『立憲国民の覚醒』

2010-11-14

このテキストについて

『立憲国民の覚醒』は明治44年に出版 明治44年に出版された、斎藤隆夫『立憲国民の覚醒』(非売品)を、テキストに起こしました。 この本は明治時代に出版された筈なのですが、近代デジタルライブラリーでは公開されていません。 また、国立国会図書館 NDL-OPACの検索結果にも表れない書籍です。

原文においては、犬養毅「序」と斎藤隆夫「序文」には句読点が一切ありませんが、読みやすくするために、独自に句読点を加えました。

吾党の主張本より多し。 而して其最大なる者は、一言以て之を蔽う。 内は国民的活動の基礎を作り、外は之を導て以て帝国勢力の拡張を謀るに在り。

国民的活動を阻碍する者は、閥族寡頭政治なり官僚政治なり、之を破るに非ざれば萬事萬物尽く停滞し尽く腐敗す。 著者挙くる所の百弊の泉源、実に此に在り。 政界腐敗の発端は、明治二十五年の選挙干渉なり。 之に由て選挙人を腐敗せしめ政党を腐敗せしむ。 是れ皆、閥族の罪悪なり。 彼此の如き兇悪陋劣の手段を用うるの久しき。 遂に一世の習風を成し、此を用うる者自ら恥ることを知らざるのみならず、却て誇て以て政党操縦と号し、政治家の巧妙なる者と称す。 彼に操縦せらるる者も亦傲然として社会に横行し、社会も亦深く之を罪せざるのみならず、却て斯る手段を以て地位を得、利益を得たる者を指して所謂成功者として之を尊敬し、後進子弟をして其為に倣わしめんとす。 此の如くにして已まざれば是れ即ち亡国の兆に非ずして何ぞ。

議院の設けられしより已に二十二年を経過し而して憲政の実未だ挙らざるは、政府本罪あり、政党本より罪あり、議院本より罪ありと雖も、選挙人も亦罪なき能わず。 著者論ずる所最も時弊に切なり。 読者之に由て反省する所あらば則ち我帝国永遠の幸也。

明治四十四年十二月 犬養毅

序言

立憲政治は政府や議会の政治にはあらずして、帰する所は国民の政治である。 従て其責任も亦国民の頭上に落ち来る。 又立憲政治は自由政治であれば、其国民は須らく独立自尊の精神を保つべく、苟も(注1)卑屈なる奴隷根性を抱いてはならぬ。

本書は此理を敷衍したるものである。

政治上の学理は芥の如く捨てられ、言論は風の如く聞き流さるる時に当りて、斯る自明の通義を平凡に記述せる此の小冊子何んの補う所かあらん。 然れども若し之を読んで自己の責任を悟り過去の過を悔い将来を改むる一人の国民あらば望外の幸である。

明治四十四年 十二月 東京 斎藤隆夫

立憲国民の覚醒

斎藤隆夫 述

第01段落

日本に立憲政治が行われてより已に二十二年を経過した、二十二年は決して短日月にあらず、一国の国民が新しき政治制度を経験するに二十二年の歳月を以て短しと思う者は天下の懶惰者(注2)である、然るにこの長年月の間に於て日本の立憲政治は如何程の進歩を為したるか、日本国民の立憲政治の過去及現在の状態について(注3)果たして満足し、立憲神の前に再拝頓首して感謝の涙を流して居るのであるか。

第02段落

敢て問う日本国民は何が(注4)故に建国以来二千五百有余年の長き間伝り来れる専制政治を棄てて立憲政治を迎えたるか、答うるまでもなく立憲政治は専制政治に比すれば善良なる政治であって、国民の幸福と国家の隆盛とは此の政治に由るにあらざれば到底達する能わずと信じたからである、何ぜなれば専制政治の下に於ては憲法もなければ国会もない、国の政治は凡て政府の役割等が自由勝手に行うべきものにして国民は租税を納めて彼等を養う外には政治上の利害得失について(注5)は一言半句の喙を容れることはできない、夫れ故に上に悪虐無道の政府ありて人間の大切なる自由や生命や権利をば妄りに剥奪するも、或は重き租税を課して貴重なる財産を横領すも、人民は毫末も不平を鳴らすことはできぬ、涙を呑んで耐え忍んで居らねばならず、凡そ世の中に専制政治の国民ほど不幸なる者はない、昔欧羅巴や亜米利加には奴隷と云う者があった、人間と生ながら普通の人間の有する自由や権利や財産を有する能わずして主人の為めに牛馬の如くに使役せられ、生殺与奪の権利は全く主人の手に握られ居たのであるが、専制政治の国民は恰もこの奴隷の境遇に均しきものである、現に西洋の或学者は専制政治の国民は政治上の奴隷なりと断言して居る、斯くの如く専制政治は甚だ嫌悪すべき政治ではあるが去りながら国民の知識が幼稚なる時代に於ては此の政治も已むを得ない、否、専制政治にあらざれば国を保ち民を治むることはできないのであるから、独り日本のみに限らず、今日文明の先進国と謳わるる(注6)欧羅巴諸国に於ても其昔未開の時代に於ては何れも専制政治を行わない国はなかったのである、併しながら人間は何つまでも斯る奴隷の境遇に甘んずるものではないから、知識が開けて社会の道理が明かなるに従って此の政治を棄てて更に善良なる他の政治を迎うるのは当然の事であるが、其迎えられたる政治が即ち立憲政治である。

