『洋行之奇禍』 その33

last updated: 2013-01-23

其三十二

明治三十七年三月の一日、是れ入院の一週年紀、昨年の今月今日僕は入院した、爾来一年後の今月今日僕は此地を去て郷国に帰らんとす、 恐るべき病を負うて四週間の慣れぬ旅途に上らんとす、医士は危険を説いて中止を警告し、看護婦は病状を察して医士の言に従うべしと勧め、友人は亦大陸横断の困難を説き病者独旅の不能なる事を警めた、 然れども僕は僕の独断を決行せねばならぬ、僕が決心に依て動かねばならぬ、未明起き出でて窓外を眺むれば時ならぬ障害は紛々として飛散し一夜の間に満目銀世界と化した、此はと驚くも詮なきこと、荷物は昨日已に停車場に送れり、宿の者には一番汽車にて出発するから室鍵は机の上に残し置くべしと告げたれば一人も起き来る者はない、 扨々支度を整え一個の手鞄を提げて二階を下り戸外に出づれば雪風一陣面を払って思わず身震せしも躊躇すれば時に後るるの恐あるを以て急ぎ足にて歩むこと一丁にして四辻に立てば朝来未だ人馬の往来するものなく遙かに電車の隻影を認むるのみ、 暫く待ち受けて之に跳び乗れば半時間経ぬ内に停車場に着いた、荷物運送の為めに少しく免到を見しも之も難なく切り抜けて時計を見れば七時までにはまだ二十分の間がある、 待合に入て腰掛くれば傍の一人は日本に帰って戦争に行くかと問うた、否と答えた後は彼は暫く眼を閉じた、

嗚呼此停車場、顧みれば僕が始めて此処に着いたは一昨々年の八月であった、当時僕は如何に有望であったか、前途に向て何を眺めつつあったか、僕は唯一の希望の為めに長旅の疲れも忘れて居た、炎天の暑さも覚えなかった、東西も分らぬ土地に於て、何れを見ても毛色の変った人間ばかり、 見る物も違えば聞く事も違う、慣れぬ初めての此地に於て、生れ故郷より千万里を隔つる此場所に於て、知った者とては唯の一人もなかった、僕は屡々マゴついた、 屡々気を痛めた、屡々失策した、時には値もなき者等に笑われたこともあった、東京に居れば書生や下女を使って抱え車に乗って、何に不自由なく威張って暮らして居れるに此地に来てから何れ程の不便を感じたか、 何れ程の不快を感じたか、誰も斯んな土地に来て左様な日に遇えよ頼む者は一人もなかった、何も蚊も僕自身が勝手に為したことである、僕自身の心から出たことである、唯一の希望の為めに、唯一の目的の為めに、

僕は屡々此停車場に来た、大学二百年祭の時に大統領を迎えたは此処である、日本よりの珍客伊藤侯鳩山博士等を迎えたは此処である、其他数多の友人は此処に於て迎えられ此処に於て送られた、而し僕は此処に来る毎に未だ曾て一種の想像を起さぬことはなかった、十年以前早稲田の里に在りし時、人を送って新橋の停車場に行く毎に僕は必ず一種の想像に打たれたが其と此とは実に能く似たものである、 形こそ異なれ其性質に至ては全く同じものである、而して其想像は柄にもなき空想ではなかった、夢を見て居ると笑われるべきものでなかった、僕の力にて十分に成し遂げらるべき一の仕事であった、 新橋停車場の想像は間もなくして事実と為って現われたが此停車場の想像は如何に為ったか、 僕が希望は今何づくに在るか、僕が目的は何処に何うして居るか、僕は今郷国に帰らんとするのである、 恐ろしき病を負いつつ、非常なる危険を冒しつつ、文士をして書かしむれば何んと書くであろうか、詩人をして歌わしむれば何んと歌うであろうか、嗚呼人間の運命ほど不思議なるものはない。

