『洋行之奇禍』 その11

last updated: 2013-01-23

其十

アア僕は思わず筆を滑らして面白くもなき長々しき文句を書き立てしが、此も僕が年来貯えし泉が何つしか充満し物に触れて少しばかり溢れ出たに過ぎず、読者幸に之を諒せよ、 此より後に戻って聊かノースフヒルドの話に移らんに、初めの十日は大学生の集会、勿論集会とて弁護士集会の如く忽ち理屈を捏ね出し口角泡を飛ばして大議論を始め大喧嘩を為して椅子が飛び机が跳ね回る如き殺風景は見んと欲するも見ること能わず、 児戯と云わんか無邪気と云わんか、時には腹を抱えて屡々吹き出さねばならぬ、 朝夕二回は一同食堂に集り、祈祷に唱歌、説教に演説、此処彼処の天幕からゾロゾロと蟻の行列を形造りて数多の健児が拝聴に赴く(注1)、 去れども行列に加わらざる懶惰者に対して何等の罰則の定めなきが故に、僕は法文の欠点を利用して時々図書館に隠れ寝台に横わるの自由を得たるは此も法律を学んだ効能である、 法律学の応用は到る処に多し、偶々出席すれば眠気を催し、白河夜船の前後夢中更に人事を覚えず、 或る時に膝の上に紙片が有ったから取り上げて見れば「火事よ火事よ地獄に大火事あり早く行て消せよ急げ急げ」と書いてあった、 傍の悪戯者の仕事である、会合終れば勝手次第に跳ね廻りて遊び出す、野球を弄し庭球を弄し、山に上り野を走り、河に泳ぐ、彼等は実に能く遊び能く騒ぎ快活にして元気盛なり、 黄旗の飜える建物はハーバード大学生の合宿所、青旗はエール、赤旗はプリンストン、其他各々校旗を飜えして公然彼等の陣営を明にす、 朝昼晩の食時には食堂は「チア」の声にて割るるばかりに鳴り渡る、米国の大学には各々特有の「チア」と称するものあり、ノンセンス、無意識、発狂者の叫声と相似たれども景気付けには持て来いの道具である、 殊に運動会などに於ては己れの味方を鼓舞せんが為めに絶えず之を叫ぶ、日本の大学にも斯様なるものあれば面白からんも、日本人は常に大人ぶるが故に斯ることは馬鹿げてやれないと言うであろうが、 此馬鹿げた発狂者の声をば彼等は臆面もなく食堂に於て叫び出すことは聊か呆れざるを得ず、一同食堂に集って一口ばかりの祈祷が済むを遅しと待ち受けて始め出す、 僅かに二三人の団体にても決して臆する色を見せない、ドシドシとやるから食事の始めから終まで食堂はワンワンと鳴り渡らねばならぬ、

