『洋行之奇禍』 その13

last updated: 2013-01-23

其十二

八月の三日は朝来天曇りて雨は降らざれども風も吹かず、暑気蒸すが如くにして草木は為めに萎れ人畜は為めに屏息せり、 僕は机に凭れて何事をか為さんとしたれども頭重く気分悪く唯茫然として鬱気の散ずるを待ちしが、 須臾(注1)にして鈴の音を聞て食堂に降り昼食を終えて復び我が室に帰らんとせんとせし時、例の女性は「斎藤さん日本から手紙」と言いつつ一通の封書を渡した、僕は之を手にするや否や表書を一見して直に実家より来れる者なることを知り、封筒を裂いて内より手紙を取り出さんとせしとき一片の紙片はひらひらと飛び落ちた、 拾い上げて之れを見れば此は如何に「霊妙功徳大姉」―、髪の一端は焼け切れてある、恐くは線香の火にて焦がせしならん、僕は之を見て別に驚かざりしも数滴の涙は思わず紙上を汚した、 僕が母は僕が出立の後少しも快方に趣かず日に日に衰弱して余命は已に旦夕に迫れり彼は已に人間の坂路を越えたる老体なれば救わんと欲するもなけれども僕が姉等は何んとかして僕が帰るまで彼れが寿命を引き止めて今一たび僕に会わせんが為めに百方手を尽し、有らゆる神像に願を掛けたれども遂に其の効顕れずして、 彼は五人の子と十八人の孫を後に残して北邙(注2)一片の煙と消え失せた、 姉等の病状を報ずるときは弟の勉学を妨げんことを恐れて堅く之を秘せしも、僕は遙に之を推測せしを以て彼の訃音の来るの寧ろ遅きを怪しむばかりであった、 彼の死は深く悲しむべきも彼は此時に逝て却て幸にてありし、其後間もなくして僕が身上に落ち来りし大不幸を聞けば如何に悲惨なる最後を遂げたるならん、

僕は直に机に向て手紙を書き始めしが、時々暗涙の為めに妨げられてやっと数通を認め終りたるとき、庭前に下って咲き乱れたる草花の数片を取り之を実際に送るべき分の内に封じ込め、 母の霊前に供え呉れよと書き加え、直に戸外に出でて郵便函の前に立ち帰りて復び椅子に寄りて黙思する間もなく晩食の鈴の音を聞て食堂に下れり、僕は我身の境遇を顧みて之が為めに心を悩ます時にあらずと思い直に元気を回復した。

両三日経たる後東京より親友瀬下弁護士到着した、氏はワシントン(注3)に於ける某大学に入るの目的を以て此度渡来せられしが、休暇中暑を此地に避くるが為めに又一つには僕が此地に居るが為めに此処を目指して来りしなり、 僕は此日より「ホテル」を引払って氏と共に天幕の中に移転せり、ノースフヒールドの天幕住居、是れ北部米国の一名物である、 後には巍峨たる山を扣え前には千段の広野を眺め、松杉深く繁茂して天を蔽う処点々として散在せる無数の天幕を見る、 其天幕内に棲息する住民は何者ぞやと問えば、彼等は箭を以て獣を射る亜米利加土人の種類にあらず、箝を以て魚を刺す某地方の蛮族にもあらず、 去ればとて田を耕し草を刈る無智文盲の民にもあらず、文明開化を以て世に誇り自由平等の先駆を以て自ら任ずる亜米利加自哲人、其自哲人中に於ても数多の同族は火に焼かれ煙を吸いつつ地獄の中に苦悶するにも拘わらず、彼等少数の者其は空手空拳を掲げて夏の納涼を採らんが為めに四方八方より集り来れる天下の気楽者なり、 聞くならく此地は昔時土人の住居せる処にして、彼等は山に猟しては禽獣を得、河に入りては魚類を捕え、小屋を造て其内に眠り、皮を以て身を温め、何んの不自由なく天下太平に暮せしが、 彼のコロンブスの老翁が不都合にも大陸発見なぞと云う事を言い触らせし以来欲に目のなき茶色目が我も我もと入り込みたる其結果、憐れなる自然の持主をば追い払て此地を強奪し、而して我は文明人なり博愛者なりと威張り居るも、皆是れ優勝劣敗自然淘汰と称する宇宙の法則の然らしむるものなれば穴勝ち彼等を咎むる訳もないが此追い払われたる土人、実は我々の同胞兄弟なりと聞くときは何人と雖ども一種の感を起さざるを得ない、 是れは僕の私見にあらずして正確なる亜米利加の歴史は之を我等に語れり、即ちコロンブスの老翁以前に数多の日本人は亜米利加に渡りしことは疑なし、 併しながら此等日本人が土人と為りしや、又は土人は夫れより以前から居住せしやは今に決せられざる一の疑問なるが、 此疑問に答うるは坪井博士の領分に属し僕の敢て喙を容るる処にあらず、但し僕が見たる土人の容貌は何れも僕の面想に髣髴たり、

斯る話は暫く歴史家や人類学者に譲りて現在の天幕住民に付て一言せんに、彼等は日常何を為しつつありやと云えば、毎日深山を跋渉し枯木を引きずり来りて山を為し、夜に入れば之に火を点じて火事を欺く大火を作り、集まる子女と共に之を取り囲んで欣々然たり、 食時に後れて来りたる者は枯木を集めざるべからず、長食を為す者は枯木を集めざるべからずとは古来より伝わり来れる慣習なりと云う、其他彼等は御経を読み歌を歌い、説教を為し演説を為し、山に上り野に走る、此の如くにして夏を過ごし、夏が過ぐれば其養いたる元気を以て俗務の渦中に投ずるなれば別に損にもならざる遊と言わざるべからず、 瀬下君や僕は彼等の如く気楽に遊ぶ訳には行かざれども暫く此群勢に加りて時々腹を抱えて笑いしのみ、或る日一両の馬車を雇うてマウント、ハーモンと賞する絶景の地に遊びしが同勢六人、僕等両人の外に四人の婦人は入り込めり、彼等は驚くべくして美人にはあらざりしも賤しからざる身分の人なることは其風采と服装とに依りて容易に知ることを得たり、互に語りつつ行き語りつつ遊び、又語りつつ帰りて愉快に一日を過ごせしが、 帰る途中ふと某君の膝を見れば何ぞ計らん氏が鼠色の和製ズボンは股間少しく破綻して白色の内より現わるるものあるが故に、笑わざらんと欲するも笑わざるを得ず、 去りながら笑て事を大にするは遠来の親友を擁護する所以にあらずと思い、暫く躊躇の後低声以て之を報ずれば氏は両足を重ねて之を隠したるは一事の弥縫策とは云いながら亦已むを得ざるに出でたるものなり、 氏は当時僕を目して「ハイカラ」と評せしが、何くんぞ知らん、二年有余の後、氏は欧米を漫遊して極端なる「ハイカラ」と為りて帰朝せり。

九月に入て冷気甚だしく居るに堪えざりしを以て僕は独りニューヘブンの故郷に帰れり、

脚注

(1)
須臾 とは - コトバンク
(2)
原文では「北坊」と表記されている。北ぼう とは - コトバンク
(3)
原文では「華盛頓」と表記されている。