がらんがらんと大鈴の音に驚かされて急いで汽車に乗り込めば汽笛一声長蛇は動き出した、窓外遙にニューヘブンの天を眺むれば寂として声なく唯だ降雪の紛々たるを見るのみ―左様ならニューヘブン、縁があったら再び……

午前九時に紐育の中央停車場に着きしが名に負う広大なる停車場も人の群を以て充たされてある、 右に急ぐ者あれば左に走る者あり、汽車に向う一群、汽車より出づる一群、其混雑は新橋停車場に百倍である、此処に於ては種々の免到を見なくてはならぬ、第一にはシアトル迄の切符を買わねばならぬが、此切符は停車場に於ては売らない、 一里余も離れたる鉄道会社まで行かねばならぬ、紐育には日本人の為めに汽車や汽船の切符を周旋する二三の同胞あれども何れも亜米利加ゴロツキの甚だしきものにして、委托金を費消して慣れぬ旅客に不慮の災難を被らしむること屡々であるから決して彼等に托してはならぬ、 自ら行て買うの外はないとは或る者の注意であった、雪は止んで雨は粛々と降り出した、電車の助を借て漸く此免到を済ませば次に来るは荷物の処分である、 前の停車場に於て一個の皮箱トランクは手荷物と為すことを得たれども他の二個は運送会社に托することとなりしが、此二個は僕と共に停車場に着くと思いの外一里以外の会社に留められてあることが分った、 此より行て之を取り来らねばならぬ、何んたる不都合なる免到であるか、致し方はないから一輌の馬車を雇うて之と共に会社に行けば会社も亦大混雑、幾百千の荷物中に於て僕の物は何れへ転れ込んで居るやら更に見分が付かない、 漸くごたごたの間に仕事も済ませて再び停車場に帰り運送掛に之を托すれば荷物は格外の重量を増し七十五弗の特別運賃を要すと言う、 斯るものは致し方なしと直に之を払てやれば更に皮帯を以て緊めざれば途中破壊の恐ありと告ぐ、 此も人足を雇うて果さしめ、ヤット一先ず仕事は片付きしが時計を見れば二時、六時の発車時刻までにはまだ四時間ある、非常に奔走して少しく発熱したる故にや大に渇を覚えた、 未だ昼食も済まないから直に停車場内の食堂に入て、アイスクリームもパンも肉もごちゃまぜに喉に押し込みしが今一つの免到は繃帯の取変である、 昨日の午後より之を取り変えないから最早其時刻である、医者は何処に在るだろうか、何んぼ亜米利加でも停車場内に医者の出張所はないから出でて捜さねばならぬが夫れも一向に当途はない、 人に向て僕が行く医者は何処に居るかと問えば人は面白がって笑うならんも僕は笑われ損にて実に積らない、兎に角まだ時間もあるから出てみようと思って出ることは出たが、雨は降る寒さは寒し、医者の看板は何れかの方面にも見えないから余儀なく(注1)引返して六時の時刻を待ち受け難なく汽車に乗って先ず一安心、此から六昼夜は汽車往生、

米国の汽車は日本のと比ぶれば余程広大にして動揺が少ない、殊に寝台附の列車は百事頗る程好くして且つ便利である、僕は直に体温器を取り出して熱を計れば少しく高まれども格別の事もない、 繃帯が気に為れども手の着け様がない、其夜は早く寝台に横わりて翌朝未明に汽車がバッファローに着いた時起きて繃帯を見れば半ば湿って最早一時も猶予することが出来ない様になって居る、 是に於て已むことを得ず用意の諸道具を取り出して自ら試みんとせしが左の肋部の傷であるから自分にて見ることが出来ない、 幸に寝台の傍には一の鏡が懸けてある、而して寝台の前には幕が垂れて誰も中を見ることは出来ないから聊か都合が宜し、 忽ち鏡に対して剪刀を以て繃帯を切り去り、古き物を取り出して之に窓外に抛げ棄て、新しき物を詰め込んで自ら繃帯を掛けしが其免到言いん方なし、 併しながら喜ぶべきことは兎に角人の手を借らずして自分にて始末が付く、シアトルに着けば医者も居る、汽船に乗り込めば船医も居るから此から五六回の辛抱、其位の事が出来ない筈はないと思うて稍々安心し毎朝此方法を以て自ら手当を為した、 二日目の深更に市俄古に着せしが此処は汽車の乗換には頗る不便なる場所である、 次に乗るべき汽車は十数丁も離れたる別の停車場より出るから其処まで馬車にて送られば汽車延着の為めに次の汽車を捉うること能わずして翌日の午後五時迄当市の滞在せねばならぬ、僕は直に宿屋に投じた、

