『帝国憲法論』 その10

last updated: 2013-01-23

第二編 各論

第八章 司法権

司法権とは、立法権行政権に対する名称にして、国家の裁判権を云う。 曾て仏国の有名なる学者モンテスキュー氏は、三権分立説なるものを主唱し、国家の権利を三種に分ち、立法権は国会に於て有し、行政権は君主に於て有し、司法権は裁判所に於て之を有す、而して三権は、互に分離独立して相侵すべからざるものとせり。 この説は一時勢力を占めたることありと雖ども、今日は既に学者の排斥する所となるのみならず、我憲法に於ては、天皇統治権を総攬し、立法、司法、行政の三種は、統治権の支流に過ぎざるを以て、此三権は共に天皇に属し、議会又は裁判所に属せざることは論を俟たざるなり。

第一、裁判所

「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」とは、憲法第五十七条第一項の規定する所なり。 故に司法権は、必ず裁判所之を行わざるべからず。 茲に天皇の名に於て之を行うとあるは、裁判所が天皇に代り、天皇の名義を以て之を行うの意なり。 蓋し天皇の委任を受けて行う事は、独り裁判の事のみに限らず。 然るに特に本条に限り、此明文を設けたる理由如何。 按ずるに、司法事務の眼目とする所は、虚心平気以て法律を適用するに在り。 而して天皇は平常国家全体を統治するの地位に立つを以て、自ら裁判を為すときは、国家全体の利益の為めに一己人の利益を傷け、裁判の公平を失するの虞なきにあらず。 故に特に之を裁判所に委任し、自ら之を行うことを避けたるなり。 之れ近世の国家に於る一大進歩にして、欧米各国此主義に則らざるは罕なり。 英国の如きは君主自ら裁判を為すは、其古代の制度なりしと雖ども、後遂に之を為すべからざることなし、ヂェームス一世の如きは、自ら裁判に臨み判事の為めに叱ぜられしことあり(注1)。 依是見之、天皇の名に於て云々とは、一面に於て裁判所は天皇に代て裁判を為すの義を示し、他の一面に於て、天皇は自ら裁判を為し能わざるの義を明にしたるものなり。 又法律に依り裁判所之を行うとは、裁判を為すは必ず法律に依らしむることを示したるものにして、要するに裁判の公平を保たんが為めなり。 蓋し裁判の事は、予め法律を以て之を定め、裁判官の意思を以て左右するが如きことあるべからず。 例えば、同一事件に付或る者には上訴を許し、他の者には之を許さざるが如き、又は今日訴訟を許し、明日之を許さざるが如き、或は甲乙其人を異にするに依り、裁判の手続を異にするが如きは、決して裁判の公平を維持するの途にあらざるなり。 憲法第五十七条第二項に「裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」と規定せるも、亦右同一の理由より生じたるものにして、裁判所構成法の制定せられたる所以なり。

裁判所に通常裁判所と特別裁判所とあり。 通常裁判所とは普通の民事刑事を裁判する所にして、区裁判所、地方裁判所、控訴院、大審院を云う。 特別裁判所とは、通常裁判所の管轄に属せざる事件を裁判する所にして、例えば軍事事件を裁判する軍法会議の如し。 特別裁判所は如何なる事件を裁判するやに付ては、別に法律を以て之を定むべきものとす。 憲法第六十条は其導火線とも云うべし。 憲法第六十一条には「行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス」と規定せり。 本条は行政訴訟に関する規定なり。 行政訴訟とは、行政官庁の違法処分に依り権利を侵害せられたるものが、行政裁判所に対し其権利の回復を求むる訴訟を云う。 按ずるに我国に於て行政官庁に対して訴訟を起すことを許したるは、実に明治五年に在り。 同年司法省達第四十六号を以て、地方官を裁判所に訴うることを許せり。 同七年同省達第二十七号を以て行政裁判の名称を設け、同廿四年十月法律第百六号を以て、行政裁判所を設け、司法裁判所と並立せしむるに至れり。 抑も訴訟を判定するは、司法裁判所の任なるに、別に行政裁判所を設くるの理由如何。 曰く第一司法権に対して行政権の独立を得んが為めなり。 若し司法裁判所をして行政官の為したる処分の当否を判定せしむるときは、行政官は司法官の隷属たるを免れず。 然るときは行政官は其本職たる社会の便宜と、人民の幸福とに依て便宜処分するの余地を失うに至るべし、 第二行政の事柄は通常司法官の知らざる所なるを以て、之をして判決せしむるは甚だ危険なり。 寧ろ行政の事務に熟達する人を以て裁判せしむるの優れるに如かざるなり(注2)。 行政訴訟を起し得べき事項並に其手続等に関しては、明治二十三年法律第四十八号並に同年十月法律第百六号、其他市町村制等に規定せるを以て就て見るべし。

