『洋行之奇禍』 その7

last updated: 2013-01-23

其六

明治三十四年七月十六日、僕は東洋汽船会社の亜米利加丸に投じて横浜を出帆して丁度三十日目に目的地たる北米合衆国コンネクチカット州のニューヘブン市に到着せり、 此市は紐育を北に去ること約五十哩なる大西洋沿岸に位せる一都市なれどもエール大学の所在地なるを以て其名声に高しニューヘブンエールエールニューヘブンかとは古来より其地方に行わるる俗諺なりとかや、 僕は慣れぬ長旅に疲れ果て、煙や塵に汚されて、飄然独り同市に到着せしは八月の十四日、正に是れ炎天の真最中、 市街の両側に天を蔽うばかりに繁茂せる楡や楓は眠れる如くに静まり、此処彼処に突出せる煙突は然も力なげに長大息を漏らし、道行く人馬は何れも汗を流して気息奄々たる有様は他国人ながら見るも憫れを催すばかり、 市街の一端に雲に聳ゆる数十の大厦高楼は是れ僕が目指すエール大学の建物なるが暑中休暇にて学生の影は一人も見えざりし、

僕は知人某氏の展書を持てトランブルと名づくる一老婆を訪い、適当なる宿屋を見出すまでは暫く此家の三階に仮住せり、此老婆は年の頃は已に六十を三つ四つも超ゆれども十数年前に暫く日本に滞在せしことあるがゆえに聊か日本の事情を知り、 日本好きにて幾らか日本学生の世話をするから一寸見れば頼もしきような老婆なれども何れの国に於ても老婆と云う者は面白くないもの、老婆は人の意を損うを知て人を喜ばすの道を知らず、老婆と為れば最早愛の目的たる資格はない、 人間老婆と為る勿れ、況んや若者と老婆とは到底長く和合すること能わず、何れ日にか衝突し破裂して不和を招くを免れざるを以て、若者は成るべく老婆に近寄るべからず、 老婆は成るべく若者と遠ざかるは長く双方の平和を維持する最上の策ならんか、 これは(注1)兎も角も此老婆は片足を已に棺中に入れながら驚くべく我欲の年強し、彼は夫もなければ小供もなし、所謂「オールド、メード」と称し、何つまでも「ミッス」の称号を保って居る「ミッス」と云えば誰しも令嬢を想像するが若し人あり、 彼を年若き米国の令嬢、滴るばかりの愛嬌を撒き散らして青年の心魂を奪い去る「アメリカン、ヤングレデー」と早合点し柄にもなき野心を抱て彼を訪問せるとき、 静かに戸扉を開いて現れ出づる一箇の幽霊が、痩せ衰えたる蒼顔に雪を欺く白髪を振り翳して「私がミッス、トランブルでありますよ、貴方は何の用あって来ましたか」と金切声にて唸り出すときは如何に大胆無謀の青年と雖ども立ろに気絶すること受合である、 彼は死後に於て財産を譲るべき骨肉を持たざるも人間の強欲は墓場に連れ行かるるまでは止まないもの、彼が日本人に親切らしく見せかけるも皆是れ其強欲から割り出したるものなることは忽ちにして観破せらるるが故に一時は日本学生の本陣ヘッド、クオーターとまでに呼ばれたる彼が家にも追々と日本人の出入りが少くなりしは女の何やらが禍する自然の成行と思えば誰に向て怨を訴えることも出来なかろう、

