「七生報国論」

2010-11-14

『斎藤隆夫政治論集 ― 斎藤隆夫遺稿』254ページから256ページに掲載されている、「七生報国論」(1944-09執筆)を底本として、文字に起こしてみました。


第1段落

七生報国は所謂楠公精神であって、楠正成が足利尊氏の軍を兵庫に遊撃せんとして、成らず湊川に止まって弟正季と討死せんとするに当り正季に向って、死して何をか為すかと問うたときに、正季は七度人間と生れて国賊を亡ばさんと答えた。 是が歴史上の事実となって、楠公精神は此の所より湧き出て居るのである。 言うまでもなく正成は皇国を貫く勤王武士であって、楠公精神は万古末代に亙りて我が日本を護る国民精神であるに相違ないが、併し此の精神を実際に活用に当りては時と場合に依りて大いに考えねばならぬことはないか。 明治の碩学福沢諭吉は正成の湊川討死を以て権助の首縊りと評せられたことがあるが、其の趣旨は死するよりも生きて皇国の為に尽すことが真に勤王の実を挙ぐる所以である。 戦いに敗れたならば表は退いて再挙を計るべきに拘らず、死出の旅路を急いだから後は逆賊足利の天下となって勤王の目的が達せられなかったとの趣旨と思わるるが、それは余りに精神主義を軽視したる議論であるから感心出来ないが、さりとて七生報国を文字通りに見て取って、唯死することのみが尽忠報国の途であると即断したならばそれは大なる誤りである。 死は人間の最後である。 人間は一度死せば二度生るることは出来ない。 況んや七度も生れることの出来るものではないから能うべくんば生を全うして以て国家に貢献するの途を考えねばならぬ。 固より人間は死すべき時に死せざれば死にまさる恥ありと言うこともあるから、死すべき時には潔く死して以て後世の亀鑑となることも国家に尽す方法であるべく、尚お又生きて国家に尽すべき何等の方法なき場合には断然として死を選ぶは男子の踏むべき途に相違ないが、之に反して死して護国の鬼となるよりも生きて護国の英雄とならんと志す者は進んで死を選ぶよりも生を選ぶべく、死は易くして生は難く、死者必ずしも勇者ではなく生者必ずしも卑怯者ではない。 支那の歴史を繙けば、昔楚の項羽が漢の劉邦の為に垓下に於て破られ、東の方烏江を渡らんとするに当り亭長船を艤して曰く、江東は小なりと雖も地方千里亦王たるに足る、願くは急に渡れと。 項羽笑って曰く、藉、江東の子弟八千人と江を渡って西す、今一人の還るなし、仮令江東の子弟憐みて我を王とするも我れ何の面目ありて之を見んと、乃ち自刎して死す。 之に付て杜牧(注1)の詩に烏江廟と題して次の如きものがある。

  • 勝敗兵家不可期
  • 包羞忍恥是男子
  • 江東子弟多豪俊
  • 捲土重来(注2)未可知

第2段落

其の意義は、勝敗は時の運であって兵家も予期することは出来ない。 夫れゆえに、仮令敗るるとも其の羞を耐え忍びて再挙を図るが男児の本領である。 項羽も江東にて再挙を図ったならば、江東の子弟には今尚お豪俊(注3)も多く、或は土を捲く(注4)勢いを以て再起し得たかも知れないが、自刎したのは惜しむべきことであるとの趣旨である。 日本人の中には此の詩を評して、是は西洋人の思想にして日本人の思想ではない。 日本人の思想は寧ろ項羽の思想であって、是が日本精神であり日本男児の本領であると言う者もあるが、此のことは左様に簡単に片付くべきものであるかな いか一考すべき問題である。

第3段落

戦争は益々苛烈となる。 敵の反攻は愈々押し寄せて来る。 太平洋上の島々に起れる引続きの玉砕を聞いて断腸の感に打たれざるを得ない。 戦争には勝たねばならぬ。 勝つが為には最後まで戦わねはならぬ。 仮令日本全土が焦土と化するも、多数の同胞が砲煙弾雨の犠牲となるも最後の勝利が確かであるならば戦はねばならぬが、若し万一最悪の場合を想像して如何に戦うとも到底勝算の見込みが立たない形勢が確かめられたならば如何にするか。 それでも尚お七生報国を文字通りに固守するか。 之を固守することが真に国家国民を救うて再起を図る途であるかないかは今より政治家が考えねばならぬ問題であると同時に、将来斯かる形勢の現われないことを切に望むものである。

脚注

(1)
原文では「杜枚」と表記されている。
(2)
原文では「巻士重来」と表記されている。
(3)
ごうしゅん【豪俊】の意味 国語辞典 - goo辞書
(4)
原文では「巻く」と表記されている。