「大東亜共同宣言の将来」

2010-11-14

このテキストについて

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』221ページから228ページに掲載されている、「大東亜共同宣言の将来」(1944-01執筆)を文字に起こしました。

本文

第1段落

大東亜戦争勃発以来約二年、凄愴苛烈を極むる。 戦闘の悪魔が各戦場に於て猛威を揮いつつある秋に当り、昭和十八年十一月五日より六日に亙り帝国の中心たる東京に於て大東亜会議が開催された。 集まる者は主宰国の代表者 たる帝国総理大臣東条英機を首班として満洲国代表国務総理張景恵、中華民国代表行政院院長汪精衛、タイ国代表摂政総理大臣代理ワイワイ・タヤコン殿下、ビルマ代表総理大臣ウ・バー・モー、フィリツピン国代表ホセ・べ・ラウレル、自由印度仮政府首班スバス・チヤンドラ・ボース其の他関係諸国の列席者合わせて約百二十名が帝国議事堂に会して大東亜建設に関する各自の所信と決意を披瀝したる後、総員一致を以て所謂大東亜共同宣言なるものを決議し、之を天下に公表したることは世間周知の事実であって、世の言論者流が之を以て世界歴史に新紀元を劃すべき重大会議であると称して居る。 而して列国代表の説く所、各々其の言辞に異なる所はあるが、其の精神と目的は一あって二なし。 即ち之を要約するならば過去幾世紀に亙れる米英の東亜侵略を排撃して東亜十億民族の自由と独立を解放し、茲に大東亜新秩序を建設して以て相互の共存共栄を図らんとする。 之に外ならぬのであって、東亜諸民族の目的要望としては固より当然のことである。 念の為に左の大東亜共同宣言の全文を掲ぐ。

大東亜共同宣言

抑々世界各国が各其の所を得相倚り相扶けて万邦共栄の楽を偕にするは世界平和確立の根本要義なり、然るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行い大東亜隷属化の野望を逞うし遂には大東亜の安定を根底より覆さんとせり大東亜戦争の原因茲に存す。

大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏より解放して其の自存自衛を全うし左の綱領に基き大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。

  • 一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基く共存共栄の秩序を建設す。
  • 一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す。
  • 一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢し大東亜の文化を昂揚す。
  • 一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す。
  • 一、大東亜各国は万邦との交誼を篤うし人種的差別を撤廃し普く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す。

第2段落

右宣言中現わるる共存共栄とか自主独立とか文化の高揚とか経済発展とか人種的差別の撤廃とか、何れも従来事毎に慣用せられたる文句であって、別に新奇発明のものではなく、従って余の見る所を直言するならば宣言全体を通じ当然のことを当然に表明したるに過ぎずして、毫も異とすべき性質のものではなく、世の言論者流(注1)が之を以て世界歴史に曾て見ざる大宣言であるとか世界各国の遵奉すべき一大憲章であるとか此の種最上級の讃辞を高揚するのは何の故であるか知らない。 併しそれは兎も角、一体斯くの如き宣言が果して其の文字通りに実行せらるるべきものであるか、或は又此の宣言が将来如何なる運命に遭遇するものであるか。 余の考えて見たいのは此の点である。

