『比較国会論』 その3

last updated: 2013-01-23

第二章 国会の性質

凡そ法律学及び政治学を攻究するに当て第一に遭遇する最も困難なる問題は国家とは何ぞやと云うに在り、 何となれば法律学及び政治学は国家ありて始めて発生する学問にして、 国家為る基礎の上に建設せらるるものなれば、 先ず此基礎を確定するにあらざれば、其建設物は常に動揺して定まりなく、遂に顛覆せずんば止まざるに至るべし、 然るに国家の何物たるやに付ては古来より今日に至るまで尚学者争論の目的と為りて未だ決定せられざるのみならず、之に関する学説は頗る多様にして且つ各々一長一短を有するが故に、攻学者をして殆ど其探る所に迷わしむるに至る、 余が国会の性質を論ずるに当ても亦実に此感威なくんばあらず、蓋し国家と国会とは或る関係を有するは必然にして、其関係を説明するは即ち国会の性質を説明する所以なれば、国家なる観念の一定せざる間は国会の性質も亦一定せざるは自明の理なり、 然れども余が茲に論ぜんと欲する国会の性質は国会に関する総ての問題と関係を有するにあらずして、唯其主要なる一点、即ち国家は主権の主体なりや否やの一点に止まるが故に他の点に付て毫も論及するの要を見ざるなり、 若し国家を以て主権の主体なりとせば、君主を初めとし其他国家内に包含する総ての政治的機関は皆国家の機関なりとせざるべからざれども、 若し国家を以て主権の主体にあらずとするときは、国家の外に別に主権体の存在を認めざるべからず、 而して其主権体は或は君主なることあり、或は国会なることありや否やの点に関し、 大には国会は国家の機関なるや又君主の機関なるやの点に関するが故に、此問題に対して一定の断案を下すは国会の性質を論ずるに最も必要なることと云わざるべからず、 而して余は多数の学者と共に国家主権説を維持するものなるが故に、国家は如何なる場合に於ても主権の主体にあらずして国家の機関なりと断言し、進で其性質を詳論せんと欲す。

第一節 国会の法律的性質

法律上より論ずるときは国会は国家の一機関なり、機関なるが故に人格を有せず、従て権利義務の主体と為ることを得ず、法律上に於て国会の権利及び義務と称するは国会の職務権限を定めたるものにして、之に依て国会の人格を認めたるものにあらず、 又国会は人格を有せざるが故に之を代表することを得ず、普通に国会を代表すと云うは、法律上の意味にあらずして政治上の意味に用いらるるものなり、 然らざれば国会其ものを代表するにあらずして国会を組織する議員を代表するものと解せざるべからず、 国会は如何なる役員を以て組織せらるるやは次章の論ずる所なるが故に茲に詳述すべきにあらざれども、 国会を以て人民の選挙したる役員を以て組織したる国家の機関なりと称する多数法学者の見解は大に事実に反するが故に正当なりと云うこと能わず、 何れの国会に於ても下院議員は人民の直接選挙より出づるものなれども、 上院議員の泉源は頗る多様にして決して一定するものあるを見ず、 英国の貴族院議員は世襲、選挙、勅任及び宗教上の職司より来り、 米国の元老院議員は各州の立法部に於て之を選挙し、独逸連邦参議院議員は各邦の政府に於て之を任命し、 仏国元老院議員は各県の選挙会に於て之を選挙し、 日本の貴族院議員は世襲、選挙及び勅任より来り、伊太利の元老院議員は国王之を任命し、瑞西の元老院議員は各州の人民より之を選挙す、 以上述べたる所に依れば共和国の上院議員は何れも直接又は間接に人民の選挙より出づれども、君主国の上院議員は人民の選挙と関係を有する者は頗る小部分に過ぎずして其大部分は世襲又は任命に因るものなることを知るべし、 去れば国会を以て人民の選挙したる役員を以て組織したる国家の機関なりとするは或る国会に付て云うことを得るも未だ之を以て各国に共通する国会の性質と為す能わざるなり。

