「人を容るゝこと甚た易し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「人を容るゝこと甚た易し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

人を容るゝこと甚た易し

方今天下の急要は人心の調和に在り之を和するの法は人を逐はずして人を容るゝに在りと

の事は我輩の持論をして讀者も既に其意を得られたることならん盖し天下の事は一家内に

異なり一家に使用する下男下女ならば主人の意に敵せざる者を逐ふて適意の者を雇ふ可し

至極簡單なる始末なれとも天下を〓るには天下一般多數の人心を得ること緊要なり一家の

雇人なれば家に雇ふ其間のみ我家人にして之を放逐すれば其日より双方の關係を斷絶した

るものなれとも天下の安寧を維持せんとするには天下全般の向背を視て喜憂す可きが故に

仮令ひ其一半の心を得るも他の一半の心を失へば未だ以て喜ぶに足らず雇人は之を放逐し

て關係を絶つ可きも天下の人は之を逐ふて尚國人たるが故に其人の生命のあらん限りは之

を他人視す可らざるなり或は簡單なる思想を以て兎に角に我意に適する者は之を容れて適

せざる者は之を逐ふと覺悟を定るも其これを容るゝと逐ふとの際に人物を擇ぶこと甚だ易

からず是れぞ忠誠一偏の士人なり永く依頼す可きものなりと大に信したる者も其實は一朝

の變に際して大に依頼す可ふざる者あり、夫れぞ怪しむ可き人物なりとの報を得て急に之

を逐ふの手配りしたる者もよく  事實を吟味すれば風聲鶴唳の空報にして當初手配りの

樣を今更人に語るも愧かしく今は却て其人物の實に怪しからざりしに落膽するが如き奇談

も少なからざることなれば結局人心の向背は其人の德義に存するに非ずして時の勢に由て

何樣にも變化す可きものなりと决定して廣く人を容るゝことに勉めざる可らざるなり或は

之を容るゝが爲に地位なしと云はん歟、天下に爲す可き事業甚た多し或は其事業を起すに

資金なしと云はん歟、國財徴収の道あり、既に事業の要用を悟りて又資財あり人を容れて

其才力を逞うせしむるの準備完全なりと云ふ可し何を慮りて躊躇することを爲んや或ひは

人を容るれば我が從來の地位を奪はれて我素志を達するの機を失ふ等の掛念あれば又再思

す可きなれとも今日の人を容るゝは新に地位を作て之に授ることなれば舊地位は依然たる

のみならず新地位の增加したるが爲に却て舊地位に餘裕を生して行事に一層の圓滑を加ふ

可し結局政府の爲に政友を多くして政府の門を繁盛ならしめ勢に乘して日本國政權の基礎

を強大にし今日に當て百年の大計を圖らんとするものなれば目下の些事は之を心に關する

に足らず其門を繁盛ならしめんとするには先つ其門を開く可きなり

或は政府にて人を容れんとするも人々各守る所ありて傍より之を左右すること難しとの説

もあれとも〓に云へる如く人心の向背は必ずしも其人の德義に由らずして勢に從ふものな

り個々の人に就て見ればこそ劇しき德義論も聞ゆるが如くなれとも其人の集りて運動する

痕跡を視察するときは滔々たる人間社會唯勢に走るのみ世界古今の事實に於て分明なり支

那の故事に廷尉門前可設雀羅とは人口に膾炙する明言にして誰れも其事實を許すことなら

ん昨日までは貴顕の位に屠を威福を行ひ其門市の如くなりしものも〓に落路の人と爲れば

今日は之を〓る者もなし曩に廷尉の門に出入したる者共も其個々に就て見れば必ずしも小

人のみには非ざる可しと雖とも廷尉が威福の權を失へば則ち之に近つかず德義の主義に由

て進退する者と云ふ可らざるなり或は現在の我日本國に於ても曾て貴顯の位に居て今は落

路の人と爲り其門前に雀羅を設く可きの實例は之を目?すること甚た易し其盛なるの時に

當ては朝野の士人爭ふて其門に奔走して主公の恩遇を祈りし者も今は務めて知らざるの風

を裝ひ或は時と塲所とに應しては其恩人を誹謗して自から利せんとする者さへあるは普く

人の知る所にして或は今の貴顯とて今日頓に落路の人となれば明日より出入の賓客を減し

德行の君子も正直の士人も次第に其跡を遠くして門前遂に雀羅を設く可きや之を前言して

違ふことある可らず今この賓客を個々の朋友として其私を論すればこそ賤しむ可く又惡む

可きが如くなれとも滔々たる天下の大勢に眼を着けて之を視れは此賓客も亦滔々中の人に

して深く咎るに足らず走勢就權は人情の常なり其來る者を容れて之を拒まざれば之を容

るゝの間は政友として信す可きのみ苟も之を容れずして拒絶するときは政敵たらざる者な

かる可し世界古今に分明なる事實なれば經世の大人は活眼を開き深く人の德義に依頼する

ことなくして廣く天下の人物を容れ恰も政府の門をして市の如くならしめんこと我輩の希

望する所なり