第03段落

立憲政治の下に於ては先ず憲法と云うものがある、憲法は国を治むる大本を定めたる大法律であって其中には君主及政府の権能並に人民の権利義務が明確に規定してあるから君主と雖も政府の役人と雖も政治を行うに当りては毫末も之に背くことのできないは無論の事である、之は日本憲法の第四条を見ても明に解かる、則ち同条には「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此憲法の条規に依り之を行う」と規定してあるから天皇と雖も憲法に背くことは決してできない、況んや政府の役人等は誠心誠意を以て憲法を遵奉して其精神を発揚することを以て第一の任務と為さねばならぬから、一歩も憲法を離れて政治を行う能わざるは言を俟たないことである、又立憲政治の下に於ては国会と云うものがある、国民は国会議員を選挙し、而して選挙せられたる議員は国会議場に集りて重要なる国政を討議する、即ち法律も租税も又予算も悉く国会に於て討議するのであるから、政府に於ても国会が承諾せざれば一条の法律を作ることも一度の租税を取立つることも断じてできない、夫れ故に国会議員と云う者が充分に政治上の知識を備えて国民共に国家の状態をば能く理解し、而して堅固なる精神を抱いて国会議場に臨むならば仮令上に如何なる政府ありとてむ決して専横なる悪政治は行えない、従て人民は不平を鳴らさんと欲するも鳴らすことはできないのである。

第04段落

立憲政治は大体以上の如き政治であるから、長き間専制政治の下に支配せられて居た日本国民が此政治の行われるるのをば地獄から極楽に行く様な考を以て楽み喜びて待ち受けて居たのは毫も怪むに足らない、人情の然らしむる所にして国民としては至当の望である、然る所がいよいよ(注7)立憲政治の幕が開けて見ると如何であるか、政府の役人等は果して憲法の大精神に基き立憲政治の運用を誤らぬであるか、国会議員等は果して正義の観念を守りて国政に参与し国利民福の擁護に満身の赤誠を捧げるのであるか、過去二十余年間に於ける日本の政治社会の有様を知る者は何人と雖も然りと答うることは出来ないであろう、見よ立憲政治行われてより今日に至る迄苟も政府の局に当る者にして公明正大に其職責を全うしたる者あるか、否、彼等は政権を固守して権威を擅にし其他位を永続して一身の栄誉を極むるを以て最終の目的と為し之が為めには如何なる手段をも厭わない、或時は権力を濫用して議員を恐迫し、或時は彼等に食わすに利を以てし、其他陰険鄙劣なる有らゆる術を用いて政府に反抗する者を挫き、己等の安全を保たんが為めに努力するものは政府の当路者ではないか、国会議員も亦然り、彼等が選挙場裡に現われて当選を争う時に当りては、口に正義を唱え国利民福を鼓吹して国民及国家の援兵たらん事を誓うと雖も、(注8) 是れ皆選挙人を瞞着(注9)して投票を集めんと欲する虚偽の妄言である、 一たび当選して議員の職を得るに及んでは最早彼等の眼中には選挙人なく国民なく国家なく、 唯々自己の私利を営み虚勢を張らんと欲するの外には何等の目的をも有せない、 彼等が時ありて政府に反抗し時ありて之と手を握り表裏反覆定りなく、 而かも強弁を弄して自己を弁護するは彼等の心底に隠匿せる陋劣なる欲望を満たさんが為めに演ずる(注10)一場の茶番狂言に過ぎずして国利民意とは全く没交渉である、 然るに之を観破する能わずして彼等の一進一退に正義の常道ありと思う者は笑うべき愚昧の徒と云わねばならぬ。