当市には一友あり、僕は是非其彼に会わんと欲せしも自ら訪問すること能わざりしを以て急ぎ一書を認めて投函すれば発車時刻に三時間の前に於て彼は走りて室に入り込んだ、彼は七八年前に僕が某博士の事務所に在るの時其内の書生の一人なりしが、 性来事に熱心にして且つ神経質なるが故に時々我輩食客弁護士の命令権に抵抗して仲々自由に働かない、舌頭を以て彼を責むれば彼れ亦舌頭を以て之に答え、鉄拳を振って彼に報ゆれば彼れ亦鉄拳を以て之に応ず、 何んとも蚊とも手に合わざる書生なりしが僕は常に彼を悪まず、聊か気骨ある処は寧ろ愛すべき書生なりと思いしが、 僕が事務所を去ると間もなく彼も去って人知らずの間に僅かなる旅費を懐にして渡米を企てた、 僕が始めて桑港に着せし時に彼は突然訪い来て僕を驚かせしが昨年此地に来て某大学に学びつつあることを報ぜり、 固より労力を以て学問を買う貧書生である、僕は当時彼が如何なる苦学を為しつつあるかを考えて実に同情の念に堪えなかった、 今や彼と同時代の青年は判事と為り弁護士と為り妻を持ち子を作りて気楽に暮せども彼は独り外国に在りて何事をか為しつつある、 人間早く小銭を儲け妻子の顔を見て喜ぶが豪い者なれば彼は僕と共に人間の屑である、彼は僕を停車場に送りて食事を共にし沢山なる果実を買て車内に持ち来れり、僕は厚く之を謝して互に健康を祈り緊く手を握って別れしが窓外を望めば茫然立て隠れる汽車を眺めつつありし、僕は之を見て俄然一種の感に打たれた、

翌日セントポールに着し混雑の間に乗換を済ませた、サア此から二昼夜モー乗換はない、此儘にて明後日の夜はシアトルに着く、シアトルに着けば乗船までは二日の間があるから十分に安息することが出来る、何に医者の警告も一向に当にはならない、 病院に在て薬臭き空気を呼吸して居るよりか外気に触れた方が余程心持が好い、 思い切て出立したのは自分ながら能く出来たと思いつつ此より文明の利器は憐れなる万里の孤客を載せて千里の広野に向て奔り出した、 窓外を見渡せば眼界限りなし山も無ければ家もなし、宛然たる大砂漠は一面に薄雪を以て蔽われ雲の如く海の如く其壮観云わん方なし、実に亜米利加は大なる国であるかな、

