『比較国会論』 その11

last updated: 2013-01-23

第八章 国会立法の方法

凡そ立法事業は三ヶの手続を経て完成せらる、 第一は議案の提出なり、第二は議案の通過なり、而して第三は行政首長の裁可なり、 以下論ぜんと欲するは此等の手続なり、 但し憲法の改正は英国を除くの外其他の諸国に於ては何れも普通立法の方法と多少其手段を異にすることを記憶せざるべからず、 此等の手続きは後章に於て憲法の改正を論ずるのときに詳述するが故に以下普通立法の手続きのみに付て述ぶるべし。

一、英吉利、英吉利国会に於ける議案提出権は国王及び各院に属す、但し議案の種類に依て其選出方法に多少の差異あり、議案は之を大別して二種となす、一は公案にして二は私案なり。

甲、公案、
公案とは広く公共一般の利害に関する議案にして此種に属する議案は各院議員中何人にても之を提出することを得べく、又政府は最初両院の何れに提出するも自由なり、 唯庶民院が議案を提出するには予め其院の許可を受けざるべからず、貴族院には此制限なし、但し之には三ヶの例外あり、 一は宗教に関する議案、二は貿易に関する議案、而して三は歳入歳出に関する議案なり、前二種の議案は直に之を議員に提出することを得ず、先ず之を其院の全院委員会に提出し委員会の推薦に依て初めて議案と為り討論に附せらるるものとす、 第三の歳入歳出に関する議案は最初之を庶民院の全国委員会に提出せざるべからず、而して貴族院は庶民院を通過したる此法案に対しては単に同意を与うるのみにして之を修正し又は否決することを得ず、 是れ所謂財政案に対する庶民院の先議権にしてヘンリー四世の時代(千三百九十五年―千四百十三年)(注1)に其萌芽を発し、チャールズ二世の時代(千六百十年―千六百八十九年)に至て全く確定したるものなり、 又軍に金銭の支出に関する議案及び新税に関する議案は政府独り之を提出することを得べく議員は之を提出するを得ざるなり。
乙、私案、
私案とは広く公共一般の利害に関する議案にあらずして一個人一組合一会社又は一地方に関する議案を総称す、此種の議案は利害関係人より差出す請願に依て始まるもののして其請願は一定の期日内に庶民院内に設けある私案局に差出さざるべからず、 私案局に於ては両院議長が一名ずつ指命する都合二名の調査係に於て之を調査し、請願に関する常式を備うるや否やに付て之に裏書を為さざるべからず、 而して其裏書の趣旨如何に拘わらず裏書後三日を経過すれば其請願は議員の一人に依て庶民院に提出せらるべきものにして、庶民院に於ては更に常令委員会に託して之を調査せしむ。

議事及び議決に必要なる定員は第六章に述べたるが如し。

両院を通過したる法案は国王の裁可を経て初めて法律と為る、国王は不裁可権を有すれども千七百七年以来殆んど二百年の間未だ曾て一回たりとも之を行使したることなきは曾て述べたる所の如し。

其他議会、討議方法、委員の組織等は議事の手続に属するが故に之を述ぶるは本書の目的にあらず。

二、合衆国、 合衆国両院は各自に議案提出権を有す、唯歳入徴収に関する議案のみは代議院に於て始めざるべからず、 然れども元老院が歳入案を審議するに当りては英国貴族院に於けるが如く単に同意を表するのみにあらずして之が修正案を提出し又は修正を附して同意を与うることを得べし、 憲法は大統領其他の行政府に発案権を与えず、然れども大統領は必要且つ便宜と思惟する計図を議会に推奨する職権を有するが故に、此職権の作用に依て議会をして発案を為さしむることを得べし、 両院を通過したる法案其他一切の議案及び決議は裁可を受くるが為めに之を大統領に提供せざるべからず、 大統領の裁可を経るにあらざれば其効力を生ぜず、然れども之には二ヶの注意すべき点あり、 第一は大統領が議案の提出を受けたる日より十日以内(日曜日を除く)に之を議院に還附せざるときは裁可を受けたると同一の効力を生ず、 之れ暗黙の裁可なり、但し其期間内に議会閉会して之を還附する能わざるときは此限にあらず、 第二は大統領は議案を裁可するときは之に署名し、又裁可せざるときは異議書を添えて之を発議したる議院に還附す、 而して還附を受けたる議院は異議の詳細を議事録に記載したる上にて之を再議に附せざるべからず、 此場合に於て若し出席議員三分の二の多数を以て同議案を通過したるときは異議書と共に之を他の議院に移す、他の議院に於ても亦三分の二の多数を以て可決したるときは議案は大統領の裁可を要せずして其効力を生ず、 去れば大統領の不裁可権は絶対的にあらずして制限的なり、結局議院の多数決に依て圧倒せらるるに至るべし又議院の休会に関する決議は大統領の裁可を受くべきものにあらず。