第05段落

嗚呼我国在朝の政事家は此の如く在野の政事家は此の如し、 此の如くにして一年は過ぎ二年は過ぎ三年、五年、十年、二十年を過ぎて其間に幾度か紛擾を越し喧騒を極め、 議会も解散せられ内閣も更迭したるも立憲政治の発達に付ては何等の貢献する所なく、 政治社会は今尚お混沌として汚濁の中に埋没せられ、 腐敗墜落の分子は益々勢を得て国民を荼毒せすんば止まざるの傾向を呈して居る、 欧米の学者が心血を注いで攻究したる立憲政治の学理は我国に於ては全く蹂躙せられ、 国民が期待したる立憲政治の美果は到底味うべき望がない、 而して之は抑々誰の罪であるか、政府に罪あり議員に罪あることは論を俟たないが、之より更に大なる罪責を負う者は国民自身である、 露骨に言えば日本国民は曾て歓んで立憲政治を迎えたるも未だ以て立憲政治の何たることをば充分に理解して居らない、 従て立憲的意識なく道義なく立憲国民の踏む可き道を踏まないために、 諸外国に比類なき腐敗せる今日の政治社会を現出するに至ったのである、 夫れ故に政治社会の現状を打破して真実なる立憲政治の光明を認めんと欲せば日本国民は先ず此点に付て速に覚醒せねばならぬ。

第06段落

先ず最初に注意すべき重要なる一事がある、世は立憲政治と為りて国民は参政権を得たりと云うも之は大なる過言であって一分は真実であるが九分九厘は虚偽である、見よ実際に国の政治に参与する者は国会議員のみにして其他の国民は此等の議員を選挙するより外には何等の権利をも有せないではないか、而かも此等議員選挙者の数も全人口に比例すれば甚だ僅少にして統計の示す所に依れば日本の人口約五千万中に於て議員選挙者は百六十七万有余、即ち千人に三十三人の割合である、之を略言すれば五千万人の中に於て百六十七万人は議員を選挙するを得るも残りの四千八百三十三万人は手を空くして傍観するに過ぎない、此の比較的少数の人々より選挙せられたる更に僅少なる数百名の議員が国の政治に参与するから之を選挙した国民も間接には参政権ありと称するのではあるが実際には甚だ縁の遠き事である、夫れ故に昔仏蘭西のルーソーと云う有名なる学者は烈しく此の政治の方法を批難した、ルーソーは曾て民約論と云う書物を著わして大激論を鼓吹し夫れが原因と為りて仏蘭西の大革命が始まったと言われる位な人であるが彼は立憲政治は甚だ嫌いであった、人民が議員を選挙して其議員が国の政治を議するが如き緩慢なる方法にては迚も人民の利益を保護することはできないから、人民は須らく自ら集会して直接に政治上の事をば討議すべし、之は人民が己れを保護するが為めに天より授かりたる権利であると断言し、而して当時英吉利人が歓迎(注11)せる立憲政治を笑って言うには、英吉利人は立憲政治の賜に依りて国の政治に参与し人民の利益を保護し得るが如く考うるも之れは大なる間違である、英吉利人の参政権と称するものは議員を投票する僅か一瞬間にして、一たび投票し終れば最早人民は何事をも為すこと能わず、後は議員が自由勝手に行動し人民は唯々之を傍観するに過ぎない、斯る政治の方法に依りて人民の利益を保護せんと欲するは以ての外の誤りである、故に人民は己の利益を保護せんと欲せば之を人の手に委すべからず、須らく自ら進んで直接に政治に参与すべし、之を外にしては世に善良なる政治と称するものは絶えて無しと斯様なる破天荒の議論を為したのである。