旅客は婦人多くして例のお喋りにて聊か心の静事を害せられた、或る婦人は二人の少年を連れて五百哩の外に獣猟に行かんとす、米婦人の元気には驚くの外は無い、 彼は傍に来て日本に帰て戦争に行くか、戦争の話を為して聞かせよと言う、僕は日本には常備兵の設あり、戦争は彼等の職務にして一般の人民は直接に戦争には関係しない、此国の如く戦時に当て義勇兵を募集するとは訳が違う、 又僕はお前が読むと同じ此国の新聞ばかり見て居たからお前が知るより外の事は差当り知て居ないと答えて成るべく談話を避けた、 或る老人は一枚の写真を出して僕に示したが見れば可愛らしき三匹の狆である、而して彼は語り出した、 自分は数年前に日本に居た時に二匹の狆を買て帰ったが此等は皆其子である、私は此三匹に日本の名を付けた、第一に富士の山、第二に横浜、而して第三は吉原と言って異様なる目付をなして僕が顔を覗いた、 吉原とは一体何んであるか、僕は在米中屡々外人の口より此名を聞いた、新聞雑誌或は著書の上に於て時々此名を見た、彼等は日本の道徳を論ずるや忽ち此名を口にし此名を筆にして憚らない、 日本の道徳は此名の為めに非常なる誤解を受くることは事実である、識者は一省せねばならぬ、又或る婦人は名刺を出して之を日本文字にて書て呉れよと言う、見ればミセス、マーズと書てある、マーズとは日本文字にて書き方がないから馬頭夫人と書いてやったら彼は有り難がって大に礼を述べた、そうすると他の婦人連が続々と名刺を出して私も私もと頼んだなれども一として日本文字にて書き得るものはない、ミッス、ベーレーには無礼嬢と書き、ミッス、リョーケンには猟犬嬢と書き、其他之に類する文字にて盲目共を胡魔化し付け夏蝿き彼等に立退を命じた、 一人の娘は加藤松と云う人を知て居るかと尋ねたから僕は知らずと答うれば彼は其人は日本の貴族の娘にて先達紐育の富豪モルガン氏の甥と結婚せりと話した、其事なれば僕も一寸新聞にて見たことありしが帰りて之を或る者に語れば加藤某なる者は京都辺の賤業帰であると云うことである、 日本貴族の令嬢達は米国に於ては賤業婦に依て代表せらる、至極結構なる代表者、大に喜び安心して可なり、曾てニューヘブン市の図書館に日本の彩色写真を百枚ばかり掲げたから行て之を見れば芸者の手踊には日本令嬢の舞踏会と書き又彼等の会食には日本令嬢の晩餐会と書てあった、日本令嬢たる者大に奮起して其寃を雪がざるべからず、

六日の午後に至て汽車はカスケード山下の某停車場に着いた、モー此から八時間思い返せば二年以前僕が一友は帰途此山中に於て一編(注2)の長文を認めて僕に送り日本に於ける家庭改良の必要を説いて彼が帰朝後の目的を告げしことは前に記載せし所であった、 当時僕は帰路を欧州に取る積なりしが故に此山を越ゆることは夢にも想像せざりしが測らざる出来事の為めに今日此山に遇うことは不思議の縁とや云わん、見れば巍峨たる山嶺は高くして雲に聳え、松杉繁る処雪尚お深く奔流巌に触れて砕けて声あり、 アア文明の利器、如何にして此山を越すかと茫然として窓外を眺めつつありしが時は過ぐるも汽車は動かず、乗客は囁き始めた、車掌は来れり、何故かと問えば雪崩の為めに進行する能わずと答う、 何に雪崩なれば訳はない、三十分間か一時間にて排除することを得るならんと平気は構え居りしが一時間、二時間、日は暮れても動かない、とうとうモー一夜汽車中に眠らねばならぬこととなったが、是も面白い、 睡眠中の旅行は旅行の長きを覚えず、眠って険山を越ゆるが如きは文明世界の人にあらざれば為し能わざることである、明朝夢覚むれば身は已にシアトルに在りと思いつつ寝台の上に転れ込めば何んぞ測らん忽ちにして真の仙境は現われた、見れば嚠亮たる音楽の響に連れ添うて花を欺く無数の天女は手を揃え足を揃えてフラリフラリと踊り始めた、 或は高く或は低く、或は遠く、或は近く、忽ちにして赤忽ちにして紫、忽ちにして七色忽ちにして十色、ああ何んたる奇麗であるか、あの顔、あの目、あの口、あの手、あの足、あの腰、あの踊り様の柔軟なること、 二年以前に紐育座にて見た踊にすっかりである、あの世界空前の美と囃されたる天女踊に、否な否なあれより奇麗、十倍も奇麗である、ああ面白いと思う瞬間にパッタリ光は消えて天女は形を隠したると共にフト眼は開いた、 ああ我は夢みしか、我は夢に仙境に遊びしか、併し音楽の響は如何に、あの響はピアノの音である、此山中にピアノの音がする筈はない、 まだ夢は覚めないであろうか、否な全く覚めて居る、女の声が聞ゆる、はて不思議、実に不思議、而してあの響あの声は直ぐ間近である、此汽車の中である、此夜中に何者が悪戯を為すであろうか、乗客の安眠を妨ぐる不都合なる奴である、 何は兎もあれ見届けてやらんと折角脱ぎたる衣服をば引き掛けて窃に幕外に出づれば何んぞ測らん十人許りの娘等が車中の食堂を片付けて舞踏の真似をやって居る、 何処から持ち出したか手琴を弾じつつ、呆れ果てたる御転婆娘と叱り付けてやりたかったなれども暫く扣えて再び床中の者と為った翌朝眠が醒めて、やれ嬉しやシアトルに着いたかと跳ね起きて窓外を見れば此は如何に、汽車は相変らず元の場所、呆れて語も出でざりけり、

