『洋行之奇禍』 その2

last updated: 2013-01-23

其一

洋行―是れ野心家の常に忘るる能わざる文字である、未だ洋行せざる者は此文字を思い、已に洋行したる者は亦此文字を思う、 洋行せんと欲して能わざる者世に幾人あるか、彼等は常に此文字の為めに苦みつつある、 而かも遂に其志を達せずして死する者は挙て数うべからず、已に洋行したる者世に幾人あるか、而かも彼等の中に於て洋行の効果を収め其目的を遂げたる者は寥々として晨の星の如し、 五十年の昔、吉田松陰は禁を破って洋行を企て捉えられて獄に投ぜらる、彼は洋行失敗の台頭者である、下って福澤諭吉、彼は従僕と為り末吏と為りて三たび洋行し、帰り来りて大声疾呼、西洋事情を放談して小日本の天地を震動せしめ、一大学校を興して天下の青年を薫陶せり、 続いて新島襄、彼れ亦一寒の書生を以て厨夫と化して洋行を企て、帰朝早々西洋教を鼓吹して宗教社会の惰眠を破り、一大校舎を設けて多くの人材を養成せり、 彼等両人は其性行に於て相反し、其主義に於ては全く相反し、其功績に至ても亦均しからずと雖、共に教育界の大王と為りて日本の文明に貢献したるの点に於ては東西両京期せずして相一致するものと云わざるべからず、 彼等は洋行の成功(注1)者として確かに第一の地位を占むる者である、爾来数十年間に於ける幾万の洋行者中取て以て筆に掛くるに足る者なしと雖、彼等は彼等自身に於て何物かを齎らし帰りたることは疑うべからず、 然り而して彼等が齎らせる幾多の舶来品は内地の産出物と相混じ相和して今日の日本を造り出したる者なれば、今日の日本は洋行者に向て負う処甚だ多く、今日の日本国民は洋行者に向て大に感謝せねばならぬ、 然るに之を為さざるのみならず、甚しきに至ては洋行者の一挙一動に注目して其欠点を拾い上げんことを勉め、果ては言語の使い方より身体の装飾に至るまで一々之を気に懸けて己れの陋習に添わざる者に被らしむるに種々の悪名を以てし、理由無き批難を試むるが如きに至ては尤も賤むべき婦女子の心事にあらざれば小天地に棲息する井蛙の痴情である、 共に大国民の為す処ではない。

然れども洋行は決して誇るべき事にあらず、洋行夫れ自身は決して難き事にあらず、五十年も昔なれば洋行亦一の難事なりしに相違なけれども、今日に於ては洋行は頗る易き事である、 見よや、太平洋も、大西洋も、印度洋も、其他世界の隅々に至るまで汽車や汽船は、毎日毎夜往きつ返りつ走り廻わりつつあるにあらずや、 一歩踏込めば夢に仙境に遊びつつ身は已に倫敦に在り巴里に在り、紐育に在り、桑港に在り、而して後に東京に在り、平々凡々たる一旅行何ぞ誇るに足らんや、 又洋行は必ずしも人間をば賢くするものにあらず、洋行帰りの馬鹿連は箒を以て掃き寄せる許りにある、洋行せずとも賢者と為ることもできれば或る程度までは世界の事情に通ずることもできる、 大隈伯は洋行せず、然れども彼は時々世界を丸呑にした如き壮言を吐く、 数多の洋行帰りの半可通は彼の前に吹き飛ばさるるではないか、加藤博士は洋行せず、然れども彼は日本第一の学者と為った、滔々たる洋行帰りの青学者は彼が片胸の智恵をも絞り出すことが出来ないではないか、 去れば洋行は決して人間の真価を定むるに足らず、人間の真価は人間自身より外に定むべき標準は無い、 然らば則ち洋行を以て其身を飾り之を以て人に誇らんとする者は、己れの無能を蔽い世俗を胡麻化さんとする化物にあらざれば、己れの真価を解せざる愚物である、 洋行を批難する者も愚、洋行を誇る者も愚、愚と愚との鉢合せは二十世紀の今日に於て最早時代遅れの狂言たるを免れず。

此の如く値ありて値なきが如く、値なくして値あるが如き蒙昧模糊たる洋行も僕に取りては一生の目的中の一に数えられた、去れば此文字が甚だしく僕が精神を悩まし、甚だしく僕が肉体を苦しめたは敢て怪しむに足らず、実に巳往十年の間は僕は全く此文字の為めに翻弄せられて居た、此文字の為めに苦役せられて居た、而して其得たる所は果して如何、嗚呼僕は之を語ることを好まない、去れども語るべく決心した、書くべく筆を取り上げた。

