦いに勝ちて条約を押し付けながら之を強行することも出来ず、彼此れと愚図ついて居る間に条約は蹂躙せられ、軍備は拡張する。 どしどしと戦闘準備を拡充するのを知るや知らずや。 戦勝の夢未だ醒めずして紳士とか淑女とか流行とかダンスとかの享楽主義に堕し、大切なる戦備を忘れ、夢醒めたる時は事既に後れて居る。 遙か日本から開戦前に於ける彼地の国内情況を眺めて居ると、ヒトラーは飽くまで強気横溢してぐんぐんと攻撃を取るに拘らず、チエンバレンを始めとして時の英仏首脳部の態度と来たら婦女子にも劣る臆病千万、是では戦わずして勝敗の趨(注6)は決して居る。 果せる哉一度砲火が開かれるとドイツのやり方は如何にも勇敢にして徹底して居る。 それは当然のことである。 苟くも戦う以上は勝たねばならぬ。 戦いの目的は先ず勝つにあり、勝つが為に世間の何ものをも顧る暇はない。 条約とか中立とか正義とか道義とか、左様なことを彼此れと理屈張るのは弱者の泣言である。 勝つが為に何ものをも突破して猛進する。 是がヒトラーのやり方である。 それであるからポーランドを皮切りに罪なきデンマーク、ノールウエー、オランダ、ベルギーを蹂躙して、フランスは瞬く間に征服せられて見る影もなく、引続いて欧洲大陸 の弱小国は無残にも悉くドイツに占領せられてしもうた。 此の点より見ればドイツの勢いは旭日登天、実に物凄い観がある。

第23段落

併しヒトラーの大言壮語も中々当てにならない。 先ず第一に対英戦争はどうなったか。 英本土上陸作戦は二年余も前に完了した筈であるが、今以て其の報知が来ないのはどうした訳であるか。 開戦当初に彼は何と言うたか。 数箇月内に英本土に上陸を敢行して英国を屈服さすと断言したように覚えて居るが、それが出来ずして三年後の今日に至るまで愚図ついて居る所を見ると彼の見当も外れたに相違ない。 対ソ戦争も其の通り、昨年六月ソ聯に不意討を食わした時はえらい意気込であった。 早ければ二、三十日、遅ければ二、三月内にほモスクワを陥落すると断言し、我が国の軍事専門家も之を受売りして国内に宣伝したこともあるが、二、三箇月は愚か一年半の今日に至るまでモスクワもペトログラードも陥落したる声を聞かない。 又本年の夏季攻勢としてレニングラードを目指して猛進撃を開始したが、之も既に二、三箇月以前から今に陥落する。 陥落は愈々目前に迫った。 もう二十四時間以内等々でとうとう陥落を見ずして此の冬を越すように思われるのはどうした訳か。 戦争は一人相撲ではない。 相手がある。

第24段落

ドイツも強いが相手のイギリスもソ聯も中々粘り強く、底力もあるように見える。 ヒトラーも余り吹き過ぎたことを後悔して将来は少し慎むべく、同時に我が国の言論機関も余りドイツの提灯を持ち過ぎて国民を迷はせぬように心掛くべきである。

第25段落

ヒトラーのやり方に付ては日本は随分馬鹿を見せられて居る。 それは外ではない。 昭和十一年十一月、日本とドイツとの間に防共協定なるものが締結せられたが、是は何の意義と何の必要があるのか分らない。 政府当局の説明に依れば防共協定は読んで字の如く単に共産党の侵入を防止するのが目的であって、他に何等の意味は含まないと言うのであるが、共産党を防ぐならば何もヨーロッパの端のドイツなどと提携するの必要はない。 日本の独力を以てして十分である。 それ故に協定成立以来防共に役立つべき何等の行動を取りたることも聞かない。 察するに防共は表面上の口実に過ぎずして其の実は東西相呼応してソ聯を牽制せんとする政治上、軍事上の目的より来れることは容易に想像し得べく、是なくば協定は全く無意味である。 それであるから其の後此の協定を軍事同盟にまで漕ぎ付けんとする協議が日独両国の間に進行せられた。 聞く所に依ればドイツは熱心に之を促進せんとするも我が政府部内には賛否両論ありて容易に決せない。 陸軍側は主張し海軍側は反対すると云う有様にて、当時の平沼内閣は是が為に七十幾回も協議を重ねて深き顧慮を払いつつあった其の際に当って何たることであろうか。 ドイツは日本に一言の相談もしなけれは暗示をも与えずして十四年八月、突然ソ聯と不可侵条約を締結するに至った。 ソ聯を対象として防共協定まで締結したるドイツが、而も日本との間に軍事同盟の協議中に当りて突然斯くの如き行動に出づることは日本に取りて全く想像も及はないことであるから、之を聞いた日本人はそれこそ寝耳に水であると同時に俗に言う背負投げを食わされたのである。 是が為に平沼内閣は総辞職をした。 日本はヒトラーに依りて政変を巻き起されたのである。 夫れでも政府も国民も又斯かる場合にこそ直筆を揮わねばなぬら言論機関も肚の底には言うべからざる不快の念を起したか知らないが、表面上には一言の非難を加えることも出来ない程それ程ドイツに遠慮して居る。 それから十五年九月には愈々日独の軍事同盟が成立し、政府筋の命令に依って祝賀大会や提灯行列まで挙行さして盛んに国民を煽って見たものの、何となく気焔が挙らない。 所がドイツのやり方は此の位のことでは中々止まない。 今度は日本を背負投げまでして締結した不可侵条約を自ら破りてソ聯に闇討ちを食わしたのが今回の独ソ戦争である。 斯くの如くドイツのやり方は変転極りなく、馬鹿正直な日本人は全く目玉を廻しながら尚おも国際正義や道義を叫んで居るから面白いではないか。