国会は国家の機関なれども、如何なる種類の機関に属するや国家の主権は立法、行政及び司法の三方面に向て発動するが故に国家は之に相当する三種の機関を有せざるべからず、 而して国会の重なる職務は国家の立法事業に関与するに在るが故に国会を以て立法機関なりとするは決して誤りたる定言と云うべからず、 然れども近世に於ける国会の職務を審査するときは何れの国会も単に立法事業のみに関与して毫も他の事業に関与せざるもの一として存することなし、 是に於てか国会は立法機関のみにあらずして或る他の機関と為ることありと云わざるべからず。

一、国会は単独にして主権機関と為ることあり、 又他の機関と共同して主権機関を組成することあり、 茲に言う所の主権機関とは普通に主権者と言うと同一の意義を有す、普通殊に政治学上に於ては主権は君主に在りと云い、又は国会に在りと云い、甚しきに至ては人民に在りと云い、君主、国会又は人民を以て主権者なりと称すれども、 法学上より論ずるときは主権は国家のみに属し国会以外に主権の主体を認めざるが故に君主以下の者は主権者即ち主権の主体にあらずして主権の行使者即ち主権機関なりと云わざるべからず、 最も主権機関なる語を広義に解釈するときは国家の機関は上は君主より下は一属吏に至るまで悉く主権機関にあらざるはなし、 何となれば苟も国家の公務に関与する者は直接又は間接に主権を行うものなればなり、 然れども茲に云う主権機関は此の如き広義の意味にあらずして尤も狭義に用いられたることを記憶せざるべからず、 而して一国家内に於て何者が主権機関なるやを見るは専制君主国に於ては甚だ容易なれども立憲君主国又は共和国に於ては或は困難を感ずることあり、専制君主国に於ては君主の権力は絶対無限にして何者と雖ども之を制限すること能わざるが故に君主一人が主権機関なることは一目瞭然たりと雖ども、 立憲君主国に於ては然らず、立憲君主制の第一義は君主の権力を制限するに在り、詳言せば国会なる機関を設けて主権行使に関する君主の権力を制限するは立憲君主制の骨子なり、又共和制に於ては直接又は間接に人民の選挙したる国会又は其他の国体をして主権の行使者たらしむるものなれば、此等の二制に於ては国会は単独にして主権機関たることあり、 又単独ならずと雖ども少くとも他の機関と共同して主権機関たることあるは、当然の結果なりと云わざるべからず、 而して立憲制の下に於て何者か主権機関なるやを見るには何者か憲法改正の権力を有するやを見るにあり、憲法改正の権力を有する者は主権機関にして否らざる者は非主権機関なり、何となれば憲法は総ての法律の上に位する国家の根本法なるが故に、 之が改正の権力は即ち国家最高の権力にして、 此権力を有する者は国家に属する所以なる行為と雖ども為し能わざることなく、 君主制を変じて(注1)共和制と為し、共和制を変じて(注2)君主制と為すが如き、何れも憲法改正の手段に依て成し遂げらるるものなり、 故に此標準に基き主権機関に属する国会の性質を攻究すれば左の如し。

