『洋行之奇禍』 その15

last updated: 2013-01-23

其十四

頃は十二月の上旬、黄葉は已に落ち尽して寒風木末を鳴らし、満目悽愴として孤客郷を思うの時は来れり、最早本年も余す処は僅に旬余、クリスマスの休暇も数日内に来らんとす、三週間の此休暇如何にして之を送らんかとは遠き以前より已に決定せられたる問題であった、直に華盛頓に直行して当時開会中の議会を傍聴して文明国議員の動作を見、高等法院に至りては法廷(注1)の模様を視察し、世界第一の図書館に入ては其内容を一覧し、一世の英雄米国独立の建設者ジョウジワシントンの墳墓に詣で彼が霊魂を弔い(注2)、華盛頓見物にて一週間を費し、帰途にはフヒラデルフヒヤに立寄らん、 同市には有名なる独立閣あれば自由の鐘もある、米国憲法の起草者ハミルトンの銅像もあれば十三州の代表者が侃々諤々として憲法討議を為したる建物もある、 其他歴史上の遺物、文明の制度として起りたる幾多の現象は僕をして数日の足を留めしむるに足らん、 出てや来るべき休暇を利用して聊か狭き眼界を広めんとは長き以前より抱ける予定なりしが、此予定は物の見事に外れたり、

一日天候頓に変じて恐ろしき暴風の悪魔は黄昏に乗じ白雪を提げて(注3)北国の此地に襲来し、見る見る満目をして銀世界と他せしめた、 翌朝に至れば積ること尺余、而かも尚お猛烈の勢を以て天地に狂いつつある、 昨日迄四十度を指せし寒暖計は今朝に至り突如として零度以下十度に降る、一夜にして五十度の激変、此の如き大激変は七十の老婆と雖も未だ曾て経験せざりし処なりと語れり、 十万の市民は吹き立てられ追い捲くらして為めに顔色なく、域内に戦慄して僅かに援を天に求むるのみ、僕が室内は未明より送り来れる温熱の為めに、毫も寒気を覚ゆることなかりしが家人は来り告げて、今朝は非常の寒気なるが故に内に在て食事を為し終日外出することを止めよと戒めた、 去れども寒しとて僅か十分か二十分の間、之が為めに課業を欠かす程のこともなしと思い、深く其厚意を謝し一書を抱えて直に外出した、 戸扉を開くや烈風立ろに雪を送り面を払い思わず之を閉じしが、復び之を開いて数歩を踏み出せしときは狂風雪を吹て咫尺を弁ぜず、 寒感凛然として膚を指す、人道と車道を判別する能わず、辿るべき一の足跡を見ず、漸くにして一丁許り進み行き電車を捉えんと欲せしが、 軌道は雪を以て埋められ遙か左右を眺むるも其影を認めず、已むを得ず勇気を鼓して進行を続けしが近づくに従い点々たる足跡を伝うて先ず食堂に入り、出でて講堂に至り、課業を終りたる後は図書館に退き、更に出て食堂に至り再び図書館に帰りて書見を始めたるときは身体稍々常の如くならざるを感ぜしが、 晩景に至り三たび食堂に入りて食卓に向いたるときは一境の麺麭一杯の珈琲をも口にすることが出来ない、直に出でて電車に乗し帰るや否や床中に横った、嗚呼僕は恐るべき熱病に捉えられた、

家人等は一層の親切を以て看護し、友人等は之を聞て馳せ来り、医士は日々見舞うて薬を投じた、一日二日三日経てども病は退くの模様は更に見えざりしを以て、 僕は入院することに決し之を友人に告ぐれば友人は家人と相談し家人は之に向て反対を唱えた、其反対の理由が頗る奇妙である、 其一に曰く病院に於て為す位な看護なれば如何なる事にても我等に於て為すが故に別に入院するの必要なし、 其二に曰く我等の内に居る間に得たる病気なれば是非共我等に於て之を治せねばならぬ、 而して其第三は若し入院するときは他の日本学生は家内の看護が行き届かざるが故に入院したりと思うならん(実際は左様なる事をば思う者は一人もなし)斯様に思わるることは初めて日本人を内に置きし我等に取りて此上もなき心苦しきことなりと言う、 扨も面白き理由かな、僕は必要と思えば斯る理由や区々たる感情の為めに思い止まることはなけれども夫れ程の必要とも思わざりしが故に之を中止したるが病気は依然として退かず、 トウトウ十日間の発熱の為めに殆んど絶食の有様、身体は為めに憔悴して殆んど起つ能わざるに至った、 是に於て僕は医士の無能なることを悟り彼に向て怨言を鳴らせば彼は直に薬を変えしが其効目か何かは知らざれども翌日に至て発熱大に減じて少しく食物の通ずるを覚ゆるに至りしを以て、 病後の保養の為めに或る病院に入院せしが此時に於ては家人等は喜んで是に同意した、彼等は最早彼等の責任を尽せりと思いしならん、

ニューヘブンには二つの病院がある、一つはエール大学の病院にして頗る宏大なる建築物なるが(注4)他の一つはグレース病院と称し近来設立したる私立病院にして其構造も前者に比すれば遙に小である、 僕は実に此小なるグレース病院に入院した、何が故に大学の学生にてありながら完全なる大学病院に入らずして然かも規模の小なる私立病院に入りたるかと云えば此には少しく仔細あり、 此病院には曾て二人の日本人が料理人と為りて入り込み居りしが、其頃日本学生の或る者等は彼等と親しき間柄と為り、時々病院に行き彼等に命じて西洋の日本洋理を調理させて舌鼓を為らし、 其報酬として此病院をば同胞学生に紹介するに至った、僕は不幸にして曾て一回も其相伴に与りたることなきのみならず、 此病院は市街の何れの辺に在るやも知らざりしが、遠く塵芥の場所を離れて頗る閑静なる場所に位地せることは、何つの間にやら巧妙なる紹介者の口を借て僕が耳に注入せられたるものの如し、 僕は閑静なる場所は大の好き、殊に最早別に病院医の診察を煩わし又服薬するの必要もなし、 唯々病後の保養、内に在て家人を使うは何んとなく気兼せばならぬが病院に於ては更に其憂なきが故に、 一週間を限りとして遊ぶ為めに入るべき筈もなければ友人の紹介に依て直に此病院に入ることに決した、

病院より助手一人付添て一輌の馬車が送られしかば僕は其に乗て入院した、入院後間もなく病室に入り来れる医者に向て入院の目的を語れば彼は一寸手を握て別に異条なしと云い残して去った、 其後三日間少量の薬を与えたるが四日目よりは其も止めた、僕は一週間の過るを待て退院したるが、扨此にて僕と病院との関係は全く絶えるか、否な否な、一度結びたる悪縁は容易に解けず、解けては合し合しては又解け、 遂に大害を来して人間の一生を誤ることは世に珍しからざる事である、 僕が退院せしは十二月二十八日でありしが無味乾燥なる二年目の正月元旦も過ぎ去り、クリスマスの休暇も其終を告げて再び通学せねばならぬこととなったから、 僕は家人に向て暖くなれば復び帰り来らんも冬期中は学校附近に移転するから悪しからず此意を諒して呉れよと告ぐれば、 彼等も余儀なきことと思い春になれば必ず帰って呉れよと言て堅く手を握った、僕は其れより元の下宿屋に移転したるが是れが此家の見納めとは彼等も知らず僕も気付かなかった。

脚注

(1)
原文では「法庭」と表記されている。
(2)
原文では「吊い」と表記されている。
(3)
原文では「提けて」と表記されている。
(4)
原文では「か」と表記されている。