第26段落

ヨーロッパ戦争はどうなるか。 何時まで続くか、如何に解決が出来るか、何人にも分らない。 結局何れも自国本位に都合良き空想を描きつつ国民を駆って戦争の犠牲に供して居る。 ドイツは英露を叩き潰してヨーロッパの覇権を握るの日は近きにありと夢見て居るであろう。 英露は今に見ろ、最後の勝利は我にあり。 今度こそはドイツを徹底的に打ち砕いて再び起つことの出来ないようにしてやると頑張って居るであろう。 元来第一次ヨーロッパ戦争後のヴエルサイユ条約が間違って居る。 条約が苛酷に過ぎたからドイツは之に耐え切れずして反撥したものであると言う者もある。 日本でもドイツ贔屓の連中は頻りに之を唱えた者もあるが。 併し一体其の条約に日本は関係して居ないのであるか。 左様ではなかろう。 態々全権を巴里に送って調印して居るではないか。 自分が調印して条約を成立せしめながら今に至って苛酷であるなぞと言えた義理ではなかろう。 苛酷過ぎる条約ならば何故に調印したか。 自分で調印した条約を非難するは自分で自分の頭を叩くと同じである。 余の見る所に依れば該条約は苛酷過ぎるよりか寧ろ寛大に失するものである。 寛大であるからドイツに再起の余地を与えたのである。 苟くも戦勝者が戦敗者 に向って条約を押し付ける以上は、将来再び起つことの出来ないまでのものでなくてはならぬ。 生殺しに止めるから蛇が起き上るのである。 それ故に今回の戦争は何れが勝利を占むるかは知らないが、戦後の条約を締結するに当りては決して此のことを忘れてはならぬ。 之を忘れて再び不徹底なる条約を締結することは第三のヨーロッパ戦争を促進すると同じである。 併し考えて見れば戦後の条約が出来るか出来ないかそれも分ったものでなく、出来た所で禄なものではなかろう。 なぜなれば戦争はいつまで続くか分らないが、いつかは終るに相違ない。 而して戦争が終った場合はヨーロッパの情況は如何なるものであろうか。 何百万か何千万の人を殺し、傷付け、何千億万円かそれ以上の金を費し、物資は消耗し尽し、凡ゆる物は打ち毀され焼き払われ、食糧は欠乏し、借金は山の如く、国家も国民も滅茶滅茶に弱り果て、疲弊困憊のどん底に落ちて動きが取れない。 各国共に早く戦争を止めて、一時たりとも平和の状態に還りたいとの感に駆られるに相違ないから、何とか膏薬張りの条約が出来るであろうがが併し之に依りて永久平和などは思いも寄らぬことであって、何年か過ぐれは又もや戦争を始めるに相違ない。 今回の戦争に当って所謂枢軸側は世界の新秩序を建設するなどと唱えて居るが、其の新秩序とは如何なることを意味するのであるかと言えば、要するに英米の世界制覇を転覆して枢軸側が之に代りて世界の覇権を握る。 是が彼等の夢見る新秩序であって、帰する所は権勢の争奪に過ぎない。 之を新秩序などと唱えることが既に胡魔化しである。 而も斯くの如き新秩序が現われるか否かは今日の程度に於ては分ったものではなく、縦し将来是が現われるとするも、其の新秩序も或る年月を過ぐれば旧秩序となる。 今日の新は明日の旧となるから幾年か後には又もや旧秩序を破壊して新秩序を建設せんと戦争を始めることは火をみるよりもあきらか(注7)である。 今日に於ても或る一部の夢想家は、今回の戦争に当りて枢軸側が勝利を占め、世界の新秩序を建設することとなれば、之に依りて愈々世界永遠の平和が現われるなどと唱うる者もあるが、是等は全く自己錯覚か、然らざれは何か為にせんとする詐言に過ぎない。 此迄も戦争ある毎に此の種の意見が現われないことはない。 戦争は目的ではない。 平和が目的であるから、今何の戦争が終れば必ず世界の平和が招来すると唱えられて来たが、斯くの如き予言が唯の一度も当った例はない。