第3段落

先ず第一に大東亜共同宣言の根底をなすものは、東亜に於ける米英勢力の徹底的駆逐であることは言うまでもないが、今日我が日本を始めとして東亜諸国諸民族は、米英の東亜侵略を目して全く人道を無視し国際正義を蹂躙する鬼畜の行為なりとまでに口を極めて攻撃して居る。 併し翻って考うるならば、一体米英が東亜を侵略するのが悪いか東亜が米英に侵略せらるるのが悪いか。 之を一考すべきである。 余は他の所に於ても一言論じて置いた積りであるが、元来我々が過去現在に亙りて国際関係や民族興亡を論ずるに当りては、先ず遡って此の地球上に於ける人類競争の根底を把握しなけれはならぬ。 之を考えずして唯表面に現われたる国家、民族興亡の史実を捉えて、直ちに之に向って正義論や道義論を振翳すことは人間活社会の事情に暗き道学者の言説としては看過(注2)することを得んも、 苟くも国家を統率する経世家としては全く迂闊千万の次第である。 余の信ずる所に依れば、誰が何と言おうが此の地球上に於ける人類の歴史は全く競争の歴史である。 而して競争の結果は優勝劣敗、適者生存であって、此の天則は天が有ゆる生物に向って降したる法則であるから人間の力を以て如何ともすることは出来ない。 遠き人類の歴史は無論のこと、近く世界歴史が書かれてから僅かに五、六千年を出でないが、此の間に於ける国家民族興亡の史実 を見ても、強国が興って弱国が滅び、強国は弱国を侵略し弱国は強国に侵略せらる。 此の必然の理法が最も如実に現われて居らない所はない。 正義論(注3)や道義論を以て簡単に片付けようと思うた所でそれは全く痴人の夢である。 此の理法より推して見るならば、過去幾世紀に亙りて強き米英が弱き東亜の諸国家、諸民族を侵略したのは当然過ぎる程当然ではないか。 侵略せらるるのを厭うならば、何故に強くならないか。 自ら強くならずして強い国に侵略せらるるのを呪うた所で天道は之を相手にせない。 尚お又之を米英に付て論ずるまでもなく手近な我が日本に付て見ても事実は全く同様である。 日本は過去数十年間に侵略に侵略を重ねて今日の大国家を建設するに至った。 日清戦争に当りては支那に勝って台湾を獲得し、日露戦争に当りてはロシアに勝ちて北樺太を獲得した。 其の後朝鮮をも併合し満洲も支那より割いて独立せしめたが、是等の行動は其の名義の何たるを問わず、事実に於ては確かに一種の侵略であるに相違ない。 即ち強い戦勝国が弱い戦敗国に打ち勝ちて敵の領土を獲得するのは侵略以外の何ものでもなく、殊に朝鮮併合に至りては最も露骨なる侵略である。 然るに斯くの如き最も明白なる自己の侵略は差し置いて従らに他国の侵略を攻撃した所で、斯かる攻撃は自国内の無識階級には通用するかは知らないが、有識階級には通用せない。 況んや世界各国より見れば全く我が儘勝手の議論としか受取れないに相違ない。 それにも拘らず支那事変以来今日に至りても尚お道義論の止まないのは此程笑うべきことはない。 今回の大東亜会議に当りても東条総理を始めとして其の他二、三の代表は相変らず道義論を振翳して居る。 曰く大東亜戦争は全く道義の戦争である。 破邪顕正の聖戦である。 道義に基づく大東亜共栄圏を確立せんが為である。 其の他道義国家、道義外交、道義政治等の言葉が濫用せらる。 其の上に道義は大東亜固有の精神であるとまでも強調せられて居るが、一体大東亜の何れの所に斯かる精神の存在を認むることを得るか。 孔孟が仁義を説き、釈迦が慈善を説いたことはあるが、此等の説法が東亜民族の精神にどれだけ感化を及ばしどれだけ実行せられて居るか。 生きんが為に日夜喘ぎつつある、東亜十億の人民に仁義や慈善に心を傾くる余裕ある者が幾人あるか。 況んや今日国家競争の真中に立ちて仁義や慈善を説法して居たならば其の国家は滅亡より外に行く道はなくなるのである。 尚お又今日一方には人間の多量殺戮を専とする大戦争を始めて居りながら、他方に於て此の戦争は仁義、道義の戦争であるなどと叫ぶに至りては全く偽善を通り過ぎたる狂者の囈口としか思えない。 要するに世界は強者の世界である。 強者が弱者を侵かす是が世界の現実であって、此の現実は何者の力を以てするも之を曲げることは出来ない。 従って今回の大東亜会議に当りて米英の東亜侵略を説くのは可なりであるが、是と同時に何故に敢然として東亜諸国諸民族の弱体を指摘し、之を叱咤鞭撻して以て其の覚醒奮起を強調しないか。 茲に気付かずして、似て非なる道義論などを担ぎ出して会議の能事を紛飾せんとするに至りては、関係諸国の代表が未だ以て国家競争の神髄を捉えざるの憾があると同時に会議の効果も推して知るべきである。

第4段落

第二に言うまでもなく大東亜共同宣言はそれ自体唯一片の紙上文字たるに過ぎずして、之を実行に移す前提条件となるものは此の戦争に打ち勝つことである。 戦争に勝ち抜いて米英は言うに及ばず、其の他の世界列国をして大東亜共栄圏に一歩たりとも干渉せしめざるの基礎を確立するにあらざれは宣言の実行は全く不可能である。 所で此 の戦争に果して勝ち抜くことが出来るであろうか。 是が今日我々の眼前に横わる難問題である。 幸いにして勝ち抜くことが出来れば何事も予期の如くに進行するであろうが、万が一にも負けたとしたらどうなるか。 大東亜共同宣言が全く反古紙となる位のことでは済まない。 遡って支那事変以来我が日本が順を逐うて運び来れる有ゆる計画即ち支那に於ける汪兆銘の新政権からフィリピン、ビルマの独立、タイ、仏印の関係其の他占領地の経営等に至るまで根底より崩壊するに至るは無論のこと、尚お進んでは我が日本の存立が危殆に瀕するに至ることは火を睹るより明かである。