第07段落

成程之は単純なる理屈の上より見れば当然の事である、一体何事に限らず自分の利益をば他人に委せて保護せんとするも到底充分なる目的を達することはできない、何ぜなれば凡そ人間に限らず此の世の中に存在する動物は皆自分本位(注12)に造られてある、故に何事に拘わらず先ず自分の利益を先にし人の利益を後にするは普通の人情にして、自分の利益を捨てて他人の利益を計ると云うが如きは千万人の内に僅に一人をも求むる聖人君子の行であつて普通人には迚も望むことはできない、故に己れの利益を保護せんと欲せば須らく自ら之を保護すべし之を他人に委ぬべからず、西洋の格言にも「汝は汝の保護者なり」とある、故に若し能うべくんばルーソー氏の言うが如き政治の方法は最上にして又斯る政治は二千余年前の羅馬及び希臘に行われたこともあるが、如何せん今日の世界には言うべくして迚も行われない、日本のみにても五千万以上の人間が居る、此等の人間が悉く政治の事が解かるものではない、又集まって政治上の討議を為すべき建物すら造れない、加之人間各々職業を有し日夜生活の為めに働かねばならぬ、国民挙って政治上の事のみに奔走すれば国民は疲弊して国家は遂に滅亡するのである、是に於てか已むを得ずして多数国民の身代りと為りて国の政治に参与して国民及び図家の利益を保護せしむるが為めに国会議員を選出すると云う制度が起ったのであって誠に已むを得ない方法である、夫れ故に人民の側より見れば議員は己等の代人であるから議員を選ぶは選ばれる其人の利益の為めに選ぶにはあらずして選ぶべき人民自らの利益の為に選ぶのである、又議員の側から見れば区々たる己れの利益や名誉の為めに選ばるるにはあらずして人民の利益を保護するが為めに選ばるるのであるから、議員の身体は議員自身の荷物にはあらずして実は人民の共有物である、人民は己等の為めに議員を選び議員は人民の為めに肉体と精神とを捧げると云うのが議員選挙の道理であって之に向っては世界の如何なる学者と雖も一点の批難を加うることはできないのである、而して此の道理が明になれば立憲政治も亦立派に行わるるのであるが、人民も議員も見易き此の道理を知るや知らずや、我国政治社会の過去及現在の実情を観察すれば彼も我も私利私情に迷わされて国民の利害休威を度外に置き背徳を演じ悪事を働く者が続々と現れて政治社会を腐敗せしむるから、折角の立憲政治は学問の上にては無上の有難き政治なれども接近すれば臭気紛々として見るに堪えないのである。

第08段落

是に於て余が大声疾呼して立憲国民に警告せんと欲する事は立憲国民たる者は須らく国の政治に付て負う可き自己の責任を考えて其責任を果すに足るべき決心と勇気を養えよと云うことである、専制政治の下に奴隷の境遇に甘んずる野蛮未開の国民なれば斯る決心も勇気も全く不必要にして唯々諾々として政府の命令に屈従すれば足るのであるが、立憲治下の国民は斯る無気力無精神にては迚も立憲の賜を受くる望はない、立憲治下に於ては政治の善悪に付ては政府及議員のみが責任を負うべきものにあらずして其責任の大本は国民自身である、何ぜなれば議員を選挙する者は誰であるかと云えば国民ではないか、国民が議員を選ぶは恰も主人が番頭を選ぶか如し、愚鈍にして手腕なく其上悪事を働く番頭を使って店の損失を招き又は他人に損害を加えたるときは番頭に罪あるは無論であるが之を採用したる主人は更に重き責を負うべきは当然である、我国の法律に於ても番頭が過を為して他人に損害を加えたるときは主人自ら之を償う可しと規定してあるが法律に於てすら此の如し、況んや道徳上に於ける主人の責任が更に重きは見易き道理である、議員が誠心誠意を以て国の政治に尽さず、議員の職を以て私利私欲を貪る営業の如くに心得て、甚だしきに至りては公人としても私人としても尤も賤しみ且つ恥づべき賄賂を貪って法廷の罪人と為り、神聖なる議員の職を汚し国家の憶面を傷つくるが如き背徳者(注13)も現れて出る、之は抑々誰の罪であるかと問えば議員其人の罪であるは言うまでもないが、本を尋ぬれば斯る議員を選挙したる国民の罪である、議員選挙の際に当りて国民が議員と為るべき人の性格を識別する注意を怠るが故に斯る醜態が現はるるなれば国民に罪なしとは決して言えない、而して此の道理は独り議員のみには限らず政府の当局者たる内閣大臣にも同様に通用ができる、固より内閣大臣は国民が選挙するものにはあらずして天皇が任命せらるるものなれども、立憲政治の大臣は国民の信用を失っては一日も其の職に留まることはできない、議会に於て不信任の決議を為したるときは直ちに其職を去らねばならぬから、憲法上に於ける大臣の任免権は天皇の手に在れども之を免職せしむる原動力は矢張り国民の意思に在るのである、斯る次第であるから立憲国民は一方に於ては政治の支配を受くるも他方に於ては其政治は矢張り国民自身が行ふものであって、国民の考次第に依りて大臣も議員も自由勝手に取換ゆることができる、去れば大臣何かあらん議員何かあらん、彼等は全く国民の深き恵に依りて其椅子を与えられたる国家の使用人である、国に善政を行うも悪政を行うも、国民が幸福を享くるも困難に遭うも、国が盛なるも衰えるも、凡て国民の心得一つに依って定まるものなれば、国民は決して租税を払うが為めに生存する政府の道具でなく又奴隷ではなくして、吾等は共に政治上の主人公にして大臣及び議員を使役するものなりと云う此の見識を備うるものにあらざれば名誉ある立憲国民の名を与うることはできないのである。