三、独逸、 独逸国会に於ける発案権の所在は議員にあらずして連邦を組織する各州其ものにあり、 然れども各州は議員に依て代表せらるるが故に発案権の実行者は議員なることは論を俟たず、 又憲法は代議院は帝国管轄事項の範囲内に於て法案を提出するの権利を有することを規定するのみなるが、 現行議事規則に依れば議案を提出するには議員十五名の賛成を要す、 憲法は皇帝に議案提出権を与えず、但し皇帝は一方に於ては普魯西国王なるが故に参議院に於ける普魯西議員に命じて議案を提出せしむることを得るも是れ法律上全く別個の関係に属す、又英、米の制と異なり代議院は財政案に対して先議権を有せざるが故に両院の発議及び議決の権は全く平等なりとす。

憲法は皇帝に不裁可権を与えざるが故に議案が両院を通過したる時は、即ち立法手続の完了したる時なり、 但し此には三ヶの注意すべき点あり、 第一は帝国の陸海軍制度及び租税に関する議案に付て参議院に於て意見の分れたる時は之を裁決するの権利は普魯西に在り、故に此場合に於て議案の運命は一に普魯西代表者の向背に依て定まるものと云うべし、 然れども憲法は此権利に対して一の制限を附せり、即ち普魯西の裁決権は其投票が現制度を維持する場合のみに限らるるものにして、若し之を変更するものなるときは裁決権の効力は及ばざるなり、 第二は参議院に現れたる議案にして帝国全体に関係せずして単に其局部のみに関係を有するものなるときは関係諸州の投票のみに依て議決すべく、無関係州は投票するの権利を有せず、 第三は参議院に於て諸州の投票可否同数なるときは普魯西の投票に依て決するものとす。

四、仏蘭西、 仏蘭西国会に於ける議案提出権は大統領及び両院各自に属す、唯一の例外は金銭に関する議案は最初に代議院に提出せざるべからざることなり、 此規定の結果として財政案提出の権利は大統領及び代議院に属し元老院は之を有せずと云わざるべからず、 然れども元老院が財政案を審議するは英国の如く単に同意を表すのみにあらずして之を修正するの権利を有し、 又此権利は実際に於て屡々行使せられたることは事実なり、而して代議院は主義に於ては元老院の主張を拒絶すれども実際に於ては其院より廻送せる修正案を異議なく承認したるの例は決して乏しからず、 仏国大統領は米国大統領と異なり不裁可権を有せざるが故に両院を通過したる法案は大統領の裁可を要せずして法律と為る、 唯注意すべきは大統領は法案に対して不裁可権以外の一種特別なる権利を有することなり、 両院を通過したる法案は之を大統領に送付せざるべからず、而して大統領は通例之を受取りたる当時より一ヶ月内に之を公布し、 若し両院に於て緊急なりと決議したるときは三日以内に之を公布せざるべからず、 而して大統領は必要と認むるときは此期間内に於て一定の理由を附して法案を還付し両院の再議を求むることを得べく、両院は其要求を拒むことを得ず、但此場合に於て両院が通常の方法を以て再び其法案を可決したるときは大統領の反対は其効力を生ぜざるに至るべし、 大統領の有する此権利は不裁可権にあらざれども両院をして再考せしむることを得るが故に決して其効力なしと云うべからず。

五、日本、 日本国会に於ける議案提出権は政府及び両院各自に属す、 議案は初め何れの議院に提出するも自由なれども唯予算案に限り先ず之を衆議院に提出せざるべからず、 然れども貴族院は衆議院の議決したる予算案を修正し又は否決することを得べし、 憲法は貴族院が此権利を行使するに付て何等の制限を加えず。

両院を通過したる法案は天皇の裁可を経て始めて法律と為る、憲法は天皇が裁可を与うるの期間を規定せざるも議院法は両院の議決を経たる議案にして裁可せられたるものは次の会期迄に公布せらるべしと規定するが故に、其期間内に公布せられざるものは裁可なきものと看做さざるべからず。

