『洋行之奇禍』 その30

last updated: 2013-01-23

其二十九

僕が病気は治らない、どうしても治らない、第二回の手術以後殆んど三ヶ月を経過するも更に治る模様は見えない、最初の入院以来已に八ヶ月を経過した、 此儘にて荏苒と日を送るときは限りがない、今は大決心を要する時である、夫れに付ては一応医者の意見を確めなくてはならぬと思ったから彼に向て病気の将来を尋ぬれば、もう一回の手術を必要とするから近日の内に其事を話そうと思って居た、 前回の時には非常に身体が衰弱して居たから一回にては迚も全部の手術を為すことが出来なかったゆえに或る部分が残してある、 今回は其部分を切り取らねばならぬと言った、アア復もや手術が、あの様な苦痛は迚も堪えられたものではない、折角骨を折て漸く此位まで元気を回復したと思うと復もや此元気を奪い取られて三たび骸骨と為らねばならぬか、 魔薬、嘔吐、絶食、狂熱、不眠、苦痛、而して後は骸骨、実に情けなき話である、併し何んとも仕様がない、為すなれば早く為して仕舞う、死のうか生きようが此際左様なる事を気遣うて居ることは出来ない、早く治れば幸、早く死ねば幸か不幸か死んだ後には何事も分らない、何れにするも之が最後の治療なるべしと心を決して恐るべき大苦痛の寄せ来ることを知りつつ然らば一日も早く手術を為して呉れよ、而して今回は思う存分に遺憾なく治療して呉れよと迫った。

時は十一月の三日、我が郷国に於ては天長節、田舎の隅々に至るまで日の丸の国旗を飜えし、君が代を歌い、聖寿の万歳を祝し、男女老若上下挙って祝杯を傾け、歓喜に舞う此目出度一年中の唯の一日、天涯万里の外に客たる同胞兄弟は多数と少数とを問わず、身分の上下を別たず、 職業の何たるを論ぜず、互に相集って其歓を共にするは一年中唯此一日あるのみ、 此の貴ぶべき目出度祝日に於て独り憫むべき天外の孤客は八ヶ月の長き間恐ろしき病魔と戦い生命の為めに争い、 身には重傷を被りて動くこと能わず、意気は消沈して復た昔日の勇なし、 彼が苦心は水疱と為り彼が目的は茲に挫折し、今や彼が行路に向て一大蹉跌の起らんとす、秋は高くして天地寂漠、遙かに窓外の天を眺むれば孤雁一声空を蹴て何れの辺にか飛び去れり、 情ある者豈に一片の感慨なくして止まんや、而かも此日の午後、僕は人間の料理場に連れ行かれて三たび俎上の魚と為った、 生か死か時計の針の廻らぬ内に、或る者は南無阿弥陀仏を唱えしならん、或る者は天に向て祈りしならん、僕は全く無心であった、

此より一ヶ月余は全く面会謝絶、唯時々に医者と看護婦の顔を見るのみ、十二月の中頃に至り初めて病床を下りて試みに傍の椅子に腰掛けたが直に床中に匐い込んだ、 其より数日の後に病院内の教会にクリスマス祭の飾付が出来たから連れ添うて見に行こうとの看護婦の勧に依て漸く杖に倚って長き廊下を歩みしが、 其日より毎日力めて院内の散歩を為し、正月の元日には三たび元気を回復せしもアアアア僕が病気は遂に治らない、