第09段落

立憲国民は以上の道理を理解し其の責任を自覚するときは先ず第一に議員選挙に当りて尤も深き注意を加えねばならぬ、議員選挙は国民が有する唯一の政権にして立憲政治の運用は一に茲に淵源す、之を水流に譬うれば議員選挙は其水源にして議会は其末流である、夫れ故に議員選挙にして清ければ議会も亦清からんも議員選挙にして濁れば議会も又濁らざるを得ない、諺にも水源濁りて末流の清きを望むも得べからずと言うではないか、今日我国の議会が無能無カにして政府を監督叱咤するの気概なく却て彼等の為めに翻弄せられ、内には議員腐敗して権力に抵抗するの気力を欠き却て之に阿諛迎合して私欲を貪るの便を計り、憲法上の大機関をして全く堕落者の巣窟と化せしむるに至りたるは其源を尋ぬれば国民が議員選挙の道を誤りたるが故である、然らば議員選挙に当りて国民は如何なる点に注意せねばならぬかと云うに之に付ては数多述ぶ可き事あるも茲には煩を省くが為めに其の要点のみに止めんが少くとも左の数点は固く守らねばならぬ。

第10段落

第一に注意すべきは議員となる可き人の性格である、議員は私の職務にはあらずして公の職務である、又己れを選挙したる数百人若くは数千人の代表者にはあらずして日本全国民の代表者と為りて重要なる国政を討議する大任を負うものなれば、彼等の一挙一動は全国民の利害休威に至大なる影響を及すことは言うまでもない、去れば議員たる者は須らく此の大任を自覚して己れを捨てて公に奉ずるが為めに誠心誠意を以て其職務に尽すべく、此の場合に当りては如何なる権の圧迫にも恐れず如何なる金力(注14)の誘惑にも迷わされず、国家及国民の為めには百難を排して猛進するの決心と勇気を備えねばならぬ、而して斯る大任は人格の高尚にして道徳心の鞏固なる者に非れば到底果たすことのできない事業である、彼の野鄙賤劣にして眼中国家なく国民なく議員の職を以て私利私欲を計る道具の如くに心得、其地位を濫用して虚名を張り黄白を貪らんが為めに権力に阿り金力に結び悪事を働き醜態を演ずるが如き者には到底国家の大任を托する事はできないのである。

第11段落

第二に注意すべきは議員と為る可き人の学識である、議員の重なる職務は国会議場に立って立法及予算の事に協賛し、尚進んでは政府の行政を監督するにあれば其職責を全うするには法律経済其他政治上に関する豊富なる学識と之を活用する技倆とを要するは無論である、然るに世には全く此等学問上の素養も無く己れの無識無能を顧ずして妄りに議員と為りて虚名を博せんことを望み、之が為めに蛮勇を鼓して烈しき競争を為し、幸に当選して議員と為るも徒らに虚器を抱いて議場に列し他人に頤使せらるるのみにして議員として何等の働をも為す能ず却て世の笑を招く者も其数決して少なくはない、此の如くにして彼等は尚お議員としての名誉を保ち得たりと思わんもこれは(注15)大なる誤であって自ら欺き人を欺き凡そ人間として此程の恥辱はない、古人も斯る者をば尸位素餐(注16)の徒と嘲けりて大に賤みたではないか、更に進んで諭すれば今日我国の国会議員として其職責を全うせんと欲せば唯に日本若くは東洋のみに関する狭隘なる知識のみにては甚だ不充分にして宜しく世界的知識を備えねばならぬ、言う迄もなく今日の日本は最早日本の日本にはあらずして世界の日本であれば日本の内政及外交は悉く世界の形勢より割出さねばならぬ、去れば今日世界的知識なき者は日本の政治に容喙する資格はない、国会議員に博き知識の必要なるは論を要せないのである。