六、伊太利、 伊太利国会に於ける議案提出権は国王及び両院各自に属す唯租税徴収に関する議案及び予算に関する議案は前に代議院に提出せざるべからず、 然れども元老院は此等の議案を修正及び否決するの権利を有す、両院を通過したる法案は国王の裁可を経て法律と為る、国王は不裁可権を行うに付て何等の制限を受けず。

七、瑞西、 瑞西憲法の規定に依れば議案提出権は両院及び両院議員并に連邦評議会に属す、連邦評議会は行政部の首脳にして国会に於て選挙したる七人の議員を以て組織す、大統領及び副大統領は其議員中の一人なり、両院は平等の発案権を有す、憲法は財政案に対する代議院の先議権を認めず。

大統領其他何人も不裁可権を有せず、故に立法手続は法案が両院を通過したる時に完了す、唯茲に法律制定に関して瑞西に特別なる制度にして他の諸国に其例を見出す能わざるものあり、聊か之に付て述べざるべからず、 瑞西憲法第八十九条の規定に依れば両院を通過したる法律は緊急施行の必要なきものに限り、選挙有権者三万人又は連邦二十二州中八州の請求あるときは之を人民投票に附せざるべからず、 之れ所謂「レフェレンダム」(Referendum)と称するものにして、此場合に於ては全国の有権者は其法律に対して可否の投票を為すことを得べし、而して其結果反対投票多数を制するときは法律は効力を生ぜざるものとす、 人民投票の方法は憲法に規定せずして之を法律の定むる所に一任す、現行法に依れば人民投票を請求するには法律を公布したる時より九十日間に於て之を為すべく、其請求あるときは連邦評議会は投票の期日を定めて之を公告せざるべからず、 千八百七十四年現行憲法に於て此制度を採用せし以来の経験に徴すれば国会を通過したる法律総数の十三分の一は此方法に依て否決せられたり、以て人民が此権利を行使するに躊躇せざることを知るべし。

「レフェレンダム」の起源は遠く遡りて十六世紀中に在り、歴史の記載する所に依れば当時連合に加入せざるグラウブンデン及びヴァレーの二州は別に一種の不鞏固なる連合を作り、各郡中より選出する代表者を以て其連合評会を組織せり、然れども其代表者は単純なる代理人にして議会に現わるる各問題を選挙人に報告し其訓令に従て投票することを得るに過ざりしなり、 之れ抑も「レフェレンダム」の起源にして、其当時の瑞西連合は此制度を模倣したるにはあらずと雖も大に類似せるものあるを見る、 即ち当時の連合は現時の連合とは全く其性質を異にし、単に小独立国の同盟に過ぎざりしを以て、連邦議会に出席せし代理人は恰も国家の使節の如く、本国政府の訓令に拘束せられ、訓令なき事件及び仮令訓令あるも非常に重要なる件に付ては単に之を聴聞して本国政府に報告するのみに止まり、之を商議決定する権利を有せざりし、 即ち旧連合の下に於ては連邦議会の議案を決定するものは本国政府にして議員其者にあらず、而して此制度は千八百四十八年の憲法制定に至る迄継続せられたり。

人民投票は此の如くにして発生したれども現行憲法に於て此制度を採用したるは全く異なりたる基礎に因りたるものなり、 現制度は旧制度の影響を受けたるは疑うべからずと雖も、主としてルーソーの民約説の刺激を受けたるものなるは彼国政治学者の認むる所なり、元来ルーソーは大に代議政治を嫌悪し、其著民約論に於て代議政治の本拠たる英国の制度を痛く攻撃し、英国人は常に其自由を誇ると雖ども実際に於ては真の自由を享有するものにあらず、 何となれば英国人の自由と称するものは単に国会議員を選挙する瞬間に存在するのみにして、一たび議員を選挙したる後は全く国会の支配に一任せざるべからず、故に真の自由を得んと欲せば人民は自ら法律を制定するの方法を設けざるべからずと論ずるに至れり、 而してルーソーの此説は彼が生国たる瑞西人に対して偉大なる勢力を及ぼし、此制度を設くるの主動力と為りたることは争うべからず。

現今瑞西に於て人民投票に関する学者及び政治家の意見は頗る区々にして、或は之を以て理論に合し実際に効用ある尤も善良なる制度なりと論ずる者あり、或は之を以て理解力なき人民に向て法律の協議を要求するものにして非理有害の甚しきものなりと論ずる者あり、 有名なる政治家ドロスの如きは初め此制度の熱心なる賞讃者なりしが、殆んど二十年の間連邦評議会に在職し其運用の実情を経験したる後に於ては其欠点と弊害とを看破して稍々其初節を変更するに至れり、 然れども現今瑞西に於ける政治社会の状況を知る者は何人と雖も此制度を廃止するが如きは近き将来に於ては全く不能の事なるを断言せざる者なし。