東京の親友たる同業者の一人より書面が来た、此は僕が二月以前に彼に寄せたる書面に対する尤も必要なる返事である、 僕は予て前病院との関係事件に付ては種々の方面より道理を研究して自分の意見を作り、此意見を貫くが為めに取るべき方法を定めた、 而して此意見并に方法は決して誤らない、僕に取りては尤も正当にして決して識者の批難を受くべきものでないと確信した、 併しながら此は僕一己の意見である、而かも直接の被害者として尤も激したる僕一己の考であるから或は偏する所あるやも知れず、 若し万一にも些少たりとも偏する所あれば其偏する部分のみは、僕が過と為りて残らねばならぬから此際他人の意見を聞くことは尤も必要なる事である、 事小なりと雖ども之を忽にすべからざるが故に此事件に付て何等の利害関係なく冷静にして公平なる他人の意見を聞けば或は僕が考に向て多少の修正を加うることあるやも知れずと思い付いた、 然る処が悲むべし此地に於ては左様なる意見を求むるに足る者は一人もない、僕が親友等は已に去って再び帰らず、 二十余名の同胞等は亜米利加ゴロツキにあらざれば新来のホヤホヤにして法律思想を有する者は一人もなく、経済や哲学や宗教の端を噛る連中ばかり、 此等の人々に向て法律上の観察を要する活問題に対して意見を求むるは唯に無用なるのみならず有害の結果を生ずることは疑なし、 此は甲乙丙等の言動に付ても十分に証明し得らるべく又無理ならざることである、 是に於てか已むことを得ず書を万里の親友に飛ばして其意見を求むることに決し、事実の詳細と僕の意見并に取るべき方法を認めて東京の一友に送りしは十月の末、最后の治療の数日前であった、 彼の返書に依れば彼は僕の書面を見るや非常に驚き、直に友人数名を会して熟議を凝らしたるが何れも僕の意見に賛成である、一点の批難すべき点を見出さないから思う存分に為さんと欲する事を為すべし、 併しながら病気に差障を起さぬ様に注意することは親友一同の熱心に希望する所であるとの趣旨であった、 僕は此書を読み終て思わず数滴の熱涙を落した、嗚呼足下には我を害せんとする同胞あり、万里の外には我に向て満腔の同情を寄する親友あり、

彼が僕の書面を見て驚きたると同じく僕も亦彼の書面を見て大に驚き暫し茫然たる有様であった、彼は数年前、一の国家問題に付て僕と共に奔走尽力したる一人なるが其問題は未だ落着を見ざるに早くも已に反対派の為めに注目せられ讒誣中傷は変じて虚偽の告訴と為り憐れむべし彼は一時縲絏の禍を受くることとなった、 幸にして青天白日の身と為りたるも之が為めに被りたる不幸の跡は滅せんと欲するも滅する能わず、長く彼が身辺に止って終生の行路を妨ぐるならん、 人心の恐るるべき茲に至て復た言うに忍びざるなり、然るに又不思議なるは其後一念を出でざるに其害悪の主動者たる某は国家に対する尤も忌むべき汚名を被むりて立ろに社会上に於ける死刑を宣告せられ、何れに影を匿したるや沓として更に声なし、天に目あり地に耳ありとは夫れ真なる哉、