(四)結論

第27段落

凡そ此の世の中に於て戦争程残酷なものはない。 併し残酷であるからとて戦争を止めることが出来るかと言えばそれは出来ない。 断じて出来るものではない。 此の地球上に人間が出来て、土地を限りて国を建てて居る以上は何れの国も伸びなくてはならぬ。 国が伸びねば国民は生きることが出来ない。 伸びるに当りては他の国々と衝突する。 争いが起る。 個人間の争は裁判所が裁判する。 裁判には服従せねはならぬ。 服従せざる者に対しては国の力を以て強制する。 国家間の争には裁判する者がない。 戦争が一種の裁判である。 併し此の裁判は決して正邪曲直の裁判にあらずして全く力の裁判である。 力の強き者が勝って弱き者が負ける。 何れにするも戦争は止まないから世界の歴史は戦争の歴史である。 世界の歴史から戦争を取除けば何が残るか。 併し戦争は一方より見れば極めて残酷なるものであるが、他の一方より見れば是れも社会進歩の過程とも言える。 戦争あるが為に人間も国も世界も進歩したのである。 人間は競争の動物である。 競争に依りて人間は進歩し国も進歩し世界も進歩する。 競争なき社会は全く死の社会である。 而して戦争は最も大なる競争の現われであるから、此の世界から戦争を一掃せんとするのは全く人間の本能を捨ててしまえと云うことであって、到底出来ない話である。 併し何と言うても戦争は残酷であるから出来ることなら戦争を止めて平和の間に生きて行きたい。 是が万人の希望であるに相違ない。 それであるから昔から戦争を止める為にどれだけ骨が折られたか分らない。 宗教界は言うに及ばず、釈迦も基督も戦争には反対である。 釈迦は人を殺すどころが虫一匹殺すことすら戒めて居る。 基督は人が右の頬を打てば左の頬を出せよと説いて居る。 印度のガンヂーが英国の武力弾圧に対して無抵抗主義を取って居るのも宗教上の信念から来て居ることは明かであ る。 其の他世界の有名なる学者も政治家も戦争を止めるが為にどれだけ骨を折ったか知れないが、戦争は止まない。 戦争の止まないのは仕方もないが、困ることは戦争が時々悪用せらるることであって、人類に取りて此の上の禍いはない。 昔から英雄とか豪傑とか唱えられる者等が自己の功名を得んが為に無用の戦争を起して国民を塗炭の苦しみに落したる例は少くないが、近頃は英雄豪傑ならずとも世の所謂職業軍人と称せられる者等が戦争を挑発することは蔽うことの出来ない事実である。 戦争は彼等の職業であって、戦争が続けは続く程彼等は商買繁昌であり、彼等にありては戦争大明神である。 故に彼等が常に叫ぶものは軍備拡張であり、軍備拡張が或る程度に達する時は戦争は避け難い状勢となる。 而して戦争に依りて利益を得る者は職業軍人であり戦争成金である。 損害を受ける者は戦死者であり戦死者の遺族であり大多数の国民である。 要するに戦争は止まないのであるが、戦争に敗れたる国民の惨状は言うに忍びず、勝った所で幾百千万の死傷者を出し、凡ゆる物は打ち毀され焼き払われ、物資は消耗し、借金は山の如く、国民は底の底まで搾り取られて疲弊困憊のどん底に蹴落され、同胞骨肉の草を以て戦場の血を肥すの外得る所はない。 戦争は勝敗に拘らず決して国民生活に幸福を齎すものではないが、それでも戦争を止めることは出来ない。 人間は自ら万物の霊長として人道博愛を説くが、同胞殺戮の戦争を見れば万物の霊長も人道博愛もあったものではなく、見ように依りては人間は鬼畜以上の動物である。 是等の劣等動物が集まって国家を建設し、 万事万端国家の名を振り翳して其の実は自己一身の名利を貪らんとする。 見よ此の戦争はいつまで続くか分らない が、いつか一度は終るに相違ない。 而して戦争終結後の世界情勢は如何なるものであるか。 言わずと知れたこと。 勝敗何れの滅茶滅茶に弱り果てて、国民に生色の見るべきものなく、此の間に於て唯独り職業軍人のみは胸に勲章を輝かして意気揚々と大道を濶歩し、戦時成金等は黄金の波に漂うて驕者享楽の限りを尽し、多数の同胞が其の犠牲となりて窮迫の巷に彷徨する。 其の喜劇と悲劇が今からありありと両眼に映ずる。

第28段落

是が天上より見たる世界戦争の大要である。

脚注

(1)
ようへい【傭聘】の意味 国語辞典 - goo辞書
(2)
原文では「屈服し」と表記されている。
(3)
原文では「漠大」と表記されている。
(4)
原文では「観過」と表記されている。
(5)
原文では「漠大」と表記されている。
(6)
原文では「数」と表記されている。
(7)
原文では「睹るよりも燎か」と表記されている。