彼が家の三階には五つの貸間あれども何れも天上の低い、窓の小さい、壊れかかった古道具の備え付ある下等室のみにして市中の貸間を番付にすれば尻から第一番に書かれるに相違ない、 其上学校には遠くして百事不便なるが故に年来米国学生なぞは一人も居たことはないが、何が故にや日本学生とは長き歴史と浅からざる因縁を有す、原六郎、相馬永胤の如き金満家でも一たびは此室の木造寝台に横わった、鳩山博士や田尻博士の如き大学者も一たびは此室の古机に向ったと云うことであるが真か偽か頼るべき証拠はない、 唯或る時に友人と共に押入の中を探したら表紙の裏に三浦と書ける古びたる「バイブル」が一冊現れ出た、三浦とは一体誰であろうかと段々と調えたら鳩山博士の前姓なることが分かった、 此にて同博士は書生時代には熱心なる基督信者であったことが証明せられた、然る処が此汚き室も老婆に取りては唯一の財源、牛肉やパンを生み出す掌中の玉であるから寝ても起きても彼が頭痛の種となるは彼に取りては無理もなりしが、 遙々と山海を越え雄志を抱て此地に来れる同胞青年に取ては聊か迷惑を感ずることなきにあらず、 彼は常に此室と同胞学生とを縁組せしめんが為めに何れだけ苦心焦慮するかは知れざれども概ね水の泡と為りて消え失せるこそ是非なけれ、 三十年も昔なれば兎も角も痩せても枯れても今は新日本の青年、斯んな醜婦と縁組しては我輩の面目、引て国家の体面に関すると大気焔を吐く連中も出で来る位であるか、 其上此老婆は余程日本人を馬鹿にして小供扱いするから、何人も彼を好む者はない、 まだ夫ればかりか、彼は驚くべき関渉好きの質にて人の懐中のことまでも関渉する、 内に居ても何も用事がないから時々室に入り来りてキョロキョロと室内を見廻し、やれあんなごたごたした物をば箪笥の上に置ては可けない、 そんな処に衣服を投げ捨てて置ては可けない、机の上をばそう取り乱しては可けない、履は押入の中に匿して置くべし、 紙片は籠の中に投ずべしと、何から何まで一々世話を焼て其蒼蝿きこと限りなし、 僕も初の程は何事も分からず黙して居たれども追々と癪の虫が動き出したから、或る時に、僕は小供ではないから左様な事まで一々お前が八釜敷差し出なくとも宜しい、 僕が室代を払て借りて居る間は自由に此室を使う権利があるから、衣服を何処に置こうが履が何処に有ろうが僕の勝手である、道具を壊したなれば十分に償うてもやるからお前は少しも心配するには及ばない、一々左様な事を差し出るが為めに此室に来ることは爾来止めて貰いたいと言えば、 彼はぶつぶつと呟きつつ降り行きしが後に至て此事をば人に語りて某は仲々理屈を言う高慢な奴である、 自分は此迄日本人にあんな理屈を言われたことはないと告げたそうだ、 斯る次第なるが故に一方に室の汚きことを見、一方には学校への距離を測り、又一方には老婆の人と為りを知る者は、如何に彼が多弁を弄して縁組を勧むるとも之に応ずる者は十に一二、夫れも一ヶ月か二ヶ月経たぬ間に離縁沙汰、姑と大悶着を起して爾来斯んな家には一切足踏をしないと憤慨せる者は往々にして目撃をすることであった、 此室と二年三年連れ添う者は余程辛抱強き者か、否らざれば他に良縁を見出す能わざる不幸者である、僕も離縁組の一人、而かも最も早き三週間の後に此醜婦を振り捨てて一層も二層も程能き内に入込んだか、其後屡々彼は復帰を勧告したれども僕は笑うて之を斥けた、

間もなくして九月は末と為れり、炎熱は消え失せたり、休暇は過ぎ去れり、学校は開けたり、学生は四方八方より雲の如くに集り来れり、 眠れる市中は俄かに覚めたり、待ちに待ちたる時は来れり、僕は身に附随する特権を以て直に法科大学の大学院に籍を入れて此より一生懸命に勉強を始めたりと云えば人は笑て問うならん、 汝は何を勉強せんとしたるやと、僕は答えて言わん、僕は法律専門家、世に法律あるを知て他あるを知らざる法律社会の一人である、法律は身の親、生命の綱、大に之を食て益々我身を肥さざるべからず、 去りながら法律は元来無味乾燥、之を食うは麦飯を食うよりも苦しく、之を囓るは大根を囓るよりも尚お難し、 去れども無味乾燥なる此食物も命の為めなら是非もなし、過る四年と六年の間に採ては噛み、噛んでは呑み今は已に腹中に満てり、 最早之を食わずと雖も、終生餓渇を覚ゆるの恐れなし、況んや区々たる権利義務、如何に深く之を探ればとて高の知れたる法律学者、天下国家の為めに何事をか為すを得ん、僕は斯る物をば学ばんが為めに遙々と此地に来れるにはあらず、 僕の学ばんと欲する物は外に在り、問うこと勿れ汝が学ばんと欲するものは何物ぞやと、若し之を知らんと欲せば行て天辺の月に問えよ、 或る者は僕に向て法螺吹く稽古を始めたりと評せしも斯る批評は百千来ると雖ども僕に取ては全くゼロ、僕は僕が択びたる道に向て一歩を踏み出した、

脚注

(1)
原文では「开は」と表記されている。