吾々同胞は左様なる小供連の仲間入をするには余り大人なるが故に速に皿中の物を平げて其場を逃げ出すが例なりしが、茲に甚だ笑うべき事が湧き出した、 吾々仲間の有難家連、而かも二名に対する十三名の大多数を占むる彼等の中に於て尤も卓絶したる有難家が二名あった、 其一人は長崎地方の某学院とやらの教師である、彼の意見に依れば日本は貧乏人の巣窟、其上に神の御蔭を知らざる無信心者が多くして伝道の銭が集まらないから其銭を貰うが為めに遙々と此地に来たと云うことであった、 僕は之を聞いて情けない、斯る場所に於て同胞乞食に遇うては外聞が悪いと肩身が狭くなる様な心地せしも去りとて銭貰をするなと命ずることも出来ないから仕方がないと諦めた、 此人の特徴は羊羹色のフロックコートである、彼は集まれる数多の群衆を睥睨してフロックコートを着用せる者は我れ一人のみと得意顔を為せしも彼を見て笑わざる者は一人もなかりしに気付かざりしは能く能くの結構(注2)人である、 此の一人は四国地方の教会教師にして多年此職に従事し愚夫愚婦を胡麻化すには有り余る程の経験を有するに拘わらず、より以上の智識を求め、より以上の経験を得て天晴なる大僧正の称号を戴かんとする満腔の熱心が破裂して、可愛き妻子を後に残し、二年以前此地に来り、 其神学校に於て蛍雪の苦学を為せし其故が何かは知らざれども、元気全く消沈して一点の活気なく、薄黒き容色を以て蔽われたる痩顔に微笑を漏らす其有様は、小説家ならざる僕に於ては之を形容することは全く不能の事である、 僕は彼に接するや直に一種の感に打たれた、斯る人の前に信徒と為りて感化を受くる日本国民は一体何んな者に為るであろうか、 死人同様なる人の説教を拝聴する者は亦死人同様の者と為りはしないか、之が日本国民の元気の上に如何なる影響を及ぼすであろうか、 彼は仲々善人なれども矢張り聖書丸呑派の一人なるが故に、聖書の文句を批難すると直に腹を立てる、 僕は人の立腹することを見て喜ぶ者にあらざれども多年の間理屈を論ぜるがゆえに、何事に付ても学理に依て説明する能わざるものには服従すること能わず、 然るに聖書の文句を見ると片端から荒誕無稽の妄説と思われ、愚夫愚婦なれば兎に角も、苟も多少(注3)学問を為したるが之を有難って戴くを見るときは忽ち其訳を質したくなる、 此は甚だ宜しからざることと信ずるが故に力めて之を押ゆれども、時々跳い出でて悪戯を働き、累を他人に及すことなきにあらず、 斯る次第なるが故に再三再四可憐なる此善人に議論を吹き掛けて彼の感情を害したるは終生の失策と云わざるべからず、 これは(注4)兎も角も此善人に付ては二つの奇談がある、 其一は彼は毎夜床に就く前には必ず丸裸になって骸骨の如き手足を動かして一二三四の掛声と共に体操を始め出す、而かも其体操たるや頗る異式、自己流の尤も甚だしきものなるのみならず、 宛然骸骨の体操も斯くあらんかと思わるる程である、見物人が一同腹を抱えて笑い出しても彼は一向に鋭気である、 小女の如き優しき声にて「君等はそう笑うものじゃないよ、まあやって見玉え、仲々工合が好い、僕は家に居ても妻や子供の前で毎晩之をやって見せるのじゃ」と言うを聞くときは如何に不景気面と雖も息を殺して笑わざるを得ず、 口悪き一人は毎夜其頃になると又此から浅草の骸骨体操が見られるかなど呟いた、其次は或る日夜彼は森中を散歩して一匹の小獣を見出し、 得たり賢こしと追い駆ける間もなく杖を以て之を打ち殺したるは彼に取りては少しく不似合なる所業なりしが、 果せる哉天罰立ろに至て彼が身体衣服は悉く一種言うべからざる臭気を以て染め込まれた、而かも其臭気たるや尋常一種の臭気にはあらずして、 少くとも十間四方に居る者は鼻を掩うにあらざれば堪えられない程のものであったが、 彼は或る者に向て其臭気をば取り除く工夫はないかと尋ねたら、其人は「ヤア、君は大変な物を殺した、あの動物を殺したときには臭気にて堪えられないから何人も其に触るるものはない、而して其臭気は洗っても何んとしても三週間許を経たねば決して失せない」と答えたが果して其言の通り、併し彼は相変らず無頓着、唯同居人不慮の災難を受けたのみであった、

彼等風流人の風流は之に止まらずして風流は益々佳境に入れり、彼等は風流を以て人を笑殺せずんば止まらるなり、彼等は毎日朝夕二回食堂に赴き、数時間の長き間、卓に向て祈祷、唱歌、説教、演説を飽食し、僅か三丁の帰り途に三たび石に腰掛けて半時間の休息を取らねばならぬ程に痩腹を太らす、 而かも彼等の賤坊(注5)たる雨の降る日も風の吹く日も未だ嘗て一回だにも足を休めたることなきに拘わらず、 貪欲なる彼等は尚お之を以て足れりとせず、別に同胞議員を以て一の祈祷会を組織し、飽食を重ねて腹の皮をば破らんと謀り、非常召集の命令を発して遠く散歩に出で愉快に遊べる議員までを寄せ集めんとせしが其尽力は全く水泡に帰せず、会する者彼等を合せて無慮十三名、 是に於てフロックコートの乞食先生は悠然立て徐ろに説て言えらく