想い回せば十七年前、眇たる山間の一物が柄にもなき登天の空想に駆られて但州の山奥を匐い出で、東海道五十三駅を股に掛け、遙々と花の都に上りしは明治二十年の春、僕が十六歳の時であった、初めて横浜に着いた夜は十八日間の長旅に身も心も疲れ果てて我知らず熟睡に落ち入りしが、翌朝眼を覚まして四辺を見れば三島駅より連れ立ちたる一人の旅友は何れへ消え失せたるや影をも止めず、 費い残りし僅かの旅銀は三百里の行程を背負い来れる二三の衣服と共に間の抜けたる田舎者をば振り捨てて気転利きたる護摩の灰さんの御伴にと出かけたり、泣いても嘆いても及ばぬこと、之も我身の不覚より生じたる禍なれば致しかたなしと諦め、 深く後来を戒むべしと心を定めて、手に無一物、懐に無一文、飄々然として東上したるも広き都に我を知る者は一人もなし、幸にして通路の人に拾い上げられて暫く憂目を見たるの後は同郷の先輩者に救い取られて馮驩を気取ること当に二年、長鋏帰来乎を歌うの放胆を有せざるにあらざれども小心翼々として務むるは身分に伴う本務を忘れざればなり、二十四年に早稲田大学其時の東京専門学校に入り法律の研究を始めたるは抑も理屈を以て世を渡らんとする心の起りたるときであった、 二十七年に業を卒えて数十の同窓中一人の我が右に出づる者なきを知りたるときは稍々法学制の恐るるに足らざることに気付きたりしが、翌年弁護士試験の競争に加わり、千五百余名の健児を圧倒して三十三名と共に怪しき月桂冠を戴きたるときは天下の法学生は皆是れ取るに足らざる愚物なりと思うた。

弁護士と為るや直に某博士の事務所に入りて多年鍛え足手腕を試みんと欲せしが忽ちにして一蹉跌、道場の試合と机上の空論は其儘に実地の役には立たぬ、 ぶらりぶらりと一事を為さず、寝ては起き、食ては遊び、短き月日を長く覚えて、漸く数ヶ月を過ごし、稍々一門の同族に知られたるときは早や已に(注2)弁護士は嫌になった、多年の間苦心経営し漸くにして得たる掌中の玉も一たび我が逆鱗に触るれば忽ちにして泥中の物、況して豈んや眇たる一代言人、愛嬌もなければ御世辞もなし、世に屁理屈あるを知て他あるを知らず、人を欺くを知て人を助くるを知らず、銭の為めに心を売り、心を売て身を繋ぐ、是れ陋間の何者かと択ぶ所なし、此の如き物を捨つる我に於て何かあらん、 敞履を捨つるよりも尚お易し、否な否な、此は間違、大なる、間違、僕と雖も曾て斯様なる大間違は為さなかった、僕は弁護士は嫌ではない大の好である、 弁護士は男子の職であって女子の職ではない、士人の職であって長人の職ではない、弱を助けて強を挫くは此職である、人間の自由生命財産を保護して彼等の幸福を増進するは此職である、法律の執行を監視して国家の目的を補け社会の安寧を保護するは実に此職である、 西洋の学者は一国の文明は弁護士の有無に依て判断せらると言うたではないか、弁護士は文明の寵児なりと言うたではないか、 文明の寵児!僕は僕が天性に問い其同意を得て此寵児と結婚したではないか、然るに今更嫌とは何事ぞや、之れ疑もなく天性に背くものである、 天性の背いて人生の幸福を得らるべしと思う者あらば大なる誤である、僕は決して斯様なる誤を為してはならぬ、去れば今彼を嫌うことは可くない、彼と離縁することはできない、然り僕は離縁しない、永久離縁は為さないのである、然らば何を考えつつあるか、

僕は一の誤を為した、夫れは確かに誤である、僕は早婚の弊に落ち入ったに相違ない、然り彼と僕との結婚は早過ぎた、僕は未だ結婚するだけの準備が整うて居ない、 肉体上の発達は最早十分であるが精神上の発達は未だ不十分たるを免れない、 然らば何が故に政府は僕に婚姻免状を渡したか、政府は誤りを為したか、否な政府は正当の事を為したるも僕が誤を為した、婚姻免状と結婚其ものとは全く別物である、 婚姻免状は僕に向て婚姻を為すの資格あることを認めたに過ぎない、僕は已に此免状を有する上は僕が結婚は不法ではない、 併しながら僕に取りては非常に不利益である、確かに不利益なる結婚である、見よや法律に於ては男は十七歳女は十五歳に達すれば結婚することを得べしと規定するではないか、 然れども男女此年齢に達するを遅しと待ち受けて互に結婚する者あらば社会は何んと評するか、 彼等は欲に焦がれて其身の前途を忘るる色狂と云うであろう、然らば法律の許す事は必ずしも善事ではない、善事は法律の許す外にあり、善事なるや悪事なるやは人間が判断するのである、否な己れ自身が判断せざれば誰も己れの為めに判断の労を取る者は無い、 去れば僕が免状を手にするや否や直に弁護士嬢と結婚式を挙げたるは頗る早計の処置である、結婚年齢に達するを遅しと俟ち受て婚姻を為す無智の男女と択ぶ所はない、 社会は僕をば色狂と笑って居るであろうが僕は今まで夫れに気付かなかった、併しながら此だけにては何を言って居るのか少しも訳が分らない、全く根拠なき空言を弄して居るのである、更に進んで何が故に僕が結婚は早や過ぎたか、何が故に不利益であるかを説明しなければならぬ、

