『洋行之奇禍』 その35

last updated: 2013-01-23

其三十四

伊予丸は米国義勇看護婦と為りて我病傷兵を看護せんが為めに日本に来れるマギー夫人の一行を乗せて帰る予定なりしが彼等は僕よりか一日遅れて紐育を出発したるが為めに通常なれば間に合うなれども雪崩の為めに妨げられて遂に此船を捉うること能わず、 夫れより桑港に出でて外国船を待ち受け僅かに一日の違の為めに三十日も後れて日本に到着せり、

ごろごろと錨を捲く音が聞えたが暫くすると耳を劈くばかりに汽笛を鳴らした船は動き出した、弥々出帆したのである、此から二十日の間、死ぬるか生きるか一に運命に任かせん、 我に如何なる出来事の起るとも一歩も退かない一秒時間も休まない、渺茫たる大海原に逆捲く浪をば押し分けて矢の如く進み行く物は汽船と名の付く文明の利器である、 万里の海も千里の海に、百里の大河も十里の小河に、広き世界も狭き世界と化せしめたる物は此利器である、 東の涯より西の涯、南の端より北の端、自由自在に飛び廻り、アア世界は狭いもの、せめて百倍も広ければと、我が身の事は棚に上げて世界の狭きを嘆ずるものは此利器である、 然れども僕は元来山家育ち、斯る利器は大嫌い、此さえ無ければ西洋の奴等も東洋には来ない、東洋の者等も西洋には行かない、 僕も洋行をしない、病気も起さない、日本は今しも依然として昔の有様、チョン髷を結んで布衣を着て、コロリコロリと木履を引きずり、天保銭一枚にて買い取りたる扇子を振り舞わして、豊年豊年、五穀穣々、国家安穏、息災延命と腹鼓を為らし泰平楽を歌うて、団子を食いつつ濁酒に酔いつつ、町内村中を踊り廻って娘子を相手に半分遊んで暮せるのであるが、 唯々此利器あるが為めに世の中は頗る変調を来さねばならぬ、西洋の暴れ者等が遙々と東洋に来て種々の難題を持ち込む、 東洋の猿猴組が西洋に出かけて有らん限りの真似をする、是に於てかチョン髷は切らざるべからず、布衣は脱がざるべからず、木履に捨てざるべからず、 我が身の曲がれるに気付かずして真直なる衣服を纏い、我が首の短きを忘れてハイカラを飾る、ボンネットはお多福面には不似合なりと雖も彼等は之を冠るに於て躊躇せず、 皮履は打ち出(注1)の小槌には適せずと雖ども彼等は之を穿て欣々然たり、手を以て踊るは蛮国の習、文明の人は足を以て踊る、是に於てか舞踏の名あり、婦女子の弱きを助けざるは蛮民の常、文明の男子は却て彼等を敬す、 是れ男女同権なる語の因て起る所以なり、交通機関は発達せり、世界は頻繁と為れり、生存競争は激烈と為れり、我は生存の為めに働かざるべからず、 国家は生存の為めに戦わざるべからず、遂には隠謀と為り、強奪と為り、戦争と為り、殺人と為る、其因づく処を尋ぬれば皆是れ汽船と名づくる悪戯者の仕業である、人間をば小才子にするも此悪戯者、悪者にするも此悪戯者、滑稽世界を造り出すも殺風景を現わすも皆此悪戯者の仕業である、

再び言う、僕は山家育ち、船は元来大嫌い、木の葉の様な小舟に乗て品川沖に出ても直に船暈を起すからである、 三年以前初めて此海を横ぎりし時は三昼三夜船中の乾干と為ったが此度は此位な事では済まない、 海は荒し、病は重し、気候は寒し、悪く行けば海底の藻屑、好く行くとも七日間の乾干位は覚悟の上、何れにするも笑って過すべき愉快なる航海にあらざれば今より其用意が肝要とボーイを呼んで日常の用事を命ぜしが其用事は唯の一種、僕は航海中は一回も食堂には出ないから三度の食事を此室に運び来れ、 而して西洋臭き物は一切嫌であるから日本臭き物のみを持ち来れと命ずれば夫れは御安い御用と或る物を戴きつつ出で行きしが彼は其後非常なる忠勤者であった、