「諸君よ諸君、吾々は諸君と共に朝夕二回食堂に赴き有難き神への祈祷を以て十分に此痩腹を脹らすことを得るが故に、別に祈祷会を設けて祈祷を為すは無用の長物なるが如しと雖も、之れ未だ一を知って其二を知らざる者である、 誠に思え、今や吾々は万里の波涛を乗越えて此地に在りと雖も、遠からずして再び太平洋を横ぎりて我小帝国をば東西縦横に馳廻り眠れる同胞を呼び覚まし、 神の御恩を忘るる無信心者等を引き捕えて、彼等の迷夢を打破り、憐れなる吾々の郷国をして光り輝く基督教国の末席に列するの光景を得せしむるは吾々迷信者の責任にあらずや、 然りと雖も何を為すにも先ずものは腹である、腹太ければ吾々は何れの時にか其目的を達することを得んや、 論じて茲に至れば吾々が別に此会を設けて祈祷の飽食を貪らんとするの趣旨は如何に愚鈍なる諸君と雖ども辛うじて之を悟ることを得るであろう、 諸君よ諸君、諸君は飽食せざるべからず、飽食して腹を破るの大決心を以て願くは吾等両名が苦心経営して案出したる此議案に対して賛成の意を表せられよアーメン」

僕は番外者、発言せんと欲するも其権利なきを如何せん、唯茫然として議員の動静を窺い居りしが、議員の面々は何れも不平顔、心にて反対し顔にて不賛成の色を示すとも、憫れ腰抜議員は口の上にて之を争うの元気を有せず、 此動静は一種の威圧の下に難なく通過して、続て現われたるは施行条例、然らば何れの処に開会せんか、日比谷公園の議事堂を借らんか、狭くして議員を入るるに足らず、生え繁げれる森中に於てせんか、虫群に追われて顔を腫すの恐なきにあらず、 渺茫たる広野に出でんか、日光に曝されて容色を失うの嫌なきにあらず、如かず広き此室内に於てせんにはと議立ろに一決して奇怪千万たる此施行条例は即時に実施せらるることとなりしが、 僕に取りては非常なる迷惑、一日に二回、各々一事有余に亘る祈祷会、僕より見れば寝言会、此寝言会の寝言の声は眠らざる僕が耳をば甚だしく襲い来り、 憐むべし僕は其会期中は大切なる読書をも中止して床上に横わるか否らざれば戸外に出でて閉会の時刻を待たねばならぬ、 一刻千里を空く消費するは人間の不幸之より甚だしきはなしと思えども、大勢の趣く処之を拒ぐに由なく、暫く虫を殺して辛抱せり、 然る処が由来有難家なる者は頗る呑気、呑気は彼等の本色である、成るべく人に迷惑を懸け多くの無心を申し込んで平然たる度胸を有するものにあらざれば有難家と為りて伝道の職に衣食すること能わず、 然れども時と場所とを問わずして此本色を濫用せられては人を害すること少なからず、 彼等は番外者を斯る悲境に陥らしめたることには気付かずして全く無頓着、無頓着は尚お恕すべきも僕をして寝言会の一員たらしめ、飽食を強いて腹の皮を破らしめんと企て、 其成らざるを見るや直に神の援助を求むるに至ては笑わざらんと欲するも得べからず、或る夜の祈祷会に於て善人牧師は例の優しき声を出して祈り出した。