八、比較論、 以上述べたる所に依て吾人は三ヶの研究すべき点を発見すべし。

第一は発案権の所在なり、 立法部が議案権を有することは七ヶ国共に一致す、是れ別に論ずるの要なし、然れども行政部の発案権に至ては稍々趣を異にす、英、仏、日、伊及び瑞西の五ヶ国は何れも行政部に発案権を与うれども合衆国及び独逸は行政部の発案権を認めず、 合衆国大統領は形式上の発案権を有せざれども必要と認むる企図を議会に推奨するの権利を有す、而して此権利は如なる形式を以て行使すべきやは憲法に於て之を定めず、又憲法は之を定むるの権利を議会に与えざるが故に、大統領は自己の選択する自由なる形式に依て之を行使し得べしと論結せざるべからず、 故に実際に於ては議案と同一なる形式を以て議会に現わるることなきにあらずと雖も議案其ものとは全く其性質を異にするが故に議会は之を取て直に議案と為すこと能わず、 但し之に因て議案を作成することを得るが故に大統領の此権利は実際に於て殆ど発案権と同一の効力を有するに至るべし、 独逸皇帝は皇帝たる資格を以ては立法上の発案に付て何等の権利を有せず、唯普魯西国王たる資格に依て他州の行政首長と等しく参議院の代表者に訓令して間接に発案権を行使し得べきのみ、 又皇帝は代議院には参議院議員を派遣して意見を述べしむるに止まり直接にも間接にも発案を為すの権利を有せず抑も行政部に発案権を与うるは今日議院政治の通則にして又必要なると云わざるべからず、 蓋し発案権を以て単に立法部のみに専属せしむるときは立法事業は到底実際の需要に応ずる能わざるのみならず、行政部は遂に立法部に従属せざるべからざるの地位に至るべし、 合衆国及び独逸に於ては形式的に発案権を行政首長に与えざるも行政首長は他の方法に依て実質的に之を行うことを得るが故に実際の弊害を見ずと雖ども、政治学上より論ずるときは確かに批難を免れざる点なりとす。

