『回顧七十年』 その12

last updated: 2013-01-23

普選法案の代表演説

六月二十五日、召集の第四十九(特別)議会は無事に終了し、十二月二十四日、第五十議会が召集せられた。 翌十四年一月二十日のわが党大会においては私は党務委員長に指名せられ、これより一年間はもっぱら党務に鞅掌おうしょうすることになった。 二十三日よりいよいよ議会は開会せられ、私は懲罰委員長に選挙せられた。 しばしば在野党の議事妨害より起これる懲罰委員会を開くに至ったが、それは別とし、本議会においては私が政治生涯に特筆大書すべき問題が現われた。 それは政府提出の普選法案である。

前記せるがごとく、大正九年、第四十二議会において憲政会は初めて普選法案を提出し、私は党を代表して賛成演説をなしたが、時の原内閣はこの問題を捉えて衆議院を解散した。

当時普選の空気は未だ全国に普及せず、加うるに政府は、普選論をもって社会組織を破壊せんとする危険思想なりと宣伝して、資産階級の反対を誘発したから、都市は別として、地方においては普選の人気はなはだ揚がらず、普選問題にもとづく解散後の総選挙に当りて、在野党の候補者は普選を口にすることすら回避するがごとき情勢であり、それやこれやにて私は不幸落選の憂目を見るに至った。

その後四か年の間、在野党は毎議会に普選案を提出したれども、与党政友会のために蹂躙せられてその目的を達することが出来ない。 しかれどもこの間において普選の機運は漸次に昂上して、ことに憲政会は過去四か年の間この問題のために戦いを継続して来たのであるから、今回加藤内閣が成立したる以上は、何は差し措いてもこの問題を解決せねばならぬ。 与党三派中、革新倶楽部はもちろん異議なく、年来反対したる政友会も大勢に押されて遂に普選賛成の党議を決定するに至った。

ここにおいて政府は直ちに普選法の立案に着手し、三派の委員と会合してその大綱を定めることになり、私もその一員として微力を捧ぐることが出来た。

原案作成終り枢密院の関門を通過して、いよいよ二月二十一日の衆議院の日程に上った。 委員会は一週間にして政府原案を可決し、三月二日本会議に上程せられ、ここにわが憲政史上を飾るべき普選の大討論が開始せられ、私は憲政会を代表して賛成演説をなすこととなった。 想えば第四十二議会に憲政会が初めて普選案を提出せし時、私は党を代表して賛成演説をなし、四年後の今日いよいよ普選法が成立せんとする時に当り再び代表演説をなすこととなり、この画期的の大法案について前後二回に亘りて壇上に起つべき機会を与えられたるは、私の政治生涯にとりてこの上なき光栄であるとともに、自ら省みてその責任の重大なることを感ぜざるを得ない。

永く後世の史上に残るべきこの演説の内容については、あらかじめ十二分の研究をなし、ことに反対党に挙げ足を取らるるがごとき失態を演ぜざるように、一言一句に細心の注意を怠らなかった。 委員長の報告後、反対党の修正説現われ、私が演壇に登りたる時は午後三時二十分であった。 議場はもとより満員である。 傍聴席には立錐の余地もなく、院内は極度の緊張を呈した。 私の演説中反対党はしばしは妨害的の弥次を飛ばしたが、難なくこれを征服して五時十分、まさに二時間五十分の長演説を終りて無事に降壇したる時は、真に重荷を下ろしたる心地がした。 それより反対、賛成と相互の代表演説終りて討論終結、十時三十分採決の結果、大多数をもって原案を通過した。

衆議院において大多数をもって通過したる普選案は貴族院において修正せられ、ここに両院協議会が開かるることとなった。 両院おのおの十名の委員を選定し、私も衆議院側委員の一人として協議会に臨みたるが、協議会においては両院おのおのその主張を固執して容易に譲らず、予想以上の難関に陥り、政府は三度会期を延長して時日を与えたれども、ほとんど打開の途なく、いく度か危機に瀕したるが、窮すれば通ずるの諺のごとく最後の瞬間、即ち三月二十八日午後十一時五十分に至りて、ようやく両院の妥協が成立したる時は、委員一同は胸を撫でた。

翌二十九日の本会議において衆議院まず妥協案を承認し、貴族院の議事を終りたる時はまさに五時二十分、これと同時に院の内外には一斉に万歳万歳の声が鳴り響き、私ら党員は直ちに本部に引き揚げ、祝賀の宴に臨んだ。 かくのごとくにして多年の懸案、普選法は成立したのである。

当時両院協議会委員の貴族院側は、松平頼寿、渡辺千冬、寺田栄、斯波忠三郎、内田嘉吉、郷誠之助、花井卓蔵、水野錬太郎、青木信光、矢吹省三。 衆議院側は、岡崎邦輔、石井謹吾、小泉策太郎、武内作平、頼母木桂吉、秋田清、藤沢幾之輔、安達謙蔵、前田米蔵、斎藤隆夫、以上の二十名であるが、多数はすでに他界の人となり、今日生存する者は貴族院側の青木信光、水野錬太郎、矢吹省三、衆議院側の安達謙蔵、前田米蔵、および私の六人に過ぎない。 しかもそのうちにおいて今日国会に議席を有する者はただ私一人なるを思えば、感慨無量ならざるを得ない。