「天佑神助論」

2010-11-14

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』253ページから254ページに掲載されている、「天佑神助論」(1944-09執筆)を底本として、文字に起こしてみました。


第1段落

戦争が始まってから度々天佑神助と云う語を耳にする。 是が学問もない理屈も分らない人々の口から出るならば別に怪しむには足らないが、実際には左様ではなくして随分学問もあり世間からは知識階級と見らるる人々の口からも出る。 殊に是が軍人仲間に多きように思わるるのは一層不思議である。 近頃出征軍人が或る大将に日の丸の旗に揮毫を求めると、其の大将は毎度天佑神助と大書することに決めて居るが、余は此の有様を見て実は是等の人々の頭を疑って居るのである。 天佑神助とは如何なることであるかと言えば、詰り此の世の中に天とか神とか云うものがあって、特に我が日本を援助すると云うことであろうが、今日左様なることが夢にも想像し得べきことであるかないかは考えるまでもないことである。 一体天とは何であり神とは何であるか、由来宗教家や何にかは此の世の中の森羅万象がさっぱり分らぬものであるから、是等は天とか神とか名づくる者が作ったものと決めて居るが、我々には左様なる人々の相手にはなる訳には行かない。 我々は分らないことは分らないと決めて居るが、分って居る限りに於て天とか神とか云うものを認める訳には行かない。 況んや是等のものが一切他の国々を除外して特に我が日本のみを援助すると云うが如きことは想像出来る訳はない。 之に関連して度々引用せられることは彼の元冠の役に一夜陣風が起って敵船が破壊し敵軍が溺死したのは是が神風と云うものであって、天佑神助の適例と言わるるが、是は当時気象の変化に依って俄かに颶風が起り偶々敵船が海岸に浮んで居たから破壊されたと云うに過ぎないのであって、是れ以外に何ものでもない。 此の種のことは敵にもあれば味方にもあるべきことである。 若し仮に我が日 本に限り天佑神助がありとするならば、彼の太平洋上の島々に於ける玉砕惨劇は起らなかった筈である。 思い起せば今より四十五年前の日露戦争の際に於ても天佑神助の声が担ったことがあるが、当時余の同郷の先輩加藤弘之博士が痛く攻撃せられたることを記憶する。 博士は科学上の基礎を有せざる言説は悉く迷信として極力之を排斥せられたが、余も此の点に付ては全く博士と同意見であるが、四十年後の今日に於ても尚お天佑神助の声が絶えないのを見れば世は広し、人の頭は色々違うものであるとの感を起さざるを得ない。