『比較国会論』 その1

last updated: 2013-01-23

序言

政治は長生す、太古日耳曼の深林中に棲息せしチュートン民族の間に萌芽を発せし、国会制度は海を越えて武烈顛に渡り、千有余年間の発達に依りて立憲政治と為り、世界の大半を風靡して遂に東洋の一帝国に来れり、 然れども立憲政治とは抑も何ぞや、憲法を制定して国権の発動を定め、国会を設けて立法の事に関与せしむるを以て立憲政治なりとするは、形式上より之を定義したるものにして真正に此政治を解したるものと謂うべからず、 立憲政治の究極の目的は国民の共同意識を以て政治の元動力と為すに在りて、憲法及び国会は此目的を達するの機械たるに過ぎず、而して国民の共同意識の発現したるものは則ち輿論なれば、立憲政治を以て輿論政治なりとするは決して誤れるものにあらず、 去りながら吾人は今日の世界に於て斯る政治の現出を期すべからず、何となれば真の輿論政治は健全なる輿論の存在するありて始めて行わるべきものなるに、今日の世界は此の如き輿論の発生する根拠を欠くものなればなり、 暗愚蒙昧なる野蛮未開の国民は言うに足らず、所謂立憲国民を以て自ら称する者と雖も、其最大多数は尚お政治的無智の境遇を脱する能わず、 斯る国民に向て健全なる輿論の現出を要求するも得て望むべからず、 健全なる輿論の存在するものなくして真の輿論政治を行わんとするは、恰も空中に向て楼閣を築かんとするが如し、百年千年之を試むると雖も遂に無益の徒労と為りて終るべし、 然らば之を国会政治なりと断言せん、 国会政治の目的は不確定なる国民の輿論に信頼せずして、確定せる国会の意思を以て政治の元動力と為すに在り、或は言わん、国会は輿論の代表機関なるが故に、国会政治は則ち輿論政治なり、二者の間に於て何の異なる所あるかと、 余は之に答えて言わん、国会を以て輿論の代表機関なりとするは、政治上に於ける一の「フィクション」たるに過ぎずして、決して、正確なる定言として認むる能わず、何となれば今日の時代に於て国会に依て代表せらるべき真正なる輿論の発現を期待するも得べからざるのみならず、国民の輿論と国会の意思とをして常に相一致せしめんとするが如きは、一个の理想として之を尊重すべきも之を現実にすることは殆ど期すべからず、且つや今日の社会進歩の程度より考うるときは、此の如きは愚昧なる多数国民の声を以て国会の意思を左右せんとするものにして、国家の政略上頗る不利益なるのみならず、又頗る危険の業たるを免れず、故に現代の立憲政治の理想は真の輿論政治にあらずして、国会政治なることは為政家たる者の常に記憶して忘るべからざる事なり。

国会政治の目的を達せんと欲せば、国会は健全なる意思と之を遂行するの気力とを有し、是より生ずる勢力を以て政治の全般に及ばざるべからず、 而して国会の意思と気力とは之を組織する議院の知識及び道徳に依て形成せらるるが故に、此二者を兼備する多数の議員ありて、国会の威信と勢力とを確大ならしむることあらば、初めて国会政治を現出せしむることを得んも、 然らざる間は国会政治も亦到底仮装虚偽たるを免れざるのみならず、偶々以て無智無徳の徒をして政治的野心を遂げしむるの因と為り、国家民人は之に依て失う所あるも毫も得る所なかるべし(注1)

善良なる国会は完全なる法制の下に建設せらるるが故に、為政者たる者は時勢の変遷に応じて国会法規を改良し、健全なる国会を組織することを怠るべからず、 然れども法は元来死物なり、之を運用するの人を得ざれば千法万令遂に徒法徒令と為りて終わるべし、我国に於て国会法規の改正を耳にするや久し、之を改正する素より不可なしと雖も、之と同時に国会議員の知識及び道徳を改良するは又以て当今の急務にあらずや、 国会議員にして智徳なきは虚偽の議員なり、 虚偽議員を以て充たされたる国会は又虚偽たるを免れず、嗚呼虚偽の国会!、 政府を監督すべき地位に在りながら却て政府の為めに翻弄せられ、官僚を叱咤するの地位に在りながら、却て彼等の為めに頤使せらる、 国会の威信全く地に墜ちて其軽きこと羽毛の如し、 此の如き国会を掲げて立憲政治を歌わんとする抑も児戯の甚しきものなり、 憫むべき日本国民は今尚お暗愚迷想の夢より醒めず、立憲政治の美名に迷い、国会議員の悪魔に欺かれて、茫然自覚する所を知らず、 彼等が選出する代表者は、白昼公然国家問題を売却して私欲を逞うすることあるも、彼等は之を監督制御するの途を知らざるのみならず、 却て之に信頼して自己の救済を求めんとす、 議員に罪あり、一世を挙げて罪過の渦中に投ぜ(注2)ずんば止まず、慨すべしとや云わん、嘆ず(注3)べしとや云わん。

余が論述する比較国会論は、英、米、独、仏、日、伊、瑞の七国の国会を比較研究したるものにして比較政治学の一都に属す、倉卒筆を下す魯魚の誤なきを保せず、若し夫れ江湖の識者に依て指摘訂正を受くることあらば余の幸は之に過ぎず。

明治三十九年十月
東京に於て 斎藤隆夫 識す

脚注

(1)
原文では「毫も得る所なかる所なべし」と表記されている。
(2)
原文では「投せ」と表記されている。
(3)
原文では「嘆す」と表記されている。