『洋行之奇禍』 その29

last updated: 2013-01-23

其二十八

一週間も過ぎてから一友が尋ねて来た、彼は前年早稲田に在て法律を学びしことあるも其後志を変じて政治学の研究を始めた、少しは法律思想を有し又時々常識外れの屁理屈を吐くも幾分の道理心をも具え、常に柄にもなき早稲田風の駄法螺を吹くも又割合に正直な所がある、 昨年渡米して二三ヶ月前に此地に来れるが故に未だゴロツキ仲間に加わらず、厭うべき悪風にも感染せざる点が取り処である、 彼は僕と前病院の関係に付ては少しも知らぬ、独り彼のみならず僕より外には何人も其真相を知る者はない、然るに近頃甲乙丙一派の徒が頻りに何事も頑是なき新来者に向て僕が悪評を伝播し窃かに何事かを為しつつあることを見聞して怪訝の念を起し其事柄の真相を知り僕が意思を探らんが為めに僕を訪問したのである、 是に於て已むことを得ず僕は病床に横わりつつ一応事の起りから終までを話し聞かせば彼は左様なる事は今まで少しも知らざりしが夫れは実に不都合千万なる事である、僕は君の意見には大賛成であるから時があったら甲等の一派をば誡めてやろう、 又彼等が如何なる事を為すか此から注意しよう、併し夫れにしても君は斯んな処に引込んで黙って居ては非常なる誤解を受けねばならぬから何んとかして君の意思を発表するようにしては何うであるかと忠告して呉れたなれども、僕は何人が誤解を為そうが悪評を為そうが僕は少しも構わない、 其罪は彼等に在て僕には無い、僕は今此病を負いながら左様な馬鹿げた事に向て心を使うことは一切出来ない、追々と解かる時が来るだろうと答えて之を意に留めざりし、

誤解―世の中は誤解を以て充たされてある、若し何れだけ幸福を享くることを得るか、世の中に誤解と云うことなければ人間は半分遊んで食って居れる、極楽世界に住んで楽しき生涯を送ることが出来るのであるが、 誤解あるが為めに人間は働かざるべからず、苦まざるべからず、争わざるべからず、戦わざるべからず、生きざるべからず、死せざるべからず、上は国家の大事より下は人事の瑣末に至るまで其根元に遡って考うれば多くは誤解と云う二文字に帰着する、 併しながら誤解は決して悪い事ばかりではない誤解を以て悪事と為す者は未だ其一面を見て他面を見ざるものである、 誤解は時あっては非常なる善事である、人間の生存発達に欠くべからざるものなるが故に苟も経世家たる者は常に之を利用して人間の幸福、社会の進歩を計ることを勉めねばならぬ、 過去数千年の間に於て之が利用せられたるが如く未来に於ても大に之を利用せねばならぬ、大に之を利用する者は英雄豪傑の名を受け之を利用する能わざる者は酔生夢死の徒と嘲らる、 歴山の如きシーザーの如き又ナポレオンの如き何れも誤解の大利用者である、近来或る哲学者は自然造化の三代矛盾と云うことを唱えて宇宙の万物は此矛盾あるが為めに進化すと説き出した、 即ち第一には万物の繁殖力は無限である、第二に万物の力は不平等である而して第三に地球上には此繁殖する万物をば尽く生存せしむるの場所もなければ食物もない、 是に於てか相互の間に生存競争が起り、優勝劣敗適者生存(注1)の法則にて適者(注2)のみ生存して、不適者は消滅せねばならぬから何物も優者たり適者たらんことを力むるに至る、 而して之が万物の進化する根元であると斯様に説て居るが之は争うべからざる万物進化の原理なるには相違ない、 併し此原理は多くの場合に於ては誤解と称する媒介物に依て実際に応用せらるるものである、若し此媒介物なければ生存競争の勢は大に減殺せられざるを得ない、何者も敗けることを知りつつ競争を為す者はない、 之を為す者は余程の物好であるか否からざれば何にか他に目的を有する少数の者に限られて最大多数の者は左様な無益なる競争は初めより為さない此は已人の間に於ても国家の間に於ても同じ事である、 殊に戦争の如きは全く誤解が元と為って起るものである、世に敗戦の損害ほど大なるものはない、然るに敗戦者が戦争を為すに至るは、畢竟勝つと云う誤解があるからである、此誤解がなければ戦争は起る訳はない、 而して此誤解が元と為りて起りたる戦争が世界の進歩に向て偉大なる効力を与えたることは何人も争うべからざることである、学問社会の如きも誤解を以て充たされてある、 真理は唯一なり、然るに数百千の説が起るは之れ誤解を証明するものではないか、実に学問社会は誤解の鉢合せであるが、此鉢合せあるが為めに学問は段々と進歩して遂に真理に近づくのである、此鉢合、此の摩擦あるが為めに其中から一閃の光明を放って天地を照らすのである、 併しながら或る誤解は人間の為めにも国家の為めにも害ありて寸分の益なきものがある、其甚だしきものに至ては国家の存立を危くするものなるが故に、国家は之を防止するが為めに或る機関を設くることがある、 僕は之を呼んで誤解防御の機関と称す、弁護士の如きは確かに其一である、世の中の阿呆等が弁護士の職を誤解するや甚しと云うべし、 彼等は弁護士をば罪人を保護する悪者の如くに心得て居る、弁護士は決して罪人を保護するが為めに世に出たのではない、罪人は人間の敵、社会の敵、国家の敵であるから法律通りドシドシ罰してやらねばならぬ、 然るに裁判官や検事の中には盲者が在って時々罪なき者を罰し又は罪ある者を遁することがあるから左様な事を為せないが為めに吾々弁護士が其場に立会て能く教えてやり又監督してやるのである、 則ち彼等の誤解を拒くが為めに国家が設けたる必要なる機関である、吹けば飛ぶ如き碌々たる国会議員なぞよりか数等の上に位する人民並に国家の保護者である、汝等世の阿呆共よ能く此意を服膺して速に誤解の夢より覚めよ、