「天に居ます我等の父よ、全智全能なる天地の主宰者たる我等の神よ、我々はあなたの御恩に依りまして今日も無事に且つ幸福に暮しましたることをば只今あなたの御前に於きまして深く御礼を申し述べます、 我々同胞をして此処に集り一同あなた御恩を受くるの特権(評に曰く此文字面白し)を得せしめ賜うたることを深く感謝いたします、 唯々特にあなたに御願い申上ぐることは我々同胞の中に一人迷うて居る者がありますから、何卒あなたの御恩を以て彼が一日も早く迷の雲を排いて、 我々と共にあなたの御恩を受くることの出来まするように我々一同の者はあなたより与えられたる特権に依て御願い申すことでござります」

アア彼等は遂に僕をば迷うて居る者と認定した、僕は其非凡なる卓見に驚いたが如何にや神は今日まで彼等の願を聞き入れなかった。

七月四日は米国独立祭である、前夜より此日に亘り、放ち出す空砲の響にて都も田舎も鳴り渡り、男女老若は騒ぎ立て、独立戦争の有様は斯くやありしならんかと思わるるばかりなるが、 十日間の集会も此日を以て終を告ぐるなれば、幾千の健児は思い思いの趣好を凝らし、鉄砲を担つぐ連中あれば太鼓を鳴らす仲間もあり、フィリピン(注6)兵を仮装する一隊あれば印度人を真似る組合もある、 旗や提灯を振り立て行列を形造りて一同会堂に集り、お定りの祈祷や唱歌が済んだ其後は例の「チア」騒が始まる、 此度の「チア」は食堂に於けるが如く不秩序のものにあらずして番附に依て定められて頗る整然たるものなるが、 此外に大学唱歌も連れ添うて、気勢活発、元気溢れて会堂を貫かんかと疑わるるばかりなり、 此日は四方八方より知名の士集り来り中には禿頭を振り翳して年にも愧じ小供等の群に投じて大声歓呼する者あり、 米人より見れば毫も笑うべきことにあらざるも日本人より見れば聊か発狂の気味ありと思わるる程である、 広き世界に其名を知られたる政治学の泰斗ウィルソン氏を其中に見受けしときは彼が著書に対する尊敬の念が薄らぎたる心地せり、 吾々日本人組は平常は唖の如く黙するも此日に限りては「チア」をやるは例年の慣習なれども、元来日本には斯るものなきが故に、此迄一夜造りのものを以て間に合せ来りしが、 素より碌なものが出来る訳はなし、其上に身体が小いだけ声も小さく又揃わないからやって却て値を落すよりは寧ろやらざるに如かずと思い、僕は廃止論を唱えた、 米国の独立を祝するは可なり、之を祝するには一片の祝文を認めて之を会場に朗読するは策の上なるものなり、 何を苦んでか出来ざる真似を為して稠人万座の裡に其醜態を曝露するの要あらんやとは僕の唱導せし処なりしも、此議は多数なるハイカラ議員の為めに破られて例年の慣行に従うこととなりしが、扨然らば何んな「チア」をやるかと云うことである、 此迄の過去帳を調べて見ると毎年同じことをやって居る―スメラ、ミクニ、ラララ、日本帝国、万歳、万歳、万々歳―本年も之をやらんと言いしが僕は復もや反対を唱えた、 米国の独立祭に当て日本帝国の万歳を叫ぶは唯に無意義なるのみならず侮辱の意を含むものである、日本の祝捷祭に於て米人が日本万歳を唱えずして米国万歳を唱うれば吾々は如何に感ずるか、 米国の独立祭に当りては須らく米国万歳を叫ぶべしと言えば此には一人の反対する者なくして議立ろに一決し、 年来の慣行を破って更に新しき雛形を造った―亜米利加、独立、ラララ、ラララ、ラララ、亜米利加、独立、万歳、万歳、万々歳―児戯に類する此狂言も無邪気なる米人等は溢るるばかりの歓声を以て之を迎えた。

脚注

(1)
原文では「趣く」と表記されている。
(2)
原文では「結搆」と表記されている。
(3)
原文では「多小」と表記されている。
(4)
原文では「开は」と表記されている。
(5)
原文では「賤防」と表記されている。いやしんぼう【卑しん坊】の意味 国語辞典 - goo辞書
(6)
原文では「非利賓」と表記されている。