英国の国会は単独なる主権機関にあらずと雖ども国王と共同して主権機関と為る、之に関しては多少の説明なかるべからず、英国憲法を論ずる殆んど総ての学者は英国の主権は、君主より貴族院に移り、貴族院より庶民院に移り、現今に於ては庶民院は単独なる主権者にして、君主及び貴族院は主権の行使に関して全く無力なるが故に、 英国は形式上の君主国にして実質上に於ては、 他の立憲国と異なり憲法の改正と普通法律の改正との間に手続上何等の差異なきが故に、 国会は普通立法の手続に依て憲法を改正することを得べし、 而して一方に於ては両院を通過したる法案に対しては国王は必ず裁可を与えざるべからざるは千七百七年以来二百年の間行われ来りたる憲法的習慣なるが故に、 国王は此習慣を破りて不裁可権を行うこと能わず、又他方に於ては貴族院に於て庶民院を通過したる法案を否決したる場合に於て庶民は飽くまで其主張を貫徹せんと欲するときは内閣大臣は国王に奏請し国王の特権を利用して貴族を創設し貴族院議員を増加して以し其院の反対派を制することを得べし、 是れ既に前に述べたる如く千八百三十二年有名なる国会改革案を議するに当りグレー内閣が取りたる手段にして爾来憲法上の習慣として認めらるるのみならず、若し国王にして貴族増加の奏請を拒絶するときは内閣大臣は其職を辞するに至るべし、 然るに庶民院に多数を制する内閣を解散するは政党内閣の習慣に違背するが故に何れにするも国王は習慣を破ることなくして貴族の創設を拒むことを得ず、 庶民院の意思は如何なる障害をも排斥して法律と為りて現わるるに至るべし、 之に依て見れば英国憲法に於て最後の権力を有する者は庶民院にして英国の主権者は庶民院なりと云うにあり、然れども余の思考する所に依れば此議論は法理論としては何等の価値なきのみならず、 政治論としても聊か瑕瑾を免れず、由来英国憲法を論ずるに当り法理と政治論とを混同するは彼の国憲法学者の通弊なるが、 我が国に於ても僅に英国憲法を説える者は此弊に陥らざる者なし、 去れども英国憲法を論ずるに付ては此二者を画然区別するにあらざれば到底明確なる解釈を施すべからず、法理上より論ずるときは、国王は二百年来不裁可権を行使したることなしと雖ども、此事実は以て国王の不裁可権を消滅せしむるに足らざるなり、 是れ「国王は自己の懈怠の為めに其権利を喪失することなし」と云える英国憲法の根本的原則より来れるものにして、此原則は又貴族制度に関しても適用せらるるものなるが故に、之に関する国王の特権は法理上毫も制限せらるることなく、 従て国王は貴族創設に関する奏請を拒絶する権利ありと云わざるべからず、 之を要するに法理上より見るときは英国国王は依然とし不裁可権を有し、貴族院は否決権を有するが故に、庶民院独り憲法改正の権利を有せず、此れ等の三機関は共同して憲法改正の手続を完了し、共同して主権機関を組成するものなり、 若し夫れ此法理論は政治社会に存する習慣の為めに実際に於て其適用を見ることなしとするも、法律の本体は之れが為めに何等の変化を受くるものにあらず、 而して政治上より見るときは如何、英国の主権は庶民院に在りとは全く政治上より見たる議論なり、換言せば前述せる二個の憲法的習慣の為めに庶民院は事実上に於て国王及び貴族院を圧迫して其意思を強行することを得るより起りたる議論なれども、此等の習慣は果たして絶対的に如何なる場合にも行わるべきや、 余は然らずと断言せざるべからず、古来より此二習慣の行われたる事跡を見るに、 何れも普通法律の制度又は改廃に関し、或は憲法的法律の或る部分の変更に関するものにして、其要部に関して未だ此等の習慣の行われたる例あるを見ず、 例えば庶民院に於て貴族院を廃する法案を通過したるときは如何、更に進んで君主制を廃して共和制を建設するの決議を為したるときは如何、 憲法的習慣は此場合に於ても尚国王に向て不裁可権の行使を拒絶するや何人と雖ども然りと答うること能わざるべし、 而して此等の行為を為し得る者にあらざれば仮令政治上の意義に於ても主権者なりと認むること能わざれば、今日多数学者の唱うる英国庶民院の主権説は法理上に於ては素より言うに及ばず、政治学上より見るも尚お重大なる欠点を有するものと云わざるべからず。

北米合衆国の国会は単独なる主権機関にあらずと雖ども、或る他の機関と共同して主権機関を組成す、 同国憲法第五条に依れば国会は両院議員三分の二以上に於て必要と認むるときは憲法の改正を発議し、又は諸州三分の二以上の立法部の請求あるときは改正を起案するが為めに人民会議を招集せざるべからず、 而して此中何れの場合に於ても国会の選ぶ所に従い、或は諸州四分の三の立法部の承認を受け、或は其四分の三の人民会議の承認を受けたるときに於て始めて改正の効力を生ず、又何れの州と雖ども其承認なくして元老院に於ける平等選挙権を奪わるることなしと規定するが故に、合衆国に於ける憲法改正の機関は稍々錯雑せり、 然れども何れの場合に於ても憲法改正に付て国会の関与せざることなきを以て、国会は主権機関として或る地位を有することは明なり、 尚お其詳細に至ては国会の権利を述ぶるときに於て論ずる所あるべし。