併しながら僕が茲に述べんと欲するものは斯る誤解ではない、此迄述べたる誤解は這般(注3)の問題には何等の関係を有せない、唯物好きにも此機会を捉えて平生の所感の一部を述べたに過ぎない、 僕が茲に述べんと欲するものは人間相互間の誤解である、人間相互間の誤解と云えば広き意味に取られては困るから、日常交際に於ける人間相互間の誤解と云えば誤解を生ずる憂もないであろう、 此誤解に付ては国家は少しも関渉しない、知らぬ顔をして一向に頓着しないから、此悪戯小僧は勝手次第に世の中を暴れ廻わって始末が付かない、 抑も誤解は二个の方面より観察せねばならぬ、一方に誤解する者あれば他方には誤解せらるる者がある、誤解を為す者は常に不幸者である、悪人を善人と誤解するも不幸、善人を悪人と誤解しても又不幸、何れにするも不幸たるを免れない、併しながら此不幸は自ら求めたる不幸である、己れの無智不明より来る不幸であるから自業自得誰を咎むる者はない、 自分で自分の頭を擲き、自分で自分に謝するより外に途はない、然る処が誤解せらるる方は左様ではない、第一に善く誤解せられたら非常に幸であろう、併し此は真の幸にあらずして偽の幸である、之を幸なりと思う者は頗る狡猾なる奴か、卑屈なる奴か、無能の奴か、臆病の奴か、又は賤むべき婦女の徒である、真正なる男子は斯る誤解より生ずる虚偽の幸福を得て喜ぶ者ではない、 敞履と共に之を捨てるであろうが今日の社会に於ては左様なる男子は一人もない、滔々なる世俗は悉く誤解より生ずる虚偽の幸福を得んが為めに日夜苦心焦慮しつつある、如何にせば虚偽の幸福を得んか、是れ十五億万の世界人類が寝ても覚めても墓場に送らるるまで脳漿を絞って研究する問題である、 嗟乎虚偽の世界!偽学者、偽宗教家、偽君子、偽政治家、偽慈善家、世の中は実に偽を以て充たされてある、 夫れから第二には悪く誤解せらるる者である、彼等は真の不幸者である、而して此の不幸者は何れの時何れの処に於ても絶えたことはない、若し之を疑う者あらば天に上り瞬間耳を欹てて下界を窺えよ、 汝は彼等の呻声を以て震動する地球の響を聞くならん、彼等の中には己れの注意の行き届かざる過よりして此の不幸を受くる者あらんも、何等の過なきのみならず却て或る者の為めに一心を捧ぐるも尚お誤解を受け憐むべき境遇に落る者は世間其例に乏しくない、 僕は今でも忘れない、十余年前早稲田の校舎(注4)に在りしとき一夜知友尋ね来る、其顔色常ならざるが故に愴惶其故を問うて知るを得たり、彼は貧生の一人、一紳士の家に食客と為りて通学せる者なるが、性質頗る硬直にして且つ勤勉、頗る有望なる青年である、 然るに何故にや同じ家の食客中に於ても巧言令色に妙を得たる他の一人は大に細君の気に入るも彼は常に疎んぜられ、遂に或る出来事の為めに細君より濡衣を負わされ、主公より放逐の命を受けた、彼は其夜より行くに家なく眠るに処なし、 僕と共に一夜を明かし翌朝より相伴うて奉公口を探したるも遂に之を見出すこと能わず、僕自身も亦嚢中洗うが如し、彼を救わんと欲して救うこと能わざりき、嗚呼憐むべき此青年をして数日の後怨を呑んで東都の天を眺めつつ新橋停車場を去らしめたるものは抑も何物ぞや、 近頃僕が一友を訪問せるとき細君が菓子を持ち来り、此は甚だ積らぬもので御座りまするが、どうか一つお摘み(注5)下さいと懇ろに勧む、 友人も亦之を勧むれども僕は元来菓子嫌いであるから之を手に取らなかった、若し好きな物なれば王公の前に於ても之を食うことを躊躇せない、 然る処が友人が一寸用事ありて室を出た間に、其内の可愛らしき腕白小児が走り来て菓子を見るや否や直に半分以上を浚えて懐中に押し込み意外の分捕品なりと喜び勇んで何れか消え失せた、 此事を知らざる友人は再び入り来て何と思ったであろうか、僕は斯様なる事をば告げるには忍びない、而かも此の如きは日常社会に現わるる千万中の唯の一例である、