第二に論ずべきは財政案に対する下院の先議権なり、英、米、仏、日本及び伊太利は下院の先議権を認め、独逸及び瑞西は之を認めず、 但し先議権を認むる国に於ても其範囲に広狭の差異あることを注意せざるべからず、英国に於ける先議権は歳入歳出案に及ぶのみならず貴族院は之を修正及び否決することを得ず、合衆国に於ける先議権は単に歳入案のみに限らる、仏国は金銭に関する一切の議案に及び、日本は予算のみに及び、伊太利は予算案及び一切の租税徴収案に及ぶ、 而して此等四ヶ国に於ては上院は自由に之を修正及び否決する権利を有す、下院の先議権は英国に発生したることは前に述べたる所なるが、英国に於て此権利の発生せし事由を考うるときは主として国費を供給するものは庶民なるが故に庶民を代表する下院に於て之を先決するは至当なりとの観念より出でたるものなり、 即ち千六百二十五年に於ては明文を以て「政費を供給するものは国会に召集せられたる庶民なり」と規定し、又千六百七十一年に於ては庶民院は「庶民が国王に与うる一切の供給は何人たりとも之を修正する能わず」と議決し、更に進んで千六百七十八年に至ては「国王に奉ずる一切の供給は庶民の贈物なるが故に此等の議案を先決するは庶民院の権利にして貴族院は之を修正及び変更すべからず」と議決したるに徴すれば先議権の発生したる事由は自ら明かなるべし、 而して此制度は今日多数国家の採用する所と為り殆んど議院制度の一定則の如く思量せられ又之が為めに別に弊害の生じたることなしと雖も、前述の如き事由に依て発生したる先議権は今日の国会制度の下に於て尚お理論上維持することを得るや、余は然らずと断言せざるべからず、 今日何れの国会に於ても下院のみを以て国費負担者の代表機関なりとする能わず、上院と雖も等しく国費の負担者を代表するものなり、若し下院のみを以て国費負担者の代表機関なりとせば上院をして財政案に関与せしむることは已に不当なり、 財政案は上院の外に置き独り下院のみを以て決せしめざるべからず、何ぞ先議権のみと云わん、若し又之に反して上下両院共に国費負担者の代表機関たることは同じと雖も下院は比較的に上院より多数の負担者を代表するが故に下院の先議権を与うるとせんか(注2)、 是れ今日の代表原則に矛盾するものなり、今日の代表原則より云うときは国会議員は任命より出づると選挙より出づると又上院議員なると下院議員なるとを問わず等しく一般人民を代表するものにして一局部の人民を代表するものにあらざれば、 下院は多数の負担者を代表し上院は少数の負担者を代表すと云う如きは代表原則の許さざる所なり、 更に一歩を譲りて粗漏なる政治論として此の如き議論を認めんか(注3)、 然らば財政案のみに限らず一切の法案に対して悉く下院に先議権を与えざるべからず、 何となれば下院は常に法律の支配を受くべき多数人民を代表するものなればなり、論じて茲に至れば財政案に関して下院に先議権を与うるは已に陳腐に属し今日に於ては到底之を維持するの理由を発見せざるなり、独り英国に於ては他の政治的理由に依りて単に下院に先議権を与うるのみならず上院をして之を否決せしめざるの必要あり、 抑も政党政治の下に於ては議院に多数を有する政党は内閣を組織する政治的権利を有すると同時に多数を失いたる内閣は総辞職を為さざるべからず、 而して予算案を有すると同時に多数を失いたる内閣は総辞職を為さざるべからず、 而して予算案の否決は内閣の信任欠乏を意味し之に依て内閣の総辞職を惹起するものなれば、若し上下両院に於て予算案を否決することを得るものとせば内閣は或る時は上院の意思に依り、 或る時は下院の意思に依り、殊に下院に於て多数を制する場合に於ても上院の為めに瓦解せられざるを得ず、 是れ実に政党内閣を不可能ならしむるものなるが故に、真正なる政党政治の下に於ては上下両院の中何れか其一院より予算案の否決権を奪わざるべからず、 而して今日の国会制度の下に於ては政党は下院に於て代表せらるるものなれば、英国の如き政党政治の国に於て下院独り予算案議決権を有し上院の否決権を認めざるは事理の当然なり、 去れば其初め「国費負担」なる観念を以て発生したる下院の先議権は何時しか其根拠を喪失し、更に「政党政治の必要」と称する第二の根拠を得て之に依て其命脈を保持するものと云わざるべからず、 故に英国に於て今日尚お下院の先議権を認むるは拠るべき充分の理由あれども、政党内閣制を認めざる其他の諸国に於て之を以て憲法上の一規定と為し、 殊に其権利の範囲を甚しく縮少して単純なる先議権に止め上院の修正及び否決権を認むるは旧時の思想に向て更に悪変化を加えたるものにして進歩したる政治学上よりは到底説明すること能わざるなり。

第三に論ずべきは不裁可権の所在なり、英国、日本及び伊太利に於ては不裁可権は君主に属し、合衆国大統領は有限的不裁可権を有し、独逸、仏蘭西及び瑞西の行政部は全く之を有せず、 英国国王の不裁可権は二百年来行使せられたることなく、独逸皇帝は不裁可権を有せざるも普魯西国王として種々重要なる権利を有す、即ち第一は後章に述ぶる如く憲法の改正を否認することを得べく、第二は憲法上に於て担保せられたる普魯西の権利を奪わるることなく、第三は参議院に於て可否同数なるときは決定投票を為すことを得べく、 第四は陸海軍制其他租税に関する法律の変更を参議院に於て否認することを得べし、 此等の権利を有するが故に仮令憲法上の不裁可権を有せざるも実際に於ては立法部の重要行為を監督することを得べし、 仏国大統領は不裁可権を有せざれども再議を要求する権利を有することは前に述べたる如く、瑞西の行政部が立法部を牽制する何等の権利を有せざるは極端なる民主主義の結果なり、之を要するに君主国に於ては行政首長は絶対的不裁可権を有すれども民主国に於ては有限的不裁可権を有するか然らざれば全く之を有せざるなり、是れ君主制と民主制と異なる要点なり、 然れども輓近政治社会の趨勢を見るときは君主の不裁可権は全く民権の為めに圧せられて之を行使すること能わず、殆んど有名無実と為るに至れり、 是れ英国主義の影響にして又政治社会の一進歩と云わざるべからず、 去りながら今日政治社会の進歩は尚お此権利の名実を併せて全く行政部より剥奪するの程度に達せず、而して後来政治社会の進歩と共に此の権利の運命の決せらるるは幾世紀の後にあるや、恐らくは何人と雖も予言すること能わざるべし。

脚注

(1)
原文では閉じ丸括弧が省略されている。
(2)
原文では「が」と表記されている。
(3)
原文では「が」と表記されている。