一日嚢日の友人尋ね来れり、彼は其後甲某等一派の元老等が天下其意の如くならざることを憤り、思も寄らざる虚偽の事実を構造して之を伝播し、甚だしきに至ては聞くも忌まわしき所業を為して反間苦肉の策を施して以て賤むべき彼等の盲心を遂げんが為めに学事を忘れて日夜狂奔しつつあることを伝えた、 然れども其事たるや余り馬鹿馬鹿しくして士人は耳を蔽うて之を聞かず凡人は之を聞て嘔吐を催す独り之を口にして愧じざる者は天下広しと雖ども彼等少数の元老あるのみ、 僕も亦此の如き陋事を以て此書を汚すことを欲せざるが故に、永く之を地中に埋葬して再び天日を拝する能わざらしむることとせり、 唯々茲に特筆大書して永く元老歴史を飾るべき一事あり、これは(注1)他の事にあらず、彼等は之が為めに特に臨時日本人会を召集し議員を買収して何事をか為さんと企でたるも、罵詈嘲弄の声に埋没せられて演壇に立往生、豆鉄砲を食いたる鳩ならで、 きょろきょろと眼球のみを動かして暫し茫然たる其末は一同袖を列ね戸扉を排して何れの処にか消え失せたり、出で行く先は何れの処ぞ、最早此場合に於ては袞籠(注2)の袖に縋がって我等の声を遂ぐる一途あるのみと、 道すがら何事をか語りつつ学校の構内を通り抜け、其名も高き高町を横ぎり時も過ぎたる楓町を遡れば街の両側には巍峨として天に聳ゆる荘厳なる建物あり、 是れ国王殿下の宮殿にはあらずしてエール大学二百年祭の記念物なり、此より斜に傾きたる坂路を上ること数丁にして右には小丘を扣え左には市街の一角を見下し、幽静にして閑雅なる処賤しからざる一棟の家屋を見る、 是れ小日本国国王殿下の宮殿にして彼等一部の臣民等は毎週の初めには必ず相携えて此処に伺候し、皇后殿下より下し賜わる一杯の珈琲と一个の菓子に舌鼓を打ち鳴らし、 有り難き御言葉を頂戴しては涙を流し、片言雑りの破れ英語を話しては其場を濁し、屡々時計の針を眺めて其一転を遅しと待ち受け、狗鼠狗鼠と退殿するとは扨又憂辛き勤とや云わん、 今や彼等は宮殿の玄関に立て呼鈴を押せば応と声を掛けずして静々と出で来り、内より戸扉を開くは宮女の一人にはあらずして、此家のおさんなり、 恭しく帽子を取りて叩頭平身すること約三十分、而して後に恐る恐る内を開いて国王殿下に拝謁を申し出ずれば暫く此処に扣え居れよとの一言を残し大尻を振り立てて奥の一間に入り行きて殿下に其由を通ずれば、終日書斎の中に閉じ籠り国家の政事を打ち捨てて一生懸命に宇宙の真理とやらを考えらるる学者殿下は、 はて不思議かな、時ならぬ時の面会、扨も夏蝿き奴共であるかな、何は兎もあれ通して置けとの仰に畏まりて再び出で来るおさんに導かれて客間に入り込み、落付かぬ尻をば椅子に掛けて、ほっと一息先ず無事に此処までは漕ぎ着けたが此から先が肝要と相互に顔を見合せて胸はどきどき躍るが如し、 今か今かと咽を鳴らして待てども待てども珈琲も出でねば菓子も来らず、扨は今日は皇后殿下は御不在か否らざれば御不快に亘らせ玉うならんと心に思えど顔には出さず、ぼんやり手を拱して黙然たる有様は見るも憐れを催すばかり、 天に声あり告げて曰く、皇后殿下は御不在にもあらず又御不快にもあらざれども汝等不時の来訪者に茶菓を供するは国家経済に関するが故に、見て見ぬ態、知って知らぬ顔を為すは太古以来此国の法度なり、 汝等賤坊共能く此意を体して決して人を怨むこと勿れと、 忽ちにして聞ゆる履の音、戸を開いて入り来るは是れぞ彼等が常に崇拝する、日本国の国王殿下なり、年の頃は六十を超ゆること三四、頭髪雪を帯びて鬚蓬々、一見して世事に暗き国王なることを知るべし、 彼等は殿下を見るや愴惶椅子を離れて三拝九拝百拝、首を縮め腰を曲げ、其一人は恐る恐る御前に進み声を慄わし破れ英語を以て言上して申さく、 臣等三名の者共時ならぬ今日此頃罷り出で殿下を煩わし奉るは余の義にあらず、 此度某なる者新進の分際を以て高慢無礼、国憲を無視し国法を蹂躙し、稍もすれば政府を顛覆せんとするの傾あるが故に、臣等身元老の位に在りながら袖手傍観、座して国家の危きを視るに忍びず、身命を犠牲に供して彼に向て苦行、勤言至らざるなし、 然るに何んぞや彼れ謀叛者は徒らに屁理屈を述べ立てて臣等の苦行を顧みず臣等の勤言を耳にせざるのみならず、傍若無人の振舞を以て臣等国家の元勲をば冷笑し罵倒し攻撃し追窮して遂に臣等をして一語を発する能わず、 手を空くして退かざるを得ざるに至らしめたり、是に於て臣等は国民の輿論を喚起して彼を圧倒するに如かずと思い、非常召集の令状を天下に配布し本日臨時議会を開きしが出席議員無慮十有五名、 甲君は壇上に立て懸河の雄弁を振い滔々数千言述べ去りて百姓議員や町人議員乃至青二才の木の葉議員をば吹いて吹いて吹き飛ばし、 一言半句の根も出させず、絶体絶命に盲従させんとは臣等前日の計画にてありしなれども此計画は物の見事に外れたり、彼が壇上に現わるるや忽ちにして罵詈嘲弄の声は四方に起り、滔々数千言の夫れならで漸くにして片言数語を放ちたるも彼等餓鬼共の耳に入りたるや否やは毫も顧みるの暇あらず臣等は議場の紛乱に肝を潰し魂を奪われ命からがら走って此所に駆け着けたり、 嗚呼敬愛なる国王殿下よ、天下の議員は共に国家の事を謀るに足らず、天下を乱る者は天上の青二歳なり、事茲に至て臣等の取るべき道は唯一あるのみ、 仰ぎ願くは殿下特に使を遣わし殿下の御威光を以て彼れ天下の謀叛者をば一言の下に屈従せしめられよ、 今日国家の危急を救い臣等元老の地位をして泰山の安きに置くは此一策を除きて他に求むるものなし、 殿下願くは臣等微衷の存る所を察し臣等の願を採用あらせられ賜え、アーメンと一同頭を上ぐれば殿下は椅子に凭れて白河夜船、夢に仙境に遊んで未だ帰らず、