漸く十時頃に至り先方より一列車が送られた、乗客一同は大混雑の中に雪の山を越えて之に乗り移れば間もなく汽車は動き出して先ず安心と思いしが窓外を見れば安心どころではない、危険危険、実に危険極まる有様である、右に聳ゆる断崖絶壁に積れる深雪は吹き来る春風に惰眠を催し今しも頭上に落ち掛らんとし、 左を見れば千丈直下の激流は岩に触れて虎狼の咆吼するが如し、一歩誤れば千百の生霊は微塵に砕けて憐れ果なき最後を遂げねばならぬ、 而かも列車は甚だしく左方に傾いて隻手の力を以て之を谷底に投ずるに足るべし、 ああ何んたる危険なる鉄道であるか、折しも果然一発の轟声耳を破て汽車は顛覆せしかと思うばかりに激動して電灯のホヤも窓の硝子も滅茶滅茶に壊れ落ちた、乗客一同は思わず座を起て跳び出で(注3)しが見れば機関車は山腹より転げ落ちたる雪崩の為めに其形を隠した、 扨は大変な事が起った、此はもう駄目であると思いしが、人足の非常召集をやって数時間の中に之を掘り出し、夕景に至て再び進行を始めしが夜中山頂を過ぐると数丁にして三たび進行を止められた、 車掌室に跳び込んで何事ぞやと問えば今度は雪崩にあらで土崩なりと言う、何時に出発するやと問えば迚も分らないと答う、ああ弥々駄目、とうとう明日の汽船は取り遁した、残念やな、併し此も仕方がない、 僕が一人如何に気を揉んだとて汽車が動く訳もなかろう、シアトルに着いた上にて一考すべしと思いつつ復もや床中に転げ込んだ、翌日午后に至り再び乗換を命ぜられたるが今度の乗換は非常なる困難事業、雪の山や土の山、駱駝の背の如き険しき道をば乗り越えて十数丁の歩行を要す、而かも手荷物を持て呉れる者は一人も居らない、 此に至りて米人は仲々元気が強い、奇麗なる婦人も両手に荷物を提げて、さっさと進んで行く、僕と雖も平生なれば此位の事には少しも後れを取るものにはあらざれども、 此病体に加うるに左手は使うことが出来ない、然るに三個の手荷物、如何にして之を運ぶことを得るや、僕は捨てたくなったけれども夫れも出来ず已むことを得ず種々の工夫を凝らして此難業苦業を果たしたるが之が為めに病状に故障を生ぜざりしは先ず以て幸と思わねばならぬ、三たび汽車が進行を始めたるは午后四時頃なりしがシアトルに着して時計を見れば当に是れ夜中の十時、急ぎ馬車を駆って宿屋に入るや否や伊予丸は出帆したかと問うた。

脚注

(1)
原文では「余義なく」と表記されている。
(2)
原文では「一扁」と表記されている。
(3)
原文では「出ぜ」と表記されている。