第12段落

第三に注意す可きは議員と為る可き人の資産若くは職業である、之は余り重きを置くに足らざれども現今我国の政治融合の状態を見れば国民か此点に注意するは尤も必要である、身に生活を支ゆる資産もなく手に職業をも持たずして妄りに国会議員と為り其地位を濫用し衣食の材料を得んと欲する者は世に所謂政治破落戸ゴロツキと称する類にして欧米諸国に於ては之を賤むこと穢多非人よりも甚し、我国に於ても往々にして斯る輩を目撃するは立憲治下の大恥辱である、従来我国に於て議員腐敗の声高く或は政府に買収せられ或は賄賂を貪り其他黄白を得んが為めに国事を度外に観て種々の悪事を働く者の現わるるは何れも生活難より来るものなることを知るときは国民は議員を選挙するに当りて深く此点に注意すべきは已むを得ない次第である、一体斯る輩が議員の公職を帯びて天下に横行し国家の為めに正義の楯を振わんとするが如きは全く猛者の仕業である、古人も恒産なき者は恒心なしと云い又国を治めんと欲せば先ず其家を治めよと教えたではないか、資産もなく職業もなく家乱て債鬼に襲わるる者が国政に関与するも何んの貢献する所なきのみならず百害百弊立ち所に発生するは尤も見易き道理である素より真の国士と称せらるる者は内には貧困と戦い外には政敵と争い十年の苦節を意とせざるも斯る俊傑は稀に見るべく多数の凡俗には望むことはできない今日我国の政治社会より此等の輩を一掃するに非ざれば到底革新の実を挙ぐることは不可能の事である。

第13段落

第四に注意す可きは国民は選挙の際に当りては須らく以上三個の要件に付て詳細なる吟味を遂げ其適任者を挙げ不適任者を駆逐するが為めに極力奮闘せねばならぬ、是れ憲法の附与する国民の権利を行使するものにして立憲政治の運用は実に此時に於て定まるのである、然るに従来我国に行われたる選挙場裡の状態を顧みれば国民は此等の点に付ては殆ど無頓着にして多くの注意を払わず、全く私利私情に誘われて選挙場に赴き甚しきに至りては金銭の為めに投票権を売付ける者も決して鮮くはない、実に驚くべき現象ではないか、国民が選挙に際して斯る不心得の所業を為すが故に物腐りて蟲之に生ずの諺に漏れず、世に信用なき政治破落戸の徒が此間に乗じ詐欺瞞着の術を用ひて万一の当選を僥倖することもある、見よ曾て政治家として節操を破り社会よ擯斥せられたる者も再び議場に現るるではないか、議員として賄賂を貪り法廷に罪人の宣告を受けたる者も再び選挙を争わんとするではないか、政治家にして節操を破る最早政治家にあらずして一種の醜業婦である、議員にして賄賂を貪る最早議員に非ずして一種の盗人である、彼等は国民の顔に泥を塗り国家の体面を傷け憲法を蹂躙し立憲政治を荼毒する獅子身中の蟲であれば国民は須らく斬って之を棄てねばならぬ、若し之を為す能わざれば立憲政治を破壊して憲法の前に国民は自ら屠腹するより外に逍はない、一片彼等に向かって同情を寄する者あらば其人も亦盗人の仲間にして立憲政治の蟲である、議員選挙は私事にあらずして公事である、一人一己の為めに私すべきものにあらずして国家及国民の為めに憲法の与うる機能を行う大事業であることを自覚したならば区々たる目前の私利私情を犠牲に供して適任者を選出するが為めに奮闘するは国民の義務にして又大なる快事であると覚悟せねばならぬ。

第14段落

第五に注意す可きは国民は宜しく議員を監督せよと云うことである、国民は一度び議員を選挙すれば最早我事終れりとして後は野と為れ山と為れ議員の為すが儘に放任するが如きは国事に熱心なる国民とは云えない、殊に今日我国の譲員の有様を見るときは之を監督するの必要は益々切迫して居るのである、已に前述せる如く議員が選挙場に立ちて当選を争う時に当りては溢るるばかり熱心の色を示して国利民福の為めに一身を犠牲に供せんことを誓うも是れ皆投票を集めんが為めの詐術に過ぎずして、一度び当選して議員と為れば一夢の間に前言を忘却して私欲の為めに狂奔し熱心に国事を顧みる者はない、加之甚しきに至りては節操を売り主義を抛つこと掌を翻すが如く、昨日迄は甲の党派を敵として戦いしが為めに当選したる者が今日は其党派の前に屈後し恬として恥ずるの色もなく選挙区民も亦之を咎めざるに至りては実に驚くの外はない、斯る無恥厚顔の徒をして神聖なる国会議場に立たしむるは畢竟するに国民が議員の監督に冷淡なるが故にして国民も亦大なる恥辱である、故に国民は第一には議員選挙に於て第一には議員の監督に於て深き注意を用ゆるにあらざれば議会の廓清(注17)は到底望むことはできない、然るに我国民は已に第一に於て誤り第二に於ても亦誤れり、議会の腐敗するは自然の結果である。