独逸国会は単独なる主権機関なり、独逸憲法は法案に対する皇帝の裁可権を規定せざるが故に両院を通過したる法案は皇帝の裁可を要せずして直に法律と為る、 是れ各国の立法手続と異なる点なり、而して憲法の改正は普通立法の手続に依て行わるるが故に皇帝の不裁可権に依て妨げらるることなく、国会自身の単独行為に依て之を完成することを得べし、 故に独逸に於ては憲法上国会は最上の機関にして皇帝は国会に従属し、国会は憲法を変更して皇帝の地位を失わしむることを得べし、 但し、皇帝は普魯西国王として尤も有力なる権利を有するが故に実際上此の如き事実の生ずることなきも、是れ法理上の問題にあらずして政治上の問題に属す。

仏国国会は単独なる主権機関にあらざれども他の機関と共同して主権機関を組成す、 即ち両院は其発議に依り又は大統領の要求に依りて各院に於て過半数の投票を以て決議したるときは憲法の改正を宣告する権利を有す、而して両院に於て此決議を為したるときは両院議員は集て別に国民会議を組織し、此議会に於て総議員過半数の同意を以て議決したるときに於て初めて憲法改正の手続きを終了するものなるが故に、憲法改正に関して国会が関与するは改正の発議及び其宣告のみに止まり、 改正の議決を為すは全く国民議会の権限に属す、尤も国民議会は国会議員を以て組織せらるるが故に、此二個の団体を組織する役員は同一なれども、 法律上に於ける役員の資格并に団体の地位は二者全く異なれることを知らざるべからず、而して仏国大統領は絶対に不裁可権を有せざるが故に国民議会の議決は憲法改正の事業に向て終結を与うるものなり。