李下の冠、(注6)瓜田の履とは右の聖賢が世の誤解を避けんが為めに世人を誡めたる語であるが複雑にして多忙なる社会に於ては此訓言をば其儘遵奉することは迚も出来ない、 必要あれば李下(注7)に冠を正さざるべからず瓜田にも履を入れざるべからず、他人の細君とも同行せざるべからず、死人の傍も通行せざるべからず、 然るに単に此事実のみを以て直に彼は盗人である、姦通者である、人殺しの罪人であると思われた時には其人の迷惑は言うを俟たない、 去ればとて我は盗人ではない、姦通者ではない、殺人者ではないと一々其訳を述べ立てて、とうざいとうざいと広き世界に太鼓を敲いて芝居の前触の如くに廻り歩くことは先ず今時の人間には出来ない相談と断念しなくてはならぬ、 是に於てか誤解は誤解者の腹の中に匿れて表面に出て来ない、否な時に触れ事に応じて屡々飛び出すなれども其時は已に形を変えて居るから容易に見分が付かない、 誤解の化物であると云う証拠がないから之れを捕えて打ち殺すことが出来ず、害を受けつつ其儘に泣寝入と為って仕舞うのである、 夫れであるから吾々は日常大に注意せねばならぬ、苟も人を評せんと欲せば先ず以て事実の真相を能く知り、尚お其他に其人の意見を聞かねばならぬ、 真正なる事実と意見とが揃うてから初めて人の善悪を批評することが出来る、此の要件が揃わざる前に於て人を評するは所謂妄評である、 愚者は之を為すも賢者は之を為さず、古人も片言以て訴を断ずる勿れと言て深く後世を誡めたではないか、 去れば細君の片言を聞て罪なき青年を放逐したるは主公の鼻下長を表白するものである、 李下(注8)に冠を正す者を捕えて直に盗人なりと告ぐるものは己れの盗心を曝露する者である、細君の同行者を見て直に姦通者なりと訴うる者は己れが心狭き焼餅を抛げ出すものである、 何れも其人の罪であって他人の罪ではない、愚者は之を見て嘲けるならん、識者は之を見て笑うであろう、

世の中に現わるる誤解は長々敷述べ立てたる右の如くである、不完全なる人間社会に於ては差し当り之を防ぐの道はない、是れ僕が友人に向て彼等元老等が僕に向て如何なる悪評を為すとも彼等の罪である、 彼等の愚を披露するものなるが故に僕の関する事にあらずと言て之に対して何事をも為さなかった所以である。

脚注

(1)
原文では「適當生存」と表記されている。
(2)
原文では「適當」と表記されている。
(3)
しゃはん【這般】の意味 国語辞典 - goo辞書
(4)
原文では「黌舎」と表記されている。
(5)
原文では「撮み」と表記されている。
(6)
りか【李下】の意味 国語辞典 - goo辞書。原文では「梨下の、冠」と表記されている。
(7)
原文では「梨下」と表記されている。
(8)
原文では「梨下」と表記されている。