第15段落

以上述べたる所によりて立憲政治下に於ける国民の責任の重大なる事は略ぼ理解せられたりと信ずるが、更に眼光を張りて今日世界の形勢を観察し又其間に於ける日本の地位を考うるときは我国民は益々立憲政治の運用に注意し政治の改良を計るが為めに極力奮励せねばならぬ、言う迄もなく輓近日本の発達は実に驚くべきものにして古来何れの国の歴史を見るも日本の如き急速なる進歩を見ること能わず、日本の進歩は世界の歴史上に於ける一の奇蹟と唱えらるる許りである、殊に日清及び日露の二大戦争に於て大勝を博せし以来日本の名声は忽ちにして広き世界に響き亘り一躍して世界の一等国の列に加わったと称せらるるのである、現今世界の独立国は六十有余にして其中に於て一等国の名を冠せらるるものは僅に七ケ国許りである、而して世界の大勢は此等の一等国に依りて支配せられ、世界の舞台は一等国の為めに設けられたるものなりと云うも敢て過言ではないが、我日本は長き間東洋の僻隅(注18)に蟄居して世に知られず、漸くにして知られたるときは貧弱未開を以て目せられ欧米諸国と対等の交際すら能わざりしに今や世界の一等国として国際上厚き礼遇を与えらるるに至った、加之世界第一の富強と云わるる英吉利とは同盟を結びて兄弟の間柄となり、曾て隔てありし露西亜及び仏蘭西とも互に手を握りて協約を取結び、更に進んでは朝鮮半島を併合して昔日の島帝国は一変して大陸国と為るに至ったのである、此の方面より見れば日本は実に豪い国にして日本の前途は洋々として春の海の如く日本の勢力は堂々として旭日の天に上るが如しと形容せらるるのである、併しながら之は単に一方面を見たるまでにして一度び眼光を転じて他の方面を見れば日本は果して一等国の実カを有し日本国民は果して一等国民として世界に誇るに足るべきか言う迄もなく日本が一等国の列に加わりたるは二大戦争に勝利を得たるが故である、素より戦に強きは国の勢力を張る大原因であるには相違ない、今日の世界は尚お弱肉強食の有様にして弱国は強国の為めに蚕食せらるるを免れない、一国内に於ては裁判所の設けありて国家の権力と実カとを以て正義と不義とを判断し正義を挙げて不義を抑ゆる(注19)が故に仮令腕力及び金力に於て大に優るものと雖も不義の道を以て弱者を圧倒することはできないが国家間に於ては決して然らず、違き未来は兎も角も今日の世界には未だ国家間の争を判断する権力と実力とを有する帝王もなければ従て裁判所もないから最後の手段は戦争に訴えねばならぬ、故に戦に強き国民にあらざれば其国の勢力を張る能わざるのみならず甚しきに至っては国の独立を害することもあるから日本が戦に勝ちて国の地位を高めたるは当然の事にして毫も怪むには足らない、去りながら単に戦に強き一事を以て全き国と思う者あらば大なる誤である、之を人間に譬うるも単に腕力の強きを以て完全なる人間とは云えない、完全なる人間としては世に立ち社会の尊敬を受くるには学問も道徳も財産も勇気も悉く備って之を以て社会の為めに貢献せねばならぬ、尤も多く社会に貢献したる者は尤も偉大なる人物として世の尊敬を受くるものなるが国と雖も亦然り、然るに日本国民は後発世界に向って何の貢献を為したるか、先ず手近き例を取りて見るに今日文明の利器として使用せられ世界人類に莫大なる利益を与うる汽車、汽船、電信、電話、電燈、瓦斯其他百般の利器に日本国民の発明したるものは一つもない、皆欧米人が苦心して発明せるものをば我国民は取りて之を模倣せるに過ぎない、然らば今日我国に活用せらるる学術は如何であるかと云うに是れ亦西洋舶来のものばかりである、法律学と云わず政治学と云わず、経済学、医学、文学、理学、工学、哲学より宗教上の学術に至るまで何れも欧米人の攻究せる結果をば我国の学者は之を受け売りするに過ぎない、夫れすら満足に為す能わずして大なる誤謬を伝うることもある、学術に於て日本は西洋諸国に及ばざること遠く我が国人が学術研究の為めに西洋諸国に渡航するは全く之が為めである、更に方向を転じて国富の程度を比較すれば実に驚くべきものがある、凡そ一団の富を計るには種々の標準あらんが先ず海外貿易の点より見るも最近の統計に依れば英吉利の如きは一年の輸出入合して百二十億万円以上に達し独逸、亜米利加は七十億乃至八十億にして白耳義、和蘭の如き小国にして欧洲に何等の勢力なく三等国を以て目せらるる国ですら三十億乃至四十億の数字を示して居るに拘わらず日本は僅に十億万円に達しないのである、然らば政府の歳入は如何と云うに是れ亦欧米諸国の一等国に及ばざること遙に遠し、露西亜は一個年の歳入二十五億万円以上にして英吉利、独逸、仏蘭西の如きも十四億万円より十八億万円の間を往来せるが日本は漸くにして六億万円に達し、夫れすら苛酷なる重税を課して人民を苦しむるに非ざれば徴収することができないではないか、其他商業、工業及び交通機関の発達等に於ても日本は未だ欧米諸国の脚下に位し従て国の美観を添うべき建築物及び道路等に至りても彼等諸国に比すれば全く雲泥の差違がある、更に進んで論ずれば現今日本国民は世界に於て果して一等国民の待遇を受け日本国は果して一等国たる権勢を示して居るかと云うに決して然らずと答えざるを得ない、見よ日本人は東洋諸国に於てこそ対等の取扱いを受くるも一度び足を欧米諸国に入れば彼等白晢人の為めに眼下に見下されて軽蔑又侮辱せらて居る、殊に亜米利加大陸、布哇、比律賓、濠洲等に於ては日本の労働者は上陸すら禁止せられ、海外に向って大に発展せんと欲する吾が同胞等は野蛮未開の支那人と同じく禽獣の如き取扱いを受くるも我が政府は彼の政府の威力を恐れて強硬なる談判をも為すことかできないが、此でも、日本国民は一等国民なりとして世界に誇ることができるか、加之世界の一等国なれば世界の大問題に向って容喙するの権利即ち世界的発言権を有せねばならぬが日本は今日此の権利を有するやと云うに是れ亦否と答えざるを得ない、欧米一等国の政府は独り西洋の問題のみならず進んで東洋問題に付て有力なる発言を為し、殊に近来支那問題に付ては事毎に容喙関渉するは吾人の知る所であるが、日本は今日東洋問題殊に支那問題に付てのみ僅に発言権を認めらるるのみにして其他の世界的大問題に付ては一言の喙を入れ一指を動かす権威を有せないが此でも尚お世界的一等国として誇ることかできるのであるか。