日本国会は主権機関なりや否や、我国の国会を以て主権機関の一部を組成するものなりと云えば、 或は奇異の念を起す者あらん、然れども法律家の任務は法理の智脳を以て人定法を解釈するに在り、歴史に拘泥し感情の奴隷と為りて牽強付会の説を構造するは法律家の断じて避けざるべからざる所なり、日本憲法第七十三条は明に国会に向て憲法改正の協賛権を与うるが故に天皇は国会の協賛を経ずして憲法を改正すること能わず、 去れば此規定の効力を生じたる時は即ち単独主権機関たりし天皇の地位は変じて協同的主権機関と為り、新に国会なる機関起りて天皇と共に主権機関を組織するに至りたる時なりと云わざるべからず、然れども此議論に対しては種々の反対者ありと思量するが故に聊か之を弁じ置かざるべからず、 第一、憲法に於て天皇は議会の協賛を経るにあらざれば立法権を行う事を得ずと規定するも、若し天皇にして議会の協賛を経ずして単独に憲法を改正する権利を留保したるときは単独主権機関たる天皇の地位は毫も変化を受くるものと云うべからず、何んとなれば憲法に於て如何に多量の権利を議会に与うるも 憲法改正の権利が天皇に専属するときは、天皇は此権利の実行に依りて何時にても憲法を改正し議会の権利の一部又は全部を剥奪することを得ればなり、 然れども之に反して天皇は議会の協賛を経るにあらざれば憲法を改正する能わずとするときは、此一事は以て主権執行者たる天皇の権利に向て一制限を加えたるものなるが故に、 天皇は最早主権を行使するが為めに絶対無限の権力を有せず、而して此権力を有する者にあらざれば単独主権機関と称することを得ざるなり、 第二、憲法第四条に、天皇は国の元首にして統治権を総攬し云々と規定せる条文を楯として天皇を主権の主体なりと論ずるは誤れり、 統治権及び総攬なる文字は法語として其意義一定せざるが故に、今日に至る迄尚お学者間に於て議論の種と為るは用語の不当より生ずるものにして其実は憲法起草者に在りと云わざるべからず、 然れども学理なるものは人定法の作用を以て変更し得べき性質のものにあらざれば、憲法上の用語の如きは国家に関する法理を論ずるに当り毫も顧みるを要せず、或る国の法律に於て国家は物なりと規定するも之が為めに其国家は主権体たる性質を、変じて(注3)一物件と化したりと看做すべからず、 去れば憲法第四条の規定あるが故に、直に天皇を以て主権の主体なりとするは人定法を以て法理を決定せんと企つるものにして学問上全く不能の事に属す、 君主は主権の主体なりや否やは人定法上の問題にあらずして人定法を離れたる国家学上の問題に属す、 即ち国家主権及び君主主権に関する問題なるが故に憲法法理に依て決定し得べき性質のものにあらず、然らば即ち此の如き事柄を以て憲法上の一規定と為したるは憲法起草者の無学を表明すると共に、堂々たる憲法学者にして此規定を楯として君主主権説を主張する者あるに至ては余は実に怪疑の念に堪えざるなり、 第三、主権の本体と其執行方法とを区別して君主主権説を維持せんと欲する者少からず、 一件頗る巧妙なるが如しと雖ども余の見る所に依れば、此区別は主権に適用せらるべきものにあらず、 換言せば主権には本権と執行権との区別あるものにあらずして此二種は共に合して主権の本体を組成するものなり、 蓋し主権は、国家の最高権にして絶対無限何者よりも制限を受けざるものなりとは今日尚お動すべからざる定言なれば他より制限を受くるものは主権にあらずと云わざるべからず、 而して其制限は権利の如何なる部分に向て加えらるるや、又如何なる程度に於て加えらるるやは毫も問う所にあらず、既に制限を加えられたる以上は其部分及び其程度を問わず主権の本体は之に依て毀損せらるるものにして、 同時に絶対無限なる性質を変じて主権の名実を失うに至るべし、 若し主権に本権と執行権との区別ありとし執行権に関しては如何なる制限を受くるも主権の名実を害するものにあらずとせば主権は遂に空権と為るに至るべし、 例えば仮りに君主が憲法の規定に依て立法、行政、司法より憲法改正の権利に至る迄挙げて悉く之を他の機関に与えたりとせよ、 此場合に於て尚主権の本体は毀損せらるるものにあらずして君主は依然として主権者たる地位を有すと論ずる者あらば、余は君主主権論者は啻に主権の性質を破壊するのみならず、 無益の空論を主張するものなりと評せざるべからず、 第四、更に怪むべきは国家主権論者が憲法第四条の規定あるが為めに天皇を以て単独主権機関と為し、本権、執行権の区別を借りて其説を確めんとするに在り、其説に依れば天皇は統治権の総攬者にして、統治権の総攬者とは国家の為めに主権を執行する最高機関を意味するものなり、而して最高機関として天皇の有する権利は憲法の規定に依て其執行方法を制限せらるるも憲法の本体には何等の制限を受くるものにあらずと云うにあり、 然れども既に天皇を以て国家の主権を執行する機関なりとする以上は、天皇の有する権利は主権其ものにあらずして主権の執行権なることを認むるものなり、 而して執行権の本体は執行の能力にして、執行の能力を離れて執行権の存する理由なく、又執行の方法を制限するは即ち執行の能力を制限する所以なれば、 執行の方法を制限せらるるも執行権の本体は毀損せらるるものにあらずと主張するが如きは、執行権の実質を誤解するものと云わざるべからず、 尚お又此等の論者は権利制限の原因を区別して革命と任意に分ち革命の手段に依て国会を設けたる場合に於ては君主の権力は之が為に制限を受くれども、 君主の任意に依て国会を設けたる場合に於ては君主の権力は毫も制限を受くるものにあらずと論ずれども、 此の如きは、権力制限の事情を語るものにして法理上一顧の値を有せざるなり、 第五、最後に論じ置かざるべからざるは主権不可分説より生ずる誤解なり、 主権不可分説は仏国モンテスキューの三権分立説を倒さんが為めに現れたるものにして素より真理を誤りたるものにあらざれども、 今日に於ては殆んど其実用なきのみならず、時に攻法家に向て甚しき誤解を与うることあり、 此誤解を生ずるは主権機関が単一なる場合にあらずして複雑なる場合なり、一人の君主又は単一なる団体が主権機関なる場合に於ては主権分割せられたりと看做さるることなきも、君主と団体と共同し又は数個の団体が合して主権機関を組成する場合に於ては主権は其間に分割せられたる如く見ゆるも、 各機関は自己固有の意思を行うものにあらずして単一なる国家の意思を行うものなれば、機関の複雑なることは国家の意思を分割するものにあらざれば、従て主権を分割するものにあらず、此誤解を生ずるは畢竟主権の主体と其機関とを区別せず、又主権機関の性質を知らざるに因くものにして、此の如き学説を借りて天皇主権説を唱え、又は単独主権機関説を維持せんとするは誤の尤も甚しきものなり、 之を要するに世間如何なる反対論あるに拘わらず、我憲法上一方に於ては立法協賛権を議会に与え、他方に於ては天皇は議会の協賛を経るにあらざれば憲法を改正すべからざる事を規定する上は、 余は天皇は単独主権機関にあらず、換言せば我国の国会は天皇と共同して主権機関を組成す、更に政治上の語を以て云えば我国の主権は英国其他の立憲君主国と同じく君主のみに属せずして、 君主と議会との共同団体に属すと断言せんとす、若し夫れ此論決に対して異存ならば余は謹んで其説を聴かん。