第二、裁判官

憲法第五十八条には「裁判官ハ法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ニ任ス裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外其ノ職ヲ免セラルヽコトナシ懲戒ノ条規ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム」と規定せり。 裁判官とは凡ての判事を云い、司法官試補、検事、書記を包含せず。 抑も裁判官の職は被告人の罪の有無を決し、又民事の争を断ずるに在り。 故に一歩を誤るときは、罪なきものをして獄中に呻吟せしむるのみならず、甚だしきに至ては其生命を失わしむるに至り、権利ある者をして権利を失わしむるのみならず、甚だしきに至ては財産を滅尽し、妻子をして路傍に迷わしむるに至る。 凡そ官吏として公平誠実を要せざるものなき(注3)と雖も、裁判官に於て特に此を要する所以のものは、右の理由によればなり。 夫れ公平誠実以て其職に当らしめんと欲せば、先ず其人を選び、其地位を鞏固にし、凡そ裁判を為すには必ず此人をして為さしめ、妄りに他の者をして之を為さしむるが如きことあるべからず。 其人を選ぶが為めには、裁判官は特に法律を以て定めたる資格を具うる者を以て任用することとし、其地位を鞏固にする為めには、裁判官は刑法の宣告又は懲戒の処分に由るの外、長官の任意を以て其職を免ずることを得ざるものとせり。 刑法の宣告とは、裁判所に於て重罪又は軽罪の判決言渡を受け、其結果公権を剥奪若くは停止せられたる場合にして、刑法第三十一条乃至第三十四条に規定し、懲戒の処分とは、職務上の過失其他の理由に依り其職を免ぜらるる場合にして、判事懲戒法に規定せり。 而して懲戒の条規は、必ず法律を以て定め行政命令を以て定むることを得ざるは、其正確を保たんが為めなり。

第三、裁判の公開

憲法第五十九条には「裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ヲ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得」と規定せり。 我国に於て対審、判決の公開を許したるは、明治八年以来のことにして、其以前は白洲裁判と称し、公衆の傍聴を禁じたる秘密の裁判なりしなり。 想うに裁判を公開するは、裁判官をして正理公道に依て裁判を為さしむる所以にして、人民の権利を確保するものと謂うべし。 故に現今何れの憲法国に於ても、此原則を採用せざるものなし。 然れども内乱外患に関する裁判の如き、之を公開するときは人心を激昂せしめ、安寧秩序を破るの虞あり。 又姦通罪及離婚に関する裁判の如き之を公開するときは風俗を害するの虞あり。 故に斯る場合に於ては法律の規定に依り、又は裁判所の決議を以て対審のみの公開を停むるを得べし。 然れども判決の言渡は、何れの場合に於ても公開せざるべからず。 是れ判決の言渡は、右の如き虞なきを以てなり。

脚注

(1)
Prohibitions del Royのこと。
(2)
原文では「加かざるなり」と表記されている。
(3)
原文では「公平誠実を要せざるもの」と表記されている。文脈を考慮すると、公平誠実が求められない者がいない、つまり誰もが公平誠実を求められるということだろう。