第16段落

以上述べたる次第にして日本の一等国は単に軍事上の方面より見たるものにして平和的方面より見たるものではない、軍事的戦争に於ては已に東洋の大国たる支那に勝ち欧羅巴の強国たる露西亜を敗りたれば一等国の名を得るに足らんも平和的戦争に於ては欧米の一等国には愚か二等国にも肩を比ぶることは前途頗る遼遠である、而て国民として世界に誇り国家としで勢威を振うに付ては単に軍事上の戦争に於て勝利を得るを以て足れりとせず進んで平和的戦争に於ても亦勝利を博せねばならぬ、軍事上の争は一時的にして平和上の争は永久的である、国民の幸福と国家の発達は我等のみに依りて得らるるべきものにあらずして有らゆる方面に於ける文明の進歩を待たねばならぬ、然らざれば軍事上に於ても遂に敗を招くに至るは必然である、然るに内に於て未だ政治上の秩序すら整わずして憲法運用の途を誤り、国民も議員も政府も政治道徳の大批難を受くるが如き有様にては到底国家の大発展を来し一等国の実を奉げることはできないのである、故に国民は須らく之を覚悟して先ず現今の政治社会より腐敗の分子を一掃して其の廓清(注20)を計るが為めに憲法の附与する権能を行使し責任を果すが為めに努力するは今日我国民の取るべき最大急務と心得ねばならぬ。

脚注

(1)
原文では「苟にも」と表記されている。
(2)
原文では「懶隋者」と表記されている。
(3)
原文では「付て」と表記されている。
(4)
原文では「何か」と表記されている。
(5)
原文では「付て」と表記されている。
(6)
原文では「歌わるる」と表記されている。
(7)
原文では「彌々」と表記されている。
(8)
原文では「。」と表記されている。
(9)
原文では「満着」と表記されている。
(10)
原文では「演する」と表記されている。
(11)
原文では「観迎」と表記されている。
(12)
原文では「本意」と表記されている。
(13)
原文では「敗徳者」と表記されている。
(14)
原文では「全力」と表記されている。
(15)
原文では「开は」と表記されている。
(16)
尸位素餐の意味 四字熟語 - goo辞書
(17)
原文では「革清」と表記されている。
(18)
原文では「僻偶」と表記されている。
(19)
原文では「押ゆる」と表記されている。
(20)
原文では「革清」と表記されている。