伊太利国会は単独主権機関にあらずして君主と共同して主権機関と為る、伊太利憲法は憲法改正の方法を規定せざるを以て曾て学者間に議論を起したることありしも、今日に於ては憲法は普通立法の手続きに依て改正せらるることに一致し、 此学説は実際に於て数回採用せらるるに至れり、而して普通の立法は国会の協賛と君主の裁可に依て完成することは他の立憲君主国と異ならざるを以て、伊太利国会は君主と共同して主権機関を組成するものと云うべし。

瑞西国会は単独主権機関にあらずして他の機関と共同して主権機関と為る、瑞西憲法の改正方法は頗る錯雑せるを以て其詳細は第九章第七節瑞西国会の権利の部に於て之を述べん、茲には唯国会は単独にて憲法を改正すること能わず、他の機関と共同せざるべからざることを記載するを以て満足せざるべからず。

二、国会は或る程度に於て司法機関たることあり、 英国の貴族院は三個の場合に於て裁判所として訴訟事件を審判す、即ち第一は貴族の犯したる或る種類の犯罪を審判するが為めに刑事裁判所と為り、 第二は庶民院の議決に依て起訴せられたる弾劾事件を審判するが為めに弾劾裁判所と為り、第三は或る種類の控訴事件を審判するが為めに最高控訴裁判所と為る、 北米合衆国の元老院は代議院より提出したる弾劾事件を審判し、独逸参議院は四個の場合に於て司法権を行う、 即ち第一は帝国を組織する各州が帝国に対して憲法上の義務を履行するや否やを決定し、 大には各州内に起る訴訟にして其性質民事事件にあらざるが為めに管轄裁判所に於て裁判所すること能わざるときは一方の当事者の請求に依りて其事件を審判し、 第三は各州間に起れる憲法上の争議にして其州の憲法に於て之を裁定すべき機関の設置あらざるときは、一方の当事者の請求に依りて之を調停し、 第四は各州政府が何人に対しても裁判を拒絶し又完全なる法律上の救済を与えざるときは其訴件を受理して適当なる保護を与え、仏国元老院は大統領及び国務大臣の犯したる罪又は国家の安寧を妨害する罪を審判するが為めに司法裁判所を組織す、 伊太利の元老院は第一に、国家の安寧に関する叛逆罪を審判するが為めに高等法院と為り、 第二に国務大臣を弾劾するが為めに弾劾裁判所と為り、瑞西国会は第一に行政訴訟に関して連邦評議会の与えたる判決に対する控訴事件を審判し、第二に各官庁間に起る権限争議事件を裁判す、 以上各国の国会が僅に司法権を有するは何れも歴史上の遺物にあらざれば便宜上の理由より起りたるものにして理論に依りて之を説明すること能わず、故に日本の国会が此の如き権利を有せざるは素より当然のことなり。

三、国会は行政機関たることあり、 合衆国元老院は二個の場合に於て行政権を行う、即ち第一は大統領の締結したる条約に対して承認不承認を与え、第二は大統領が官吏を任命する場合に於て承認を与う、但し法律に依り官吏任命の専権利を大統領又は其他の官吏に附与したる場合は此限りにあらず、 独逸国会は三個の場合に於て行政権を行う、即ち第一に皇帝は帝国の法律を以て規定する事柄に関し条約を締結する場合には参議院の承諾を要し、之に効力を有せしむるには代議院の承諾を得ざるべからず、 第二に参議院は帝国の法律に於て特別の規定を設けざる場合に於ては其法律を実施するが為めに必要なる命令を発し、 又は此等の法律及び行政命令を実施するに当り生ずる欠点を補うが為めに必要と認むる処分を為すの権利を有し、第三に参議院は皇帝の同意を得て代議院を解散することを得べし、 仏国大統領は条約締結権を有すれども其条約にして和親、通商に関し、国家の財政に関し、又は外国に在る仏人の身分若くは財産に関するものなるときは其条約は両院の承諾を得て初めて有効と為る、 又瑞西国会は数個の場合に於て行政権を行うことは後に述る所あるべし、以上掲げたる場合に於て国会の行う権利は立法権にあらず、司法権にあらず、行政権に属するが故に此点に於て国会は行政機関なりと云わざるべからず。