数日過ぎてから思いがけなき二人の勅使が到来した、見れば風変りの勅使よな、前触もなければ護衛もなし、馬にも乗らず馬車にも乗らず、羊羹外套に禿げ帽子、ボコボコ履にてお拾い足とは扨も恐縮千万なる次第である、 思うに草莽の臣某、遠く異郷に存って長く病魔の為めに苦められ弱り果てたる其有様は天の御声に依て雲深き九重の奥までも伝えられ、 民を見ること赤子の如く、貧を救い病者を憐れみ、慈愛博愛を以て雷名世界に轟ける小日本国王殿下は、臣が病状を聞召され、長の歳月身命を投じて国家の為めに研鑽(注3)したる功労をば賞みせられて、恐れ多くも御見舞として一人ならで二人までも勅使を差し遣わされ、生魚百匹菓子千折を下し賜う、ああ有り難たや忝けなや、 我は此場に於て死すとも更に遺憾なしと、直に病床を下って斎戒沐浴、以て勅使を奉迎すれば何んぞ計らん此れ如何に、 下し賜う物は菓子や生魚の夫れならで、意味も分らず、訳も分らず、トンチンカンの古寝言、之を聞きたる病人は憤然として怒るは男子の能事にあらず、冷笑を以て之を迎うるは亦丈夫の愛嬌ならんと早合点を定められたる後、 徐ろに之に答えて言えらく、某事は大日本帝国の臣民にして小日本王国の臣民にあらず、天に二日なし忠臣は二君に事えず、某は大日本国皇帝陛下の命令に服従する義務あるも小日本国王殿下の命令に服従するの義務あることを認めず、 御気の毒だが此命令は此儘に御持ち帰りを御願い申すと、事を分けたる挨拶には流石の勅使も二度の口をば開き兼ねスゴリスゴリと立ち帰れり、是に於てか元老埋葬事件は全く終を告げ世は青二才の跋扈する時代とは為れり。

脚注

(1)
原文では「开は」と表記されている。
(2)
補袞とは【ほこん】2009年06月25日 更新 - 意味・解説 : 考古用語辞典 Archeology-Words
(3)
原文では「献賛」と表記されている。