近くは一門の同族を見よ、遠くは世間の同胞を見よ、彼等の中に於て精神上の修養未だ十分ならず、学問上の供給未だ足らざるに、早くも已に職業と結婚して幸福なる生涯を得たる者あるか、彼等の中には数多の学者あり、数多の政治家あり、数多の金持あり、彼等は彼等自身に於て幸福なる生涯を享けつつあると思うかは知らないが僕は決して左様には思わない、 一山百文の学者は学者の山を築くとも千金には為らない、吹けば飛び散る木の葉政治家は箒を以て掃き寄せるとも一の「グラッドストーン」にも及ばない、数千や数万の小金持は千人集るとも一の岩崎をも倒すことは出来ない、 而かも彼等は人生の目的を遂げたり、人生の幸福を得たりとして欣々然と喜ぶのであるか、僕は此の如き幸福を欲しない、此の如き幸福を得るが為めに此地に来たのでない、若しも此の如き幸福の外得ることができないなれば僕は此地を去らんのみ、 紅塵万丈の此地を去て山水明媚なる故郷の山野に牛馬を伴として一生を過ごすは是れ亦人生の楽事ではないか、今や幸福、否な僕に取りては不幸、此不幸は僕が頭上に落ち来らんとす、如何にせば可ならんか、 速に此地を去らんか、去て再び山間の物と為らんか、去るも可し、然れども今は去るべきの時にあらず、僕が去らんとするは早婚より生ずる不幸を恐るるが故である、去れば何が故に此不幸を拒がないか、何が故に早婚の境遇より脱れて適当の時期の来るを俟たないか、僕は今此境遇より脱れ得るのである、此不幸を拒ぐの自由を有するのである、此自由を有しながら去て山間に隠るるは是れ疑もなく卑怯の振舞である、卑怯の振舞か否らざれば断然離婚、其何れを取るやは問わずして明である、然り離婚、離婚して何れの処に行かんと欲するか、

二十九年四月某日の夕景、僕は独り事務所を立ち出で、ぶらりぶらりと杖を引きながら何事かを考えつつ愛宕山(注3)に上った、当に是れ葉櫻の好時節、陽春の風は軽く面を払って心気忽ちに爽然、アア愉快と口走りつつ傍のロハ台に腰掛けて復もや考を続けしが、其考が進み進んで遂に或る点に到達したるときは思わず膝を打った、 或る点とは何んであるか、言わずして洋行である、然り洋行、唯一の洋行あるのみ、僕は堅く決心したが此決心が十年の後に如何なる結果を持ち来るやは神ならぬ人間の知る筈はない。

僕は前に洋行は頗る易き事であると言った、一歩踏み込めば眠りながら周われる平々凡々たる一旅行であると言ったが、此易き事も僕に取りては頗る難き事である、平々凡々たる旅行に上るが為めに之より数年の間苦心経営せねばならぬ、而かも数年の後に於ても果して上れるや否やは確かに断言することができないとは扨又意気地無き話ではないか、憫れむべき境遇ではないか、去りながら我身の意気地なきを嘆ずるも詮なきこと、 我境遇の憫れむべきを詫つも及ばぬこと、此意気地なき憫れむべき境遇より脱れる為めには僕は此より或る事を為さねばならぬが顧みて僕が現状を問えば答えて曰く、汝は是れ眇たる一食客弁護士、自由人にして自由人にあらず、奴隷にして奴隷にあらず、自由人と奴隷との合の子なりと、善い哉言や、合の子の境遇は頗る面白し、合の子の生活は頗る気楽なり、我は暫く此境遇に甘んじ此生活を楽まんと心を定めたるが、面白し気楽の中に三年は過ぎて三十一年の九月に至り、僕は東京市中に其名も高き神田の中央に於て生来初めて一家の君主と為って思う存分に専制政治を振り舞わした。

脚注

(1)
原文では「成効」と表記されている。
(2)
原文では「己に」と表記されている。
(3)
愛宕山 (港区) - Wikipedia