第二節 国会の政治的性質

国会議員は国民の代表者にして国会は其代表者の集合団体なりとは法理論としては到底維持すること能わざれども、政治論としては適当に国会の性質を言い現わしたるものと云うべし、 抑も歴史上或る時代に於て日耳曼民族の間に国会の萌芽を発したる時に於ては国会は人民全体の直接会合なりしことあり、 或は各部落又は或る階級を代表する代理人の会合なりしことあり、人民全体の直接会合の時に於ては代表者の観念起らざりしは言を俟たざるが、此会合が一変して代理人の会合と為りたる時に於ては国会は政治上に於ても亦法律上に於ても代理人の集合団体なりしなり、 国会が代理人の集合団体たる時に於ては代理人は自己の意思を表白するものにあらずして本人たる各団体の意思を表白する機械に過ぎざりしが故に、 各団体は其代理人に向て一定の訓令を与え代理人は其訓令に従わざるべからざりしは当然なり、 然れども時世の進歩し社会の情態の変更するに従て此の如き観念は漸次に消滅して、国会議員は或る地方又は或る階級を代表するものにあらずして全国民を代表するものなりとの観念発達したるが故に、 今日何れの国の国会に於ても部分代表主権を採用せるもの一として存するものなし、 部分代表主義を捨てて国民代表主義を採用したる結果としては、第一に国会議員は人民の代理人にあらざるが故に人民は国会議員に向て何等の訓令を為すことを得ず、国会議員は人民の意思に拘束せらるることなく全く独立なる意思を以て国家の政務に参与せざるべからず、普魯西憲法第八十三条は特に明文を以て此事を規定せり、 曰く、「両院議員は全国民の代表者とす、議員は自ら信ずる所を以て自由に判断し且つ嘱託、訓令の為めに拘束せらることなし」、 第二に国会議員は人民全体の代表なるが故に一地方人民の利害より打算して全国民の利害を無視するが如きことあるべからず、全国民の利害を標準として国家の政務を討議せざるべからず。

然れども「国民代表」なる文字は政治上に於ても頗る茫漠たる意味を有し到底精密なる意義を以て之を解釈すること能わず、国民全体の意思を代表するものとせば是れ事実上不能の事に即す、何となれば全国民の意思が悉く外部に現わるるが如きは決して有り得べからざることなれば代表者は国民各自の意思が何れに在るやを知ること能わず、 又国民の意見は決して一致するものにあらずして何れの場合に於ても多少分離するものなれば、一身を以て幾多の意見を代表せんと欲するも能わざるなり、 又国民多数の意見を代表するものとせば少数の意見は顧みるを要せずと云わざるべからざれども少数の意見を全く無視するが如きは代議政治の趣旨にあらざるなり、 去ればとて国民の利益を代表するものとせんか、是れ又実際に於て不能の事なり、何んとなれば国民の利害は決して一致するものにあらずして各自異なるが故に、 甲の利益を代表せんと欲せば己の利益と衝突し、丙の利益を計らんと欲せば丁の利益を害せざるべからず、 此の如く観察するときは国民代表なる文字は全く無意義にして国会議員の選挙の如きは全く無益の徒労に属するが如しと雖ども政治上の事は法律上若くは教学上の観念を以て論評する能わざる場合あり、国民代表なる漠たる旗幟を立てて起りたる国会制度が如何に国民を利益し国家の進歩を促したるやは茲に詳述するを要せざるなり。

脚注

(1)
原文では「燮じて」と表記されている。
(2)
原文では「燮じて」と表記されている。
(3)
原文では「変して」と表記されている。