『洋行之奇禍』 その17

last updated: 2013-01-23

其十六

入院後両三日にして熱は退き食は通じ病は去て心気復び元の如し、病を治するは頗る平凡の業なり、此平凡の業を求めんが為めに態々薬臭き此病院に入らざるべからずとは扨も不都合なる世の中かな、 夫れにしても退院の日までは尚お数日を待たねばならぬ、其間徒らに手を空くして茫然僅かに欠伸と相語るが如きは多忙なる此世に処するの道にあらずと思い、独り淋しき病室に於て何事をか始めしが、間もなくして二名の医師入り来り、容体を尋ねたるが故に、有り難しお蔭を以て熱は退きたり来る一週日に退院せんと語れば、彼等は僕が身体を検査し肋膜炎の未だ根治せざることを告げたる後に於て、或る器械を持ち来り左の肋部より少量の濁水を取り出した、 是れは決して僕に取りては驚くべきことではない、数年前に於て東京の一医者も同一の方法を以て診察を遂げたることがある、然る処が彼等は翌日来り、 更に翌々日来りて引続き三たび同一の方法を以て僕を苦めたから僕は之が為めに甚だしく疲労を来し、一週間の後に至て退院することの出来ない有様となった、空しく床上に横わりつつあれば西池氏は来り告げた、

「今医者に会ったら彼は君の肋部を切解して手術を施すと言うが君は夫れに同意するかね、実は医者が直接に君に談しても可いのであるが夫れでは君が驚くかも知れないから僕から談して呉れと云う依頼であった、僕は何事も分らないから何れとも勧めることは出来ないが君は何うする積りであるかね」

「何に僕が入院の目的たる病気は已に治ったから今更改めて切解治療なぞを受くる必要は更に感じない、 肋膜炎は十数年の昔から残って居る病気である、此病気は此儘に放任して置ても差支ないか或は又何にか治療を加えねばならぬかは未だ分らない、 仮令治療の必要ありとするも今目前に迫って居るのではないから此際斯んな場所に於て左様なる新治療を受くることは無論為さない積である、 切解治療とは一体何んな事をやるのかは知れないが其結果に依ては大変な事を起すかも測り難い、 今日左様なる危険を冒すの必要は更に無いから君医者に会ったら然るべく返事をしてくれ玉え、君の知る如く僕は二三日前に退院する積であったが医者が屡々あんな事をやるものであるから少し延びたが夫は今更仕方がない、 もう二三日も過ぐれば此位の疲労は回復するから回復次第直に退院する積である」

「左様、僕も其方が可いと思う、医者には君の言の如く伝えるから安心し玉え」

医者は何んと考えたるやらは知らざれども其後見舞に来る友人等に向って説いた、「斎藤は手術を懸念して居る様に思わるるが少しも懸念することはない、唯ちょっと左の肋部を切るのみである、一週間も過ぐれば病気も全く治って退院することが出来る、今手術を為さないと此地に在る間に復もや同じ病気にて入院せざるを得ないかも知れないから君等は能く此事を説て手術に同意する様に勧め玉え」と頻りに彼等を煽動した、 彼等は僕に向て其言を伝えたれども僕は西池氏に述べたると同じ理由にて同意を与えざりしが遂に彼等両名の医者は病室に入り来たり其内の年長者は口を開いた、

「君は手術を嫌うと云うことであるが何にか懸念して居るではないか」

「左様懸念しないでもない、如何なる結果を生ずるか分らないから、此迄屡々日本の医者の診察を受けたることあるが彼等の中にて一人とて此病に向て手術の必要を説き聞かした者はない余も亦其必要を感ぜない、 如かのみならず彼等はちょっと探りを入れることすら容易に為さない、已むを得ずして之を為すに当ても非常なる注意を以て之を為した、 然るに貴下等は引続き三回までも手荒き事を為したから僕は其が為めに非常に疲労して予定の日に退院することが出来なかった、 併し余が今度入院の目的たりし病気は已に治ったから二三日内に退院する積である」

彼は微笑を含みつつ

「君の懸念は全く無用の懸念である、少しも懸念することはない、決して悪結果の生ずる訳は無い、思い切て治療を受けた方が君の為めに得策である、今治療を為さざれば此地に滞在中復もや病院に来るかも知れない」

僕は試に問うた

「治療とは一体如何なる事を為すのであるか」

「何んでもない、ちょと此れ程切れば夫れで可いのである」

彼は拇指と人さし指とを以て三分許りの長さを示した、

「数日前にて全く平癒して退院することを得るや」

「二週間にて十分である、其前に退院するを得るやも知れざれども二週間と思うて居れば間違はない」

僕は此の一人に向て「貴方は如何に考えらるるや」と問えば彼の答は全く同一にてありしが故に然らば一考の上追て返事すべしと言い彼等をして退かしめた、彼等両人は何れも内科の医者である、実際手術を為すには別に外科の医者がある、

医者の去りたる後僕は床上に横わりつつ考えた、兎に角此病は僕に取りては一の厄介物である、此迄は差したる害も加えざりしが此から先如何なる故障を生ずるかも知れない、早晩何とか始末を附けねばならぬ、此迄日本の医者は一度も切解治療なる事を言わなかったが此病院の医者は直に之を勧め出した、 之が日本医と西洋医と異なる点にして又西洋医の優る点であるやも知れない、彼等両人は異口同音に二週間にて十分に平癒すると言い聞かせた、此言に信を置くべき値がある、 仮令不幸にして彼等の言が其儘に当らずとするも三週間、如何に長くても四週間を出づる様な事は万々無いと思わねばならぬ、 今は一日と雖ども惜むべき場合である、此から二三週間も此所に滞在するは実に堪えられない、 併しながらまだ学年の終までには大分間がある、其間の心掛に依ては此位の得失を補うことは易いことである、 而して一方に於ては多年の厄介物を全く除くことを得れば僕に取りては寧ろ大なる幸である、好し一番外科主任医に会て彼が意見を聞きたる後に於て事に依れば思い切てやって仕舞う、 痛い苦いは一場の夢である、過ぎた後は何んでもないと、斯様に考えて枕下の鈴を鳴らして看護婦を呼び外科主任医に面会を求めた、

翌日西池氏来訪して談話中に履音叩く戸を排して入り来れる者は僕が面会を求めたる外科主任医である、彼は四十の年を越ゆること三四、容貌魁偉にして居動頗る活発、刀圭家として彼の技倆は知らざれども世に云う一種の働手なるの相は明に彼が居動風采に現わる、 僕は直に前日内科医に問いたると同一の疑問を発した、

「貴下は余に向て切解治療を施さんとせらると云うことであるが一体如何なる事を為さんと思わるるのでありますか」

「夫れは何んでもない、ちょと切れば済むのである、別に懸念することも何も無い」

「御承知の如く余は或る事を為さんが為めに一定の年限間此地に滞在するものであるから此事の成効に向て妨害と為るべき事は暫く止めねばならぬが一体治療の為めに余は幾日間を犠牲に供せねばならぬのであるか」

二週間にて十分である、二週の後には必ず全治して退院することが出来る」

「夫れは確かであるか」

「オー十分確かに」

傍に在て之を聞きたる西池氏は問うた

「実は此事に関しては吾々友人等も大に懸念して居ることであるから正実なる意見を述べて貰いたい、貴下は確かに二週間にて治ることを責任を負うて保証せらるるか」

「オー十分確かに」

彼は去った、僕は西池氏と相談の上手術に向て同意を与えた。