翌日より毎朝医者は室内に入り来り手当を施して呉れた、僕は寝台に横わった儘一歩も室外に出なかった、船は追々と揺れ出した、遂には非常なる動揺を起して時々寝台より転げ落されんとせしも、辛うじて之を拒ぎ止めた、 船暈の悪魔は予定の如く現れ出でて僕を苦しめた、一日は一年の如くに長く思えられたが一日は矢張り一日、二十五日の夕景にはボーイが来て金華山が見え出しましたと報じたから初めて甲板に出て之を眺めて暫し茫然たる有様であった、翌日午後には横浜に着いた、死にもせずに、

医者は走りて室内に入り来れり、最早手当は済んで用事はなし、何故に来りたりやと思えば、

「只今事務長の室にて貴方の元籍を見ましたら貴方は但馬の出石の方でありますなあ」

「左様です」

「私も但馬の出石の者です」

「左様ですか、夫れは不思議ですなあ、貴方の御名前は何と仰っしゃりますか」

「○○○○と申します」

「ハア貴方は○○さんですか」

「初めから其事が分って居れば何んとか御便宜を計る方法もあったでしょうが甚だ失礼致しました」

「いやどう致しまして非常なる御厄介に成りましてお蔭で無事に着きました」

「最早上陸せなくてはなりませんから何れ復た緩々とお目に懸りましょう」

「夫れでは…………」

思い起せば彼と僕とは級こそ異なりたれども同じ小学校に学びし同窓の友である、爾来浮世の荒波に追われて流浪転々相見ざること二十年、彼も生長せり僕も成長せり、 彼も鬚あり僕も髯あり、互に相見て相知ず、相論じ相争う、扨も浮世は面白し、匇々支度を整えて甲板に出づれば復もや一驚、

「やア」

「やア」

「君は此船に乗って居たのかい」

「君こそ此船に乗って居たのかい」

「僕は乗って居たよ」

「僕も乗って居たよ」

「君はどの室に居たのかい」

「僕は二等室に居たよ」

「そうか何処に居ても僕には分らなかった、僕は一度も室外に出なかったから、併し暫く会わなかったが君は壮健で何より」

「して君は時ならぬ時の帰朝ではないか」

「僕は少し病気をやったものだから、して其の人は」

と言いかけしが忽ち語歩を転じて暫く語り合う間に小蒸汽が着いて一同は其に乗り移った、彼は多年米国に漂泊し至る処に食い詰めて最早食うべき場所もなく已むを得ず帰り来れるなり、 彼は一年足らずの間エール大学に籍を置きたることありしが故に其時に於て僕は初めて彼を知りしが其後突然何れの処にか影を隠し寂として其声を聞かざりし、 彼の帰るや可し、僕は実は彼を見て驚かざりし、驚きしは彼が伴う一の婦人である、其何れの産なるやは僕の知る処にあらざれども兎に角白人の一種なるには相違なし、 然れども有体に言えば僕は未だ曾て白人中に於て其婦人の如く醜婦を見たることなし、而かも其醜婦は少くとも中年以上に達し身には粗末なる衣服を纏い其上弁々たる腹を抱えて気息奄々たる有様は何人と雖ども一見して容易に腹中の物を語るなるべし、 アア彼は何んたる無鉄砲なる馬鹿者であるか、彼は何の目的あって此醜婦を連れ帰りたるや、僕は彼に向て詰問難責せんとしたれども人情に背くを恐れて之を思い止まれり、将来に於ける彼の女の運命は如何、

僕は横浜に一泊し翌朝鎌倉に向て出立せり、ヲヲ鎌倉よ鎌倉よ、汝と相見ざること茲に三年、僕は常に汝を渇望せり、雨の降る日も雪の夜も、寝ても覚めても唯々思いしは汝の事、

脚注

(1)
原文では「乙手」と表記されている。