第5段落

然るに今日世界的に此の大戦の成行きを達観する何人も、戦争の前途に付ては実に容易ならざるものあることに気付て居るに相違ない。 即ちヨーロッパ戦争に於てドイツは当初破竹の勢いを以て四方の諸国を制圧し、ドイツの全勝は疑なきものの如くに思われたが、最近一年間に此の形勢は全く逆転して、今日一般の観測は本年中にドイツの敗戦が決定せらるるではないかとまでに変って来た。 固より戦争の結果に付ては何人の予測も必ず当るものとは限られないが、若し仮に斯かる事態が現わるるものとせば夫れこそ我が日本に取りては一大事である。 米英は言うに及ばず、ソ聯と雖もヨーロッパに於ける全軍を撤去し、三国の総力を挙げて我が日本に向うことは疑うべき余地はない。 事茲に至らば此の大東亜戦争に如何なる変動を来すべきか。 思うだに寒心すべき形勢が現出せないと何人が保障することが出来るか。 前途に斯かる不安定なる状勢を見ながら東亜諸国の代表者が一堂に会し、戦勝は既定の事実の如き考えを以て各自の所信や決意を述べて共同宣言を公表するが如きは、戦略上及び軍略上の必要に出づるものかは知らないが、是が世界に与うる反響に至りては決して多きを望むことは出来ない。 況んや之を以て有史以来の大聖典の如くに礼讃し、敵側の宣伝を以て悪魔の暴言なりと呪詛し、以て自ら得たりと信するに至りては自己陶酔の甚だしきものであって、今日の世界情勢を達観する識者の取るべき態度ではない。 要するに大東亜共同宣言が単に一片紙上に描かれたる空中楼閣となって雲散霧消するか。 或は又千古未曾有の殿堂となって陸離たる光彩を放つかは一に懸って戦争の結果に俟つべく、而して今日戦争の前途には断じて楽観すべからざるものあることを覚悟せねばならぬ。

第6段落

第三に前述せる如く大東亜戦争の前途は頗る遼遠にして且つ是が如何に落着するかは何人も予言することは出来ないが、仮に大体に於て我が軍の勝利に終結を告げるものとして、此の共同宣言が文字通りに運用せらるるかを考うるに、是れ亦頗る困難のことにして、理想と実際の間には一大懸隔を生ずることを予想せねばならぬ。 言うまでもなく大東亜戦争は我が日本独自の立場に余儀なくせられ、人的、物的其の他有ゆる国力を傾倒して敢行すべきものであるから、是が完遂の暁に至らば日本は如何なる手段を尽しても先ず第一に国力の回復に向って邁進せねばならぬ。 然らざれば仮に戦争に勝つことありとするも国家を維持することは出来ないこととなる。 古人は戦い勝って国滅ぶと言うて居るが、全く其の通りであるから、是が為には大東亜圏内の他の諸国諸民族の利害等を顧慮する遑はない。 仮令彼等の利益を犠牲に供することあるも、日本は敢然として国力回復の為に独自の国策を遂行せねはならぬ時が必ず到来するに相違なく、而して是は戦勝国たる日本の権利であるから他の何者の容喙をも許すべきものではない。 それ故に東亜共栄圏は我が日本の利害と全然一致する場合に於てのみ想像せらるるベきものであって、利害の一致せざる場合には断乎之を蹂躙するに於て決して躊躇すべきものではなく、同時に此の道理を弁え、此の覚悟を抱くものにあらざれば将来日本の国政を托することは出来ない。 斯くの如くにして東亜共栄圏殊に道義に基づく共栄圏などと其の文句は立派であるが、其の実は道義も何もあったものではなく、実際は日本中心の独栄圏と なるべく、現に今日戦争中とは言いながら、東亜諸国、諸民族は戦争目的の名に依って至る所我が国の為に有ゆる犠牲を強要されつつあるは蔽うべからざる事実であって、是等の犠牲は戦後に至りても益々拡大せらるることあることを覚悟せねばならぬ。 而して事茲に至らば彼等は始めて共栄圏の何ものたるかを挙るに至るべく、同時に欧米列国の乗ずべき隙も亦此間に生ずると共に、共栄圏崩壊の端を開かるるに相違ない。 固より将来此の東亜の天地に於て如何なる風雲の起ることありとするも、我が日本に之を凌駕するに足るべき万全の備えあれば何等意に介すべきものではないが、凡そ此等のことは遠き将来に属することであるから、今日種々の場合を予想して之を論ずべきものではないが、要するに共栄圏の前途には多種多様なる難問題の横たわる(注4)ことを覚悟せねばならぬ。

第7段落

大体以上述べたる通りであるから、今回の世界大戦に当り所謂枢軸側も反枢軸側も自国本位に勝手なる大言壮語を放送して居るが、是等の放送が将来如何なる運命に遭遇するかは、何つか這は落着する戦争の結果に依って定まるべく、而して戦争は仁義や道義や理論や理窟の争いではなくして一も二にも武力蛮力の争いであるから、武力資力の強き国が勝って弱き国が負ける外には何ものもない。 自国の戦争目的は正義であり他国のそれは不正義であるから最後の勝利は必ず我にありなどと宣伝した所で何人も真面目に受取る者はなく、却って其の人の暗愚を広告するに過ぎないから、此の事だけを附け加えて置く。

脚注

(1)
りゅう【流】の意味 国語辞典 - goo辞書
(2)
原文では「観過」と表記されている。
(3)
原文では「正議論」と表記されている。
(4)
原文では「横たわる」と表記されている。