『帝国憲法論』 その8

last updated: 2013-01-23

第二編 各論

第六章 国務大臣

国務大臣は、天皇の委託に依て国家の政務を分掌する官吏にして、法律命令に服従するの外、他の行政機関の監督を受くることなし。 故に国務大臣は我国法上最高の地位を有する行政長官なりと云うことを得べし。

憲法第五十五条には「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」と規定せり。本条は憲法上に於ても頗る議論多き条文なるを以て、左に区別して論述する所あるべし。

(一)副署

大臣の副署は、一方に於ては法令に形式上の効力を与う。 故に大臣の副署なき法令は、法令たるの効力を有せず。 従て臣民は、之を遵奉するの義務なきなり。 又他の一方に於て、副署は責任者を明にす。 故に副署したる大臣は、其副署したる事柄に付て責任を有す。 従て場合に依ては副署を拒むことを得べし。

(二)大臣責任の性質

大臣の責任とは、民法上又は刑法上の責任を云うにあらずして、大臣が大臣たる資格に於て、負う所の責任を云う。 最後の方法は其職を辞するにあり。 而して国務大臣は如何なる事件に付て其責を負うべきやと云うに、其発する所の法令の形式上及性質上に付、現今の法令に抵触せざるや否や、及其職務上の処置が国家に有益なるや否やに関せり。 大臣の責任に二種あり。 一を連帯責任と云い、一を単独責任と云う。 連帯責任とは、一の大臣が其職務上の行為を誤るときは、総ての大臣が其責任を負担するを云い、単独責任とは、其行為を為したる大臣のみ責任を負担するを云う。 此二種に付ては種々の議論あれども、我国の官制に於ては単独責任を採用せりと云わざるべからず。

(三)大臣は何人に対して責任を負担するや

大臣は天皇に対して責任を負うや、又は議会に対して責任を負うや、或は此両者に対して責任を負うや、将た国民に対して責任を負うやは、曩年議論の沸騰したる問題なれども、我憲法の解釈上に於ては、無論責任は天皇のみに対して負うものと云わざるべからず。 何となれば前述せる如く、大臣の責任は其職務上の責任なれば、其制裁は官吏の職務を免じ、又は譴責を加うるの二途に出でず、而して官吏の任免は天皇の大権に在るとは憲法第十条の規定する所なれば、議会又は臣民は毫末も已に喙を容るることを許さず。 然れども立憲法政体の本旨は、君主の神聖を保つにあり、若し君主をして大臣の責任を制定するの地位に立たしむるときは、其判定の善悪に依り、君主に批難を加うる者生じ、君主の神聖を保つこと能わざる場合あるを以て、政治上より論ずるときは、大臣は議会に対しても、亦責任を負うものと云わざるべからず。

伊藤博文氏著『憲法義解』には、大臣の責任を以て憲法及法律の支柱なりと云い、亦独逸のグナイスト氏は、大臣責任を以て国家構造の基石(注1)なりと云えり。 蓋し大臣の職権は、尤も広大なるものが故に、之を監督するの所の権利にして完全ならざるときは、其弊害は憲法及法律をして死文たらしむるに至るべし。 故に大臣の責任を明にするは、極めて必要なりと云うべし。

脚注

(1)
Yahoo!辞書 - きせき【基石】。原文では「碁石」と表記されている。